今日は昨日の勘違いでは無く、本当のみどり教室。それでどう?・・・と聞くと、実は・・・と、やってあって、本人は少しと言うけれど、確かに少しかも知れないが、明らかにここ数回とは様子が違うのね。そうね、落ち着きって言うのかな?・・・・
例えば元気が良いって言うのと、調子が悪いって言うのは誰でもあるし、誰にでも判っちゃうよね?こう言う極端な話は簡単でしょ?でもね、そう言う事じゃなくて、こう言う対極にある事を左と右に分けて、そっちじゃないけどこっちでもない・・・・ってどんどんと歩み寄ったとするじゃない?
じゃどっちより?・・・って考えた時に、2つに1つの選択の場合、誰が見ても真ん中じゃないと、どっちか寄りって事になるよね?けれど、本当に真ん中ってある?・・・・しかもそれが判る?・・・・そんな話が枕としてね・・・・それじゃ本題。
そんな事を踏まえて、実は・・・の続きは、あれから考えて見ると、どうやらモヤモヤって表現と吸い込まれるって表現を調べて見たんですが、モヤモヤって調べても自分の理想は出て来なかったので、吸い込まれるで調べると・・・・何か思っているような画像があって・・・これなんですけど・・・。
って。すると、確かに吸い込まれるように見える・・・ここまで判ったのなら、ほら吸い込まれるって見える画像のここを見てみ・・・きちんとした線では無く、レロレロって曲がった線に見えるよね?・・・このきちんとした線じゃ無い事がモヤモヤって気分にさせるでしょ?
つまり思い描いていた事は吸い込まれる側で、更に細分化した中のモヤモヤに属したんだろうね・・・って事だったんでしょ?きっとね・・・。
そんな難しい事を考えていたのに、自分の考えをまとめずに単なる腕だけで進んでしまうって失態をした・・・しかも、最後の最後にって話。
更に暗黒なんて黒いだけ・・・なんて上乗せすれば、益々黒って色で誤魔化そうって事になる。いかに浅はかだったか?に気が付いたんだろうね。
もうそこに気が付けば、是正の方向に向かえる。そもそも是正なんてもんは、間違いだった・・・って判れば是正の方向に進めるが、好みだの、
見解の違いだとか、あくまで曖昧な事を言っている間は是正にはならない。そもそもそう言う気は無いのだから。しかも簡単なのは俺が頼んだ事か?って事なのね。そもそもオリジナルを作っていて、自分の理想に近づくにはこんなのは?こんな事?ってアドバイスをしている訳で・・・。
しかもその理想を口で表現した言葉から、判断して・・・・こんなかな?って話なのに、次々と変化させてしまっては、もはや違うものになってしまっても不思議じゃないでしょ?しかも、そもそもが間違っていたんでは・・・・。ただそこに気が付いた・・・・まだまだ余白はある。
しかも少し進めた・・・って言う。見なくても是正した事が判る。じゃ失敗した時はどうだったか?どうせグレーしか無いんだから張れば良いや・・・。
理想とは違うけど・・・って色は考えずただ切るだけって進めば、これだけの作品を作る人が進めれば恐ろしく進む・・・。
それが失敗だったのなら、今日は少しだけ進んだ・・・・持ち時間が大幅に変わって時間が無かったとは言わなかった。つまり、ほぼ持ち時間が一緒だとしたら?進まなかった理由は・・・・良く考えた・・・つまり張る時間よりも構想に時間を掛けたから・・・・では無いのか?
しかも、これでどうかな・・・?そうなっているのかな?・・・と迷ってはいるが、聞くにあたって、こんな風にやって見たんだけれど・・・って、大丈夫かどうか?って姿勢は、質を上げようとしているのであって、ただ進めるだけ・・・とは全く違っている。
完全に作り手が別人である。要するに気持ちであった・・・に尽きるのね。その気持ちさえ整えば、聞く姿勢があってこの腕があるのだから、話は簡単になる。じゃテクニック論に入るとして、吸い込まれるって一体何だ?どんなもんがある?って話。
そもそもそれが明確に言えない人がその物真似が出来ますか?ってシンプルな話。ここをしっかり読んでいれば、ロンに言った事が全てである。
例えば吸い込まれるなんて昔の洗濯機を上から見ると、グルグル回って吸い込まれたように見えるし、アリ地獄だったり、掃除機の先を付けずに、
スポンって何か大物を吸い込むと・・・ほら色々吸い込み方が違うよね?そもそもグルグル?とスポンどっち?ってこんな言葉からも消去法は出来る。
恐らくみどりの理想はグルグルだったと思われる。そこに更に暗黒。だから黒・・・。
じゃ黒が多くなった場合、そのグルグルは一体どんな色で表現するのかな?つまり黒以外の何色か?になるはず・・・。こんな単純な話なのに。
けれど、ただテクニックだけの話なら、次はどうすれば良いですか?次は?そして次は?・・・・
の繰り返しになる。明らかにみんなと違うのはね、弟子になりたいだから。つまり仕事としてやって見たい。趣味の域超えるのに、考えるって事を怠ってはいつまで経っても、そこから進歩が無い。いくら切る張るが上手くなっても、趣味と仕事は全く違うもの・・・。
趣味は遊び、仕事は生きる糧。全く違うもの。しかし、その趣味も楽しむって方向と、習い事、お稽古事ではまたこれも変わって来るはず。
趣味はその場が楽しめれば良い。映画みたいなもん。しかし、習い事やお稽古となると、所作みたいなもんは必要になる。
ただ俺はそんな立派な先生でも無いし、流派も無い。しかし、もしそんな方向にも行く事が出来るのなら、そう言う事を望む人にも対応出来る先生にもなれるような姿勢は準備しないとね・・・いきなりそうにはならないから・・・・。
いつかそんな認められ方があるのなら、流派だの所作なんてもんは作る時間も必要だからね・・・何しろそう言う流派だお稽古だって習った事が無いから、全ては想像なんだけれど・・・・。何しろ何々道の話・・・。道と付く剣道、柔道、華道、茶道・・・こう言うものは己を作るもの。
日々の練習、鍛錬の成果を出す事が目的であり、だからこそ、最初の挨拶は、これまでの鍛錬の成果をご覧下さいであり、勝手も負けても、上手く行っても、上手く行かなくても、発表の場を与えられ感謝します・・・のご挨拶で締める・・・それが基本だと思うのね。勿論想像ね。
それをスポーツなら勝てば官軍。ガッツポーズぅぅぅで良いと思うのね。何々道は気品・・・心を作るもの・・・恐らく古き日本の考え方だとは思うのだけれど・・・。何しろ伝統は守るものだからね・・・・ただそれは窮屈だし、己を抑える心であり、今風では無い。
でもスポーツは自己主張。もしこんな事が合っているのなら、全く持って志が変わって当然。なのに一緒のはずが無い。ここもさっきの枕から全て一緒で、一体何を目的にしているか?そして何が大事なのか?・・・・そう言う自分の目指す位置の確認をすれば、間違っているのなら是正。
しかしそこに気が付かないのなら、突き進むか迷子になる・・・・それがオリジナル。そしてそれ自体が自分自身。俺はそう思うが・・・・。
そこから今までの自分や自分でも見た事の無い自分にも会う事になる・・・・聞くまでも無いが、みどりの人生でこんな作品を作った事があるか?
まず無いだろうね・・・。間違いなく。だものそんな作品なら生みの苦しみ・・・良いんじゃないの?ってな話・・・・あははははは。
迷いに迷った線が何本も描かれてて・・・・どれなんだ?本物は?って感じ・・・・俺の昔作った龍のようなのね・・・結局、下絵が下手だから。
しかも何故下手に見えるのか?それは・・・モザイクが上手くなって、ここまで結果を出したから・・・・。
最初、不死鳥もその程度の画力で始まったはず。けれどモザイクの力がここまで付いた。では画力はどうだろうか?あの時のままだとしたら?
見劣りして当然。しかも輪郭だけでここまで来た・・・それは見た事は無いが不死鳥ってはっきりしたものだったから。
では吸い込まれるようなモヤモヤっとした・・・・それってどんなの?それを不死鳥も炎もあれだけ調べて、悩んだのにバックの最後の最後で結果を焦った。これが油断。ずっと今までやって来た事を引き継げば良いだけだったのに・・・・。
まっ、これも終わってしまえば良い勉強になる。そして完成すれば誰が観ても趣味には見えない・・・趣味の域は超えた作品になる。
さて、もう時間が解決するだろうから、俺もそろそろこの作品の額縁を考えてやらんとね・・・って話になる。
そんなこんなでお教室後は・・・・今日の話の結末は、俺とてこの程度の野暮用の作品であっても、3日目の構想・・・単なる部屋プレートなんだけれど・・・。何でもそうだが、考えるって構想が常に多い時間で、それを固めたら製作日数はそれより短い・・・それが普通。
張り始まったのなら、時間が解決。この程度はその程度で結果を出さないと・・・・ただその程度だとしても、その程度の構想はこの程度掛かった・・・って話。オリジナルとは?そう言うものなのね。
例えば元気が良いって言うのと、調子が悪いって言うのは誰でもあるし、誰にでも判っちゃうよね?こう言う極端な話は簡単でしょ?でもね、そう言う事じゃなくて、こう言う対極にある事を左と右に分けて、そっちじゃないけどこっちでもない・・・・ってどんどんと歩み寄ったとするじゃない?
