この頃よく心に浮かぶ日本の詩歌があります。
恋多き女性 和泉式部の歌です。
最近は貴船や熊野古道などで和泉式部の句碑を見たりしてなんとなく
身近に感じます。
以前は万葉集の名もない人々の届かない想いや家族を歌った歌が好きでした。
最近は和泉式部のこのpassionにもひかれます。
あらざらむ この世の外の 思ひ出に
今ひとたびの 逢ふこともがな
和泉式部(56番) 『後拾遺集』恋・763
和泉式部晩年の歌がなんとも心に迫ってきます。
As I will soon be gone,
let me take one last memory
of this world with me--
May I see you once more,
may I see you now?
『英語で読む百人一首』©2017 ピーター・J・マクミラン /文藝春秋
少し前にTVを録画した「舟を編む」が見切れなくて映画を借りて見たのだけど、その中の恋の語釈がストンと心に落ちました。
主人公馬締の「恋」の語釈は「ある人を好きになってしまい、寝ても覚めてもその人が頭から離れず、他のことが手につかなく
なり、身悶えしたくなるような心の状態・・・」
ながらへば またこのごろや しのばれむ
憂しと見し世ぞ 今は恋しき
藤原清輔朝臣(84番) 『新古今集』雑・1843
娘が小学生の頃、百人一首に夢中になり、家族でよく遊んだものでした。意味を知るために本もいろいろ買って、
娘のために漫画の解釈本を買ってあげたらそれがまたとてもわかりやすかったことが思い出されます。
百人一首は古今集や新古今和歌集、そのほか拾遺集などから選んで編纂されたものです。
この句を読んでいたころも、夫が入退院を繰り返し、何度も危機を乗り越えていました。後から見たら大変な時期でも
恋しく思うのだろうなと思ったりしていました。
逢ひ見ての のちの心に くらぶれば
昔はものを 思はざりけり
権中納言敦忠(43番) 『拾遺集』恋二・710
心の変化をサラっと表現していると思ったりして・・・
前にもどこかで書いたかもしれないけれど、高校の時の授業で自分の好きな句を1句選んで発表するというのが
ありました。現代国語の安西先生の授業でした。一人一人の解釈がすごくおもしろかったことを覚えています。
実朝の歌もいいな~なんて思ったこと思い出します。
安西先生のおかげで日本の詩歌がとても好きになりました。
1967年から始まったNHKの女性手帖という番組で1週間連続で同じ人から講義を受けるようなものがあり
なぜかよく見ていました。アナウンサーは加賀美幸子(旧姓山田)、 伊藤鑛二で特に加賀美さんはまだ結婚前でしたが
すてきな方だと思って見ていました。そのなかで臼井吉見 の「万葉の心」や漢詩、芭蕉の「奥の細道」、三笠宮の
古代エジプト史などすごくおもしろかったことを覚えています。一流の人から話を聞くことができたすごい番組が
平日の午後1週間連続であったのです。
大岡信の朝日新聞に毎日載っていた「折々の歌」からも人々の思いが伝わってきて、知らなかった詩や歌を知ることができました。
大岡信は大学でも授業の一環で来ていました。卒論で影響を受けた亀井俊介先生も。
そういえば私の卒論も膨大なWhitmanの詩、Song of Myself でした。
詩というのは文字の芸術なのですが、何かストレートに思いが伝わってきて好きだなと思うのです。