今日もモンゴルの額装の続き。1日ずっと写し続けても全部終わる事は無く、それどころか手違いもあって、夜、追加分の木を買いにunidyへ・・・。何しろ大きいので一筋縄では行かないのね。とは言え、まだ気持ちが削れるようなミスが無いのは助かるが・・・・・。

何とか後4枚って所まで来てはいるんだけれど、この模様が繋がった上に、馬を乗せる感じになる予定なんで、まだまだ下地と下絵は続くのね。絵で描いても実際の大きさにして見ると、大きく見えたり、小さく見えたり・・・って微妙に違って見えたりするのね。
だから模様と馬を別々にしたのね。そんな中、大家さん親子が来て・・・何してるの?大掛かりな感じじゃん?って。そんな訳で軽く説明して・・・何かこれで終わりなのか?と思ったら、これにタイル張るの?・・・それじゃ大変じゃん・・・って。毎晩遅くまでやっているからさ・・・。って。
ただね、ある意味ちょっと違うのは、俺はタイルな人だから、モザイクをする事の方が得意な訳で。この設計やら下絵の方が大変なのね。そもそもが、普通は設計と施工って別物だし、普通は同じ人じゃないのね。ここが本来有り得なかったりするんだけれど・・・。
そうね、例えば昭和の初期の歌の世界なら、作詞、作曲、演奏、歌手・・・のように全て別人。それが、シンガーソングライターって人が出て来るのに何年掛かったか?みたいな話で、それが確立すればいくらでも出て来るから、それが普通になる。普通になればなるほど特化しないと見付らない。
こんな仕組みだったりする。つまり、今までのモザイクって言うのは、学校だったり、駅だったり、一般家庭じゃない場所で行われていて、それを発注すると、建築会社から商社に行き、そこからモザイク会社に・・・って流れがあり、当然設計士のデザインの遂行ってのが常識。
当然、これだけの人を経過すれば値段も莫大な事になるので、一般家庭に・・・なんて事が起こるはずも無かった。所が製造販売する靴屋さんなんてものが出来たり、道の駅で売る食材なんて事の選択肢が増えると、JA共済ばかりに頼らない事例も出て来る。
そこに宣伝広告費なんて事になると、もっとハードルが上がるのだけれど、ネットの充実やら、そう言う人達を集めたイベントがあれこれ出来ると、発表の場が認知度を上げたりする訳で。本来なら、知って貰うにはカルチャー教室の先生なんかで、肩書きを付けたりなんて方法しか無かったのだけれど。
何でもそうだけれど、この方法だけ・・・って昔ながらのやり方のみでは、老舗であっても厳しいはずだし、チャレンジする側は決まりも規則も無いから、やったもん勝ち・・・だから歌の世界も育てるから見つけるに変わったりする。勿論スターを作り出す番組も以前からあったけれど、
それは公のテレビ番組だから、そうでは無くてストリートで見つかるって感じ・・・・ただそれもネットに変わっただけに思えるが、予選も無く、撮ったものをアップすれば誰にでも権利が発生するから、その中で見つかるって言うのは、腕の良し悪し以外の実力も必要になる。
それはどんなに良いものであっても、どんなに上手くても宣伝して知って貰わないと、テレビだのメディアに頼るだけのやり方では限界がある。昔はテレビが1番だったから、みんながそれを信じたけれど、今はネットの威力も相当なもので、当然ずっと同じままではいられないのね。
何の世界も保守と革新みたいな関係で、チャンピオンとチャレンジャーのように、守らなきゃならないものがあるのと、無くすものは何も無しでは戦い方は違うし、チャレンジャーは無くすものが無い・・・なんて安易なだけじゃなく、そこにも大義はあったりする訳で。
ただ、当然革新側で一度は勝ったとしても、今度はその革新を保守したくなるのだから、その時にあの時の保守と戦っていた自分達のような敵と戦う訳で・・・切磋琢磨とは永遠に続く訳で。上へ行くって志を持つと、何処まで行っても楽な事は無いのね。
そう思えば、大変だな・・・と思う事は、それだけ試されている訳で、それを超えると、その結果が事実となり、それを認めて貰えるか?どうか?であり、その為の今・・・そう考えれば、革新側の辛さなら、保守になったら味わえないのだから、今の時間を大切に楽しめる程の余裕は無いが、