じゃどっちより?・・・って考えた時に、2つに1つの選択の場合、誰が見ても真ん中じゃないと、どっちか寄りって事になるよね?けれど、本当に真ん中ってある?・・・・しかもそれが判る?・・・・そんな話が枕としてね・・・・それじゃ本題。
そんな事を踏まえて、実は・・・の続きは、あれから考えて見ると、どうやらモヤモヤって表現と吸い込まれるって表現を調べて見たんですが、モヤモヤって調べても自分の理想は出て来なかったので、吸い込まれるで調べると・・・・何か思っているような画像があって・・・これなんですけど・・・。
って。すると、確かに吸い込まれるように見える・・・ここまで判ったのなら、ほら吸い込まれるって見える画像のここを見てみ・・・きちんとした線では無く、レロレロって曲がった線に見えるよね?・・・このきちんとした線じゃ無い事がモヤモヤって気分にさせるでしょ?
つまり思い描いていた事は吸い込まれる側で、更に細分化した中のモヤモヤに属したんだろうね・・・って事だったんでしょ?きっとね・・・。
そんな難しい事を考えていたのに、自分の考えをまとめずに単なる腕だけで進んでしまうって失態をした・・・しかも、最後の最後にって話。
更に暗黒なんて黒いだけ・・・なんて上乗せすれば、益々黒って色で誤魔化そうって事になる。いかに浅はかだったか?に気が付いたんだろうね。
もうそこに気が付けば、是正の方向に向かえる。そもそも是正なんてもんは、間違いだった・・・って判れば是正の方向に進めるが、好みだの、
見解の違いだとか、あくまで曖昧な事を言っている間は是正にはならない。そもそもそう言う気は無いのだから。しかも簡単なのは俺が頼んだ事か?って事なのね。そもそもオリジナルを作っていて、自分の理想に近づくにはこんなのは?こんな事?ってアドバイスをしている訳で・・・。
しかもその理想を口で表現した言葉から、判断して・・・・こんなかな?って話なのに、次々と変化させてしまっては、もはや違うものになってしまっても不思議じゃないでしょ?しかも、そもそもが間違っていたんでは・・・・。ただそこに気が付いた・・・・まだまだ余白はある。
しかも少し進めた・・・って言う。見なくても是正した事が判る。じゃ失敗した時はどうだったか?どうせグレーしか無いんだから張れば良いや・・・。
理想とは違うけど・・・って色は考えずただ切るだけって進めば、これだけの作品を作る人が進めれば恐ろしく進む・・・。
それが失敗だったのなら、今日は少しだけ進んだ・・・・持ち時間が大幅に変わって時間が無かったとは言わなかった。つまり、ほぼ持ち時間が一緒だとしたら?進まなかった理由は・・・・良く考えた・・・つまり張る時間よりも構想に時間を掛けたから・・・・では無いのか?
