1月23日
いよいよこの旅行の目的、一村記念美術館に入って行きました。
季節によって入れ替えがある作品です。
東京での大々的な回顧展は迫力がありましたが、ここでは静かに一村の作品を誰もいない中で見ることができました。
出会ったのは2組くらいの鑑賞者だけでした。
友人の一村の絵は奄美で見るは正解でした。
ここで見る一村の絵は描く時代も網羅していましたが、千葉市美術館(個人蔵)の「アダンの海辺」を加えたらもう完璧に
近かったけど・・・
ここで見ると初めの頃の絵はどこかに幼さを感じることができ、「秋晴」の大根は輝いて見えました。
やはりどの時期のも素晴らしくて、一村の色と線の世界を堪能しました。
赤髭は誇らしげに歌い、アカショウビンはかわいらしく、オナガはにぎやかに動き、絵の中に一村は
生き続けていました。私は一村の絵に孤独感を感じないところが好きです。この後、2日間奄美の自然の
中にいましたが、その訳がわかるように思いました。
廊下で見た一村の俳句が面白く、生活も感じることができます。ネットで見つかったので引用しました。
彼は孤独で過酷な大島紬の色付けの労働をしながら絵を描いた孤高の人でしたが、寂しさは感じない絵でした。
どこか誇らしげです。
写生帖にはまた、いくつかの俳句が書きとめてあった。やはり絵かきの句で、そのまま絵になりそうな俳句もある。奄美の珍しい触れた驚きが、そのまま句になったのもある。あえて俳句といわないまでも、手すさびで写生帖に書き残した句には、一村の奄美の自然をどう感じとっていたのか、画家の目が感じられる。
砂白く 潮は青く 百合香る
砂白く 潮は青く 千鳥啼く
白砂の丘 千鳥たわむれ あざみ咲く
残月に パパイヤ黒し 筬(おさ)の音
鬼へごは 老椎よりも 丈高し
小春日を 小夏と聞けり 奄美島
梅花なし 桃花またなし 島の春
鶯も ソテツを侶とす奄美島
黄に赤に もみじ葉散りつ 桜咲く
若葉見えず 杜鵑(ほととぎす)聞かず 鰹食う
銀河見ゆ フクロウ聞こゆ ねむの花
宝島 白あじさいの 乱れ咲く
白砂の丘 白馬いななく 白あざみ
千鳥なく サギは降り立つ 牛の背に
花は緑 燃ゆる緋の葉よ 名はクロトン
風強し 波は届くか 残月に
熱砂の浜 アダンの写生 吾一人
雛鳩を懐(だ)き
眠れず 木菟(みみずく)を聴く
病鳩を懐き
眠らず 木菟を聴く
一句一句、一村の思いが込められた句であるに違いない。最後の二句などは、か弱いハトの生命をいとしむ、一村の孤独がひしひしと伝わってくる。
『日本のゴーギャン 田中一村伝』(編者:南日本新聞社、発行:小学館文庫)
美術館の内部で写真を撮っていい場所だけ・・
一村とのツーショットです。
見終わってから、先ほどはまだソフトクリームをやっていなかったレストランに戻り、ブレーク。
そのあとは一村の杜を歩き展望台に向かいました。
この杜の中の道を歩きながら、友人はつくづく一村はいい場所に出会ったねと話していました。
同感です。題材だらけの自然の中でした。
展望台からの眺め
スマホと一眼レフの色が違ってとり混ざっている写真です。
展望台からの帰り道・・
アダンの木に鳥の姿が・・・
イソヒヨドリではなく、ヒヨドリのようです。
実の中を食べているのかな?
Jan. 23 2025 Amami