一つ)修理
会社で使っているスクリーンが壊れました 新しいモノを購入しました が壊れた引き出し式のスクリーンを見ると「引き込みのバネが外れているだけでもう一度しっかり固定すれば直る」と思い ドライバーで分解 基本的な設計・構造を推理します そんな修理(推理)が好きそうな経理部長と人事課長と三人で ああでもない こうでもない と いい線まで解明できましたがやはりダメ もう一度推理のやり直し
良識ある私は本来の仕事をするべく「頭を冷やして・・・」と言って席へもどりました そのことを忘れるぐらい時間が経過し 翌日のプレゼンの準備に没頭してると 「解りましたぁ~!」という 良識がありそうでも熱くなると覚めない経理部長が叫びました
結局 細かい部品の破損が原因であることまでを突き止めましたがENDでした 修理というお題 いろいろな思い出もありますのでまた改めて
二つ)下から計らんと
帰りの電車の中 若手漫才師のようなカン高い声で「下から計らな・・・・」見ると50歳ぐらいの方と若干若い方 「そらな山ちゃん 下から計らなあかんねんって」 まだ早い時間でしたが随分ご機嫌の様でした たぶん 山ちゃんが○○さんが教えてあげれば・・・云々と言ったのでしょう 「ちゃうねん 山ちゃん おれはもうそんなん教えへんねん そんなもん上から計ったら・・・ 下から計らなあかんねんって」その後も「下から計らなあかんねんって」 とにかく 下から計らなあかんねんって と 「下から計らな 目地があわん 俺は納得できん」 やっと解りました おそらくタイルの職人さんなんでしょう テレビで見る“情熱○陸”や“プロジェクトばつ”の後続番組よりも感動しました
三つ)ホッピー
「ホッピー かえって体にいいですよ カロリーほとんどなし 低糖質 プリン体0 ちょうどそれにあう焼酎もあるんですよ」 という会社のT氏がわざわざプレゼントしてくれました ホッピーというと聞いたことはあるんですが飲んだことはありませんでした
1948年7月15日東京赤坂生まれ。
大正末期のノンビア(ノンアルコールビール)の流行がきっかけとなり、先代、石渡秀によって研究開発が始められる。戦前に長野県は野沢に清涼飲料会社を設立していたことが幸いし、当時入手困難であったホップの入手に成功。「本物のホップを使った本物のノンビア」との意味をこめてホッビーと名づけられたが、発音がしづらくホッピーになった。また、戦禍を逃れた製造設備を終戦と同時に野沢より赤坂に戻し、開発が完了していたホッピーを早々に製造開始。ビールが高嶺の花であった当時、ホッピーはビールの代用品として人々に受け入れられ爆発的に売れた。「焼酎割り飲料 ホッピー」としての飲み方も、この当時に生まれたものである。発売以来55年、常に日本人の食文化とともに歩み、育てていただいたホッピーは日本の清涼飲料史を語る上に欠かせない飲料のひとつとして、独自のマーケットを築き上げている。
と 製造元のホッピービバレッジのHPにありました http://www.hoppy-happy.com/
それによくあう という キンミヤ焼酎 とともによく冷やして頂きました いろいろありますが面白く しめくくりはオイシイ(やっぱり面白い美味しさ)一日でした あしたは“会社説明会” 資料のチェックは続きます Happy Hoppy