今日は久しぶりの晴天。当たり前の事だが、7月に入って数分しか日差しが無い・・・そんなニュースを聞いても、雨続きでうっとうしいなぁ・・・くらいな話だったものが、野菜なんかを育てていると、葉っぱの活き活きさが天気の時とは違って、素人の俺にも判る・・・・。
何かちょっとした事だけれど、こんな事1つでも趣味だって気になるのに、農家だったら・・・?なんて思うと、大変だなぁ・・・とつくづく思う。
プロって大変だよな・・・ってね。しかも性格上、一度手を出すと、きちんと出来る範囲でやって見たくなるのね・・・・。
すると何と無くなんだけれど、調べたり聞いたりして知識なんてもんが入って来ると、もしかしたら?なんて想像したりも出来るのね。
今、アトリエにはトマトとゴーヤがあるんだけれど、どうやらトマトは芯を伸ばして脇を切るって言うのね。
でもゴーヤは芯を切って脇を伸ばすらしいのね・・・更にトマトは水を切ると甘くなるらしいのね・・・それが梅雨らしくなる前は暑かったじゃない?
あの時に、何かゴーヤが2株枯れて・・・かぐやが根に虫かもよ・・・って事で、薬を撒いたんだけれど・・・・。
そんな中、斜迎えに何年もゴーヤをやっている人が夕方に水やりしていて・・・・えっ、もう夕方も撒くの?・・・でも、人だって暑かったんだし・・・
そっか、もしかしたらトマトは水が少なくても育ってたけれど、ゴーヤーはいっぱいやらないといけないのかな?・・・・・逆なのかな?ってな具合。
勿論、金魚の稚魚も一緒で、これで3年目・・・・以前よりも良くはなっているものの、こうかな?あぁかな?の毎日・・・・これが俺の人生勉強。
野菜はこう、金魚はこう・・・じゃなくて、育てる環境は人それぞれ違うものの、基本はあって、それを目安に何とか折り合いを付ける訳で・・・。
しかも種類によっては状況も変わる訳で・・・それが、みんな俺の歳だとお母さんやお父さんとして子供を育てている訳で・・・なんて置き換えたりして考えると、しみじみかぐやに、お前ら凄いよなっ・・・・子供育ててるんだからな・・・・。ってな話。
俺は野菜や金魚にアップアップ・・・これが子供なんて・・・不安で不安で・・・あらためて凄いなっ・・・って思ったりする。
そんな中、教える・・・なんて先生なんて仕事をやっているんだから・・・と、人を育てる、腕の向上なんて言うのは、植物や金魚じゃないのだから、
・・・・って、もっともっと先生として教え方があるはず・・・・って、趣味のものよりもプロ意識を持って・・・結果を出さないと・・・と思う。
そんな中、前回久しぶりに崩れたみどり教室・・・・さて今日は?・・・・。
すると、中心部からやって来ました・・・ちゃんと考えて来ました・・・・それで・・・・剥がして良いですか?・・・って。きちんと覚悟が見えたので、俺が剥がすきっかけを作った・・・・何しろこれだけきっちり張れば、ここだけ剥がすなんて中々難しいし、周辺部が一緒に剥がれてしまうし、
上絵なんて赤みたいなタイルはペンキを塗ったようなもの・・・・こじって剥がせば色が剥がれる・・・・何しろ大変なのね・・・。
これをやりながら、剥がす行為が簡単とか難しいとかじゃなくてね、これを作った人はせっせと作ったはずなのね・・・・。
大変だったはずなのね・・・それを簡単に剥がせる神経では作り手としての姿勢が問われる・・・・しかし剥がしたい・・・やった行為が無駄になる。後退する・・・・そんな気持ちを抱えて、じゃ剥がすと今以上に出来る確信や保障があるかい?・・・・って話。
その時に気に入らないから剥がす・・・それでは上手くはならない。もうこう言う事はこりごりだ・・・二度としない・・・って覚悟をしないとね。
何度も言うが、すいませんや有難うなんて言葉は覚悟のセリフで、すいません・・・は二度としません・・・の覚悟のセリフだし、
有難う・・・は感謝します・・・って覚悟の意味。だとしたら?・・・覚悟の無い奴の使うセリフじゃない。少なくとも弟子になるのなら、その位の事は理解して貰わないとな・・・・理由は簡単で、人に上手いと言われるようになるのだから・・・・。
上手いと言われる奴は剥がすのか・・・って思わせるでしょ?・・・・違うね。どうしても・・・・そんな時だけ。しかもただ剥がすのでは無く、必ず剥がした行為やタイルが報われるように・・・・その為には根拠。何も考えずにその日の気分や感では、必ずまた同じ失敗をする。
そもそも失敗をするのなら、常にチャレンジして新しい失敗なら判るが、同じ事の繰り返しの失敗では、工夫が無さ過ぎるでしょ?
