katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

高州の公民館のサ-クル活動

2012-01-18 22:50:56 | モザイク教室
今日は4人。年明け初めてのサ-クル。キウイ、タピオカにのりちゃん親子。
その前にお詫びが1つ。のりちゃんの作品が完成して撮ったはずの画像が無い・・・

それについては仕上げを頼まれているので、持ち帰っているので明日アップ・・・
と言う事で、お母さんを拾う事にすると・・・・こんな感じなのね。



滑り出しは好調なのね。何しろまたお母さんは1年掛かっても・・・って言い出すのね。
本当にそんな気なら全然気にせず終れるんだけれど・・・・違うのね・・・これが。

それが判るのがこんな場面。はいおやつ休憩ぃぃぃ・・・・ってみんなが持ち寄った
ものでコ-ヒ-タイムに入っても手が止まらないのね。

勿論、今日は用事があってのりちゃん親子は30分早く帰るから・・・って言うのも
あるだろうけれど、それだけじゃないのね。止まらないのね・・・性格上って言うか、

習慣なのかも知れない・・・。そこで目をそらせた隙にそぉぉぉっと作品を移動したら
えっ?って顔するので、きゅゅゅうけぃぃぃぃって止まって貰ったのね。

そもそも休憩するのには休むって意味もあるんだけれど、いつも言う植木屋さんみたいな
例えになる。つまり大きな作品の場合、目の前のパ-ツばかり追っていると、

いつの間にか知らず知らずタイルのみを切って張るって言う動作を無造作にする。
そこに美があるだろうか?まず無い。その行為は作業なのね。

確かにタイルを切って張るって言う行為はどんな気持ちであっても一見同じようだが、
無造作になれば、花を作っていようが、文字を作ろうが、何を作っても同じとなる。

この無造作にしない為に、植木屋さんは遠く離れて次の目安を立てたり、仕上がり
状況の確認をしつつ、美を整えて行く・・・・大きな作品は全体をこまめに観る。

しかもコ-ヒ-タイムはみんなとのコミニュケ-ションとしての時間でもある。
そこも意識して貰う為に、お母さんにキウイとタピオカの作品をどう評価するか?と

質問すると上手い・・・と言うのね。ならば2人はお母さんより上手い人となる。
ではその確認をしてから、更にその2人はモザイクに関して俺が質問したら、

容赦なく答えるので、体裁は無いですよ・・・はいそれではキウイに質問。
お母さんの作品見て感想は?と聞くと、のりちゃんがお母さん上手いぃぃって。

ただここの感想はアトリエ教室が月に1回決まっているので、いつでも聞ける・・・
しかしお母さんが上手いと判断した2人の感想はここしか聞けないのだ・・・。

するとキウイはすかさず早いぃぃと言う。そう確かに早い。しかし本人はそんな意識は
一切無い・・・けれど自分が上手いと言ったキウイがそう言う判断をしたのだ・・・

ここでえっ?と思わなければならない。何故なんだろう、どうして早いと感じられたのか?
と・・・。だって上手い人が言った言葉なのだから。

もしかすると、迷い無く進めたからかも知れないが、もしかしたら無造作に作業を
してはいないか?美しい花を作っているのに・・・。意識するとはそう言う事の繰り返し

それをもし忘れていたのなら、みんなが声を掛け合って意識する事でお互いの作品の
評価をし合う時間がコ-ヒ-タイムだったりする。それがサ-クルの良さでもある。

コ-ヒ-タイムの本当の意味・・・大事なのはここはサ-クルである事。
みんなで見つける事が大事で俺はサポ-ト。俺には俺の役目がある。

それがアトリエとなれば当然同じ人ではあるが、技術指導としては厳しくもなる。
大事なのはサ-クルのあり方とは?になる。

みんな同じ質問でみんな同じ腕でみんな同じものを作ったとして、みんな同じ結果に
なるのなら、受験なんていらない。そもそも知識のみでも差が出るのに、

知恵なんて莫大な差になって当然。お母さんがイメ-ジする花はどんなものなのか?
こんな感じ・・・このやり取りをみんなに聞いて貰って意見を聞けば、

少なくともアトリエでは聞けない意見が2つあった事になる。結構大事だったりする。
って事もあるし、お休みぃぃぃってみんなで和気藹々だったりして、毎回美味しいもの

食べられたりしちゃって・・・・俺もお楽しみだったりもする・・・あはははは。
いずれにせよ、そこにはそこの良さだったり悪さだったり、何事もどちらか一方では

無くて、必ず良い事と悪い事は背中合わせで、それを良い事側を多くするのも、
悪くするのも自分次第であると言う事もお知らせして置くのね・・・。

それを良い側に環境を作るのが先生の役目でもあるのだけれど・・・これが結構難しい。
いずれにせよ、こう言う悩みになるのも大作に挑もうとする人になったからであって

本人の自覚も必要だけれど、俺にそれ以上の自覚が必要である。
楽しいモザイクは下地さえきちんと作ってあげられれば、何とかなっても大作は、

完全に自分自身なのである。とは言うものの気負いは必要無い。
お母さんだけの話なら、やり過ぎない事、きちんと休んで離れてこまめに観る事。

これは今後もしつこく言い続けるつもりですぅぅぅ。ごめんね・・・お母さん。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人と話す、そして話す・・・・

