katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

かぐやが来る前にどうしても・・・・

2013-01-06 07:26:03 | モザイク作家
かぐやがやって来る前にどうしてもやって置きたい事・・・・それがかぐやの担当の
金魚、それがらんちゅう。何て言っても金魚の王様みたいな表現をされるもの・・・・

さてさて・・・・どうしても持っている木では物足りなくて・・・急きょ買いに行く。
それで手に入れたのがこれ。

ひとまずまずまずなものが手に入った。更にらんちゅう専門の本も買い、念の為に
金魚の吉田さんにも行って、らんちゅうも見て来た・・・・だからやるべき準備はやった



一応、らんちゅうを2匹を彫る事までは終わった・・・後はペ-パ-掛けとワックス塗り。
何とか間に合う方向には向かってはいるが・・・・

そんな中、昔馴染みの人がやって来た。ブログも読んでくれているらしく、
随分と俺の現状に詳しかった。全く有難い話である。

そんな中で、随分と強くなった・・・・そんな事を言われたが、そうねぇ・・・・
それを言うのなら、弱過ぎた・・・ってのが表現としては正しかろうね・・・。

何せ先進国で生きているのに、タイル屋を辞めて無収入に近い状態。
酷い時には1日1食、残りの食事は隣の親父さんのツマミの残り・・・最長6.7日間くらい

誰とも話す事は無く、掛かって来る電話の問い合わせに1時間・・・しかし単に問い合わせのみ・・・後はメ-カ-なんかの材料や道具の売り込み・・・・追い込まれるだけの環境

やる気があるのなら貸すよ・・・の一言に、アトリエ欲しさにタイル屋を辞めてまで得た
アトリエは結局単なる綺麗な何ショップ?にしか見えず・・・いつしか変わった人に・・

そんな時代を観た人からすれば、今の、お教室の多さを見れば良かったね・・とも思うし
ただ、当然体裁ではあの当時も生きていなかったけれど、結果が出ないから迷いに迷う。

そんな葛藤の繰り返し・・・しかも活路をストリ-トに求めたのだから余計に大変。
あの当時を振り返ればそんな事ばっか・・・けどね、意外と今はそれすらも単なる糧。

アスリ-トで言うなら、基礎体力作りだった・・・そう言えるだろう。
まずインチキな言葉使いしか出来ないタイル屋業から、人にモノを教える先生になる・・

そんな転身、と考えれば、いつもいつも単なる身近な人達と適当な言葉使いで仕事を
していた時と違い、毎回見知らぬ生徒さんとお話をする・・・・

しかも方や職人の男だらけ・・・今はお母さんが大多数の女の人だらけ・・・全く違うし
、もしそれが作家katsuのみが仕事とするのなら、職人の時よりもちょっとマシくらいの

話し方でも腕で勝負・・・なんて大見得切るのも良いだろうがね。まっそれすらも滑稽だけれど・・・ね。いずれにせよ、katsuとして作家であり、先生でもあり、師匠としても

