Reflections

時のかけらたち

ピアノ活動再開計画とMartin Fröst, Mozart Clarinet Concerto ・・・planning to resume piano lesson

2024-12-09 21:14:43 | music

今年のリフォームはまず必要な水回りの更新のためでしたが、二次的には自分のやりたいことをやりやすくするための
配置換えもあり、和服を着やすく、ピアノを弾きやすく、はた織りもできるようにとしたのですが、長い夏の猛暑のため
すっかり止まってしまっていました。

今年も終わろうとしたときに、やっとピアノの調律をしている中学校のクラスメイトに連絡をして、私のピアノの先生の
子供で小学校の時の親友にもやっと再度連絡しました。彼女には社会人になってから、中学の時やめたピアノを弾きたくなり
教えてもらいに少しだけ遊びに行ったことがありました。

問題はピアノです。娘が弾かなくなってもう18年くらい開かずのピアノとなっていて、少し前に見たら、鍵盤が下がって
上がらなくなっていたり、鍵盤の奥に貼ってあるフェルトか何かがボロボロしているみたいで・・かなり状態が悪いです。
調律できる状態かどうか一度見てからと言うことになりました。修理からだとかなり費用もかかりそうです。
ピアノにも虫がつくことがあると恐いことも聞きました。

弾きたい思いが強くなったのは、友人からメンデルスゾーンの無言歌のエレジーがいいと言われた時からだったと
思います。それまで漠然とまた人生の最後にはピアノを弾きたいと思い始めていました。

最近聴いた北村朋幹のフォルテピアノのコンサートでシューマンの子供のための曲やあまりひかれない曲が
アンコールで演奏されて、これも弾いてみたいと弾きたい曲も増えてきました。大人になってからシューマンの
トロイメライを小学校からの親友に習ったことがあり、やっぱりシューマンかと思いました。
メンデルスゾーンやシューマンのやさしい曲を弾いてみたい。ピアノが調律だけで済むことを願っています。

習いたいのは、メンデルスゾーンの無言歌からとシューマンのユーゲントアルバム、アルバムの綴りなどから・・

そういえばブーニンの八ヶ岳音楽堂での復帰コンサートはシューマンの色とりどりの小品 作品99でしたね。
「それでも私はピアノを弾く〜天才ピアニスト ブーニン 9年の空白を越えて〜」は録画して何回も見たけど、もう消してしまって。
若いころ弾いたシューマンが弾きたくなったと話していました。技巧の曲ではなくああいう優しい曲が弾きたくなったのね。

 

スタニスラフ・ブーニン ~再会~ より 「シューマン:色とりどりの小品」「ショパン:マズルカ」

 

Little Study (op.68, no.14) by R. Schumann

 

R.シューマン アルバム綴り op.124-8 果てなき苦しみ Albumblätter "Leid ohne Ende" Op.124-8 #schumann #romantic


R.シューマン アルバム綴り op.124-11 ロマンス Albumblätter "Romanze" Op.124-11 #schumann


實川風の「秘曲喫茶」第10回 / シューマンの秘曲『アルバムの綴り Op.124』から、《ワルツ イ短調 Op.124-4》、《終わりのない歌へ長調Op.124-8》

 

 

モーツァルトのクラリネット協奏曲

最近よく聞いていたのはファビオ・ルイージのシューマン交響曲集とモーツァルトのクラリネット協奏曲。

クラリネットは図書館から借りて聴いたマーティン・フロストのがすごくいい。家で父の残したCDの中から探してカラヤン
指揮、カール・ライスターの演奏を聴いたりもしたけどやはりMDにとったフロストのが素晴らしい。

このしみじみとした感じがいいと思っていたのですが、ネットを見ていたら、モーツァルトが亡くなる1か月前に自分自身への
レクイエムを作曲するように作ったのではという記事をみつけて、納得しました。彼岸の音楽。

 

Martin Fröst

 

Martin Fröst, Mozart Clarinet Concerto part 2

 

モーツァルト クラリネット協奏曲イ長調K622 名盤 ~彼岸の音楽~

モーツァルトが亡くなる一か月前に完成させた「クラリネット協奏曲イ長調K622」は、数々の名作が並ぶ彼の協奏曲の
中の最後の作品です。そして、この曲を最高傑作に上げる人も決して少なくは無いと思います。

この曲には良く言われるように、既に天国に旅立ってしまったかのような、現世から解脱した雰囲気が漂っています。
正に「彼岸の音楽」に他なりません。
若い頃の作品にも、天国的な曲は幾つも有りましたが、この曲の第2楽章は自分が黄泉の国へ旅立つことをはっきりと
予感して、”去りゆく自分自身のためのレクイエム”として書いたことは間違いないでしょう。まるで秋の青空のように
澄み渡った音楽は、そこに何とも深い哀しみをたたえています。モーツァルトが愛する家族や友人たち、それに音楽活動
に別れを告げねばならない、この世の無常さを感じていたからでしょう。

                                            ハルくんの音楽日記より

 

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