katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

Kameyaさん教室とご新規中学生

2018-05-27 00:11:52 | モザイク教室
今日はKameyaさんの出張教室に5時半からご新規中学生の打ち合わせ。久しぶりに4人揃ったんだけれど、20分前に着いたのに、もう1人いらっしゃって・・・げぇ、何か遅刻した感じになってて…遅刻じゃないですからねぇ・・・ってアピールして、この後いらっしゃる方に遅刻の雰囲気を払拭する。

って役目がある・・・気がするのね・・・あははは。そんなこんなで、やっぱり3.4分遅かっただけなのに、遅れてすいません・・・って。それじゃ体育会系みたいなのね。さてそれではまず、おかみさんから。今日は目地。後は枠の木のペンキ塗りと金具付けで終了なのね。

まぁ、大作の寄り道みたいなはずだったのに、随分と本気な時間を掛けちゃったのね・・・当然、小さいとは言え、おかみさんクラスの人が時間を掛ければこんな作品になる典型的な話で、この下地はそもそも体験教室用として作ったんだけれど、そうなると初心者が数時間で作れる大きさ。

ただ初心者が1日で終わる最高の大きさって言うのと、経験者が1日で終わらせない小ささって違いは、簡単に言えば、アップアップやっとこ完成ってものと、四苦八苦して完成って感じに表現しても、似ている感じで何も変わらなそうだけれど、大きく違うのは切る張るの技術の違いなのね。

つまり初心者は切る張るに戸惑いつつ倒れてゴールって感じで、経験者は切る張るに戸惑っているのでは無く、オリジナルのデザインを考える事に四苦八苦してのゴールだったのね。だから言葉は似ていても完全に違う事なのね。だから例外として、もし下絵を初心者でも上手く描けたとしたら?

こんな事を思う人もいるかも知れないが、そう簡単な話じゃなくて、体験教室の時間は3時間。つまり、切る張るにおぼつかない人が一流の下絵であっても、その通りに時間内に切る事は絶対に無理なのね。それをおかみさんは逆で切る張るの技術はここまであるのに、時間制限なし。

こうなるとおかみさんが困るのは下絵・・・つまり構想になる。けれど大きくすれば広大なスケールの絵を描かないとならないけれど、描き慣れないと不安になるし・・・そこで大まかな絵を描いて張りながら付け加えて描く・・・そんなやり方にしたのね。小さいと張れば張るほど狭くなるから・・・。

そうやって作った作品として、小さい大きさなんだけれどオリジナルのデザインで作られている小さな大作な感じなのね。って話を戻して、ただ初心者の絵が上手い人で、3時間にこだわらずに時間を掛けたら?って話が労作展のような話で、あなどれない作品も出来たりするのね。

逆に切る張るが上手いって技術はその下絵をカバーしてくれる上手さに繋がるんだけれど、ある程度の技術を身に着けた時に必要になるのは、やはりオリジナルのデザインやら下絵の画力にもなる。所が切る張るが上手ければ上手い程、見劣りする訳で・・・。良い事と悪い事は背中合わせなのね。

そこである程度、技術を身に着けた人になると、絵の描き方のコツみたいな話はしたり、構想なんて話が多くなるのね。最初は道具の使い方で道具の達人にしてから、味付けに進む・・・みたいにね。つまりこれを簡単に言えば、最初は手を動かす。ガンガン切る、張る。って具合ね。

それが慣れたら、どうするか?考える。料理なら下ごしらえは夢中でやって時間で解決。所が味付けはこれでもかこれでもか・・・って自分の味に到着するのに、何時間で到着しますか?って聞かれたらイライラするし、到着するとは限らない訳で・・・ここで難しいのは、モザイク教室に来た・・・。

ここね。モザイク教室なんだから、切る張るでしょ?・・・って確かにね。だから最初はそれで良い。けれどね、これがコピーを作り続けるのなら、そのままずっとそれで・・・になるんだけれど、オリジナルに手を出すって事は、楽譜やらレシピ制作を問われる訳で・・・。つまり考える・・・。

それは答えありきじゃない事に向き合う事なのね。けれど、それとて、まっ良いか・・・と進めば、まっ良いかの集合体の作品になるし、チェッ、上手く行かないな・・・自分の思っているようになんて向き合えば、上手く行ったら進めるし、行かなければ進む事は出来なかったり、失敗したり・・

底なし沼にでも落っこちた気分にもなる。ただね、実はそれもただモザイクのせいにしているだけで、自分の置かれた環境に左右されたりもする訳で・・・気分が良いから、悪いから・・・とね。ただ技術だけは身に着けたもの・・・裏切る事は無いのね。

つまり裏切るのは未熟な部分。それが絵なのか?構想なのか?切る張るって技術なのか?ってね。これが余り切らないドットアートになると、先日の村人とお父さんのコースターみたいなもので、50粒弱の並べるスタイルでは、張り方の差でボンドだらけにしてしまったりするけれど、仕上げを俺がやると、差は左程無く、上手く並べられたデザインの差になる。しかし、それとて張り方に差が無くなれば、どんなに絵の巨匠がやって来ても、

50粒弱では差を付けるデザインにはなりづらいと思うのね。しかも言い方を変えれば、初めてでも、ベテランでも大した差は出ない。つまり大きくしてより繊細なものをデザインしなければ、進歩が判りづらい・・・って事になるのね。しかも、モザイクって何?の質問をした場合、どんな答えをするか?になり、もしモザイクって?の質問に四角いのが沢山・・・って言うのがその人認知だったとしたら、それが普通だから切る事はえっ?になり、

もし切ったモザイクの認知なら、ドットアートを並べただけ・・・と言う表現になったりするのね。では初見にこれだけの差が生じて、もし切らないものがモザイクと思った人が、こんなに切らなきゃいけないの・・・となれば、ドン引きになるし、もしそこで引かずにやりますとなり、やった結果

辛い・・・とリタイヤかも知れないし、やり遂げれば労作展の作品に化ける。分かれ道は単純にそんなもの。逆に切る事が普通と思った人に、先日の村人スタイルの50粒弱のモザイクをやって貰うとする。でもね、そんなのそのままやらせたら良い悪いは別に目をつぶっても並べられる。

そうで無くて、素敵なものに仕上げてね・・・って言葉を添えたり、更に言えば、仮にキウイだとしたら、キウイ作品に見えるようにしてね・・・なのね。けれど、切らないスタイルは切る技術を封印になるから、今までの技術は何の役にも立たないのね・・・。

つまり50粒弱では俺でも村人に必ず勝てるデザインになるとは限らないって話なのね。ここに技術の大きな違いがあるって事なのね。ただし、ここに落とし穴があって、まるで平等のように天秤的にまとめたけれど、実は世の中そんなに甘くは無いのね。常に甲乙丙丁ってものがあって、必ず差があるのね。まっ、世の中比べるものだから、ドットアートよりもカットしているモザイクの方が値段は高いのね。これは先人が決めたもの。

あくまで先人がね。つまり比較された場合、価値とした見かたをすると、大きな差になる。と言う事を認識して頂いて、そうするとよりこの作品のカットの妙にご興味を持って頂ければ・・・って話ね。勿論、そうなると、これから出て来る画像も同じ事なのね。

いずれにせよ、寄り道とは思えない良い出来栄えになったのね。お疲れさまでした。って事で、久し振りに大作に戻って・・・


そんな中、棟梁なんだけれど、先日ブログを入れようとした時に、真ん中部分の緑が固まった部分に違和感を覚えて、当日は気にならなかったのに、気になってしまったから・・・・と朝一番に電話すると、私もです・・・って事で、直す事になり・・・壊して直す事になったのね。


そんなこんなで直すのに1日掛かっちゃったんだけれど、まぁ見事な仕上がりになり、ここも大作の寄り道作品が張り終わったのね。

こんな2人がいたら、他の2人もそりゃ引っ張られる訳で・・・。


方やガラスタイルに挑戦だし、方や1cmタイルの大作が初めて・・・そうね、話も弾んでいつもと何ら変わらない雰囲気だったように見えるけれど、俺には今日が一番この4人のお教室の中で洗練された時間に思えたのね・・・・それ位、充実していたのね・・・先生としてね。

そんなこんなで、アトリエに戻って夕方からはご新規中学生の打ち合わせみたいな時間。一通り説明をして・・・すると、既に下絵があって、それじゃ日程を・・・となるのだけれど、夕方希望なんで、人と被る可能性が低いので、そちらの心配が無くなったので心配事が1つ減ったのね。

そんな訳でまた1人スタートとなり、それなら説明だけじゃ勿体無いんで、タイルの切り方を教えてパーツの宿題。って事で、走り出した・・・って話。頑張ってくれれば、また面白い作品になりそうな予感あり・・・なのね。

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