生きようとしなければならないし、とは言え、師がいない状況では一つ一つ得て行かないと、誰も教えてはくれないし、教える事も出来ない。

しかも身の回りにそんな人がいない以上、誰が何を教えられるって言うのかな・・・?
もう50にもなるんだから自分で考えろ・・・って事だろうがね・・・あはははは。

いずれにせよ、そんな事を繰り返しやっていたら・・・何を身に付けたか?と言うと、
簡単な事で、技術なんて繰り返せば適当に力は付く。こんなもんは辞めなきゃ何とかなる

がしかし、続けるのは技術やセンスじゃなくて心。俺はそこが鍛えられたね・・・
俺の生き方が全面否定されているのなら、アトリエには誰もいなくて当然なのに、

生徒さんは増えているし、格段に上手くなっている。教える人間の器と習う人の器が
バランスが取れれば、きちんと結果は出る・・・・ただそれだけ。

つまり、昔はこんなにやっているのに・・・・嫌われないように・・・と窮屈で卑屈に生きるしか方法が無かった・・・と思い込んでやっていたんだろうね・・・結果が出ない、

そんな事が続いたから。どうして?どうして?とね。そうやって葛藤を続けていたら、
下地1つ取っても技術は向上した・・・そう認められるようになった。

誰に?そう大工さん達にもね。つまり木で飯を喰っている人達に。ならばその上に
一番得意なモザイクをするのだから、良く見えて当然。

つまりモザイクもそうなれば良いだけ。プロに認められるって事・・・では誰?となる
でしょ?それがタイル屋・・・ってのは安易なのね。

俺はそこはどうでも良い。何故ならそこはライバルなんでしょ?さっきは大工さん。
業種が違うから素直に評価出来るはず。しかし、同業者と意識されればそう簡単には

認めづらくて当然。つまり素直に評価して貰える人を育てれば良い。それが生徒さん。
これが中々一般には伝わらないんだけれど、判って貰えりゃ簡単な話。

ただ、生徒さんなんて正直に言うはず無いじゃん・・・とお思いの人達もいるだろう
けれど、ウチに来る人達は正直に言いましょう・・・それじゃないと、遠慮すると

自分も遠慮されて、体裁でしか話せないから、感想なんて聞いても何の意味も無いですよ
・・・・と教えてあるから、俺の評価とて容赦無い。

じゃ身内に死んで貰う話の例えで、登場して貰うと俺の親父が良い例である。
では来月のラン展でかぐやの作品を見てね・・・と頼めば、必ず観に行くだろう。

当然、野球では東京ド-ムには行った事があるが、スタンドで観戦だから、グラウンドに
降りた事は無い。野球好きにはたまらない光景なのである。

何せ選手の目線なのだから・・・。こんなスタ-トだと思われるのね。つまり場合に寄っては会場に呑まれる。見慣れた光景では無いからね・・・その上、あの人込み。

何とも条件は揃った。こんな状況でかぐやの作品を観たらどうなる事だろうか・・?
あはははは、答えは簡単。親馬鹿さんになって嫉妬なんて事もあるかも知れない。

ウチのせがれがここにあれば、なんてね。これがもしそれよりも器が大きい人だったら、
ウチのせがれの弟子が・・・・凄いなっ、見事だわっ。って言ってくれるだろう。

さて一体どっちかな?では本人のかぐやはどう感じているのだろうか?となると、
あれだけの作品を作れるのに、俺の小物作品の金魚でも観たくてしょうがない・・・と

言ってくれる。モザイクをやっていない親父の評価は追い付かれているどころか、
抜かされているように思えてしまうかも知れないのに、本人のかぐやは俺を盗もうと

必死なのである。あれだけのモザイクが作れるのに・・・・・。
つまり俺の身の回りのモザイクをしていない人の評価とモザイクを続けている人の評価

では、俺の評価はこうも変わって来る・・・。じゃ本当の技術を見てくれる人はどっち?
あはははは、言うまでも無く経験者。つまりつわものを育てた方が俺の評価は上がる。

これが難しいのね。簡単に説明すれば、作家katsuが好きなのか、先生katsuが好きなのか
、作品は好きだけれど、人間katsuが死ぬほど嫌いぃぃぃって感じかなぁ・・・

俺の事を観ている人達ってね。あはははは、みんなはどれかな?
ただ例外ってものがあって、それもひっくるめてkatsu面白いよっ・・・って思って

下さる人も出て来た・・・そんな感じなのかな・・・ってね。そんな事を心に秘めて、
考えると・・・物事ってのは感じ方に変化があるのね・・・人って正直だからね。

モザイクをしない人からの依頼は、何か良いかも・・・と技術よりも感。
だから金額の折り合いだったり、デザイン性だったりもする。

これがモザイク経験者からの依頼だと、当然技術を知っての上だから、色々な面から
成り立つ作品を・・・となる。

前者は色でありデザイン性であったり、、後者は色もだが形もかなり重要である。
何せその形に切ったの?って技術を理解されるのだからね。

どちらにしても手を抜けるものなど無いけど、だからこそ小物だろうが下絵をオリジナルで、デザインから始めれば、何に付けても同じスタ-トになるから大変なんで・・・。

おっと話がそれちゃったけれど、すべてがどうして強くなって見えたか?・・・・

つまりこうして、すべて、ものには理由があって、すべてが同じでは無くて、
いつも安定している事も少なく、・・・じゃこれはこう?これはこう?と繰り返していたら

無駄な労力は使わなくなったって事も1つ。勿論思い込みってのは危険だから注意はする
・・・がしかし、そこもきちんと掘り下げるのなら、人と向き合う場合の思い込みなら

注意をする。けれど、場合に寄っては、ブタもおだてりゃ木に・・・ってあんな比喩の
ように、時には意気込みとして使う事も必要な時もあったりもする。

それもイケイケどんどんの時にはブレ-キとして・・・失敗続きだから・・・と後向きな
場合には、アクセルとして・・・といかに使い分けが出来るか?もすべて心にある。

そんな心にして頂けたのも、すべて今いらっしゃる生徒さんや弟子のお陰。
俺の生きた証拠だから・・・って言う話をすると、相変わらずだわっ・・・って。

いやいや、もっとですよ・・・昔はお母さんくらいだったけれど、今は長老くらいには
なっていると思われますよ・・・・あははははは。って言うと、本当だわっって。

何せ今年は50ですから・・・・そんなこんなでおしまいとなった。
昔馴染みでもこれだけ向き合って、笑っておしまいに出来る人・・・きっと一生付き合う

人なんだろうな・・・って事だけは間違い無い。そんな人だった。

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