しかも、これでどうかな・・・?そうなっているのかな?・・・と迷ってはいるが、聞くにあたって、こんな風にやって見たんだけれど・・・って、大丈夫かどうか?って姿勢は、質を上げようとしているのであって、ただ進めるだけ・・・とは全く違っている。
完全に作り手が別人である。要するに気持ちであった・・・に尽きるのね。その気持ちさえ整えば、聞く姿勢があってこの腕があるのだから、話は簡単になる。じゃテクニック論に入るとして、吸い込まれるって一体何だ?どんなもんがある?って話。
そもそもそれが明確に言えない人がその物真似が出来ますか?ってシンプルな話。ここをしっかり読んでいれば、ロンに言った事が全てである。
例えば吸い込まれるなんて昔の洗濯機を上から見ると、グルグル回って吸い込まれたように見えるし、アリ地獄だったり、掃除機の先を付けずに、
スポンって何か大物を吸い込むと・・・ほら色々吸い込み方が違うよね?そもそもグルグル?とスポンどっち?ってこんな言葉からも消去法は出来る。
恐らくみどりの理想はグルグルだったと思われる。そこに更に暗黒。だから黒・・・。
じゃ黒が多くなった場合、そのグルグルは一体どんな色で表現するのかな?つまり黒以外の何色か?になるはず・・・。こんな単純な話なのに。
けれど、ただテクニックだけの話なら、次はどうすれば良いですか?次は?そして次は?・・・・
の繰り返しになる。明らかにみんなと違うのはね、弟子になりたいだから。つまり仕事としてやって見たい。趣味の域超えるのに、考えるって事を怠ってはいつまで経っても、そこから進歩が無い。いくら切る張るが上手くなっても、趣味と仕事は全く違うもの・・・。
趣味は遊び、仕事は生きる糧。全く違うもの。しかし、その趣味も楽しむって方向と、習い事、お稽古事ではまたこれも変わって来るはず。
趣味はその場が楽しめれば良い。映画みたいなもん。しかし、習い事やお稽古となると、所作みたいなもんは必要になる。
ただ俺はそんな立派な先生でも無いし、流派も無い。しかし、もしそんな方向にも行く事が出来るのなら、そう言う事を望む人にも対応出来る先生にもなれるような姿勢は準備しないとね・・・いきなりそうにはならないから・・・・。
いつかそんな認められ方があるのなら、流派だの所作なんてもんは作る時間も必要だからね・・・何しろそう言う流派だお稽古だって習った事が無いから、全ては想像なんだけれど・・・・。何しろ何々道の話・・・。道と付く剣道、柔道、華道、茶道・・・こう言うものは己を作るもの。
日々の練習、鍛錬の成果を出す事が目的であり、だからこそ、最初の挨拶は、これまでの鍛錬の成果をご覧下さいであり、勝手も負けても、上手く行っても、上手く行かなくても、発表の場を与えられ感謝します・・・のご挨拶で締める・・・それが基本だと思うのね。勿論想像ね。
それをスポーツなら勝てば官軍。ガッツポーズぅぅぅで良いと思うのね。何々道は気品・・・心を作るもの・・・恐らく古き日本の考え方だとは思うのだけれど・・・。何しろ伝統は守るものだからね・・・・ただそれは窮屈だし、己を抑える心であり、今風では無い。
でもスポーツは自己主張。もしこんな事が合っているのなら、全く持って志が変わって当然。なのに一緒のはずが無い。ここもさっきの枕から全て一緒で、一体何を目的にしているか?そして何が大事なのか?・・・・そう言う自分の目指す位置の確認をすれば、間違っているのなら是正。
しかしそこに気が付かないのなら、突き進むか迷子になる・・・・それがオリジナル。そしてそれ自体が自分自身。俺はそう思うが・・・・。
そこから今までの自分や自分でも見た事の無い自分にも会う事になる・・・・聞くまでも無いが、みどりの人生でこんな作品を作った事があるか?
まず無いだろうね・・・。間違いなく。だものそんな作品なら生みの苦しみ・・・良いんじゃないの?ってな話・・・・あははははは。
迷いに迷った線が何本も描かれてて・・・・どれなんだ?本物は?って感じ・・・・俺の昔作った龍のようなのね・・・結局、下絵が下手だから。
しかも何故下手に見えるのか?それは・・・モザイクが上手くなって、ここまで結果を出したから・・・・。
最初、不死鳥もその程度の画力で始まったはず。けれどモザイクの力がここまで付いた。では画力はどうだろうか?あの時のままだとしたら?
見劣りして当然。しかも輪郭だけでここまで来た・・・それは見た事は無いが不死鳥ってはっきりしたものだったから。
では吸い込まれるようなモヤモヤっとした・・・・それってどんなの?それを不死鳥も炎もあれだけ調べて、悩んだのにバックの最後の最後で結果を焦った。これが油断。ずっと今までやって来た事を引き継げば良いだけだったのに・・・・。
まっ、これも終わってしまえば良い勉強になる。そして完成すれば誰が観ても趣味には見えない・・・趣味の域は超えた作品になる。
さて、もう時間が解決するだろうから、俺もそろそろこの作品の額縁を考えてやらんとね・・・って話になる。
そんなこんなでお教室後は・・・・今日の話の結末は、俺とてこの程度の野暮用の作品であっても、3日目の構想・・・単なる部屋プレートなんだけれど・・・。何でもそうだが、考えるって構想が常に多い時間で、それを固めたら製作日数はそれより短い・・・それが普通。
張り始まったのなら、時間が解決。この程度はその程度で結果を出さないと・・・・ただその程度だとしても、その程度の構想はこの程度掛かった・・・って話。オリジナルとは?そう言うものなのね。