<週刊テレビ評>
もう一つの大河ドラマ
「やすらぎの刻(とき)~道」
4月にスタートした、倉本聰脚本「やすらぎの刻~道」(テレビ朝日系)。このドラマは、一昨年に放送された「やすらぎの郷」(同)の単なる続編ではない。老人ホーム<やすらぎの郷>に暮らす人たちの“その後”が描かれるだけでなく、筆を折っていた脚本家・菊村栄(石坂浩二)が、発表のあてもないままに書き続ける“新作”もまた映像化されていく。倉本はこれを、菊村の「脳内ドラマ」と名付けた。
ここでは現在の菊村たちの部分を「刻」、脳内ドラマを「道」とするが、後者は戦前から始まり現代に至る、まさに大河ドラマだ。倉本は、「この脳内ドラマの方は僕の<屋根>っていう舞台がベースです。あの芝居では明治生まれの夫婦に大正・昭和・平成という時代を生きた無名の人たちの歴史を重ねていったんですが、いわばその応用編ですね」(倉本聰・碓井広義著「ドラマへの遺言」)と語っている。
物語は昭和11年から始まった。主人公は山梨の山村で生まれ育った、根来公平(風間俊介)だ。貧しいながらも養蚕業で平穏に暮らしてきた村に、戦争という激しい波が押し寄せる。すでに小学校の先生が思想犯として特高(特別高等警察)に逮捕された。公平も、家族も、悪がき仲間も、公平が思いを寄せる娘・しの(清野菜名)も戦争の影から逃れられない。菊村が書いている脳内ドラマの現在の時間は昭和16年だ。公平の兄・公次(宮田俊哉)は兵隊にとられ、村全体も満蒙開拓団への参加をめぐって騒然としている。倉本が描こうとしているのは、どこまでも庶民の戦争であり、国家の運命に翻弄されながらも必死に生きようとする市井の人たちの姿だ。
こうしたドラマが、終戦記念日の前後に放送されるスペシャル番組ではなく、連続ドラマとして毎日流されるのは画期的なことだ。とはいえ、現代編の「刻」と比べると、「道」は地味で、暗くて、重いと感じる視聴者も少なくないだろう。しかし、地味で、暗くて、重い時代が確かにあったこと。そんな時代にも人は笑い、歌い、恋をし、精いっぱい生きていたことを、このドラマは教えてくれる。
まだ脚本を執筆中だった頃の倉本と対談を行ったことがある。その際、「ここだけの話ですが」と前置きして、「やすらぎの刻~道」で本当に書きたかったのは、脳内ドラマのほうではないのかと質問してみた。倉本は笑いながら「実はそうです。ここだけの話ですけど」(日刊ゲンダイ、2018年6月20日付)と答えていた。あの時代の社会と人間の実相を伝えようとする執念。確信犯である。
( 毎日新聞 2019.05.11夕刊)