アンデルシェフスキーのドキュメンタリ、ディアベッリ変奏曲は2月の末から3月初めにかけて何回も見ました。
コンサートでもずいぶん前に聴いていた曲でした。
ベートーヴェンと言う大きな山に挑んだアンデルシェフスキの苦悩と喜びが描かれていました。ピアニストが言葉で
音楽を語り、メイキングを見せてくれるのは珍しいことだと思います。一つの作品を作り上げていくことの
大変さをあらためて思いました。
アンデルジェフスキ / ベートーヴェン:ディアベリ変奏曲 Op.120
ピョートル・アンデルジェフスキ(ピアノ)
監督:ブルーノ・モンサンジョン
グールド、リヒテル、ソコロフ、そしてアンデルジェフスキ!
著名な映像プロデューサー、モンサンジョンが認めた注目の俊英ピアニスト!
ヨーロッパで今最も注目を集めているワルシャワ生まれのピアニスト、ピョートル・アンデルジェフスキ。その名前は
日本ではまだ浸透していないようだが、いずれその実力にふさわしい評価をされる日も遠からず来るに違いない。
彼を一躍有名にしたのは90年のリーズ国際コンクール。そこで当時20歳の若者は、誰もが尻込みしたくなるような
ベートーヴェンの《ディアベリ変奏曲》を鮮やかに弾いてみせ、絶賛を博したにもかかわらず、「納得のいく演奏ができない」
と本選をすっぱり辞退、聴衆と批評家を驚かせた。そして翌年、ロンドンでリサイタル・デビュー。その時のプログラムも
やはり《ディアベリ》だった。以後彼は同じ曲を弾き続け、ついに2000年に録音。このディスク〔VIRGIN/5454682〕は数々
の賞を受けている。
《ディアベリ》はベートーヴェンの作品中、最も内省的でとらえどころのない難曲といわれるが、アンデルジェフキは
そういう意見に対して「No(ノー)」と言う。彼は各変奏の特性をじっくりと吟味し、明確なダイナミズムによってめりはり
をつけ、緩急はっきりしたテンポで演奏する。そうすることで、茫漠とした印象の先行しがちなこの大曲が、一本の線を持った
ドラマであることを明示してみせたのだ。こんなに画期的な音楽の冒険、なかなか体験できるものではない。
今回ご紹介するフィルムは、グールドやリヒテルなどの映像作品を手がけたことで知られるブリュノ・モンサンジョンが
《ディアベリ》の録音現場を撮ったものである。カメラはアンデルジェフスキの手の動きから表情まで克明にとらえており
類い稀なる演奏の生まれる瞬間をあまさず私たちに見せてくれる。なお、本編前半にはモンサンジョンとの対話も収録。
CDと併せて揃えておきたいアイテムである。(阿部十三)
BEETHOVEN DIABELLI VARIATIONS (ANDERSZEWSKI)
ベートーヴェンの荘厳ミサ曲を知ってから開眼して弾きたくなった曲。上に上がって行き、美しい世界が展開され、再び
戻ってきて、世界を落ち着かせる。
全体が旅で、いろいろな風景に出会える曲。近寄りがたい作品だと言われるが、そうではない・・・とのメッセージが
ありました。
ディアベッリ変奏曲について
もとになっているのはA.ディアベッリによるワルツです。彼のワルツを広めるため、変奏曲を公募して、
それが創作欲を湧き立たせたのでしょう。
変奏曲ではないのです。一般的には「変奏曲」とよばれます。
しかし実際には「変容」なのです。
ベートーヴェンの作曲
核が非常にシンプルで小さいのです。それが大きなスケールを持つマスターピースへと
形を変えます。”ベートーヴェン主義”の精髄とも言えます。
ディアベッリの主題が変貌を遂げるのです。一つの種子が分裂し変容を繰り返し、痛みを伴い
生まれ変わり、ベートーヴェンのこだわりが感じられる曲です。
音楽表現の可能性を極限まで追求しているのです。
まず独特のユーモアがあり、豊かな機知とアイロニーが感じられます。
ドン・ジョバンニのパラフレーズもあります。この曲の持つ無限の深さを感じます。
第20変奏では、奥深い探求の極限に至る感があります。
第24変奏の「フゲッタ」では至福の静寂が広がり、心が解きほぐされ、再び美が展開するのです。
別の言葉を使うならば「凝縮性」と言えます。
感情の凝縮と素晴らしいハーモニーの凝縮は変わり続けます。
いくつもの違うステージを進みながら、音楽は少しずつ形を変えていきます。
時には急激な変化などもあり、言わば望遠レンズのズームです。
まるで光のようなスピードで進んでいくのです。
荘厳ミサ曲との共通点など
この変奏曲をひき始めたのは、ベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」を知ってからで、
開眼した曲です。
この曲は少しずつ明るさを含んでいきます。先へと進みながら、上へ下へと起伏があり、
最後には元の場所へと戻ってくる構造です。
そして二つの要素が激しくせめぎあいます。どっしりと落ち着いた部分を上への力を感じる部分が
もがくような。この変奏曲と「荘厳ミサ曲」との共通点とも言えます。
近寄りがたい作品だと言われます。演奏家にとっても、聴衆の立場からも。
だがそうじゃない。曲全体が旅なのです。
電車の旅をしていると想像してみてください。いろいろな風景に出会います。そして長い道のりを行き、
旅路が終わるころにはその道のりがとてつもなく壮大なロマンと化しているんだ。
とても価値のある上等な旅だと思うね。
出会いの旅だ。
この上等な旅を終えたアンデルシェフスキのことばをメモしました。
彼の演奏にはその思いがあるからこそ、観客に伝わることがわかりました。聞いていて感じることが
演奏者が感じることと同じことが分かったことがとてもよくわかり、観客より、まず演奏者が曲に
すごく感動しているのがわかりました。曲は上手に弾くことではなく、感動をどう伝えるかなのですね。
Piotr Anderszewski plays Beethoven Diabelli Variations, Op.120 (live 2018)
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