宮古島へ
忘れないうちにメモとスマホ写真を中心にアウトラインだけ載せておこうかと思います。
一眼レフはカメラとセットの通常のズームだけにしました。自然の風景を撮るには広角が欲しくなって
来るのでしょうね。久々の一眼レフはしばらくして以前、測光点を少しだけ中央から移動していたのに
気が付いて、ISOも光に向かって撮る時、高すぎたのか真っ白になったり、暗くなったり、久々に
使うのはよくないですね。もっとカメラに慣れないとね。天気による露出補正やISOの調節。
ほとんどF値しか変えていないのではだめですね。一眼レフで撮った写真は500枚以上。初めて見た鳥
もあり、自然の中で過ごせた暖かい空気(物理的にも、精神的にも)の中で過ごした至福の時間でした。
(S)
日程:1月15日~17日
コース:蒼き絶景の宮古諸島5島めぐり(阪急交通)カード会社の募集
行き:JAL909(10:50発) 那覇乗り継ぎ JTA563(15:25着)
帰り:ANA088(15:50発 18:20着)
ホテル:ブリーズベイオーシャン(シギラセブンマイルズリゾート)
沖縄に行くには戦争のことは抜きにできないと思っていましたが、娘が古希祝でプレゼントしてくれた
島めぐりは海を楽しむ旅行となりました。個人的には久米島とか奄美とか織物の島に行ってみたいと
思っていました。たまたまカード会社からの引き落としの案内についていた格安旅行をあっという間に
申し込んでいました。(以前から沖縄に行きたがっていたので)
ペーパードライバーの私たちにぴったりの中日だけバスで島を回るツアーです。初日と3日目はフリーでした。
観光ロードマップ
行き帰りが違う航空会社なんて。行きもANAかと思って違う京急の違う出口を出て進んでしまいました。
(最初の大失敗。思い込みって恐いですね。)
ホテルはカジュアルなので期待していなかったのですが、清潔感があってレストランの対応もさすがリゾートホテル
と言ったさりげないホスピタリィのあるホテルでした。朝食ビュッフェしかなかったのですが、その日は特別に
夕食もやっていたので、そちらに申し込んで他に出かけることはやめました。
サトウキビ畑で揺れているサトウキビを見ればざわわ~とあの歌が浮かび、こんなのどかな風景の中で
起きた戦争の最後を思い浮かべなくてはいられません。奄美の織物の作家さんからも奄美は
戦争の被害が少なかったと話していたことを思い出しました。宮古では年取ったタクシーの運転手さんも
あまり話してくれなかったのですが、戦争のつめ跡はあまり残っていないようでした。家に帰ってから
調べたら、飛行場がいくつかあるこの島に陸軍が駐屯し、マラリアが住民にも感染し、直接の攻撃を
受けなくても飢餓と病気で人々が亡くなっていったということでした。
今でも港に海上保安庁の船が4隻も泊まっていて、バスの運転手さんから尖閣が近いからと言う説明が
ありました。
宮古の天気を旅行に行くまで、毎日チェックして、宮古の1月は曇りと雨が多く、晴れがほとんど
なく、曇りでもよしという感じでしたが、なんと見事に晴れました。途中1カ所だけ、突然の豪雨で
先まで歩くのを断念しました。また、晴れていても雨がぱらつくこともありました。地元のタクシーの
運転手さんの話では「天気予報は当てにならない」ですって(笑)。熱帯特有の雨で降ってもすぐやんだり、
予報で雨と言っても島ではなく、海で降っていたりとか・・ 風はいつもかなり降っていました。気温は
春のように暖かかったです。東京とのギャップありすぎです。ホテルの部屋では除湿がかかりっぱなしで
娘は冷房と勘違いしたくらいでした。
旅行中思ったことは
命を燃やしているということが身を持ってわかる年になったとこと。
イル・ポスティーンの製作・主演のマッシモ・トロイージは映画の完成後15後時間後に亡くなったという。
命を燃焼したのですね。
また、やっと少し客観的に自分のことを見ることができるようになったかも。自分は自分にとっても謎です。
空を飛んだりするといろいろ日常を少し離れます。