2012-01-18 01:05:37 | 休み?
昼間は古き知り合いに会った。ちょっとした野暮用。詳しくは掘り下げないけど、
頼まれ事があってね・・・。

それはそうと、こんな話があったのね・・・。まぁ良くある話なんだけれど、
昔から俺の事を知っていた人とか、今の仕事の初期を知っている人、更に言えば、

ちょっと間の空いた人・・・そんな人に会った時に聞く言葉の1つ・・・
katsuちゃんまだやってるの・・・・?こんな素朴な質問。

普通に考えたら辞めているのが正解なのかな?あはははは。でも真面目に考えたら、
本当はタイル屋を辞めているのが正解なんじゃないかな・・・・?

だって衰退するのが判っているのに続ける理由が1つも無い。しかも続けるのなら、
理由は家族があるから以外に考えられない・・・俺にはそれが無い。

衰退する金掴んで何を希望に生きるつもりなの?・・・・今後の俺。そりゃ無かろう。
つまり成功がある可能性に掛けた人生を選択するのが妥当って言う事になる。

何故なら残りの人生を衰退して行く金を自分の私利私欲のみで使って色褪せるのか?
俺の成功を自分の事のように観て下さる人と共に歩むのか?こう考えれば、

後者を黙って選ぶべきなのは当然の事。しかも成功すればその人達にお礼も出来る。
こんな人生を味わえるのは、間違い無く選ばれしき者のみが味わえる事であって、

誰でも出来る事じゃないし、良くも悪くも続けるしか無い。とこんな事を判ってくれる
人であればこの質問はしないんだろうけれど・・・。例外もある・・・・。

それは心配してくれている・・・そんな人。確かにその考え方が普通であって、
そっちが正しい選択なんだろうね。ただもし辞めていたとして心配無い仕事ってある?

まず有り得ないだろうね。つまり転職して安定しているのは有能な人が同じ業種を
はしごしているヘッドハンティングのような場合か、派遣が正社員のように、

環境がランクアップしたような場合とかナンじゃないのかな?・・・・
だからそれも違ってたりするので、当てはまらない・・・こんな事からも、

しばらく振りのこの質問付きって言うのは、こっちも気を使うのね。

ただこの人は、どうなの?って聞くのね。中々の気遣いなのね・・・あはははは。
だから、どうなの?じゃなくて、katsuちゃん観たよって言うようなセリフが言えないと

大した事は無いって話になるのね。判るでしょ?そう言う仕事なのよ・・・って言うと、
意味が判ったらしく、じゃあ楽しみにしてるね・・・って言ってくれたのね。

まっ今日の人は、特にそれすらも気にならない人だったけれどね・・・あはははは。

と言う中で用事が済んで、昼ごはんをご馳走になっている時に、子供が出来たって
言う話が出て、良かったねぇ・・・そっかぁ・・・と逆に昔を知っているので、

それは幸せそうに笑っていたから何よりだわっ・・・と思ったのだけれど、
じゃひとまずこれが最後の接点だから、有難くゴチになるね・・・と懐かしんだのね。

だってもし次の接点があるとしたら・・・その子供の教室くらいなものでしょ?ねぇ?
ひとまず生まれたら連絡するから・・・ってお開き。

そんなこんなでアトリエに戻って、



いくらか進めると、今度は次回作のお客さんとの電話。

先日電話をして順番がそろそろなので・・・時間も経っている事で変更が無ければ、
打ち合わせをさせて頂きたいのですが・・・って話の後の電話なので、

ひとまず作らせて頂ける話に進んだ事と、すべてを決める前の打ち合わせをさせて
貰いたい・・・そんな話を進展させる為にもさせて頂いた。

そんな中、昨日メ-ルでアトリエ見学って話を頂いたので、夕方なら・・・と返信すると
今日になったので、いらっしゃったのね。

どうやら表札を作りたいらしいのね。そんなこんなの打ち合わせがてらの説明。
そんなこんなでご予約が入ったのね。

何か1日中、人と話してた・・・そんな感じで1日が終了。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする