葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

「歌声よ、 おこれ」 ふたたび……。

2023-09-18 19:55:59 | 日本共産党のこと。

志位委員長の「日本共産党101周年記念講演」での敗戦直後の「歌声よ、おこれ」について昨日「つぶやき」ましたが、志位講演にはもう一ヶ所「歌声よ、おこれ」について語っています、  全文文字写しをしておきます。

《ソ連共産党解体を歓迎し、 未来への大局的展望を語った、 世界で唯一の党》
 一九九一年八月のソ連共産党解体にさいして、党は九月一日、 常任幹部会声明 「大国主義・覇権主義の歴史的巨悪の党の終焉 (しゅうえん) を歓迎する」を発表し、この党の解体を 「もろ手をあげて歓迎」 すると表明し、 「世界の平和と社会進歩にとっても、 日本共産党にとっても、巨大なプラスをもたらすもの」 との大局的展望を示しました。
 わが党の声明を、フランス国営テレビは注目して報じました。 世界広しといえども、このような声明を発表した党は、 他に一つもありません。
 世界の党の多くが、ソ連崩壊に直面して茫然自失、 混迷と方向喪失に陥るなかで、わが党がこの出来事を積極的にとらえ、 未来への大局的展望を語ることができたのは、「五〇年問題」、一九六〇年代の干渉とのたたかい以来の、 覇権主義との全党の生死をかけたたたかいの結果だったことを、私は強調したいのであります。 (拍手)
 ソ連崩壊にさいして、 「巨大なプラス」 と未来への大局的な展望を示したわが党の態度は、日本軍国主義の敗戦直後に、それを歓迎し、「歌声よ、おこれ」 といち早く呼びかけた歴史を想起させるものではありませんか。

『日本共産党の百年』の該当する部分「歴史的巨悪の党、ソ連共産党の解体を歓迎」はこれです、

①  の部分の文字写し、

 歴史的巨悪の党、ソ連共産党の解体を歓迎

 九一年八月、ソ連でクーデタが発生し、市民への武力弾圧で犠牲者も生まれました。 クーデターは三日間で失敗し、ソ連共産党のクーデター関与の疑惑と責任を追及する世論が高まるなかで、ゴルバチョフは書記長を辞任し、ソ連共産党の解散に追い込まれました。
 党は九月一日、常任幹部会声明「大国主義・覇権主義の歴史的巨悪の党の終焉を歓迎する——ソ連共産党の解体にさいし
て」を発表し、平和と社会進歩の事業に巨大な害悪を流しつづけた大国主義・覇権主義の党の終焉を、「もろ手をあげて歓迎すべき歴史的出来事である」と表明しました。 そして、ソ連共産党の大国主義・覇権主義と生死をかけてたたかいぬいてきた
党の値打ちが歴史によって証明されたことを強調するとともに、「世界の社会主義の代表者のような顔をしながら、社会主義の立場とはまったく無縁の大国主義・覇権主義の害悪を流しつづけてきたソ連共産党が解体するということは、世界で科学的社会主義の立場を堅持してすすもうとする勢力への妨害物がなくなるという点で、世界の平和と社会進歩の勢力にとって日本共産党のたたかいにとっても、巨大なプラスをもたらすものである」との展望を明らかにしました。党の態度表明は、フランスの国営テレビで紹介されたのをはじめ、世界的にも注目されました。
 九一年十二月には、党は「科学的社会主義の世界的な運動の発展のために日本共産党の見解」を発表して、旧ソ連の覇権主義ときっぱり絶縁した自主的な科学的社会主義の運動を展させようと世界に呼びかけま
した。
 ソ連では、クーデターの失敗後、連邦を構成する各共和国の独立の動きが強まり、バルト三国は、九一年九月、ソ連共産党の解体直後に独立しました。さらに、九一年十二月、グルジアをのぞく十一共和国が首脳会議を開いて、「独立国家共同体」の創設と連邦の廃止を決定しました。党は「ソ連邦の解体にあたって」と題する見解を発表し、ソ連邦解体の最大の根源が、スターリン以来の覇権主義と、その害悪にたいするゴルバチョフ指導部の無自覚と無反省にあったと指摘しました。

② の部分は明日に……。

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「日本共産党百年史」 から 「歌声よ、 おこれ」.

2023-09-17 16:55:32 | 日本共産党のこと。

志位委員長の記念講演全文はこちらで読めます、

 

日本共産党101周年記念講演会/歴史に深く学び、つよく大きな党を/『日本共産党の百年』を語る/志位和夫委員長の講演

 

このなかで「歌声よ、おこれ」について語っている部分です、

赤でマークした部分です、

宮本百合子が 『歌声よ、おこれ』 を書いた解放感が社会にみなぎっていた。

 その経験なしには 『歌声よ、 おこれ』 の解放感は生まれなかったろう。

宮本百合子が、 日本 軍国主義の敗戦直後の一九四六年一月、 加藤さんの言葉を借りれば 「茫然自失状態」だった日本の文学者や国民に向かって、 「歌声よ、おこれ」と呼びかけた一文は、多くの人々に強烈なインパクトを持って受け止められました。

加藤周一さんは著書『日本文学史序説』で次にように書かれています。

たとえば、一九三九年に宮本百合子は、小説「広場」を書き、検閲による部分的削除の後、雑誌に発表した。それはソヴィエット連邦で若者の歌を聞く話で、その削除箇所には、「ああわれら、いつの日にかこの歌をうたわん」 という句があった(『宮本百合子全集』 第五巻、新日本出版社 一九七九)。 彼女は三九年の末にそう書いていたから、いくさが終ったとき、まさに斎藤茂吉が山形の村にひきこもり、武者小路実篤(一八八五〜一九七六)が「だまされていた」と呟いていた一九四六年の初めに、「歌声よ、おこれ」 (一九四六、 一月)ということができた。 斎藤や武者小路には、そもそも歌壇の、あるいは文壇の外の政治社会現象を分析し、それに対して意識的な立場をとる習慣も、そのために有効な概念的体系も、なかった。「ファッシズム」が上から迫ってきたときに、彼らはいわば無防備であったといえよう。 (同書下p458)

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100年という区切。

2023-09-16 11:40:41 | 算数+数学

こちらに全文が載っています、

党創立101周年記念講演会 歴史に深く学び、つよく大きな党を/『日本共産党の百年』を語る/志位委員長が記念講演

党創立101周年記念講演会 歴史に深く学び、つよく大きな党を/『日本共産党の百年』を語る/志位委員長が記念講演

 

 

1922年、101年前が日本共産党創立の年と考えるとはるか遠い思いがするのですが、一転自分の生きてきた年数に「僅か」14年足せばはみ出す期間だと気づくとそれ程古い時代ではないとも思えてきます。

それは言い換えれば、.自分が今の時点ではかなり古くなっていることを意味しているのだということでもあります。それだけに昭和史を語り続けてこられた半藤一利さんのこの言葉の意味を深めたいのです。

「歴史は警鐘する」

「歴史は決して学ばなければ教えてくれない」

半藤さんの本の裏表紙の言葉です、

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今夜これから……。

2023-09-15 17:45:52 | 日本共産党のこと。

やはり暑い一日でした、日は沈んでも室内温度31.7度、無風状態です。

もう直ぐ耳を傾けます、熱い語りに。

日本共産党創立101周年記念講演会

日本共産党創立101周年記念講演会

9月15日(金)18:00~講演レジメ:https://www.jcp.or.jp/web_download/2023/09/14/20230915-101th-rejime.pdf記念講演:歴史に深く学び、つよく大きな党を――「日本共産党の...

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十七音という「海」

2023-09-14 17:11:41 | kaeruの五七五


新家完治著『秀句の条件 良い川柳から学ぶ』からの一句です。

「人間嫌いに陥ったが、その絶望の底で出会ったのが川柳だった」

 

「丸山あずさ」で検索してみました。

https://shinyokan.jp/senryu-blogs/akiko/21403/

https://shinyokan.jp/senryu-blogs/akiko/27868/

さらに、

https://www.miyagi-bus-kyokai.jp/wp-content/uploads/2016/05/c4cd4e0af9c4df9c7f905909ee153a0d.pdf

https://wwwtb.mlit.go.jp/tohoku/content/000233122.pdf

良い本の腰巻据える腰構え   がら天

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芸術、 音楽(聴く). 俳句. 川柳. そして……、

2023-09-13 21:41:46 | 花はこころの器

「そして……、」普通なら絵画とか彫刻などと続いても良さそうですが、行き詰りなのです。趣味が少ないというより関心が無い、音楽がタイトルに入っているのは偶々のことで聴く機会があったからです。とても趣味として音楽をあげる気はありません(ただこれからは聴くだけなら出かけるかも知れませんが)、あらためて精神的にも貧しいものだと思います。 

それにしても何か繋がるものはないか、と立ちあがったらありました、

絵画関係ですから芸術に関わるものです。画家・奥村土牛の評伝です。多分芸術に関係する本で、文学以外を扱っている本はこれだけでしょう。

 なぜそんな本があるか、土牛の名前くらいは知っていましたし、偶々寄った古書店の棚にあって私と同じ丑年だということと、定価3200円が2310円だったことから買い込んだと思います。

さて手にしたのも何かの縁でしょう、開いた第1ページ、

そして何ページかパラパラして、目を通してみると読みやすく面白そうなのです。下手をすると手に覚えのない趣味として「絵画」が入り込んでくるかも知れません。

           第一章

 奥村土牛は、一九八九年の二月十八日の誕生日で百歳の、文字通り日本画壇の最高峰の人である。作風のすばらしさはいうまでもなく、人柄のよさでも天下無類の人である。 百歳記念の回顧代表作展やテレビの特別番組などが、すでに一年も前から慎重に計画準備されてきたものだ。
 九十歳を過ぎたころからの土牛に会った人は、一様に、生身の神さま仏さまを感じさせる立派な人格者だ、とほめそやす。 戦前から土牛邸に出入りしてよく土牛を知る古参の画商は、こと絵について土牛ほど徹底したエゴイストは、ほかに類を見ないという。しかも、百歳のこの長寿の人が、幼少年期はまともに育つかどうか危ぶまれた虚弱体質の救いがたい弱虫の男の子だったというのだから、世のなかのことはうわべの観察ではわからない。日本の芸術家の位人身を極めた芸術院会員になり、さらに最高の栄誉の文化勲章を受章し、岡倉天心以来の伝
 (あと略)

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芸術の秋 俳句に続き川柳も……。

2023-09-12 21:19:35 | kaeruの五七五

五七五としての俳句との関わりは、小学校の時の宿題で詠んだ、

“ 無灯火の自転車通る夜早し ”  

が記憶に残っているし、子供の頃はつけていた日記に時々書き残していたようですが、新聞雑誌等に投稿した記憶はないのです。社会人になって日記もつけなくなり、生活のなかで文学的なものといえば読書を通じてしか接しなくなりました。

そんな時期、介護の職場にいた頃高年齢の方々とのバスでの小旅行に出かけた時です。自己紹介で品のいい御婦人が「(趣味として)俳句を少々」

という言葉が印象に残り、自分も「俳句を……」などと言ってみたくなったのです。知人がやっている句会に顔を出すようになり、パソコン講座を通じて月一の句会仲間に入り20年弱になります。

五七五のもう一つの川柳は、「てんがらもんラジオ」が縁ですから10年くらいになるでしょう。と言っても柳誌「つばさ」の購読、それも付き合い読者という程度でした。それでも川柳が持つ魅力と主宰の石神紅雀さんの教えの良さに惹かれ、遂に「入来わくわく番傘川柳会」の会員になってしまいました。

その結果、「つばさ」に名前・がら天が出たのです、

ということでこれも「芸術の秋」の良き幕開けの一つとして、これからへの励ましにここに記しておきます。 

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芸術の秋 俳句好スタート

2023-09-11 19:55:04 | kaeruの五七五

定例の句会は月の第一水曜日ですから、6日でしたが「暑いのでズーム句会にしましょう」ということで、投句日も延長され今日もたれました。私はこのズームというのが苦手で、聞こえずらいこともあるのですが、何より画面で対面というのに気が重くなるのです。

何時も選句されるのが少なく気の重さが重なるのですが、今日は3人からそれも「主宰」をはじめ特選として点を入れてもらいました、

六句投句し、3点句一句、2点二句、一点二句の五句が選句され、多分この句会に出るようになって20年くらいですが、始めてのことではないかと思います。

ということで、五句とも己の励みに記しておきます。

 

   

 

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芸術の秋

2023-09-10 23:36:02 | 葉山そして人

 仮に偶々このコンサートのプログラムを見ても、まったく関心を持たなかったでしょう、自ら歌うことも聴くことにも関心が殆どない私ですから。しかし、この11月で97歳の人が歌う、と知れば聴かねばと思ったはずです。ギリギリの大正生まれ、大正昭和平成令和とまさに激動期の日本人として生き抜いてきた、そういう婦人が舞台で歌うのですから。

 ましてや「のぞみ会」の仲間として毎月顔をあわせているのです、この会に先月から仲間になった、男性と出かけました。彼は私とは違い町のコーラスの有力な男性会員で、貴重な男声の一人です。

 今日ご婦人からラインで視聴への謝礼の挨拶がありました、私から返信をここに記して、感想文とします。

 Kさん、私にとって昨日は「芸術の秋の幕開け」だったと言えます。芸術などと言うと柄にも無いとも思うのですが、そんなふうに思えたことに感謝です、ありがとうございました。

 生涯現役と言われますが、自分の生涯を通じて何を以て「現役」というか、趣味的なものもふくめて「芸術性」もその一つでしょう。歌唱・音楽に限らず、生涯を通じて心身で追求して来た「芸術」が老いの身を生き生きと支え、日常を意義あるものにするのだとKさんの歌う姿を通じて実感しました。会場から「ブラボー👏」との掛声が聞けたのはKさんだけでしたね、歌声だけでなく姿勢に心打たれたのです。

 普段オペラに縁のない私ですが、オペラ舞台で聴く覚えでした。どなたの姿勢からも感じ取ったのは、足元が確りし正に足の裏の支えがあって、全身での発声だから聴く人に届くのだという新しい発見でした。これはテレビでどんなに素晴らしい歌を聴いても気づかないことでしょう。

 最後に会場全体で歌いましたね、私は全く声も出ませんでしたが、横溝さんの声が心地よく聴こえました。「のぞみ会」の場で揃って歌われる機会が待ち遠しいです。

 ところで「首都オペラ」を検索しましたら葉山町堀内の住所が出て来ました。所在地なのでしょうか、だとしたらこれも縁です、この地元で交流の場があれば良いですね。

 次の「のぞみ会」でYさんの歌唱する立場からの感想も聞けると思います。そしてKさん、Yさんに限らず各自の生涯を通じての「芸術性」を発表しあい鑑賞し合う場をつくることも「のぞみ会の自前の福祉」と言えるかも知れません。

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立前じゃ無い縦書の読み心地  がら天

2023-09-08 09:57:44 | kaeruの五七五

昨日の新家さんの句の中から、

この二句は横書きでも「意味」は分かります、が……。

立ち姿一升瓶になってきた

飲みましょう電信柱揺れるまで

飲み干されて一升瓶が畳の上に転がされている景では、詠み手の立ち姿ではありませんし、脳内の電信柱は揺れていても寄り掛かるべき物は確りと立っているのです。

だとすればこうなっていなければ、詠み手の姿になりません。

    

これは一升瓶と電柱だけではないでしょう、こうしてみます、

新家さん、己の人生の役どころは飲兵衛だと、だとすれば一升瓶も電信柱も横倒しにする訳にはいきません、詠み手はもちろん読み手も。

 

 

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