katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

新作金魚のモザイク張り終わり

2012-03-07 23:21:52 | モザイク作家
まずはペンキ塗りから始まったのね・・・・完成後に目地をするにあたって木にシミが
出来るのは嫌なので・・・ね。まっ本当は柿渋とか使った事の無いのを使って

見たかったんだけれど、いきなり本番は無謀だしやっぱ最初は基本が大事なのね・・・
だから角嶋の親父さんが必要なのね・・・こう言うの詳しいのね。

そもそも大工さんなら誰でも知っているって話じゃないのね。田舎出身だったり、
年齢だったり、知識も知恵も必要だったりする・・・それを知っての着崩しじゃないとね

ただだらしなくなるだけ。斬新さってのは基本あってのもの。
まっ知っている知識の中での仕上げなら、この位のグレ-ドなんだろうな・・・俺では。

そんな中、次の展開・・・・最近行って無かったんだけれど・・・・懐かしい場所へ。
初期の頃は良く角嶋の親父さんと一緒に来たのね・・・・ここ。



変わった木の専門店。例えば寿司屋の看板とか、テ-ブルとか、お洒落なまな板とか、
ハンコや彫刻・・・かなり変わった木があるのね。

ただ当然、ドッキリする値段だったりするのね・・・・だから来なかったのもある。
けど今日はやるよっ・・・って気持ちでお金持って来たし・・・・それがこれ。



かなり本気出して見た・・・・。後はやっぱり角嶋の親父さん待ちなのね・・・

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みどり教室

2012-03-07 05:20:45 | モザイク教室
そんなに進んでいない・・・そうねぇ2作品同時になんてやれば進まないのは当然で・・


そんな中、ライオンの親子のメリハリとして区別が難しい・・・とこんな感じになって
・・・・と言っていたが、ゾウの親子を見比べれば良く判るはずなのね・・・・

ライオン親子はリアル追究のあまりに似た色でクッキリ区別したい・・・・
しかも構図として重なっている・・・そしてゾウの親子はその逆で、離れていて

デフォルメしてあり、しかも色違い・・・・全く雰囲気の違うものである。
しかしこれは単なる見た目・・・の話。もっと良く観る・・・

ライオンは親子と言いながら同じパ-ツで色違い。方やゾウの親子はパ-ツの大きさを
変えてある・・・それがどんな風に見えるか?

良いか、悪いかは特に無いが、明らかに違うと作りたいなら、こうして変化させれば
ライオンの親子もキチッとクッキリするだろうね。

ただこれだけ判れば、目地で何とかなるだろうとは思うけれどね。

大事なのはここまでキチッと切れるようになったのなら・・・その次の心構え。
これを料理と例えるのなら、危なっかしい包丁使いを猫の手を教えて、それが3年経って

みじん切りも片手間で出来るようになった・・・そしたらバサッと掴んで盛り付け・・・
こんな感じなのね。勿論本人にはそんな意識は無い。けれど、余りにパ-ツが上手く

切れてしまっているから、それに応えられる張り方を試行錯誤している事からも、
切る事には困っていないが、盛り付け方は悩んでいる・・・そう言う事なのね。

しかし余りにも綺麗なパ-ツ、細かいパ-ツに慣れてしまっている場合には、
そんな事には目がいかないから、盛り付け方なんてどうでも良い・・・大袈裟に言えば。

ただ単なる綺麗かどうか?似ているかどうか?好みかどうか?・・・になりがち。
その時に、眼があるものを作ると、観た人は感じる・・・なんて行為に至ったりする。

ここ。この感じるって部分を作り手って言うのは、そこを作る事が出来ると言う事。
つまりこんな事が伝えたい事である・・・とか、こんな事をこの位伝えたいとか、

昨日のキウイのように、作りたいけど隠したい・・・まるでウォ-リ-を探せみたいに。
そんな事も出来たりする。その前提に包丁の使い手になったら・・・ね。

そう言う点では、みどりもそんな事をこだわり始まった・・・そんな所なんだと思う。
つまり構想・・・・こうこうこう言うのを作りたい・・・と掘り下げる。

例えば、ピンクにするとゾウはお母さんかなぁ?・・・お姉さんかなぁ?・・・と
少なくともメスだろうなぁ・・・・と感じる事が出来る。

更にその上、耳がハ-トになったりしているから、こりゃ間違いないなっ・・・と
思い込む事も出来るが、しかし一体いくつ位なんだろう・・・?となると、

より若ければ、若く見えるアイテムを増やしたり、ピンクも華やかだったり薄かったり
地味にしたり・・・そんな事で年齢まで表現出来たりする。

子供にしてもそう。生まれたてなら立ってない方が良いだろうし、眼を1つ取っても
喜怒哀楽を表現出来るし、観ている場所だって変えられる・・・・。

いずれにせよ、ここまで上手くなるとまたその上があって、作り手は強欲である。
ただそれを本人が気が付いていない事が大問題なのである・・・・

本人は意識せずそんな事をこだわっていたり、やっている途中で気が付いて見たり、
モザイクの技術とこだわり方とがつり合わなかったりしたりする。

これが体験教室の頃だと、これがやりたい・・・と思っても、1回の体験では・・・
時間が足りないとか、未経験では・・・とか却下が多くなったりもするが、

常連ともなると、こうして時間も掛けるし、経験値もある。そのこだわり方が昔のように
何と無く・・・では無く、知らず知らずこだわり方が尋常では無くなっているから、

当然、難易度も上がって来る。ただその難易度の意味の勘違い・・・・
もう常連は、いかに具体化して始めるか?なのね。つまり構想の確立。

仲良い親子・・・って言うのなら、どちらの作品もそう見える・・・がしかし、
どう見えるようにするか?と言う考え方1つでいくらでも見え方は違って来る。

大事なのはどう見せるか?そしてその為には、どうしたらそう見えるか?となり、
これなのかな?これなのかな?・・・・となる。

けれどそれには、喜怒哀楽の中の楽しい1つ取っても、満面な笑いもあれば、苦笑いも
ある。田舎へ行った最後の見送りをするお婆ちゃんなら切なくも笑える・・・

いくらでも笑い方がある。どんな・・・とは?こんな・・・なのである。
それが出来たら良いな・・・・とやって行くのと、出来る訳が無い・・・って作るのでは

最初から目指さないのだから、後者に成功は無い。作りたいのは勝手であって、
作れるか?とは違うのだけれど、常連ともなるとここが1つの山になる。

こうこうこんな場面の親子・・・その1コマです・・・・と具体化した方が、
常連はより作りやすいのである。そこが課題なのね・・・・。

そんな中、こんな絵を描いて見た・・・


みんなで出来ないものかな・・・?

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする