Reflections

時のかけらたち

5代目小さん23回忌追善興行 ・・・Kosan the 5th’s 23rd anniversary entertainment

2024-04-05 23:57:47 | people

3月31日



初めての寄席です。伊勢丹の前の道を行くと別の世界が広がっていて驚きました。
新宿にもいろいろな顔があります。

今回の寄席は余一会といって特別のものです。その中でもさらに小さん23回忌興行というスペシャルな会だったので
末廣亭の前はとても混雑していて入場制限をしていました。

あまりの賑わいにびっくりしました。

中に入ると狭い会場に多くの人が来ていました。建物も古くてステキです。かなりお年寄りの方が来ていて
先代の小さんのファンだった人が多くいるように思いました。特別な暖かい空気は寄席ならなのでしょうか?
初めてなのでわからないのですが、すごくアット・ホームな感じがしました。

 

3月31日 新宿末廣亭
五代目小さん二十三回忌追善興行
昼夜ぶち抜き花緑独演会スペシャル

昼の部)

前座 入船亭扇ぱい たらちね
花緑 狸の鯉
市馬 粗忽の使者
権太楼 代書屋
小さん 長屋の花見 

座談 五代目小さんを語る
 広瀬和生、大野義弘、花緑

小菊 粋曲
花緑 猫の災難


前座も楽しく、もう次が花緑さん。いつものように枕が長くなくて残念。独演会でのいつ落語が始まるのだろうかという
枕がとても楽しくて。今回は大物が後に控えていますから長話はできません。狸の鯉はいつもながらのキュートな花緑さん
でした。

市馬さんは2回目です。ちょっと大人な感じでそれぞれの個性が楽しいです。
とても面白かったのは初めて聞いた権太楼さん。かなりお年かと思いますが、めちゃくちゃ楽しくてこういうの大好きです。
六代目小さんは最初は何を言っているのかよくわからなく、途中眠くなってしまったのですが、なかなか味がありました。

中入りの時に買ってきたのり巻きを慌ててつまんで、混んでいるトイレに向かったのですが、狭い座席の間をぎゅうぎゅうで
抜けたので、トイレに並んでいる時に帯が帯締めから外れて下がってしまっていたのに気が付きました。後ろの方に直して
いただけてとても助かりました。この日はあまりの暑さに綿か麻のショールだけを持ってきたので、隠して帰れなくて困る
ところでした。

中入り後の座談会。五代目小さんについて、小さんのマネージャーだった大野さんと落語評論家の広瀬さんとのトークでした。
その内容が下記のブログに詳しく書かれています。

五代目柳家小さん二十三回忌追善興行

私は若い頃は(今も)小三治が好きなのだけど、小さんには特に興味がなくて、落語も聞いたことがなかったと思うけど
今回座談会で人柄がよくわかり、とても身近に感じられるようになりました。落語協会を築き上げた人。剣道の達人で
あったけど、人とけんかをすることが嫌いだったとか。談志破談も、直接破談を言ってなく、マスコミが騒ぎことを大きく
してしまって、最後までいい関係のようでした。話を聞いているうちに、祖父を思い出しました。祖父はlittle man, big heart
と言われていましたが、小さんもそのような人だということが伝わってくるいい23回忌でした。花緑さんが舞台の端から端までの
長さの小さん年表を書いて、弟子に持たせたのがとてもよかったと思いました。心のこもった追善となりました。
マネージャーだった大野さんも朴訥として、いい感じでした。広瀬さんも落語そのもので、他の噺家さんはその人のパフォーマンス
だったが小さんは暖かい落語の世界にそのまま連れて行ってくれたと話していました。
花緑さんも同じ家で育っていたので、きっといいところをいっぱい見ていたのでしょうね。

いろいろな人の芸を見て楽しい午後でした。
最後の花緑さんの「猫の災難」も楽しくて、帰りに友人が犬のバージョンをこの前の三鷹でやらなかった?と話して、私は全く
その記憶がなかったので、花緑さんの奥様にあとで尋ねたら、猫の災難は小さんの18番だったので、他の人がするときは
他の動物にして話すことが多く、たぶん古今亭が犬で話していたのではとすぐ教えていただけました。友人もきっと何か放送で
聞いたことを鮮明に覚えていたのかもと・・・お互い年を取って、記憶があいまいになってくる年頃なので、確認しました。
彼女は今だに責任のある立場で仕事をしているので決算時期は非常に忙しいのですが、私より前からの花緑ファンでもあり
一緒に楽しめて良かったです。

 

 

 

 

帰りに朝電話で抑えておいたメンデルスゾーンの無言歌集Ⅱを取りに丸井アネックスにある駿河屋に取りに
行きました。ネットでもなかなかなくてあると倍以上の値段だったりする希少価値のあるエッシェンバッハの
CDをやっと見つけたものです。

 

 

この日はまるで夏のような気温になってしまったので、急遽久留米絣にしました。
もともとは市松模様の本塩沢にしようと思っていたのですが、絶対に暑くなってしまうと思い木綿にしました。
博多織の帯が意外と似合いました。

March 31  2024   Shinjyuku

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何と素晴らしい日! (追記あり)・・・ What a wonderful day!

2024-04-04 09:31:05 | a day in the life

今日はなんという日なのでしょう!
この喜びを伝えたくて花緑さんの独演会小さん23回忌興行の前に急遽書くことにしました。

台湾の地震で津波警報が出て心配でしたが、注意報が解除されたとのことでよかったです。

この数年、私の懸案事項だった織機のことです。この一度半分引っ越しする機会に地下にある織機を上に持って
来たいと思っていました。ところが組み立てたりする時に必要な説明書がここに引っ越してきて一度ある場所が
わかったのですが、またみつからなくなりました。

それでこの織機での織物を最初に習うきっかけとなった私のピアノの先生の娘で私の小学校低学年の時の親友に
マニュアルがあるかどうか電話したら、もうないということで、次に最初に織を習った先生の所のお嫁さんの
真理子さんに連絡しました。10年少し前に亡くなられた先生ですが、その後お電話をいただいてお会いするところ
だったのですが、今度は主人が亡くなり、それどころではなくなってしまいました。その時に同じく機織りを習った
ことのあるみどりちゃんも一緒に会うはずでした。それから10年以上が流れました。もうどこの家の織機も近くの施設に
寄付してしまったとのことでしたが、久しぶりにお元気な声を聞いて、あの頃を思い出します。まだ20代の中頃でしたが
週1回お弁当持ちで通っていました。私がフルタイムで仕事に戻り、昼間通えなくなり、その時の次男さんのお嫁さんの
関係で林辺先生を紹介していただき、プロの人に習うことになりました。

どこにも織機の名前の手掛かりさえなく、みどりちゃんから確か笠原とか言わなかったかしらと織機の名前がわかりました。
それでもインターネットで探しても出てこなくて、織機は原理はどこも同じだから組み立てることができるかなと思って
あきらめていました。

リフォームのための片付けを初めて、最初に何回となく以前も探したスーベニールのポケットファイルのうち1冊を開けたら
開けたそのページになんとこの織機のマニュアルが出てきたではありませんか!

  他にも手紡ぎ車のガイダンスも・・・

やっぱり笠原だったのです。もう一度ネットで検索してみると笠原吉太郎という画家の妻で、なんと佐伯祐三たちとも
交流があり、目白文化村に住んでいたことがわかりました。家から歩いて行ける距離に笠原さんは住んでいたのです。
この発見に舞い上がる気分でした。なんという偶然。私のピアノの先生だった小学校の親友のお母さんが直接この方に
織物を習い、私に織物の良さを教えてくれました。彼女の紹介で同じくそこで習った方を紹介していただいて
習いに行くようになりました。そのころの笠原さんはもうかなりの高齢だったと思います。

気になる下落合というブログのシリーズから笠原美寿の生涯を知ることができました。
笠原美寿の父は星野銀治で名主で沼田銀行の頭取でもあり、母が美寿16歳の頃亡くなり、家のことや家業でもあった養蚕などで
忙しく過ごして、18歳に東京の青山学院の中の女子手芸学校に通う。その後洗礼を受ける。沼田に帰り、フランスのリヨン国立
美術学校意匠図案科を卒業して帰国した当時は農務省技師であった笠原吉太郎と結婚(美寿22歳)。麹町から1920年にアトリエ
付きの目白の家を建て引っ越し、その後笠原氏は退職し洋画家としてデビュー。8人の子供を貧しい中苦労して育てあげたが
娘二人を失うという不幸な出来事もあった。1954年夫が78歳でこの世を去ったあと、小型の手織り機を開発し、普及に努めた。

 

私はこれからの老後を何をしておくろうかと日夜迷った末、やっぱり手織が老人に最もよい仕事であると確信しました。
しかしその時は以前に使った織機は駄目になりましたので、よし現代の家屋に向くような小型であって何でも織こなせる
ような織機を作ってみようと考えました。それは画室に架けられた夫の野外写生に使った三脚が目に止まり、その三脚の
ヒントを得てそれをA字型にして織るに必要な整経のクイを後方の斜面にうえ、また横糸を巻く糸車を取付けてきわめて
重宝な立体手織機の試作が私の手で作り上げられました。             笠原の手織り機と基礎織より

 

 


もし部品が使えなかったらと思い糸栄産業販売部というところに電話したら、電話口に出られた方のお父様(=秋山さん)
がこの織機にかかわっていたがもう他界していて、その事業はしていないとのことでした。

 

もう10年以上前のことだったでしょうかジィオデシックのパーティで林辺先生の友人だった元花椿(資生堂の広報誌)
編集長の平山景子さんにお会いした時に織をまたおやりなさいと言われたことが心にずっと残っていました。
笠原美寿さんが私と同じ学校出身でなんと住んでいたところも今の私の近くだったなんて・・・
これはもう織機を組み立てて、再開するしかないです。もしうまく組み立てられればですけれど・・・

 

笠原美寿と吉太郎の生涯を知ることができた、下落合のブログです。
私が持っている手織り機の奥にあるストーリーを知ることができました。

佐伯作品が架けられた笠原吉太郎葬儀。 [気になる下落合]

笠原吉太郎の鐘馗と美寿夫人の手ざわり。 [気になる下落合]

八面六臂の活躍をする笠原美寿。 [気になる下落合]

老後を楽しく暮らす美寿夫人の原動力。 [気になる下落合]

笠原邸はコロナのワクチンを家から歩いて接種に行った聖母病院の手前にありました。古地図を片手に歩いても面白そうです。
この中の記事にある柳瀬正夢は主人方の親戚です。

 

今日はいろいろ片付けを続行して、ずっと闘病生活の夫と家族を応援してくれた義理の姉からの山のような手紙もでてきて
励まされて支えられて生きてきたことも思い出されました。最初はちぎり絵等があるきれいなはがきだけを取り出しましたが
あの素晴らしい文章を捨てるわけにはいかなくて、また取っておくことにしました。彼女は小さなころ病弱で学校をずいぶん
休みましたが母親に手紙を書きなさいと言われて、文章をたくさん書いたとのことで、どれもすごく楽しい手紙なのです。

とにかく奇跡的な一日だったので、前日にマニュアルについて問い合わせた方たちに見つかったことをお知らせして、
友人にも私の喜びを知ってもらいたくて電話で話しました。ショートメールでは言い表せません。友人はすごく価値がある物
じゃないと言ってくれました。普通の木製の織機なのですけど・・

その後も注意深く使用しなくて取ってあるだけのいらないものと、思い出のある大切なもの、捨てたら二度と手に入らないものを
分ける作業を続けました。

 

 

April 3   2024

 

追記)

ブログ「落合学 (落合道人 Ochiai-Dojin)」から写真の転載の許可をいただきましたので星野美寿(笠原)関連の写真を
載せさせていただきます。ありがとうございました。

 

1927年(昭和2)5月に佐伯祐三が制作した『笠原吉太郎像』

笠原吉太郎の描いた落合風景  
佐伯祐三の絵とよく似ています。お互いに影響を与え合ったのでしょうね。

 

星野美寿 活発だった少女時代
ドメス出版から星野達雄『からし種一粒から』(1994年)という本が出ていることを教えていただきました。
3代にわたり、キリスト教信仰に立った一族のことが書かれているということです。

夫亡きあと、70代を過ぎてから開発した笠原手織機。
関東一円で織を教えて、広めたとのことです。

 都会にある老人ホームの建設に尽力されたという行動力に驚きます。

 


落合で活躍された素晴らしい方を知ることができて、とても嬉しかったです。

 

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Simon & Garfunkel - April Come She Will

2024-04-03 03:54:22 | music

 

TVで同名の日本映画のタイトルを見て、急に聴きたくなったSimon &Garfunkel. 

学生時代に映画「卒業」のテーマソングで鮮烈な印象でデビューしました。
Sounds of Silence もいいけど、やっぱり「明日に架ける橋」がベストかしら・・・
映画の中ではスカボロー・フェアが好きでした。映画自体もダスティン・ホフマンのデビュー作? 映像も斬新で

新しさがある映画でした。

ポールのギターにアート・ガーファンクルの声が透明感があって大好きでした。

Simon & Garfunkel - April Come She Will (from The Concert in Central Park)

 

April, come she will
When streams are ripe and swelled with rain
May, she will stay
Resting in my arms again
June, she’ll change her tune
In restless walks, she’ll prowl the night
July, she will fly
And give no warning to her flight
August, die she must
The autumn winds blow chilly and cold
September, I’ll remember
A love once new has now grown old

時の流れを淡々と歌う、決して明るくない曲。

しみじみとしちゃうブックエンドのテーマ。

Simon & Garfunkel - Bookends Theme

Time it was,
And what a time it was
It was . . .
A time of innocence
A time of confidences
Long ago . . . it must be . . .
I have a photograph
Preserve your memories
They’re all that’s left you

 

「スカボロー・フェア Scarborough Fair」サイモンとガーファンクル Simon And Gurfunkel

 

私をあの頃に連れ戻してくれる曲です。

 

April 1 2024

 

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ハプニングのお墓参り ・・・ happening grave visit

2024-04-02 23:57:59 | a day in the life

3月30日

3月の終わりは1月のような気温の日から10度以上上がり、初夏の陽気となりました。
妹たちがお墓参りに行くというので一緒に行くことを約束していましたが、妹と甥の連絡ミスで、来たのは
甥だけでした。3人で両親と義理の兄が眠るお墓にお参りに行きました。この暖かさで、固い桜のつぼみも
これから開花していくのでしょう。墓地では途中、やっと1本の木の桜がきれいに咲いていました。

この墓地には山田耕筰のお墓や両親のお墓の近くに松田優作のお墓があります。

娘も今年が人生のターニングポイントとなりました。
自分で考えて、新たな人生の一歩を踏み出す前に、かわいがってくれた祖父母の墓にお参り
できて良かったです。


同じ墓地にある、母方の祖父母のお墓にもお参りしました。大好きな祖母と、尊敬する祖父や
若くして亡くなった従弟と叔母、そして新しく昨年他界した叔母の名前が記されていました。
たくさんの人があちらの世界に行ってしまいました。

黄砂が舞っているというどことなく霞がかった青空でしたが、とても暑く、でも気持ちよく晴れた日でした。

 

ちょうどお昼時だったので、霊園の入り口にあるお店でランチ。
お正月以来だったのでいろいろ話をしながら店長お薦めの海鮮丼をいただきました。
本来なら妹と久しぶりのおしゃべりをしたかったのですが・・・ 妹も娘とのお別れ会ね
なんて言っていたのにね。まだすぐ京都に行くわけではないのですが。

年度末だったので、休みでも甥には仕事の連絡が入ったりしていて久しぶりにいろいろ世の中の話が
聞けておもしろかったです。



いつもVolvoに乗せてもらうのが楽しみですが、デザインも乗り心地も本当にいいです。




vaper gray  という明るいグレーがすてきでした。vaper は霧の意味があったのですね。
電気自動車ですが、次回はもう少し小型になると話していました。

帰りは道も混んでいないので送ってもらいました。

行きの新宿駅は人があふれ、車も渋滞していたそうです。お花見日和で桜はまだでも、人がいっせいにくり出したようです。

 

この前のお花が咲いていない時期のお花見ミニクラス会の帰りに、お墓参りの話をしていたのですが、彼らはよく行くようで
行くとすっきりすると話していました。どこにいても無くなった親や祖父母のことは思うのですが、またその場所に行くことは
違うようです。何か気持ちが軽くなります。

帰りの車の中でも、甥とは世界的規模の話ができるので面白かったです。

 

March 30  2024   Akiruno

 

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緒方貞子のアナザーストーリーズと草刈正雄のファミリーヒストリー・・・Sadako Ogata’s Another Stories & Masao Kusakari's Family History

2024-04-01 23:59:05 | people

尊敬できる数少ない日本人の1人。緒方貞子さん。
録画だけして見れなかった素晴らしい番組2本、やっと見ることができました。

アナザーストーリーズ 運命の分岐点 小さな巨人 緒方貞子~命をつなぐ現場主義~


 ボスニア内戦、ルワンダ虐殺…世界で難民が苦しむとき、その現場にはいつもこの小柄な女性の姿があった。
UNHCR・第8代国連難民高等弁務官、緒方貞子。過酷な現場に自ら足を運び、解決のためならどんな相手ともきぜんと
立ち向かうその姿は“小さな巨人”と呼ばれた。緒方のかたわらにはいつも彼女に心を動かされ、ともに闘った人々がいた。
命をつなぐために、緒方はどんな闘いに挑んだのか? 黒柳徹子との知られざる交流も。  2023年10月6日放送 

