katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

リピ-タ-さん教室と下地作り

2013-01-28 05:30:33 | モザイク教室
当然、昨日の今日・・・・朝飯前って言うあれあれ・・・俺もでしょ・・・ねっ。
それで10時からのお教室前に、下地作り・・・・って訳ね。

そんなこんなでいくらか進んで・・・お教室。



結果から言えば、ここまで出来ればひとまず良いでしょ・・・特に何も問題無し。
ただね・・・ただ・・・もしもっと上手くなるとしたら・・・・・?

例えば、今どんな感じかと言うと、俺とキャッチボ-ルしているような状況だとして、
じゃこの辺に投げて見て・・・・って言ったら、大体胸のあたりの取りやすい所に

投げられるようになった・・・そんな感じ。それは許容範囲を大きくして、的としては
かなり大きいものに投げている・・・・そんな感じ。

もっと言えば、サッカ-で言ったら入ればオッケ-・・・そんな感じ。
それによって、かなりプレッシャ-は受けずに済む。それで段々と同じようなパ-ツが、

かなりの確立で切れるようになっている・・・と言う理由から成り立っている。
そうなると意識無く、いくらか楽になった気分になってしまう事が多い。

その理由の1つに、仕込みに切ったパ-ツが半端な数じゃないのね。けれど本人に自覚は
無く、本人はこれしか切れなかった・・・と言うのね。

つまりこのセリフは足らなかった・・・・そんなイメ-ジ。では一体どの位が適正なのか?
例えば昨日のオ-ドリ-を考えて見ると、恐らく9時間近くやっていたとして・・・・

結果はあれ。少なくとも弟子である以上、そこそこな腕前にはなっている・・・・
そんな人でもあのペ-ス。つまり色々こだわりを持つと段々と進まなくなるものなのね。

ではそれを踏まえて考えると、かなりのハイペ-スで進んでいた事になる。
つまりそろそろここまで進行速度が速いのなら、慣れて来たと考えて意識改革。

要するに、さっきのセリフの・・・これしか切れなかった・・・は、逆にこんなに
切れるようになった・・・・と考えるようにして、それならもっとこだわると・・・・

今度は何処でも入ればオッケ-のサッカ-では無く、右隅に蹴る・・・とか、
インコ-ス低めに投げ込む練習をする。この意識を持つ事で、より正確でより高度な

パ-ツを切れるようになる・・・が良い事と悪い事は背中合わせ。当然進みが今より
悪くなる・・・では一体大事な事は何なのか?ここ。

ではここでまた、1つの例として・・・・この方は走る事を趣味としてやっているのね。
例えば、10キロを完走していたとする。こうして数字のみを書くと、どう感じるか?

10キロをマラソンのように道路を走っていたとしたら?・・・当然景色はどんどんと
変わるだろうし、坂もある。スリップもする事もあるだろうし、車だって走っている。

走れば走るほど環境は変わる。これをトラック10キロと考えると、景色は変わらず、
環境も一緒、一回回れば、足に加わる感覚もある程度判るだろうし、何しろ平坦。

環境は一度掴めば何も変わらない・・・・そろそろ判ったかな?この比喩。
つまり今までのモザイクはトラックを走っていたのね。実は。

そこでかなりの結果が出たので、外へ出ようか・・・・って言ったのね。
つまり自宅で仕込んだパ-ツの多さから・・・・ね。それだけ切れるようになったから。

たださっきも言ったように、トラック内と一般の公道では難易度は変わって来る。
大会で無く練習なら、信号待ちもしないとならない・・・・

海っぺりを走れば、半分は海風に吹かれながら走らないとならないし、山を走れば
アップダウンに耐えなければならない。走り方はトラック内とは違って来る。

こんな事は何でも同じで、勉強1つ取っても、判らない事を判ろうと、解こうとする・・
時間を気にせず・・・と言う勉強と、テストで点を取る為の時間の制約のある勉強とは

勉強と銘打っても、こうして単純に変わって来る。つまり目的意識。
何をどうしたいか?になる。そこでこの方には、トラック内に慣れて来た事によって、

外へ出る事でペ-スダウンしてもグレ-ドを上げて行く・・・に変えて貰う事にした。
それによってつまづく事もあるけれど、慌てない事。ここに重点を置く。

逆にキウイやオ-ドリ-のように達者になった人は、じっくり時間を掛けて走るのは、
いくらでも走れて、マラソンで言えば、42.195キロを折り返し無しで走って行って、

またそこから折り返し帰って来た・・・・みたいな事を平気で出来るようになった。
そんな感じ。こんな人には、今度は逆に時間を気にして、100m走にして時間を気にする

・・・・そんなモザイクをする。つまり金魚でタイムを気にして作る・・・こんな事が
上手くなる秘訣となる。こうして人によって、全く教え方は変わって来る。

それを超越すると、かぐやのように、何をしてもそこに合わせた走りを見せる。
上を目指すって言うのは、実に果てしないものなのである。

いずれにせよ、10キロ走る・・・これに慣れたら、何処を走る?にする。
目的意識とはそう言うもの。その目的意識が必ず結果を変える。

では具体的にすると、単に同じような形にタイルを切る・・・では無く、毛並みを見る。
長い所、短い所、カ-ルしていたり、右曲がり、左曲がり、目地幅・・・いくらでも

違いを変える事が出来る。まず良く見る。何処が違うか?何が違うか?良く見る。
それを意識する。それを色だけで変えようとする考え方でやって行くと・・・・

作詞は良いけど作曲はね・・・・とか、味は良いんだけど、見栄えがね・・・とか、
片手落ちな感じしないかな?しかも色だけなら、子供でも変える事が出来る。

まず色よりも形。それが出来るようになってから、色にこだわる・・・そんな順番。
考え方としては、モザイクを色からスタ-トすると、一体タイルって何色あるんだ?

色は混ぜられないのだから、大した色数では無いのね・・・絵画と違ってね。
もうそれだけで思う色がある訳が無い。

全く考え方が違っていて、まずタッチ。いかにタッチを鍛えるか。そのタッチを持って
その上乗せが色・・・と考えれば、意識は簡単に変わる。

意識を変えられれば、逆も真なりや、良い事と悪い事は背中合わせ、そしてピンチの後に
チャンスあり・・・どれも人のやる事なんてのは一緒で、意識を変えられるか?

順応性なんてものに繋がる。適応するってのかな?まっ動物ならいくらでも出来て、
首が長くなったり、飛べなくなった羽は泳ぐオ-ルになったり、環境の変化に対応する。

高みとは、そんな事なのかも知れない・・・・のね。

その後は・・・・下地ぃぃぃぃ全力投球ぅぅぅぅ。

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