なるべく記憶に留められる様な、そんな時間でありたい・・・・そう思ったりする。

何とか後4枚って所まで来てはいるんだけれど、この模様が繋がった上に、馬を乗せる感じになる予定なんで、まだまだ下地と下絵は続くのね。絵で描いても実際の大きさにして見ると、大きく見えたり、小さく見えたり・・・って微妙に違って見えたりするのね。
だから模様と馬を別々にしたのね。そんな中、大家さん親子が来て・・・何してるの?大掛かりな感じじゃん?って。そんな訳で軽く説明して・・・何かこれで終わりなのか?と思ったら、これにタイル張るの?・・・それじゃ大変じゃん・・・って。毎晩遅くまでやっているからさ・・・。って。
ただね、ある意味ちょっと違うのは、俺はタイルな人だから、モザイクをする事の方が得意な訳で。この設計やら下絵の方が大変なのね。そもそもが、普通は設計と施工って別物だし、普通は同じ人じゃないのね。ここが本来有り得なかったりするんだけれど・・・。
そうね、例えば昭和の初期の歌の世界なら、作詞、作曲、演奏、歌手・・・のように全て別人。それが、シンガーソングライターって人が出て来るのに何年掛かったか?みたいな話で、それが確立すればいくらでも出て来るから、それが普通になる。普通になればなるほど特化しないと見付らない。
こんな仕組みだったりする。つまり、今までのモザイクって言うのは、学校だったり、駅だったり、一般家庭じゃない場所で行われていて、それを発注すると、建築会社から商社に行き、そこからモザイク会社に・・・って流れがあり、当然設計士のデザインの遂行ってのが常識。
当然、これだけの人を経過すれば値段も莫大な事になるので、一般家庭に・・・なんて事が起こるはずも無かった。所が製造販売する靴屋さんなんてものが出来たり、道の駅で売る食材なんて事の選択肢が増えると、JA共済ばかりに頼らない事例も出て来る。
そこに宣伝広告費なんて事になると、もっとハードルが上がるのだけれど、ネットの充実やら、そう言う人達を集めたイベントがあれこれ出来ると、発表の場が認知度を上げたりする訳で。本来なら、知って貰うにはカルチャー教室の先生なんかで、肩書きを付けたりなんて方法しか無かったのだけれど。
何でもそうだけれど、この方法だけ・・・って昔ながらのやり方のみでは、老舗であっても厳しいはずだし、チャレンジする側は決まりも規則も無いから、やったもん勝ち・・・だから歌の世界も育てるから見つけるに変わったりする。勿論スターを作り出す番組も以前からあったけれど、
それは公のテレビ番組だから、そうでは無くてストリートで見つかるって感じ・・・・ただそれもネットに変わっただけに思えるが、予選も無く、撮ったものをアップすれば誰にでも権利が発生するから、その中で見つかるって言うのは、腕の良し悪し以外の実力も必要になる。
それはどんなに良いものであっても、どんなに上手くても宣伝して知って貰わないと、テレビだのメディアに頼るだけのやり方では限界がある。昔はテレビが1番だったから、みんながそれを信じたけれど、今はネットの威力も相当なもので、当然ずっと同じままではいられないのね。
何の世界も保守と革新みたいな関係で、チャンピオンとチャレンジャーのように、守らなきゃならないものがあるのと、無くすものは何も無しでは戦い方は違うし、チャレンジャーは無くすものが無い・・・なんて安易なだけじゃなく、そこにも大義はあったりする訳で。
ただ、当然革新側で一度は勝ったとしても、今度はその革新を保守したくなるのだから、その時にあの時の保守と戦っていた自分達のような敵と戦う訳で・・・切磋琢磨とは永遠に続く訳で。上へ行くって志を持つと、何処まで行っても楽な事は無いのね。
そう思えば、大変だな・・・と思う事は、それだけ試されている訳で、それを超えると、その結果が事実となり、それを認めて貰えるか?どうか?であり、その為の今・・・そう考えれば、革新側の辛さなら、保守になったら味わえないのだから、今の時間を大切に楽しめる程の余裕は無いが、
なるべく記憶に留められる様な、そんな時間でありたい・・・・そう思ったりする。