いずれにせよ、人に上手くなった・・・と言われるようになる自覚・・・・弟子になるのだから・・・教えるのはそれだけ。
だから、覚悟をしていたようだから、それなら何故こうなったか?の検証。それだけの気持ちを作って来たのなら、しっかり話を聞けるだろうからね。
まず、過去を振り返ると、不死鳥の目の頃・・・・確か相談無く剥がしてやり直して来たよね?どうして、あの時はそうして、何故今はそうしない?
正確に言えば、今の方が上手いはずなのに、上手くなって出来なかった事が上手くない時には平気で出来た・・・そう言う事だよね?
判るでしょ?つまりそれだけこの作品は自分のとは言え結果も出ていて、剥がす事にプレッシャーが掛かかって来たって事なのね。
ただ後はバック・・・とか、夏までに終わらせる・・・とか、いつしか慣れてしまったのね。そんな中、精神的に何か進まないと・・・とか、夢中になりたい時間とか、そんな気持ちがしっかりしない時に考えて進まないとならない場所って意識をせずに、後はバック・・・しかも1色・・・
あとは流れを気にするだけで切るだけ・・・なんて進み方をすればそうなるのは、見なくても判る。何故ならそれは、俺がそんな失敗をしているから。先生とは、先人として経験値があり、その経験値の切り売りなのね。言い方を変えれば、自分の失敗や成功を生かして貰うもの。
しかしながら、その失敗も成功も全て俺のもの。俺だからそうなったもので、教える人全てに当てはまるとは限らない。がしかし、弟子と言うのなら話は別。出来て当然、判って当然、全てが当たり前にならないと・・・・。上手いは普通ってならないと。
ただ上手いって言うのは単なる技術。ただその技術は全て自分次第。いちいち自分の気分でコロコロ変わられては、一緒にって出来る?
時には任せる・・・って言わせて貰わないと・・・ね。いずれにせよ、切る事に心配が無くなった、色の選択は無い、終わらせたい・・・そこに、
気分良くとか、逆に気分は悪いが追い込まれるようにやらなきゃ・・・ってな進み方をすれば、全ての環境が良くも悪くも迷い無し・・・やれば良いんでしょ・・・ってな具合になる。それが初期の時は、剥がす覚悟や責任の薄さから、やっちゃいました・・・・って自分で剥がせた。
聞きもせず。それが今度は上手くなって終わりが近づいて、上手くなったのに聞いた通りにしか出来なくなっている・・・・。
黒は無いな・・・って言いましたってね。けれど、そこに不満があっても聞きもせず、やれば良いんでしょ・・・それしか無いんだから・・・。
って進めば、こうなる・・・って事。つまり、上手くなって大胆さが消えたとも言えるよね?こらこら、何をびびっているんだかっ・・・。
良い事も悪い事も背中合わせ。きちんと大胆と繊細を気分に迷わされずに使い分けるように・・・。
そして危険はすぐに察知し、突き進まずに聞く。そこで少し立ち止まったとしても、安心すれば取り戻せる腕は持っている。そんな話をして、もう着地の姿勢は整ったし、後は最初に始めた頃を振り返りつつ、おごそかに終わらせて見て・・・ってだけ。
つまんないテクニックの切り売りよりも、残りのスペースを今の腕でチャレンジする事・・・・もう1人で出来るはずだから・・・。
そんなお教室の最中に下絵の続き・・・・
そろそろ出尽くして来たのかな・・・・。
何かちょっとした事だけれど、こんな事1つでも趣味だって気になるのに、農家だったら・・・?なんて思うと、大変だなぁ・・・とつくづく思う。
プロって大変だよな・・・ってね。しかも性格上、一度手を出すと、きちんと出来る範囲でやって見たくなるのね・・・・。
すると何と無くなんだけれど、調べたり聞いたりして知識なんてもんが入って来ると、もしかしたら?なんて想像したりも出来るのね。
今、アトリエにはトマトとゴーヤがあるんだけれど、どうやらトマトは芯を伸ばして脇を切るって言うのね。
でもゴーヤは芯を切って脇を伸ばすらしいのね・・・更にトマトは水を切ると甘くなるらしいのね・・・それが梅雨らしくなる前は暑かったじゃない?
あの時に、何かゴーヤが2株枯れて・・・かぐやが根に虫かもよ・・・って事で、薬を撒いたんだけれど・・・・。
そんな中、斜迎えに何年もゴーヤをやっている人が夕方に水やりしていて・・・・えっ、もう夕方も撒くの?・・・でも、人だって暑かったんだし・・・
そっか、もしかしたらトマトは水が少なくても育ってたけれど、ゴーヤーはいっぱいやらないといけないのかな?・・・・・逆なのかな?ってな具合。
勿論、金魚の稚魚も一緒で、これで3年目・・・・以前よりも良くはなっているものの、こうかな?あぁかな?の毎日・・・・これが俺の人生勉強。
野菜はこう、金魚はこう・・・じゃなくて、育てる環境は人それぞれ違うものの、基本はあって、それを目安に何とか折り合いを付ける訳で・・・。
しかも種類によっては状況も変わる訳で・・・それが、みんな俺の歳だとお母さんやお父さんとして子供を育てている訳で・・・なんて置き換えたりして考えると、しみじみかぐやに、お前ら凄いよなっ・・・・子供育ててるんだからな・・・・。ってな話。
俺は野菜や金魚にアップアップ・・・これが子供なんて・・・不安で不安で・・・あらためて凄いなっ・・・って思ったりする。
そんな中、教える・・・なんて先生なんて仕事をやっているんだから・・・と、人を育てる、腕の向上なんて言うのは、植物や金魚じゃないのだから、
・・・・って、もっともっと先生として教え方があるはず・・・・って、趣味のものよりもプロ意識を持って・・・結果を出さないと・・・と思う。
そんな中、前回久しぶりに崩れたみどり教室・・・・さて今日は?・・・・。
すると、中心部からやって来ました・・・ちゃんと考えて来ました・・・・それで・・・・剥がして良いですか?・・・って。きちんと覚悟が見えたので、俺が剥がすきっかけを作った・・・・何しろこれだけきっちり張れば、ここだけ剥がすなんて中々難しいし、周辺部が一緒に剥がれてしまうし、
上絵なんて赤みたいなタイルはペンキを塗ったようなもの・・・・こじって剥がせば色が剥がれる・・・・何しろ大変なのね・・・。
これをやりながら、剥がす行為が簡単とか難しいとかじゃなくてね、これを作った人はせっせと作ったはずなのね・・・・。
大変だったはずなのね・・・それを簡単に剥がせる神経では作り手としての姿勢が問われる・・・・しかし剥がしたい・・・やった行為が無駄になる。後退する・・・・そんな気持ちを抱えて、じゃ剥がすと今以上に出来る確信や保障があるかい?・・・・って話。
その時に気に入らないから剥がす・・・それでは上手くはならない。もうこう言う事はこりごりだ・・・二度としない・・・って覚悟をしないとね。
何度も言うが、すいませんや有難うなんて言葉は覚悟のセリフで、すいません・・・は二度としません・・・の覚悟のセリフだし、
有難う・・・は感謝します・・・って覚悟の意味。だとしたら?・・・覚悟の無い奴の使うセリフじゃない。少なくとも弟子になるのなら、その位の事は理解して貰わないとな・・・・理由は簡単で、人に上手いと言われるようになるのだから・・・・。
上手いと言われる奴は剥がすのか・・・って思わせるでしょ?・・・・違うね。どうしても・・・・そんな時だけ。しかもただ剥がすのでは無く、必ず剥がした行為やタイルが報われるように・・・・その為には根拠。何も考えずにその日の気分や感では、必ずまた同じ失敗をする。
そもそも失敗をするのなら、常にチャレンジして新しい失敗なら判るが、同じ事の繰り返しの失敗では、工夫が無さ過ぎるでしょ?
