katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

世田谷key俱楽部の担当者さん教室

2015-07-25 06:34:35 | モザイク教室
今日は昔から出張教室を頼まれている世田谷key俱楽部さんの担当者さんのアトリエ2度目のお教室。すでに自宅で葉っぱのパーツが切ってあって・・・・
確かに段々と大きさが変っていて上手く切れてはいたのね。ただそこまで切れた人へのアドバイスってものがある。

それが繊細さへの一歩・・・それが意識改革。その一歩がいつもの体験とは違って、アトリエでは1回で終わらない作り方って事で、下絵に時間を掛けてしっかりした下絵で始める・・・ここだった。いつもは数時間の中で、何と無くこんな感じ・・・ってササッと下絵を数分で描き切り始める。

時間で考えると、タイルが切りたい・・・これがメインなんで、20分で下絵を描いて3時間モザイク・・・・みたいなバランスでやっていたとする。
確かに最初はこれで良いのね。何せいくら上手く描いても初めてタイルを切るのだから、きちんとその通りに切れる保障は何処にも無い。

ただ何度もそのスタイルを経験してしまうと、切る事に慣れる。そうすると何が時間内に出来るか?って想像したりも出来たりすると、無理やり終わらせたりも出来るようになったり、逆にこんな感じ?って・・・時間を操作出来るような下絵まで描けてしまうのね。

もうこうなったら下地の大きさと持ち時間だけの話。ただ逆にそこまで止まり質で良ければ楽しめる。しかし、アトリエに来て個人レッスンとなり、更に1回で終わらなくて良くなると、繊細さ・・・って話が美しさへのこだわりの話に繋がって行く。

以前の1回きりで終わるものなら十分だったパーツでも、美しさの追求となると問題はある。それは葉っぱ1つでも確かに段々と大きさを変えて行く事については美しいが、そもそもの葉っぱの形に問題がある。この葉っぱは焼き芋みたいに真っ直ぐな形に見えたりする。

それが本来下地に描かれていた絵は、例えば右先端が上を向いたら、左先端は下を向く・・・つまり緩いS字になっていたのね。しかしながらこの葉っぱは先端が水平。もっと正確に言えば微妙に同じ向きだったりするから、右に張るのか?左に張るのか?判らなくなっていたのね・・・。

しかも丁寧に1枚1枚番号があったのに・・・あれこっち向きだったかな?・・・・って感じでね。つまり何が良いたいか?って言うのは、下絵に時間を掛けていつもよりもしっかりした下絵になったのに、下絵通りに切ればもっと素敵になるのに、いつもの下絵の時の意識のまま、何と無く大きさだけを気にした・・・。

そんな意識でやっていたって事。それでは何も変わらない。下絵は意識していつもより素敵になっているのにね。ここに何が起こっているか?
例えば野球ならフライを取ったらアウト。これは1つのプレーが上手く行けば良い。でもこれがゴロなら、ただ取るだけでは無く1塁に投げる。

取って、投げて、そして一塁の人が取って3つのプレーでアウトとなる。これが点と線でのモザイクの違いみたいな話でね、点って言うのは1粒のパーツの完結で、線って言うのは何粒もの集合体で1つのパーツを構成するような例えになるとしてね・・・・難しさの違いは理解出来ると思うのね。

つまり点は1粒が上手く行けば、その時その時だけで良い。けれど線は、1つ目も2つ目も同じように出来ないと、1つ駄目だと全てが駄目に見える。

それを今度は更にただ取れば良い・・・って点の考え方を試合なら、取って一体最善は何処に投げれば、次のプレーに繋がる・・・って考え方がある。
そう言う次のステップとなると、意識は単なる大きさでは無く角度や向き・・・そんな繊細な部分になると思うのね。

ただこれとて別にぃぃ、何がぁ?って言う人に強制するつもりは無い。少なくとも下絵を丁寧にして大きさは合っていて、しかも時間を掛けるだけでも、いつもよりもグレードアップはしているからね。でもね、それが出来るのならこれは?って指導は、やれる権利が発生しているのだから、

教えない訳には行かないし、やるやらないは本人の問題で、意識していない人に意識させるって言うのは、ある意味強制で、そんな事強制した所で、本人の意識無く何も変わらない。あっ、そっちが良い・・・って本気で違いが理解出来ないとね。

つまりこれは嫌・・・って消去法の人でも、これが良いって選ぶ人でも、本人が決めないと、その行為はまた時間が掛かる事になるのだから・・・。
そんな説明をして、ほぼ切ったままで平気って事になり、それを張る事になったんだけれど、ただ張るだけって意識ではまた一緒。

いつもとは違うのね・・・下絵が。つまりその下絵通りに張ればとても綺麗になるのに、ずれている・・・けれど本人に意識が無い。
要するに今まで大体下絵・・・って言うスタイルに慣れちゃったから、今回の下絵はいつもと違って上手く描いているんです・・・って意識が薄い。

だから、今回初めて切るって人が下絵にプレッシャーを掛けられている・・・って話。いつもとは違うのね。でもその意識が無い。
でもね、それもそれでも良いのね。何故ならいつもよりしっかりした下絵よりも少しずれている・・・って話で、いつもよりも必ず良くなるから。

そんな事を説明した後に、茎に入るのだけれど、ここでさっきの線の話が生かされるはずなんだけれど・・・・細く切る事が難しいと考えたんだろうね・・・三角とか何でも形は良いですか?って言うので、仮に良いとして、三角を入れるとその相方にまた三角入れたくなりますよね・・・?

って言うと、意味が判ったようで、返って難しくなるって思ったようで、大事なのは手間を惜しむ事では無くて、美しいか?美しくないか?です。
って話をして、・・・じゃ四角で・・・と始めるも、決まったら張ってね・・・と言ったが、全てを切り終わるまで張らなかったのね・・・。

気持ちは判るが、それでは間違いなく上手くは行かないものなのね・・・何故なら最初から合わせる気が薄いから。いくら切っても何と無く合わせているだけで、張ったら合わせる、それにまた合わせて切って、張る・・・って言うから、張ってしまった・・・って意識して合わせる緊張感と、

何と無く切って、切り置きして次にでは・・・完全に意識が薄い。しかもこれが何色も使うって言うのなら、色味を見たいって言う理由にもなるが、
1色だから何も考えずに色が決まれば合わせて切るだけなんだけれど・・・・。

しかも更にここにまた落とし穴がある。それもまた意識の問題で、楽々切った様子を見るだけのパーツであるのに、意識が薄く切ったパーツを張ろうとする・・・つまり1枚目のおしりと2枚目の頭が不揃いのまま平気で張っては、ガタガタに見えるに決まっている。

もしそのままで終えたのなら、今までの仕上がりを説明すると、白い花の1枚切りはえぐりは上手いし良く大きなパーツをこなしてある。
これは点での得点、葉っぱも段々と大きさを変えてお見事だから、これも点での高得点。それなのに線での茎・・・・でしょ?

そもそも点の質がいつもよりも増して時間を掛けて上手くできているから、線のプレーがより見劣りするって事になるのね。それではこれから何個も出て来るのだから、大きく質を落としかねない・・・その1つ目なのね・・・・。しっかり意識しないと・・・。

すると何とかこうして切り抜けると、茎の色が・・・・って色の話になって、良く出て来る話の色合わせはしない事・・・って説明をしたのね。
そもそも絵画なら自分の好きな色を作れば良い。けれどモザイクは全て色は人任せ。混ぜる事も出来ないし・・・ね。

ならば今後何を作っても、この色はある・・・でもこれは無いからこれで良いや・・・って作らないとならなくなる。それでは全く思い描くものは出来ない。一生ね・・・・。モザイクにはモザイクのスタイルがある。絵画とは違うのね。この意識を持てるか?持てないか?で全てが決まるのね。

そっくりな色があるからこのままで、無いからこれで良いや・・・・良く考えて見て。それじゃえぐって考えようかね・・・・。
自宅の持ち物でお洒落をしようとした時にね、これとこれとこれって合わせるとするでしょ?自分の好きなものだけ合わせてお見事になる?

じゃ仮に冠婚葬祭とする。何も考えず礼服と黒い靴・・・みんな一緒だわ。けれどね、ほんの少しだけ変えられるとしたら、バックだメガネだ、パールを何処にどれだけ使うとか、そんな事になるだろうけれど、似合わない人は中々いないと思うのね。

つまりシンプルでも似合うけれど、自分の好みかどうか?は別。けれど、人から見た印象は消して悪く無い場合がある。では前者の自分の好みで揃えたら完璧なのだろうか?・・・って事になると、単なる思い込みかも知れない・・・・って話。

そんな話を踏まえて、毎度毎度だけれど、トータルに考えるって言うのは、今までやって来た事に合うか?合わないか?が問われるもので、その都度、茎は何色にしようかな?・・・・葉っぱは・・・?では無いのね。しかも使えば使うほど色は無くなって行き、かぶりまくる。

かぶれば、折角丁寧に切ったパーツが判らなくなる・・・・そもそもぺきぺきは色数が少ないのだから・・・。色数が少ないのだから、色では無く形なんだ・・・って意識を持つ方が、色だけに頼ると限界がある・・・そんな話。

全て思い込みで許容範囲を狭くすると、消去法はつまらない。底辺が広いから消去法は面白いのであって・・・・。まっ簡単な話で、作りたいものを作るんじゃなくて、コンセプトにあった作品を作るのね・・・・だから切る事が上手くなって、色だけに頼っていたらすぐに壁にぶつかるだろうね。

これしか無いか・・・ってね。オリジナルって言うのは想像力・・・・このトレイがどんな国のどんなお店でどんな人が見ているような・・・そんな作品って・・・・こんな感じ?みたいな作り方が出来れば楽しいだろうが、自分の家のここに・・・似合うものって作り方だと、何個もは置けなくなる

何でも意識ってものは、とても重要なものなのね・・・・何せそれが自分自身なのだから。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする