ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

我が家の花(6月8日)

2010-06-08 09:53:19 | 花日記


梅雨空からシトシトと雨が降り出しました。庭の花たちが生き生きとした顔になりました。



色んな色のサツキが満開



ゼラニュウム



エビソウ(赤)



エビソウ(白)

雨音が聞こえ出したので、今日はこの辺で…。

芒種の大和民俗公園(6月7日)

2010-06-07 21:43:27 | 矢田だより
今日は二十四節季の「ぼうしゅ」。
芒(のぎ)は、コメ、ムギなどイネ科の植物の小穂を構成する鱗片(穎)の先端にある棘状の
突起のこと(wikipedia)。そのような突起をもつ穀物の種まきをする時節という意味ですが、
新暦の今はとっくに田植えは済んでいます。



梅雨入りが近いことを思わせる鉛色の空ですが、二人で民俗公園を歩きました。
駐車場を出たところや菖蒲園の周囲では、キンシバイの黄色が鮮やかです。



ヤマボウシの花も辺りをパッと明るくしてくれます。



アジサイの花が大分増えました。



ササユリのツボミガほんのり色づいています。



ヒョウタン池の畔で幼稚園児たちが竹棒の竿をたらしています。付き添いの人に聞くと放流
してあるザリガニを釣っているそうです。餌はスルメでした。変愚院が子供の頃はカエルで
釣ったものですが…。



花菖蒲園のショウブも次々と開いていますが、今年は水も張られず少し淋しい感じです。



揚羽



緑葉黄金



辰野

今日はこの3種を紹介しました。ところで「芒」はススキとも読みますが、ススキにボウは
ありません。

エベレストより高い山

2010-06-05 09:44:52 | 四方山話
5月29日の「エベレスト記念日」に関連して、この本が書棚にあったことを思い出し
て書きかけたままで、かなり時季外れになってしまいました。



2000年5月1日発行の朝日文庫(朝日新聞社刊)「エベレストより高い山」
表紙写真の中央左がエベレスト、右上はK2、右下はアイガー北壁。

ジョン・クラカワーは渾身のノンフィクション「空へ」(この本も、エベレストが
舞台です)で知られる作家で、彼自身が数々の登攀を成し遂げたクライマーです。

この本は、副題にあるように「登山と人間との関わり」を12編のエピソードで記した
短編集ですが、なかなか面白い本です。

例えば「アイガーの夢」は映画「アイガーサンクション」でのクリント・イーストウッド
扮するCIA?の男のセリフ「あの壁には二度アタックした。そして二度とも死に
かけた…もしターゲットがアイガーをやろうとしているなら、俺が手を下すまでもない」
から始まるという具合…。



標題となったのはその中の一章ですが、謎の山その一はパキスタンと中国国境に聳える
世界第二の高峰・K2。
1986年アメリカの遠征隊が軍事衛星からの電磁波で測量した結果、8895mある
「かもしれない」という話しです。



この「K2を見に行かないか」と誘われたことがありました。政情不安が続くパキス
タンへの旅ではありますが、世界第二の高峰をこの目で見たいと大いに食指をが動き
ました。しかしながら、当時は地域の民生委員をしていて、一ヶ月をこえる長旅は
とても許される状況ではなかったので涙を飲み、留守宅の連絡役に徹しました。
このトレッキング隊はK2のベースキャンプから、難関のゴンドゴロ峠を越えて
バルトロ氷河を巡る長いトレースを成功させました。写真はチーフリーダーのK氏
から頂いた記念誌です。(上の写真も)

標題に帰ります。謎の山その二は、中国四川省のミニヤコンカ。
1929年、ジャイアンツパンダの調査を行っていたアメリカ大統領の息子たちが、
帰国後出版した本の中で「9000mを越える世界で一番高い山」とこの山のことを書き
ました。
それを信じたロックという植物学者が「携帯用コンパスと気圧計」を使って測量。
「ミニヤコンカは9220m」とアメリカ地理学協会に報告します。その後の測量で
7590mしかないと判明したのですが、懲りないロックは更に青海省にあるアムネマチン
が9000m峰だと主張しました。
ここから、アムネマチンに関する興味深い様々なエピソードが語られるのですが…
6282mのこの山は1981年日本の登山隊(上越山岳会)によって初登頂されました。

K2に関連しては「K2の不幸な夏」という章があります。
K2は世界に14座ある8000m峰の中で最も遭難者の多い山ですが、1986年夏季には
27人が登頂し、そのうちの約半数の14人が死亡するという悲惨な事件がありました。
その悲劇のドラマを綴った章ですが、その中にイェジ・ククチカ(ポーランド)の
「南壁を舞台にした離れ業」があります。4晩にわたるビバーグ(しかも最後の2晩
はツェルトもシュラフも水も食料もなく)の末、風雪の中を登り続け頂上に到達しま
すが、下山中にパートナーが滑落し死亡してしまいます。

また横道にそれますが…
ククチカにとってK2は8000m13座目の登頂でしたが、その後L・メスナーに次ぐ
14座完登の栄誉を手にします。しかし、この本に描かれたK2から3年後の1989年、
8516mのローツェ南壁に挑み、墜落死しました。

標高差3300のこの世界屈指の大岩壁は、1990年5月、スロベニアのトモ・チェセンに
よって初登攀されました。同年秋、ソ連隊が登ったあと、2006年12月27日、日本の
JAC東海支部隊が第3登を達成。これは冬季の初登攀になります。
田辺治隊長、山口貴弘隊員、ペンバ・チョルテ(シェルパ)の3人がこの「難」壁を
登り切ったのは、2001年と2003年に次ぐ3度目の冬季挑戦による壮挙でした。

この登攀について、朝日新聞は「ローツェ南壁初登攀断念 日本山岳会東海支部」と
いう見出しで報じました。南壁完登後、山頂を踏まなかったのがその理由のようです。
田辺隊長は後に「あのあと頂上を目指していたら、命を失っていただろう」と語って
おられます。落石や強風と戦いながら標高8475mに達し、3度の挑戦で「1人として
命を奪うことなく、凍傷で指1本失うこともなかった。」登攀は頂上に達しないこと
で些かの価値を失うものではないと、私は思います。



写真は2003年11月、2度目の挑戦に向かう前の田辺治隊長(右)
ナムチェのエベレスト・ビューホテルでお目にかかりました。
写真中央がローツェ、その左がエベレスト

天川村玄関?のシャクナゲ

2010-06-04 17:36:22 | 花日記
投稿順序が逆になりましたが、天川村河合でみたシャクナゲです。



観音峰の帰り、国道309号線河合の三叉路を過ぎたところで真っ赤な花が群生して
いたので車を停めました。
車の前方に「天の国・木の国・水の国」の大きな標識、車の後方の側壁には
(写真では見えませんが)天川の風物を描いたレリーフが嵌め込まれています。
「天の国・木の国・水の国」は天川村のキャッチフレーズ、詳しくはこちらへ→



左側の谷に向かって鮮やかな色のシャクナゲがずらりと並び、実に壮観でした。

大和葛城山へ登りました(6月3日)

2010-06-03 21:07:43 | 旅日記
予報では夏の暑さになると伝えています。かねてお約束していた「ひろせ」さんと
二人で大和葛城山に登りました。



一日空けただけの山歩きですので、ヒザの負担も考えていつもの天狗谷道(青崩道)を
登ります。鎖場周辺でも水場でもイワタバコの花にはまだ早いようでした。
中間ベンチで一休みして、整備がすすんだ階段道からショウジョウバカマの群生地へ。



ここからキャンプ場までの左側の斜面にツツジの紅色が見えます。この調子では、まだ
ひょっとするとツツジ園のツツジも咲き残っているかも知れないと淡い期待も湧きます。



ロープからの道を合わせると急に人が増えます。白樺食堂手前から直登して山頂へ登り、
居合わせた人にシャッターを押してもらいました。
晴れてはいるのですが薄雲がかかったようで、遠くの山波が霞んでいるのが残念です。
金剛山を見ながら昼食をすませて、ツツジ園に回りました。



残念ながら、もう花の時期は過ぎていました。花が枯れた後の色はまるで紅葉のようです。



この山がはじめての「ひろせさん」には、こんな光景を見て頂きたかったのですが…。
(写真は同じ場所からの昨年5月15日のもの)



葛城高原ロッジ裏のシャクナゲに見送られて元の道を帰りました。天狗谷道は本当に静かで、
カッコウの声だけがずっと一緒に付いてきました。中間点のベンチに座ると涼しい風が吹き
抜けて爽快な気持ちです。

大和高田で「ひろせさん」とお別れして家に着くや、今日も雷を伴う激しい夕立がありました。
久しぶりに懐かしい山友と語らいながらの楽しい山歩きでした。

観音峰に登りました (6月1日)

2010-06-02 10:32:15 | 山日記
観音峰は吉野郡天川村にある大峰山脈の前衛峰で、標高1347.4m。
南北朝時代、後村上天皇が吉野から天川に落ち延びたとき、山中の洞窟に籠もった夜
夢に十一面観音菩薩が現れ、河合寺が安住の場所とのお告げを受けた。山名はこの伝説
に由来している。