いずれにせよ、人に上手くなった・・・と言われるようになる自覚・・・・弟子になるのだから・・・教えるのはそれだけ。
だから、覚悟をしていたようだから、それなら何故こうなったか?の検証。それだけの気持ちを作って来たのなら、しっかり話を聞けるだろうからね。
まず、過去を振り返ると、不死鳥の目の頃・・・・確か相談無く剥がしてやり直して来たよね?どうして、あの時はそうして、何故今はそうしない?
正確に言えば、今の方が上手いはずなのに、上手くなって出来なかった事が上手くない時には平気で出来た・・・そう言う事だよね?
判るでしょ?つまりそれだけこの作品は自分のとは言え結果も出ていて、剥がす事にプレッシャーが掛かかって来たって事なのね。
ただ後はバック・・・とか、夏までに終わらせる・・・とか、いつしか慣れてしまったのね。そんな中、精神的に何か進まないと・・・とか、夢中になりたい時間とか、そんな気持ちがしっかりしない時に考えて進まないとならない場所って意識をせずに、後はバック・・・しかも1色・・・
あとは流れを気にするだけで切るだけ・・・なんて進み方をすればそうなるのは、見なくても判る。何故ならそれは、俺がそんな失敗をしているから。先生とは、先人として経験値があり、その経験値の切り売りなのね。言い方を変えれば、自分の失敗や成功を生かして貰うもの。
しかしながら、その失敗も成功も全て俺のもの。俺だからそうなったもので、教える人全てに当てはまるとは限らない。がしかし、弟子と言うのなら話は別。出来て当然、判って当然、全てが当たり前にならないと・・・・。上手いは普通ってならないと。
ただ上手いって言うのは単なる技術。ただその技術は全て自分次第。いちいち自分の気分でコロコロ変わられては、一緒にって出来る?
時には任せる・・・って言わせて貰わないと・・・ね。いずれにせよ、切る事に心配が無くなった、色の選択は無い、終わらせたい・・・そこに、
気分良くとか、逆に気分は悪いが追い込まれるようにやらなきゃ・・・ってな進み方をすれば、全ての環境が良くも悪くも迷い無し・・・やれば良いんでしょ・・・ってな具合になる。それが初期の時は、剥がす覚悟や責任の薄さから、やっちゃいました・・・・って自分で剥がせた。
聞きもせず。それが今度は上手くなって終わりが近づいて、上手くなったのに聞いた通りにしか出来なくなっている・・・・。
黒は無いな・・・って言いましたってね。けれど、そこに不満があっても聞きもせず、やれば良いんでしょ・・・それしか無いんだから・・・。
って進めば、こうなる・・・って事。つまり、上手くなって大胆さが消えたとも言えるよね?こらこら、何をびびっているんだかっ・・・。
良い事も悪い事も背中合わせ。きちんと大胆と繊細を気分に迷わされずに使い分けるように・・・。
そして危険はすぐに察知し、突き進まずに聞く。そこで少し立ち止まったとしても、安心すれば取り戻せる腕は持っている。そんな話をして、もう着地の姿勢は整ったし、後は最初に始めた頃を振り返りつつ、おごそかに終わらせて見て・・・ってだけ。
つまんないテクニックの切り売りよりも、残りのスペースを今の腕でチャレンジする事・・・・もう1人で出来るはずだから・・・。
そんなお教室の最中に下絵の続き・・・・
そろそろ出尽くして来たのかな・・・・。