 

あらためてこんなに素晴らしい女性がいたことを認識しました。

                                                                 

緒方さんが亡くなられてから、もう4年も経っていたのですね。
あらためて、アフガニスタンからボスニア、アフリカなどの隣人同士の争いの世界の歴史を思い出し、
今なおウクライナやガザでの非人道的な出来事に心が痛くなる世界が続いています。ますますひどく
なっていくような・・・
そんな世界の最先端で難民と共に生きてきた緒方さんには頭が下がります。彼女はいつも現場にいて
現場の人と共に難民の命を守るために協力し、世界に訴え続けて命を助ける仕事をしてきた人でした。
彼女は本当に解決できるのは自分たちではなく、政治力と言います。ヨーロッパ各国に働きかけて
援助を取り付けてくる実行の人でもありました。彼女の下で働いていた現国連難民高等弁務官や現場の人達
の証言で「小さな巨人」が浮かび上がってきます。

聖心女子大の同期に私の好きな作家の須賀敦子さんがいたことを初めて知りました。聖心女子大はあまり縁のない
大学ですが、美智子上皇后や渡辺和子さんをはじめ芯のある人たちを輩出しています。神谷美恵子さんも小学部だけ
行っていたが校風に違和感を覚えたとの記事がありました。

誇りに思える日本人を再び心に刻みました。

 

【平和構築】開発途上国支援に人生を捧げた緒方貞子のことば

ヒマ吉の散歩道 惜別 緒方貞子さん

 

 

ファミリーヒストリー

草刈正雄〜初めて知る米兵の父 97歳伯母が語る真実とは〜

初回放送日: 2023年8月14日

 

生まれた時から母と二人だった草刈正雄。父は日本に駐留したアメリカ兵だが顔も知らなかった。
母は「朝鮮戦争で死んだ、写真は焼いた」と多くを語らず死去。制作班は正雄の記憶にあった「ロバートトーラ」と
いう人物を全米で探すが調査は難航を極める。半年後ようやく親族が判明。なんと父は朝鮮戦争から生還していた。
父の容姿や性格、母との出会いも明らかに。「なぜ父は母のもとを去ったのか」父の姉が70年ごしの秘密を告白。

 

草刈正雄さんはある時からとても素晴らしい役者さんに成長したと驚いたことがありました。確か真田丸以前の
大河ドラマで家老か何か演じていた時です。
モデルとしての登場は若い頃から知っていましたが、阿部寛と言いモデルから成長した役者さんたちも数少なく
ありません。

そんな彼を一人で立派に育て上げた女性がいました。二人の苦労は想像を超えます。
10年以上前にNHKからオファーがあった時は母親のことも考えて辞退したとのことです。今回は娘さんたちにも
押されて決心したとインタヴューで話していました。

バスガイドだった母親と米兵の父親との劇的な出会いから別れまで。そして一生この親子の幸せを心の中で
願っていた米兵の伯母。

 

父と母の別れを知る97歳の伯母ジャニタさんは誰にも話せずにいた甥の秘密を、高齢になり死ぬ前に家族の誰かに
正雄の存在を話さずにはいられなかったと語ります。甥ロバートの秘密を心の中に抱えて、生きてきた彼女。
草刈正雄の母から送られてきた手紙をどうすることもできず自分の中の秘密として抱えてきた伯母はドイツに
行かせた甥に手渡すことができず苦しみ生きてきました。
「必死に子供を守り、あなたを立派に育てたお母様を本当に尊敬する」と正雄宛の手紙には書かれていました。
「親子の無事を祈るしかなかった。70年間思い続け心配していた・・この出来事を心の中にしまっていた。
あなたのことで涙を流す日々はもう終わり、これからは笑顔だけ。」

草刈正雄はこの後、アメリカの家族と対面し、温かく迎えられます。伯母が私を許してと正雄さんを
抱擁するシーンで終わりました。

この後年末にアメリカでの特別編が放送されたのだけど、残念なことに録画していませんでした。

このジャニタさんという普通の女性のこの思いに感動しました。戦争が生んだ悲劇の一つ。正雄さんの母親も
素晴らしい人でした。

 

 

親父は朝鮮戦争で死んだはずが・・草刈正雄がNHKファミリーヒストリーで元米兵の父親と”初対面”を決意するまで

草刈正雄さんのファミリーヒストリー

 

March 29  2024

 

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