碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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現代人の常識を問う「同期のサクラ」

2019年11月04日 | 「北海道新聞」連載の放送時評

 

 

 現代人の常識を問う

「同期のサクラ」

 

脚本家の遊川和彦が手掛けるドラマのタイトルには、一見ふざけた駄じゃれのようなものが多い。「家政婦のミタ」、「過保護のカホコ」、そして「ハケン占い師アタル」などだ。しかし、それに惑わされてはいけない。実は意外に骨太な問題作だったりするからで、今回の「同期のサクラ」(日本テレビ―STV)もまさにそんな1本である。

主人公の北野サクラ(高畑充希)は、故郷の離島に橋を架ける仕事がしたいと、大手建設会社に入社した。10年前のことだ。現在、彼女は入院中で、脳挫傷による意識不明の状態が続いている。見舞いにやってくるのは清水菊夫(竜星涼)や月村百合(橋本愛)といった同期の仲間だ。なぜ、そんなことになったのか。10年の間に一体何があったのか。その謎が徐々に明かされていく仕掛けだ。

このドラマの最大の特色は、ヒロインであるサクラの強烈な個性にある。普段はほとんど無表情。おかっぱ頭にメガネ。一着しかない地味なスーツを寝押しして使っている。加えて性格が変わっており、超がつく生真面目で融通がきかない。正しいと思ったことはハッキリと口にするし、相手が社長であっても間違っていれば指摘する。場の「空気」を読むことや、いわゆる「忖度」とも無縁だ。

物語はまず10年前の入社時にさかのぼり、毎回1年ずつ、サクラと同期たちのエピソードが描かれる。土木部志望だったサクラは人事部に配属され、社内の様々な部署と接触していく。営業部では同期の清水が、上司の無理難題に応えようとして心身ともに疲労の極致だ。サクラはこの上司とやり合うが、同時に清水に対しても、自分と仕事の関係を見直すよう促す。

また広報部にいる月村は、与えられたイメージと素の自分とのギャップに悩み、結婚退社で逃げようとしていた。引き止めたいサクラは本音を月村にぶつける。働く女性にとって社会や組織が障壁となるだけでなく、女性自らの中にも「内なる壁」が存在することを示して秀逸なシーンだった。

サクラというキャラクターは明らかに難役だ。しかし高畑は荒唐無稽の一歩手前で踏み留まり、独特のリズム感と演技力によってサクラにリアリティを与えている。本来は真っ当であるはずのサクラが、どこか異人に見えてしまう社会や組織。また、すべてを常識という物差しで測ろうとする現代人。サクラと同期たちが過ごした10年には、私たちが物事を本質から考え直すためのヒントが埋め込まれているかもしれない。

(北海道新聞「碓井広義の放送時評」2019年11月02日)