「看板枠」の春ドラマ、
『わたし、定時で帰ります。』を振り返る
「看板枠」の春ドラマ、
『わたし、定時で帰ります。』を振り返る
働き方・生き方を問う
「わたし、定時で帰ります。」
もしも「あなたは何のために働いているか?」と問われたら、どう答えるか。先日最終回を迎えた、吉高由里子主演「わたし、定時で帰ります。」(TBS系)。よくある“お仕事ドラマ”と思いきや、仕事と生き方の関係を描く、社会派エンタテインメントだった。
32歳の東山結衣(吉高)が勤務するのは、企業のウェブサイトやアプリを制作する会社だ。入社して10年、残業をせず定時に帰ることをポリシーとしている。仕事中毒の父親を見て育ったことや、かつての恋人で上司でもある種田晃太郎(向井理)が過労で倒れた恐怖が忘れられないのだ。
そうならないためにも、結衣は「仕事の時間」と「自分の時間」の間に、きちんとラインを引く。退社後は行きつけの中国料理店「上海飯店」(店主の江口のりこ、好演)に直行してビールを飲んだり、婚約者の諏訪巧(中丸雄一)と食事をしたりして過ごしている。
また、定時に退社するために、結衣は独自の工夫をしながら効率よく仕事をこなす。それが自分に合ったペースでもあるからだ。この「組織内における個人主義」の通し方もかなり興味深い。
当然、周囲との軋轢(あつれき)はある。たとえば、部長の福永清次(ユースケ・サンタマリア)は、結衣の「働き方」に皮肉を言い続けていた。しかし、はじめは冷ややかに見ていた周囲の人たちが、物語の進行と共に徐々に変わっていった。それは、仕事は大事だし真剣に取り組むが、健康を害したり、ましてや命を落とすなど、私生活を完全に犠牲にしていいわけではないという、結衣の主張と実践の影響だった。
最終回で、結衣が部下たちに言う。「会社のために自分があるんじゃない。自分のために会社はある」と。世代や環境によっては異論があるかもしれないが、これは当たり前のことなのだ。しかし、その当たり前のことが当たり前であるためには、組織も、個人も、まだまだ変わっていかなくてはならないのが、この国の現状なのだろう。
このドラマは、「働き方」を考えることは、自分の「生き方」を見直すことでもあることを、重すぎず軽すぎないストーリーと人物像によって教えてくれた。春ドラマにおける出色の一本だ。
(しんぶん赤旗「波動」2019.07.01)