katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイ教室

2018-05-09 07:58:19 | モザイク教室
今日はキウイ教室。ただもはやキウイとなると教室と言うよりも相談相手だったりもすると、ブログもしっかり読んでくれていて、色んな事を昔から手伝って貰っているから、手厳しい意見があったりもするのね。そんな中、先日のニクオンの下地の件でも、あんなに悩んでいたりして、弱気になると、自信

が無さ過ぎる感じが伝わり過ぎて、見ている人が不安になる・・・かと思うと、上から目線だったり・・・と急展開だったり・・・みたいな感想を言われたんだけれど、それはそもそも作家と先生と言う2つは相交わる事の無い生き物だって事だと思うのね。それは昔から言っている事なんだけれど・・・。

まず先生って言うのは、教えた人が上手くなる事であったり、その人の評価が高かったりする事が先生の評価になったりするもので、自分だけで何とかなるものでは無かったりする。それが判りやすいのは、労作展のように発表の場で賞を取った子がいたりすると、教えた先生としての喜びもあるし、本人も

ご家族も喜んでくれて、関わった人が報われた感じがして、本当に良かった・・・と思ったりする。更に言えば、それを見ていた生徒さんに、凄いですね・・・なんて言われると、ここで習っている腕を持ってしての評価だったりするから、一般の人の眼では無い、モザイクの眼での技術の評価を頂いた、

そんな気持ちにもなり、本人にも伝えられたリすると、それが先生としての自信にも繋がったりする。この関係の場合、必要とする人と必要とされる人として、はっきりした形になっているので、その関係が上手く行った場合、結果が後から付いて来た・・・もっとも判りやすい形だったりする。

しかも、その結果が実績となったりもするから、それが評価に繋がりもする。ではもっと・・・となると、それは学生の話で・・・学校ってくくりの中での評価だったりするものが、かぐやのように一般の中から・・・ってもっと大きなくくりで最優秀賞受賞となれば、当然その大きさの評価となり、それも

また実績となったりもする。つまり生徒さんの実力が先生の実力・・・そう言った関係性になる。つまり俺が、俺が・・・と前に出るものでは無いと思うのね。これが作家の場合、自分自身の自己アピールとなる訳だから、1人の選手扱いとなる。つまり生徒だろうが弟子だろうが戦う相手である。

そして上手くて当然。明らかにスイッチが違うのね。ここまでは意気込みの話で、そう言う気持ちありき・・・って事なんだけれど、作家として作品を売るって事になった時、ここからが本題なのね。要するに洋服で言うオーダーと吊るしって既製品の話になるのね。

その違いは、オーダーって言うのは、1点モノ。ただそう言うと、その作品が2個以上無いって事でしょ?と勘違いする人がいるのね。数の話じゃないのね。それは貴方だけの為に作ったモノ・・・そして依頼を受けた時点で、何もしていない時も、意識する事無く、頭の片隅で思い続けていて、

何かきっかけになる事があると、あっ・・・これ良いかも・・・なんてアイデアに結び付けたりして、いずれにせよ、その人を思い続ける事で出来る作品の事だったりするから、他の相手では成立しない・・・それが1点モノ、オーダー品だと思うのね。

それが吊るし、既製品の場合、こっちサイドの提案。さっきのはお客さん側の要望が反映される。全く意味が違うし、もはや誰がどんな人が必要とするのか?って無限大になる・・・要するに提案するには、例えば自分が欲しいものだったりするような・・・そんなものもあったりして。

いずれにせよ、ただ作家と先生の違いだったり、先生でも昨日の続きで個人レッスンと相席だったり、作家でも1点モノと既製品の違いだったり、そんなに単純では無かったりして、その都度変わって見えるのは、今日は一体どの部分なんだろうか?・・・ってだけで、一切何も変わらないのね。

つまり簡単に言えば、katsuが必要です・・・って場合、他との競合は無いから、簡単に話は進む。これは作家でも先生でも同じだから、無駄に考える必要は無いから、その人だけを見れば良い。それが、自分の思っている作品を欲しい、作りたい・・・って自分発信の人の場合、その人の思い描く事

を丁寧に話して貰わないと、共有出来ないから、手掛かりの無いモンタージュ描きみたいなもんで、何回描いても当たらないし、面倒だわっとか、後はお任せするわ・・・って、曖昧な場合、結局、お母さんの料理みたいな話で、何食べたい?って聞いた時に、何でも良いよと返って来るから、

