katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

棟梁教室

2018-02-01 00:21:37 | モザイク教室
今日は先日の大雪で中止になった棟梁教室。行き詰った感があるらしく、しばらく大作から離れるらしく・・・それも良いんじゃないのって話。そもそもがここまで順調過ぎる進み方だったのね。確かに下絵から始まるまで2年も掛かった経緯はあるものの、張り始まってからは、バックの花に至るまで、

そんなに困った事も無く順調だったと思うのね。だから、逆に言えばようやく大作の重みやらプレッシャーが掛かったって事で、ある意味良い意味でのハードルなんじゃないのかな?単純な話で、簡単に終わる作品は、気持ちに左右する前に終わる。つまり体験教室のように3時間で完成する場合、その時間は

何も無い事を前提に来ているのだから、誰にも邪魔されないし、その時間に災害や事故が起こらない限り、心に変化は起きない。けれど、大作の場合、何か月、何年と時間が掛かる。その時、始めた時の環境、状況、気分・・・をそのままでいられるか?って話。余程安定感が無いと、同じではいられない。

しかも、安定した腕を習得した場合、今と1年後で切り方、張り方がそう変わるとは思えない。つまり腕の問題じゃなくて、心の問題なのね。心技体とはそんなもの。だから、誰にでも出来そうだけれど、誰にでも出来ないから、最後までたどり着いた場合、結果が凄いのは当然な話。

そんな作品を作っているのだから、この程度の軽い挫折は普通なのね。逆にそう言う気分であっても、こうして他の作品を作っている事自体、凄い事なのね。言い方を変えれば、これだけの作品が箸休めなのだから・・・。しかし、とは言え、これを始めた時と、今とでは時間が経ち過ぎてしまったのね。

そうなると、手持ちのタイルを検証して、あの時の私を探しに出掛けないとならない。一体、自分はどうしようとしていたのか?そしてそのタイルから、それを検証して、今の実力の眼で見た時に同じであれば、その通りに進めば良いし、もし違うのなら、根拠の元進めば良いのね。

その時にその検証のお付き合いするのが、先生としての俺の役目・・・そして一緒にあの時の自分に会いに行く・・・それさえしっかりすれば、腕は確かであるから、あれだけの大作に向き合っている。それからすれば、それ程、悩み事が増える作品では無い。つまりそこさえしっかりすれば問題無し。

そもそもここまで進めたのは、そう言う構想の元だったのだから。まっ、そんな中での指導って言うのなら、もう葉っぱが終わるまで放置で良いのね。教える事は全て教えたから。まっ、それもこれも心乱さず・・・ただそれだけ。

そんなお教室の後、しばらくするとキウイがやって来て、かぐやと繋がっていて3人でちょこっと話をしたのね。勿論、仕事の事もあるけれど、一番引っ掛かった話は、東京のオリンピックの話・・・それが、2人共に折角なんだから見て見たいって言うのね。えっ?2人共・・・。

正直、俺にはそんな選択は無い。そもそもが何処でやろうが、地上波ならどれもが見られる。しかし生で見られる可能性が高い。ただ、かぐやの情報では人気の競技は値段が高いらしい・・・高いってどの位?・・・要するにここね。オリンピックが生で見たい・・・と言うのなら、人気の少ない競技なら、

安く見られる。けれど、見たい・・・って意気込みの人は、人気がある競技を出来れば良い位置で見たいのね。しかも、それには多少のチケット代も覚悟だったりする・・・つまりね、これをそのまま変換すれば、ただ体験をして見たいだけなら、格安のイベントのワークショップって事になる。

それが目的意識が高ければ高い程、それに見合う場所やら、先生を選びたいんじゃないのかな?・・・それが病気なら、命が掛かっているから、相当なハードルをも乗り越えようとするだろうね・・・これが、人の心理。どれだけ本気なのか?そして、自分の中でどんな順位なのか?ただそれだけ。

俺には単なるお茶吞み話が、そう聞こえたって話。そんなこんなで、更にその後、いよいよ具体的にモンゴルの下絵に取り掛かったのだけれど、そんな中、かぐやに再放送の救命病棟24時を見る事を進められたのね・・・あいつはまた、そこから何かを学べとでも言うのかな?・・・。

そんな1話は見たので、簡単なあらすじだが、阪神大震災の後に東京が震災に合うって話を描いたもので、その後に東北の震災が起きた・・・って、言うような時期にやっていたらしいのね。何しろそんなテーマ・・・普通ならナーバスな話題なんで、何もそれを題材にしなくても・・・。

と普通は思ったりするだろうね。今なら炎上必死って覚悟を持たないと、本気で描いたとしてもクレーム処理の方が多いんじゃないかな?ってしり込みしてしまうかもね。そんな中のご英断。人気のあったドラマではあるから、見る人に投げ掛けた問題だったんだろうね。

ただ俺は見逃していたんだけれどね。それをかぐやに指摘され是非と言うので、俺に何かを吸収させよう・・・って言う何か?があるんだろうなと見たのね。そうね・・・感想としては、日々の変わりの無い生活なら、どんな選択をしてもたかが知れている。しかし震災なんて大きな問題の場合、

選択の間違いは命取りになる。しかも、責任者って言うのはその責任は重い。何をどう判断するか?で何もかもが変わって来る。人間が問われる場面なんだろうね・・・このドラマはかぐやに上に立つ者は・・・と、教わる指導書のようなものであって、それに伴う心を強く持たないと・・・。って、

言われているようなもので、それと一緒に歩く者も同じ気持ちで取り組まないと、心が乱れるとダースベーダーになる・・・そんな気持ちにさせられる。しかし、何をどう選択しようと、誰も責められないし、止められない。しかし、果たして何も無かったように振舞えるのか?と問われると・・・

正直、そこまで大人では無いが、助からないものに時間を掛ける事が正しいのか?助けられるものが優先なのか?は、瞬時に見極められる技量が問われる。それは慶應の子供達にも習った事・・・出来ない問題にいつまでも構っているのでは無く、出来る問題を瞬時に判断して解く。

そうしないと、助かる問題も助けられない。時に残酷で無いと、救命は普通の医療では解決出来ない。ここから学ぶものは、日常と非日常な出来事をいつもと同じ対応では対処出来ない・・・と言う事。ただねぇ・・・こんな時間に考えるんじゃ、休めないね・・・。だから、ちょっと休んで・・・


月食ね・・・同じ月を見た人がいるんだろうな・・・ならば、いつか同じ所に行く人もいるんだろうな・・・。まだ見ぬ場所へ。

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