前回アップした厳島神社に続き豊国神社へ向かいました。
厳島神社はまさに観光地で人が多く、神社らしい静まった空気がなく、清盛の思いさえ感じることが
できませんでした。素晴らしい建物で、昨年だったか台風での大被害からも修復されていてそれを見るだけで
良かったのですが、空気を感じることができませんでした。
厳島神社 歴史のメモ HPより
当社の御祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)と素盞鳴尊(すさのおのみこと)が高天原(たかまのはら)で剣玉の御誓(うけい)
をされた時に御出現になった神々で、御皇室の安泰や国家鎮護、また海上の守護神として古くから崇信を受けられた。
宮島に御鎮座地を探されるにあたり、この島を治める佐伯鞍職(さえきのくらもと)に神勅が下った。鞍職は大神様が高天原から
連れてきた神鴉(ごからす)の先導のもと、御祭神と共に島の浦々を巡り、海水の差し引きする現在地を選んで御社殿を建てた
のは、推古天皇御即位の年(593年)であると伝えられる。
その後安芸守となった平清盛(たいらのきよもり)が当社を篤く崇敬し、仁安3年(1168年)に寝殿造の様式を取り入れた御社殿に
修造した。清盛の官位が上がるにつれ平家一門のみならず、承安4年(1174年)に、後白河(ごしらかわ)法皇の御幸(ごこう)、
治承4年(1180)3月と9月に高倉上皇の御幸(ごこう)があるなど、多くの皇族・貴族が参詣され、都の文化がもたらされた。
当社に対する崇敬は、平家から源氏の世になっても変わることなく、又時代が移り室町時代の足利尊氏や義満、戦国時代の大内家
毛利家などからも崇拝された。
松島・天橋立と並び日本三景「安芸の宮島」として知られ、平成8年(1996年)にはユネスコの世界文化遺産に登録され現在に
いたる。
続けて行った豊国神社
豊国(ほうこく)神社 千畳閣
天正15年(1587年)、豊臣秀吉が毎月一度千部経を読誦するため政僧・安国寺恵瓊に建立を命じた大経堂です。
島内では最も大きな木造建築物で、畳857枚分の広さがあることから千畳閣と呼ばれてきました。
秀吉の急死によって工事が中止されたため、御神座の上以外は天井が張られておらず、未完成のままの状態で現在に至っています。
江戸時代、すでにここは交流の場・納涼の場として人々に親しまれていたようで、大きな柱には当時の歌舞伎役者一行の名や川柳
などが記されています。
明治の神仏分離令により仏像は大願寺に遷され、秀吉公を祀る豊国神社となりました。
次に行く予定のカフェ天心閣は行き方が難しいとされていて、HPなどにあまり道が掲載されて
いません。とんでもない所の間を入って登っていくということなので、ここかしらと探りながら
町散歩。確か午後からオープンなので町でお店など見て歩きました。
それでも休憩したくて、伊都岐珈琲でブレーク。
コーヒーゼリーソフトクリーム
天心閣も伊都岐珈琲がやっているので、お店の人に登り口を教えていただきました。
荒胡子(あらえびす)神社 重要文化財
千畳閣へ階段を上がって行きます。
April 21 2024 Miyajima