katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ユ-ミン教室

2010-08-27 20:31:33 | モザイク教室
まずゲゲ。これが朝の二度寝で見逃して、結局昼ごはんの時に観たんだけれど、
弟の葬儀から女房が返って来る。

帰り際のお父さんが印象的だった。背中を向けお母さんの事は心配するな・・・・
俺がいる・・・凄いなっ・・・あのセリフを言える人は信頼出来るし、何か立派だなっ

そう思う。そんな親父になって見たかった時期もあったなぁ・・・今は完全に無理だ。
俺程度の器では、とてもとても・・・いないよりマシだと思うが・・・くらいが精一杯

その後、自宅に到着すると子供達がやって来て・・・・お母さんに戻る。
もう弟の姉さんでは無く、子供達のお母さんなのだ・・・俺はそう思う。

いつもそう。その都度その立場で俺は変われるようにと心掛けている・・・
先生と言うなら先生っぽく・・・作家と言うなら作家っぽく。

ただし、ぽくであってらしくでは無い。先生らしくや作家らしくなんて無理、無理。
そう言うのに縛られるのが嫌なのね。俺は俺らしくとは言うけれど、

所詮、すべてが俺が演じなくてはならない役みたいなもので、俺は親にもなれず、
40過ぎても満足に生活もままならず・・こんなんじゃまともな事を言える立場じゃない

少し認められたのなら、それ相応って言うのもあろうが、ほぼ野放しのサル。
ちょっと腕だけが認められつつある・・・その程度。

多少は抜け出したいと思っているから、努力は惜しんでいないけれどね・・・・

ちょっとだけこれなら出来そうだ・・・と思ったシ-ンは、帰って来た女房を真っ先に
顔を出したゲゲ。これは間違い無くゲゲよりも素早く出来る自信はあるね。

好きな女が帰って来た・・・悲しみと共に・・・なら少し貰わなくちゃな・・・・
その悲しみ。じゃないと一緒って気がしないから。

楽しい事なら俺じゃなくてもきっと楽しい。けれど、悲しい事は中々拾う人は
少ないからね・・・勿論、それとて良い事かどうか?なんて判らんのだけれど。

孤独慣れしていないと、孤独は辛いからね・・・・

特に今日はこれしか拾う話無かったな・・・親より先に逝かなきゃ良いだけ・・・
これは守りたいもんだ・・・

さてユ-ミンなんだけれど、ん・・・今日は厳しかったな・・・いつもより遅く来たし
調子は悪く無かったんだけれど、何しろ難易度がねぇ・・・・

立体はそんなに甘く無いからね・・・。やっぱ1日延びてしまった・・・・
と言う事で後2日は掛かる事になった。

頑張っているんだけれどね・・・・立体はやった事が無いと大変さが判らない・・・
ただ2日で終わるのはメドが立った。

それと、明日例の仕事の打ち合わせがある。どうやら内容は少なくなりそうだ。



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ユニディさん教室と作家katsu

2010-08-27 00:06:47 | モザイク教室
ゲゲから。女房の弟が海で波にのまれて亡くなる。突然の訃報・・・・
当然、実話だから本当にあった話だろうけれど、ドラマにしているから、

作り手が前フリをしていたから、こんな事になるんじゃないかな・・・と思ってた。

その後、実家に帰るも火葬が終わっていた。捜索に時間が掛かったから・・・・
そしてしばらく振りに姉妹達が揃う。その中に子供を産んだ時に世話になった妹もいた

どうやらお見合いして結婚したらしい。今日はそんな話。

歳を取るって事はお祝い事よりも不幸の方が多くなり、兄弟や両親と会うって事も
お祝いより不幸の方がなって行く・・・・

寂しい話だけれど、それが現実。幼い頃のようにいつでも一緒にいた頃とは違って
みんな各々の生活がある。

昨日さくらと話をした事もみんなこの話に繋がって来る。こうして月に1回会ったとしても、年に12回。どちらかに不幸があるまでに何回会う?

