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katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

モンゴル国際大学看板作り

2012-03-27 07:31:31 | モザイク作家
縁取りを最初はエミリアかな・・・?と考えていたのだけれど、紺って感じには見えず
色々と持っているタイルを調べていると、こんなのが出て来た。



右のは良く観る1cmタイルで真ん中のが、その倍、そして左はちょいと細身。
そこで細身なのを縦に張るに当たってカット、更に上の部分で半分にカット・・・

そんなアイデアを単純に考えたものの・・・・意外とシュ-ルに時間が掛かる。
そんな中、角嶋の親父さんが、また果てしない事やってんのかぁ・・なんて声が掛かる。

まっモザイクをやっていない親父にも、大変な事が判って貰えるってのは何よりだが、
そんな中、キウイ親子がやって来る・・・と、小、中キウイのように経験者となると、

この程度の切るって作品では興味は持って貰えずに、ほぼ大きいぃぃって表現のみ。
何ともハ-ドルが高くなったものである。

それが証拠に中キウイに、これと金魚の作品とどっちが凄い?と聞くと、
金魚でしょ・・・普通。と言う答えが返って来る。

どっちが正解とかは無いんだけれど、必ずこうして表現が変わったりする。俺の作品は・・・。やった事のある人と無い人では・・・。

ただ事実のみを語るのなら、金魚作品はオリジナルなので、芸術作品として認められれば
値段は当然高くなる可能性があるものとなる。がしかし、デザイン等が人の場合は、

単に腕前だけなので、これは業務として看板作り。この場合は、材料費、人件費が
掛かった分と儲けを入れる計算となるから商売であり、価格はこちらの言い値となる。

そして何よりも芸術では無いから今後資産価値は無し。こうした事が含まれている。
しかしながら、常にすべてがそう言った区別がして貰えないので、すべてが前者の

扱いとされる。そうなるとどうなるか?つまりお客さんの希望価格となる。
ほぼ何を作ってもどんな大きさでも一応ご希望を聞いた上で、どんな事が出来るか?

とね。つまりここには今のkatsuの作品を芸術として作らせて頂くのだから・・・・と
含みが入っているので、ほぼ絶対に無理な事をやり続けた・・・・。

つまり修行だったのね。未熟な腕を買って貰うのだから・・・と。
しかしやり過ぎも限界となると、生活保護を受けても・・と思えるくらいに追い込まれる

まっ良く見ていてくれれば、何を言いたいか?判って貰えるとは思うが、やり過ぎは
危険を招くって事なのね・・・。

さてそろそろここの常連さんにも判って貰えるんじゃないのかな?・・・・
つまり今、金魚を作っている常連は俺のデザインの金魚を作っているのだから、

看板を作っている俺の心境だって事なのね。そして自分の作品がオリジナルなのだから、
芸術作品風味な状況で作っていた事になる。

中には好きでも無い金魚を作っているのだから、テンションを下げている事もあるし、
みんなと・・・と言う事で気が張って作っているだろうね。

けれど、ただとんなパ-ツで切るか?だけなのね・・・
例えば図面がある施工の建築とか、写真を持ち込まれた美容師、譜面のある演奏、

すべてどうこなすか?で、そこに提案らしきものは無い・・・。きちんとこなす。
勿論、それも最上級になれば同じギタ-1つでも、音色だけで誰って判る事も出来けど。

まずはいつも通り。考え方なのね・・考え方。いつも通りって言うのも、いつもが
カジュアルなら・・・いつもがフォ-マルなら・・・まずは自分のスタイルを知った上に

今回は一体どんな場所でどんな役割で、どんな・・・と考えながらやったとしても、
終わりはやって来るのね。時間が限られているから・・・。それが大作とは違うとこ。

まっ、つまりみんなもそんな事をやっているのだから、先生としては単なる看板も
やっぱ悪くない・・・ちょっと良いかも・・・とかに変化させて行かないと・・・と

思っているのね。時間は決まっているので・・・・色も決まっているし、形なのね、形・・・。


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