<コースタイム>登山口10:05…観音水10:20…観音平休憩所11:00~11:10…観音平
展望所11:35~11:45…観音峰12:20~12:35…観音平展望所13:08…観音平休憩所
13:30~13:35…登山口14:15

この日はヤマシャクヤクを見るため途中の観音平展望台までの予定だったのですが、
観音岩屋付近の「白」はすでに花期に遅く莢果になっていて、展望台付近の「紅」は
まだ蕾も見えなかったので、少し足を延ばして山頂三角点まで行ってきました。



予報は「上空に寒気が入り不安定な天気」と伝えています。天川河合から洞川へ向かい
虻トンネルを抜けた駐車場に車を置きます。吊り橋を渡ると観音峰への道が始まります。
植林の中を少し登ると右へ御手洗渓谷への道を分け、右に折れて観音水に着きます。



右手の岩に見えるのは「奥吉野天川南朝物語① 動乱の勃発(建武の中興)」。
この先、登山道の途中6箇所にあるこの案内板が南朝の歴史を語ってくれます。
二番目の案内板「吉野の南朝」はは少し登った第一展望台への分岐にあります。
カジカが鳴く沢を二度鉄の橋で渡り、木の階段道やなだらかな道を繰り返して尾根に
でます。



ブナ林の中、苔むした岩が多く見えるようになると立派な休憩小屋のある観音平休憩所
に着きます。広場にはヒトリシズカの花が咲いていました。
一休みして前に見える階段を登ります。



大きな岩の間を通っていきます。この近くに吉野の合戦に敗れて観音岩屋に隠れた
大塔宮護良親王が詠んだ
「よしの山花も散るらん天の川 くものつつみをくずすしらなみ」の歌を刻んだ「お歌石」
があったことが記されています。

その観音岩屋への道を右に分けて、しばらく山腹の道を緩やかに登ります。
このあたりは石灰岩の大きな岩が点在しています。やがて



植林帯の中、土止めの木組みがジグザグに何曲がりも続く急坂の登りになります。



登り切ると観音峰展望台。標高1208m地点で周囲をススキに囲まれた丸い丘で、晴れて
いれば遮るもののない大展望が拡がるのですが、今日は残念ながら稲村ヶ岳から弥山に
かけては雲に覆われて、右手の天和山だけに陽が当たっていました。
正面に見えるのは1285m峰。観音峰はその右に顔を覗かせています。



ススキの原を抜けると雑木林に入ります。咲き残ったヤマツツジの赤が彩りを添えています。
急坂を登り切ると1285mのピーク。木材運搬用のワイヤや錆びた器具が残されています。
ところどころでギンリョウソウが顔を出していました。
いったんゆるく下り、コルから登り返します。



新緑の美しいブナ林の中を登ります。尾根の幅が広くなり、踏み跡が錯綜しますがテープが
導いてくれます。



トリカブトの群落(もちろん葉っぱだけ)を過ぎると静かな林の中の観音峰頂上。
汗が冷えると寒さを感じるほどの気温です。
頭上の空が暗くなってきたので、急いで軽い昼食を済ませて下山します。ときどきパラパラと
雨滴が落ちてきます。



展望台を通過。雲が切れてバリゴヤノ頭が見えています。右手遠くに天和山。
休憩所に降りる頃には音を立てるほどの雨になりました。しばらくすると雨雲は過ぎたので
いったん出した雨具をザックにしまって帰りを急ぎます。二つ目の橋の曲がり角で、大きな
尻尾のグレーの動物が斜面を駆け上って行きました。リスにしては大きいので、モモンガか
ムササビだったのかもしれません。
観音水で水割り用のお水を頂いていると、山岳雑誌のグラビアから抜け出したような最新の
ファッションに身を固めた若い男性が追い越して行きました。今日、山で出会ったのはこの
ひとただ一人でした。



なんとか雨に遭わずに駐車場所に帰りました。一年ぶりの観音峰は展望や花には恵まれません
でしたが、元気に歩き通せただけで十分、満足です。

観音峰に登りました(6月1日)

2010-06-01 20:09:54 | 山日記
観音峰は天川村にある大峰山脈の前衛峰で標高1347.4m。
シャクヤクを見るため途中の観音平展望台までの予定だったのですが、白には遅く紅には
早くて会えなかったので、少し足を延ばして山頂三角点まで行ってきました。



詳しくは明日リポートします。

<コースタイム>登山口10:05…観音水10:20…観音平休憩所11:00~11:10…観音平
展望所11:35~11:45…観音峰12:20~12:35…観音平展望所13:08…観音平休憩所13:30~
13:35…登山口14:15