昨日引っ越したホームへ
Sにも手伝ってもらって、足りないものを運びました。
隣のサルヴァトーレで御昼を食べて、ピザをお土産用に
してもらい、ホームに持って行きました。
自分の家にいるような環境を作ることが出来ます。
家と違うのはナースコールですぐ看護師さんや、
ヘルパーさんが来てくれるところです。
他にも生活の支援をいろいろとしてくれます。
外来病院への通院や、理容など外出も援助してくれて
買い物もしてくれます。クリーニングに出す以外の洗濯も。
問題なのは食事だけのようです。家と同じようには行きません。
脳梗塞の後遺症で何を言っているのかがわからなくて
いらいらしてしまうのですが、やっとわかったのが
車椅子に座りたいことでした。
ヘルパーさんに一緒に来ていただき、施設を見学しました。
私のお気に入りの8階のデッキに出ると、東京タワーのはじっこが
見えました。
本人がそこから見る景色・・道路や建物を、前に車で通ったことが
あると喜んでいました。一番喜んだのはデッキの庭です。(理事長さんが
庭造りが好きだということです。)
小さな池に青い花が浮かんで、めだかもいるらしいけど、茄子やとうもろこし
赤い唐辛子がなっているのを見つけたときに、すばらしい笑顔が出ました。
病院での2ヶ月はベッドにほとんど寝たきりでした。
2階の食堂や作業スペース、ナースステーションを見学して、車椅子で
入れるテーブルで、自分の洗濯物が干してあって何か喜んでいました。
徐々に安心感が増えていっているようでした。
家にいるときは、仕事が山のようにあり、のんびりする時間はなかったけど
一緒にTVも見ました。
「震災後の認知症ケア」という番組では被災地では認知症が進んだ人が
多かったことが報告されていました。遠く離れた横浜の母でさえ、妹は
地震後変わったみたいと言っていました。
また番組ではそのような親に辛く当たってしまって、葛藤がひどく(看た人しか
わからない思い)、一緒に住むことが決して一番いいことではなかったと
思ったと語っていました。私も家全体が病院化して、仕事が多く、いつも戦争でした。
昨日、病院(施設)という空間、家庭は別々にあった方が、本人もいつでも
介護や緊急に対応してもらえるので、いいのではとほんとうに思いました。
問題は重症のこれ以上病院では看れない人が行く場所がないことです。
今回はほんとうにラッキーでした。探してくれたソーシャル・ワーカーさん
いつも相談にのってくれた多くの人たち、特にトントン(今モデムが壊れて
インターネットに入れなくてかわいそうだけど)に感謝です。
家の離れ、延長のような感じで、落ち着いた環境が作っていければ
良いかと思います。時においしいものを運んで。