そう考えると、大事な時間になる。こんな考え方になったのは、弟弟子を亡くしてから
いつまで続けられるか?なんて何処にも保障は無い・・・

その上、身内よりも会う回数が多くなれば、感情移入する事も多くなる。
子供が生まれたとか、具合が悪いとか、受験の合否、100点取った・・・・とか

携われば携わった分、そう言う出来事が多くなる。良い話は幸せな気分になり、
悪い話は心が痛くなる。

1人で生きていれば己の分だけの出来事だけで生きていられるから、小さな喜びと
小さな不幸の繰り返し。それが携わる人が増えれば、大きな喜びと大きな不幸に

変わって来る。時に俺はこんな事を思う事がある。
人は死ぬ。けれど本当は死んでしまえば本人に悲しいなんて感情は無い・・・

けれど生きていながら死んだような気になる・・・それは孤独。
一人で生きれば孤独が待っているし、携わればより多くの感情移入をする・・・

それが人より極端に繊細なのが感受性が豊か・・・と言う事になる。
作品作りの時は、それが生かされると良い作品になり、単なる人との付き合いと

なると、こんな事に一喜一憂してしまう事になる。
人はそこにお付き合い程度・・・なんて付き合い方があるみたいだけれど、

俺には一切無くなった。つまり大事な人としか付き合いが無いって事になった。
弟子達、常連さん、作品依頼のお客さん・・・単なる付き合いって・・・

いずれにせよ強い気持ちなんてものを手に入れないと、その感情に負けてしまう。
そんな職業なのかも知れない・・・・

さてそんな中のユニディさん教室。今日は、常連さんから始まるレアなタイルで
作るモザイクの構想のみだったんで、画像は無し。

それとユニディさんから決定した時には店舗の仕事の参加表明があった。
とてもそれが大事な事をお話した。

勿論これは準備なだけで決定はしていないが、決まり次第すぐに取り掛からなければ
ならなくなる。今はその位、余裕の無い状況での仕事なのだ。

当然、みんなにも予定はあるだろうが、決まれば俺にとって仕事なのだ。
ここで大事なのは、弟子達はそれを一緒にやりたかったのだから問題ない。

けれどみんなはどうなのか?これは手伝いでは無く仕事なのだ。手間も支払うのだから
参加して下さるのなら、作品の値段や工期などに応じて、賃金とプレッシャ-が

おすそ分けとなる・・・。それをやる気だけ表明して置いてくれれば、都合により
来れなくなったとしても嘘偽りが無ければ仕方無い事として、受け入れても

表明はしないが都合付けられたから・・・と当日来られても、アトリエの広さや
作るものの大きさから900x2300mmでは、何人も一緒にやれない・・・

しかも、みんながどうしようか・・・?日にちが判れば予定も立つのに・・・と
思っているだろうが、それは俺とて同じ・・・

手伝いと戦力の違いは責任感と賃金の価格。しかし、責任感があるからこそ悩む。
これも逆も真なり。つまりそれはもはや遠慮にも似た事になっている・・・

常にやりたいと思うのなら一歩前へ・・・と言っているのは、悩んでいる人が
いたとする。そして表明せず結局は来た人と結局来なかった人と2つに分れたとする。

いずれも参加したかった・・・と思った人なら、その時どう思うか?
来た人は楽しかった・・・と言い、来なかった人は・・・えっ?では無いか・・・・

つまり最初から名乗っていれば、来なかった人は自分の意思で来なかった事になる。
真の救済や真の優しさとは・・・?本来は一歩前へ・・・なのでは無いか?と考える。

他の場所ではそれをずぅずぅしいとかKYとかまるで空気が読めないみたいに言われる
かも知れないが、ここでは体裁が一切無いから、本音のみが通用する。

そう言う点では、名乗ってくれたのは非常に嬉しかった。
こちらも決まり次第すぐに予定を立てるし、決まらなくてもすぐに連絡する。

今はこんな事でしか、まだ俺の仕事は成立しないのは非常にもどかしいし、
みんなにも迷惑を掛ける事になるかも知れないか、すまんとしか言いようが無い。

しかし、この現状を良く覚えて置いて欲しいのも事実・・・・これがどう変わって行くか?ね・・・それが変化して行く様が売れて行くと言う事なのだから・・・・

これでそこそこメンバ-として集まったし、こちらの準備は出来たし、後は先方の
連絡待ちとなった・・・・




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