沖縄に住んでいる人は美しい景色が当たり前になってきていると話していました。自然の少ない土地からくると
パラダイスです。花も鳥も海も素晴らしくて、沖縄の人たちが自然を大切にしているのが良くわかります。
(S)
橋の長さが一定以上になると通行料を払わなければならなくなる。それで最後の数mを海中道路として通行料を取らなくて
住むようにした伊良部大橋。ライトを低くして足元を照らすようにして、ウミガメの生態を保護したという。
橋の側面の模様がみんさー織の模様の橋もありました。
自然に対する愛情が深い。神々が生きている島。
いちばん古いとされている漲水御嶽で生きている人と死んでしまった人たちの幸せを祈りました。
神社の猫になつかれて、漲水から宮古神社に移動したときに、先回りしていて、先を歩いて
道案内してくれました。御嶽で水をあげたら、なんだかなついてついてきます。
猫が幸せに生きることができる場所は人間にも行きやすいと岩合さんがねこ歩きで話していたことです。
夜は曇っていたのか、星があまり見れませんでした。それでも久々にオリオン座とか東京で普通に見れていた星を
見ました。
まもる君が見守る交差点。警官や交番が少ない島。それだけ穏やかなんだと思った。
北海道から都に移住してきたというドライバーさん。若そうに見えたのに、孫の誕生を機に
先に移住したお子さんの後を追って、移住したという。雪かきが苦手とか・・
働く自動車。サトウキビを刈る季節。
産業は他にゴーヤやマンゴー。パイナップル、アロエなどの農業、塩、葉タバコ、
観光、セメント工場、風力発電、火力発電、漁業・・
自分が見た範囲ではそんなところかしら。
宮古はビーチとサトウキビ畑が多い島でした。
初日
ホテルについて、フロントと相談して、近くのビーチに散歩に行きました。
地元の人がよく行くという小さなビーチ、博愛ワイワイビーチにしました。
初めて見る沖縄のエメラルドグリーンの海と白い砂が美しく、また、プライベートビーチのようで人がほとんどいませんでした。
イソヒヨドリや、近くの木でシロハラを見ました。鳥もたくさんいるようです。
(S)
漁港もあります。
どうして博愛なのかと思ったら、ホテルに帰って観光ガイドを見ていたら博愛記念碑というのがあり、明治の初めに
座礁したドイツ商船を助けた住民に当時のウィルヘルム1世が宮古島の住民をたたえて、博愛記念碑を建てたという。
どうりで近くにドイツ文化村があったわけがわかりました。こんなところに場違いと思っていましたが、そうではなかった
のですね。
2日目
来間大橋を渡り、来間島の展望台へ。
伊良部大橋を渡り、牧山展望台へ
下地島へ
佐和田の浜
通り池
渡口の浜
池間島
途中島尻マングローブ林を少し歩いて東平安名崎へ
雨が降りだし、強くなったので、灯台まで歩いてくのはやめました。
最終日
朝、シギラビーチまで散歩
いちばん早いシャトルバスで空港に行き、荷物を預けてタクシーで砂山ビーチまで
砂山を登って、開ける世界がダイナミックです。
人が誰もいない浜で。
親切なタクシーの運転手さんがメーター止めて待っていてくれました。30分でも1時間でもいいよって。
市街地に戻り、漲水御嶽、宮古神社を参拝して
昼食をとり、空港に戻りました。
別世界に飛んで行った素敵な旅行でした。娘はすっかり沖縄が気に入ってしまったようでした。
娘からのプレゼントでしたが、自分にとっても思い出深いいい旅になったのではと思いました。
写真の下に(S)と書いてあるのは娘が撮った写真です。ミラーレスとスマホでがんばっていました。
Jan.15-17 2020 Miyaoko island
忘れないうちにメモとスマホ写真を中心にアウトラインだけ載せておこうかと思います。
一眼レフはカメラとセットの通常のズームだけにしました。自然の風景を撮るには広角が欲しくなって
来るのでしょうね。久々の一眼レフはしばらくして以前、測光点を少しだけ中央から移動していたのに
気が付いて、ISOも光に向かって撮る時、高すぎたのか真っ白になったり、暗くなったり、久々に
使うのはよくないですね。もっとカメラに慣れないとね。天気による露出補正やISOの調節。
ほとんどF値しか変えていないのではだめですね。一眼レフで撮った写真は500枚以上。初めて見た鳥
もあり、自然の中で過ごせた暖かい空気(物理的にも、精神的にも)の中で過ごした至福の時間でした。
(S)
日程:1月15日~17日
コース:蒼き絶景の宮古諸島5島めぐり(阪急交通)カード会社の募集
行き:JAL909(10:50発) 那覇乗り継ぎ JTA563(15:25着)
帰り:ANA088(15:50発 18:20着)
ホテル:ブリーズベイオーシャン(シギラセブンマイルズリゾート)
沖縄に行くには戦争のことは抜きにできないと思っていましたが、娘が古希祝でプレゼントしてくれた
島めぐりは海を楽しむ旅行となりました。個人的には久米島とか奄美とか織物の島に行ってみたいと
思っていました。たまたまカード会社からの引き落としの案内についていた格安旅行をあっという間に
申し込んでいました。(以前から沖縄に行きたがっていたので)
ペーパードライバーの私たちにぴったりの中日だけバスで島を回るツアーです。初日と3日目はフリーでした。
観光ロードマップ
行き帰りが違う航空会社なんて。行きもANAかと思って違う京急の違う出口を出て進んでしまいました。
(最初の大失敗。思い込みって恐いですね。)
ホテルはカジュアルなので期待していなかったのですが、清潔感があってレストランの対応もさすがリゾートホテル
と言ったさりげないホスピタリィのあるホテルでした。朝食ビュッフェしかなかったのですが、その日は特別に
夕食もやっていたので、そちらに申し込んで他に出かけることはやめました。
サトウキビ畑で揺れているサトウキビを見ればざわわ~とあの歌が浮かび、こんなのどかな風景の中で
起きた戦争の最後を思い浮かべなくてはいられません。奄美の織物の作家さんからも奄美は
戦争の被害が少なかったと話していたことを思い出しました。宮古では年取ったタクシーの運転手さんも
あまり話してくれなかったのですが、戦争のつめ跡はあまり残っていないようでした。家に帰ってから
調べたら、飛行場がいくつかあるこの島に陸軍が駐屯し、マラリアが住民にも感染し、直接の攻撃を
受けなくても飢餓と病気で人々が亡くなっていったということでした。
今でも港に海上保安庁の船が4隻も泊まっていて、バスの運転手さんから尖閣が近いからと言う説明が
ありました。
宮古の天気を旅行に行くまで、毎日チェックして、宮古の1月は曇りと雨が多く、晴れがほとんど
なく、曇りでもよしという感じでしたが、なんと見事に晴れました。途中1カ所だけ、突然の豪雨で
先まで歩くのを断念しました。また、晴れていても雨がぱらつくこともありました。地元のタクシーの
運転手さんの話では「天気予報は当てにならない」ですって(笑)。熱帯特有の雨で降ってもすぐやんだり、
予報で雨と言っても島ではなく、海で降っていたりとか・・ 風はいつもかなり降っていました。気温は
春のように暖かかったです。東京とのギャップありすぎです。ホテルの部屋では除湿がかかりっぱなしで
娘は冷房と勘違いしたくらいでした。
旅行中思ったことは
命を燃やしているということが身を持ってわかる年になったとこと。
イル・ポスティーンの製作・主演のマッシモ・トロイージは映画の完成後15後時間後に亡くなったという。
命を燃焼したのですね。
また、やっと少し客観的に自分のことを見ることができるようになったかも。自分は自分にとっても謎です。
空を飛んだりするといろいろ日常を少し離れます。
沖縄に住んでいる人は美しい景色が当たり前になってきていると話していました。自然の少ない土地からくると
パラダイスです。花も鳥も海も素晴らしくて、沖縄の人たちが自然を大切にしているのが良くわかります。
(S)
橋の長さが一定以上になると通行料を払わなければならなくなる。それで最後の数mを海中道路として通行料を取らなくて
住むようにした伊良部大橋。ライトを低くして足元を照らすようにして、ウミガメの生態を保護したという。
橋の側面の模様がみんさー織の模様の橋もありました。
自然に対する愛情が深い。神々が生きている島。
いちばん古いとされている漲水御嶽で生きている人と死んでしまった人たちの幸せを祈りました。
神社の猫になつかれて、漲水から宮古神社に移動したときに、先回りしていて、先を歩いて
道案内してくれました。御嶽で水をあげたら、なんだかなついてついてきます。
猫が幸せに生きることができる場所は人間にも行きやすいと岩合さんがねこ歩きで話していたことです。
夜は曇っていたのか、星があまり見れませんでした。それでも久々にオリオン座とか東京で普通に見れていた星を
見ました。
まもる君が見守る交差点。警官や交番が少ない島。それだけ穏やかなんだと思った。
北海道から都に移住してきたというドライバーさん。若そうに見えたのに、孫の誕生を機に
先に移住したお子さんの後を追って、移住したという。雪かきが苦手とか・・
働く自動車。サトウキビを刈る季節。
産業は他にゴーヤやマンゴー。パイナップル、アロエなどの農業、塩、葉タバコ、
観光、セメント工場、風力発電、火力発電、漁業・・
自分が見た範囲ではそんなところかしら。
宮古はビーチとサトウキビ畑が多い島でした。
初日
ホテルについて、フロントと相談して、近くのビーチに散歩に行きました。
地元の人がよく行くという小さなビーチ、博愛ワイワイビーチにしました。
初めて見る沖縄のエメラルドグリーンの海と白い砂が美しく、また、プライベートビーチのようで人がほとんどいませんでした。
イソヒヨドリや、近くの木でシロハラを見ました。鳥もたくさんいるようです。
(S)
漁港もあります。
どうして博愛なのかと思ったら、ホテルに帰って観光ガイドを見ていたら博愛記念碑というのがあり、明治の初めに
座礁したドイツ商船を助けた住民に当時のウィルヘルム1世が宮古島の住民をたたえて、博愛記念碑を建てたという。
どうりで近くにドイツ文化村があったわけがわかりました。こんなところに場違いと思っていましたが、そうではなかった
のですね。
2日目
来間大橋を渡り、来間島の展望台へ。
伊良部大橋を渡り、牧山展望台へ
下地島へ
佐和田の浜
通り池
渡口の浜
池間島
途中島尻マングローブ林を少し歩いて東平安名崎へ
雨が降りだし、強くなったので、灯台まで歩いてくのはやめました。
最終日
朝、シギラビーチまで散歩
いちばん早いシャトルバスで空港に行き、荷物を預けてタクシーで砂山ビーチまで
砂山を登って、開ける世界がダイナミックです。
人が誰もいない浜で。
親切なタクシーの運転手さんがメーター止めて待っていてくれました。30分でも1時間でもいいよって。
市街地に戻り、漲水御嶽、宮古神社を参拝して
昼食をとり、空港に戻りました。
別世界に飛んで行った素敵な旅行でした。娘はすっかり沖縄が気に入ってしまったようでした。
娘からのプレゼントでしたが、自分にとっても思い出深いいい旅になったのではと思いました。
写真の下に(S)と書いてあるのは娘が撮った写真です。ミラーレスとスマホでがんばっていました。
Jan.15-17 2020 Miyaoko island
あまりツアーらしくない感じで、自由行動ができてよかったですね。
どこも懐かしい写真ばかりです。
母と娘のよい記念旅行になりましたね。
ちょうど1年前に宮古島に行って、ホテルまで同じだったのでびっくり。シギラリゾートと書いてあったので、シギラビーチの近くのもっとラグジュアリーなホテルかと思っていました。
今回は残念ながら宮古上布にかすりもしませんでした。ひたすら青い海を見ていました。予想以上に素晴らしい場所でした。
思いがけないプレゼントでした。就職して、社会人になって目に見えないところで成長しているのですね。
今度島々の織物ツアーに行きたいですね。あるばとろすさんだったらマリンスポーツも楽しめますね。