じゃあるもので・・・と焼きそばにしたら、焼きそばだったら、ラーメンが良かったな・・・って、てめえ、殺すぞっ・・・ってあれね。あれ。そもそもが、頼んで置きながら、文句だけは言い、感謝など何処にも無い。これが家族だから殺人は起こらないが、他人だったらねぇ・・・あはははは。

つまり、実は何でも良い・・・なんて言葉が一番嘘臭いのね。そもそも何でも良いって言いぐさが、感謝なんて無いのだから。勿論、お任せなんて言葉も、言葉が丁寧なだけで、そのやり取りをしたいのなら、高級料亭の最高級の板さんと、それを年中食べに来る、口の肥えた人のやり取りであって

・・・好みも判っている。好き嫌いなんてのも心得ている。何度もの来店なら、誕生日、家族構成、なんてもんも熟知していて、粋な計らいなんてもんのサプライズなんて事もあったりして、いつもすみません・・・なんて事で、粋なチップを頂いたりして、また返さないと・・・の繰り返し。

こんな人達は、どっちがどうの?じゃないけれど、あぁ得したラッキー・・・って人なら、そんなにする事は無いか・・・の関係になり、これもまたさっきのオーダーだの1点モノだの既製品の話と一緒で、考え方が大きく違う訳で・・・。ってここまでなら、あぁお金が無いと粋なのは無理ね。

って判りやすいが、粋では無く、お金を持っていなくても、小さく粋、・・・そう小粋なら誰にでも出来る。要するに全部自分のものにしなければ良い・・・自分だけ得をしなければ良い・・・そんな考え方。ただね、お礼のようなやり取りは普通なのね・・・貰って返すのだから。

まぁ、これを広げて入れると、また長くなりそうだから、辞めとくけれど、元に戻して、自信があるような無いような・・・って違う人に見える理由は、そう言う事なのね。つまり、カルチャーだったり、流しの教室だったり、何をするの?これ何?って言う場合、katsuじゃなくても良かったりする。

依頼品もアトリエもkatsuありきだけれど、それが薄れれば薄れる程に、自分色を消して行くって言うか、ん・・・そうね、見る人が見れば、下地そのものが違うって判るだろうけれど、四角いコースターとか、丸い鍋敷きとか、タイルは切らない・・・とか普通では無いのね。

そもそも作家って個性的なんでしょ?そこで普通な訳無いじゃない?けれど、一般的に・・・みたいな、普通な場所って、普通な人が来る訳でしょ?だから、個性的過ぎると色濃くなるかなぁ・・って、薄めて行くと、もはやkatsuじゃなくても良くないぃぃ?って気になってきたりもしたのね。以前は

けれどね、それは不得意から逃げているだけなのね。って思うのね。そもそも、人に教える立場でそれではね・・・ただね、成功だけを見せるってインチキ臭くないかな?みんな葛藤していると思うのね・・・オリジナルなんだから・・・楽ちんって出来るなら、プロなんかいらないもんね。

当然、葛藤を見せるなんてメイキングみたいなもんで、それは売れてからやるもんな気はしているけれど、ブログって公開日記だから、公開しているだけで、自分の成長日記でもあったりする。だから、もし読み返す事があって、昔と言っている事が変わっていたとしても、それが良くも悪くも成長

した部分であって、教え方だって、かぐややさくらの頃よりははるかに上手くなったと思えるのね。いずれにせよ、例えば今、弱気になっていたとしても、結局やれるべき事を限りある時間の中でやって、当日を迎えて、また何かの結果が出て、誰かと出会い、また・・・があるかも知れないし、

もう無いかも知れないし・・・そんな事の繰り返し。全てがモザイクに関係する事しかしていないのだから、無駄な事は何1つ無いのね。ただね、やっている奴は必死なだけで良いが、見ている側も大変なんだろうね・・・本気で心配してくれる人達には・・・。それも大人だから判るんだけれど。

遠くで見ている人もいるから、良い事だけはね・・・リアル感が伝わらないだろうし・・・まぁ、余裕は無いけれど、無いって事は緊張感があるって事で、疲れるけれど、何も無いよりはマシ・・・・とでも割り切って、前を見る事にしているんだけれどね。

ってな、話をしつつ・・・キウイ教室おしまい。みたいな事になっちゃったのね・・・・

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