katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

村人の母のDIY教室の仕込み

2018-05-15 23:22:19 | DIY
今日は例の未就学児の母で、許可を貰って彼は村人ってハンドルネームとなり、そうなると村人の母となり・・・村人の母はDIYの為の仕込みが始まった・・・ってそんなお教室でね、先日は村人の為のDIY仕込みで、これからは村人の母の為のDIYの仕込みって事なのね。

ちなみに2つともに洗面所の正面に使う仕込みなのね。それが宿題として切って来たのを張ったんだけれど、これが初めてにしては上出来で、しかも結構な量をやって来ていて・・・更に言えば、旦那さんも頑張ったらしいのね。もう言う事無しなのね・・・何もかもがね。

だって家族ぐるみでのDIYなんて、中々出来る事じゃないし、出来上がりもこのグレードなら、満足度も上がるだろうし、何よりも楽しそうなのね。
そんなこんなで全力で張っていたんだけれど、張り切れず残ったのね。本来は張る方が早いから、切る方が余ったって事だから、いかに切ったか?・・・

それだけでも良く頑張っていると思うのね。そんな中、今週末にいよいよ現地へ出張教室なのね。そんなお教室の後は、デイ・サービスの下地の準備と、来月用はどうするか?・・・をかぐやと考えていると、何と無く・・・そう何と無く、後向きじゃなくて、本当に200枚彫るべきなのかなぁ?

って話になって、何か決定力不足なんだよねぇ・・・・って。ただ昨日のブログを見たらしく、バックチャームはまずまずだと思うけれど・・・って。だよなぁ・・・まずまずって感じだろっ?・・・ん・・もっとグッと来る感じが欲しいんだよねぇ・・・・。そんな話をしている中、かぐやにはチャームの

金具を探して貰って、そんな中、アトリエ内を物色していると・・・こんなの昔使ったよなぁ・・・って材料が出て来て、更に今までの下地なんかと合わせたりしたんだけれど、パッとせず・・・やっぱりこんなんじゃなくて・・・そもそもが、何がどうしたいか?って言うとね、発見みたいな話・・・。

例えばね、研究者って来る日も来る日も、ずぅぅぅと実験の連続だと思うのね。それは俺も同じでこれでもか?って位、試しているのね。それでね、そんな人達は成功の数よりも失敗の数の方が多いのね・・・きっと。つまり言い方を変えると、成功したい・・・じゃなくて、同じ失敗をしないように・・・

であって、違う失敗になれば、1つそうでは無い事を発見した事になると思うのね・・・そうね、失敗を発見したって感じかな?となると、例えば1000あったとして、1つ失敗したとしたら・・・後999になった事になるでしょ?そうね・・・成功を探すって言い方があるのなら、逆は失敗を集める・・・。

そんな反対な言い方でも、考え方は大きく外していない気がするのね・・・そもそも成功を探しに行って見つかるのなら、そんな人はそうすれば良いと思うのね。ただやり方が消去法なら、そうでは無い事を消して行くと良い訳で・・・。

そんな中、ならば検証なのね。今までどうだったか?・・・って。つまり今の所の下地のエースは木を彫ったスタイルの下地で、モチーフを考えて、デフォルメした絵を彫って・・・当然大きく手間が掛かって大変なのね。しかしその分、初めての人でも輪郭がしっかりしているから、クラッシュを入れても

中々の仕上がりになったりするが、そもそもが可愛く見えても、いざやると実際は難しかったりする。そんな感じ。そしてこの下地を気に入ってくれた人はどんな感じ?って思うと、そのものの完成が欲しいのか?それとも作る事が好きなのか?となった時に、作る方を重視の下地なのね。

これを逆の発想で、その完成の魅力だけで引き付ける事が出来たとしたら?・・・素早く簡単で、作っている今が楽しい・・・じゃなくて、完成したものを持ち歩いたり、使ったりする・・・って楽しみ方であって、今までの発想とは正反対みたいな感覚だったりする・・・。

そんな事が逆転の発想じゃないのかな?・・・・となり、しかも、その提案を俺だけじゃなくて、かぐやだけじゃなくて、意見の違う者が、良いかもぉ・・・とならないと・・・が理想なのね。だから、2人共見た事無い事・・・になる訳で・・・。それが良いって事になるとは限らないけど・・・

そんな中、今までやった事の無い事で、しかも実は全てが新しいのでは無くて、今までやった事が悪く無く、ほんのちょっと違っていた・・・そこを何か工夫なんてたいそうなものじゃなくて、えぇぇぇこんだけの事なのぉぉぉ?・・・って、こんなセリフが似合うもの・・・そんな事が欲しいのね。

そんなこんなで、色々見せてもかぐやの喰い付きは悪く・・・何か無いかなぁ?・・・って。ただね、さっきの彫る下地が200枚いるのかな?は、全体を減らす意味じゃなくて、他の何か?に切り替えて見るのはどうか?って意味で、縮小の意味では無く、きちんと前向きなのね。

すると、こんな事で良いのかなぁ・・・って、やった事が、何かちょっと良く見えて・・・画像を送ると、今までに無い反応が来たのね・・・。これかぁ?っ言うと、これですぅぅって。そこで色々と工夫すると、ほぼ決定となり、それなら材料調達って事になり、外を見ると大家さんがいて・・・

こんな下地を量産したいんだけれど・・・って言うと、機械でスイスイって作ってくれて・・・なるほどね、そう作るのね。って見せて貰ったんで、
まだ量産する時の為の準備はしたのね・・・いずれにせよ、昨日作ったバックチャームと同じ下地の量産なのね。

それが良いタイミングで明日は高洲のサークル・・・どんな反応が見られるか?ちょっと楽しみ・・・。

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車検とみどりとお姉ちゃんの親子教室とニクオンにデイ・サービスの下地

2018-05-15 02:45:36 | モザイク教室
今日は朝一番は車検から・・・まぁ、これが自動車の税金やら駐車場の更新、その上に車検と、ここんとこ畳み掛けて来て・・・何とか逃げ切ったんだけれど、そこで代車に乗ってアトリエに向かうも、説明なく借りた車が新車で・・・信号待ちした瞬間、あれ?エンジンが止まった・・・・。

凄いわ、初めて乗ったのね・・・・これがエコカーなのかな?アイドリングストップ・・・でもどうやったら走るんだろう?って・・・アクセル踏んだら走ったわっ。って、もはや先進国の人じゃないな・・・。そんなこんなでみどりとお姉ちゃんの親子教室。

とは言っても、先日の東京レプタイルズの展示作品を搬出してくれていて、それを持って来てくれるのも含まれていて・・・昨日、お姉ちゃん夫婦も手伝ってくれたらしく・・・まぁ、すっかりお世話になっちゃったのね。そんなこんなのお教室。


月に1回となると、残り後3回・・・1回は目地とか塗装とかとなると、後2回・・・・そんな中、自宅でもやるって事になり・・・ただ、初めて本格的にモザイクをやった・・・って作品としては、ここまで作れば見事だし、素敵なウエルカムボードになりつつあるのね。

何だか夢がいっぱい詰まっていて・・・・お幸せに・・・って感じなのね。2人の色合いを見ても、出て行く者の幸せ色に、出て行かれる者の切ない色。
ただ幸せなら幸せを表現すれば良いのね。でもね、出て行かれる者って不幸せなのかな?って言うと、2つに1つのどちらか?では無いのね。

そもそも一方を幸せと表現すると、一方を不幸せと言う表現になりそうだけど、それは出て行く者と出て行かれる者って関係からなんだけれど、さっきから相反する表現を、幸せと切ない・・・なんて表現をしているのは、見送る嬉しさのみでは無いだろうから・・・なのね。

では、人それぞれだとは思うけれど、一体お母さんとして嬉しいの?悲しいの?どっち?って聞かれたとしたら・・・・果たしてみどりはどっちよりの人なのか?・・・なのね。ここで一番作品作りとして最低な表現が、悲しいけど嬉しい・・・とか、嬉しいけど悲しい・・・なんて、どっちもって表現。

そもそも、今の表現だって同じようだけれど2つある。その2つの違いを説明してみ?って言われても答えられない状況では、口で説明出来ないのに、モザイクで表現出来るとでも?・・・って話なのね。こんなものは、後にある言葉が強いって事だから、悲しいけど・・・嬉しいの場合、嬉しいが強めになり

、嬉しいけど・・・悲しいでは、悲しいが強めになる。全く意味の違う文章になる。しかも、他の視点から見ても、けど・・・って言葉の使い方。そもそもが、けど・・・の前の文章なんてどうでも良いのね。そもそも本音は、けど・・・の後にあるのだから。ちょっと乱暴だけれどね。

そもそも、何とかなんだけれど、何とか・・・って言葉を使って文章を作れば簡単で、例えば、友達にこれとこれ、どっちが素敵かな?って質問をされた時に、こっちの方が優しい色で可愛いんだけれど、こっちの方が大人っぽい・・・とか、こっちの方が美味しいと思うけど、こっちの方が好きとか

・・・そんな風に使ったりするんだけれど、まっ、大抵は、けど・・・の前を相手に同意して置いて、本音は、けど・・・の後に使ったりするもので、要するにその人の意見は、けど・・・の後ろにあるのね。例えば、さっきの悲しいけれど嬉しい・・・みたいな表現を、子供の言葉遊びにすると

・・・アワビのようなプリンとプリンのようなアワビの違い・・・みたいにすれば判りやすく、アワビのようなプリンは、プリンであって、プリンのようなアワビは、アワビなのね。って事で説明はおしまいにして、みどりの作品を紐解くと、この世のおしまい・・・って暗さになる。

つまり悲しさ95%って数字で表現して見ようかね・・・きっとこれを作り始めた頃は、娘の結婚を嬉しさよりも悲しさの方が大きかったんだろうね。でもそんな中、残り5%は良かったね・・・おめでとうって気持ちがあったとする。この時に100対0の気持ちだったら?取り返せなかっただろうね。

しかし、5%はいついかなる状況であっても喜んであげられた・・・じゃ今は?ここなのね。大作ってのは時間が掛かるから、心変わりはある。しかし、その心変わりが巨人から阪神へ・・・とか、自民から共産へ・・・みたいな急激な変化では無理だけれど、そもそも5%は変わらず持っていた心。

だから何も変わらないのね。そこを持っていたら、今ここまで来た時に5%は真の喜びを表現出来る余白を残してある事になる。つまりその5%で喜びを表現するには・・・となる。それには、最初に悲しいのはどれ位?をきちんと表現するべき。けれど・・・出たぁぁ、けれど・・・。

けれど、お母さんなのに娘の門出を祝えない小さな奴になるの嫌なのね・・・って心境になる。となると、そんな重くはありません・・・なんて、意地を張ったとする・・・けれど・・・また出たぁ・・・寂しくて仕方無い気分を大きく残しハッピー部分を作ったとする?どうなるかな?

そりゃ、偽りの心を作るのだから、上手く行くはずが無いし、心とやっている事が違い過ぎるから、やればやるほど自分とは離れて行く。そこは正直に向き合うべきなのね・・・寂しい、悲しい・・・とね。ただ、きちんと5%を残せないと、ただ悲しい作品になる。そんなもの欲しいか?って話。

所が、それを向き合って悲しみや寂しさを持ったまま作れば、もっともっと寂しくなる・・・きっと辛いだろうね。しかし、それがその時の自分の心境なのね。ただどんな時でも5%は自分の心境とは違う自分を持っていた訳で・・・・。では今はどんな心境か?そして人はとんな風に見るか?

恐らく作り手本人も今はあの時よりも落ち着いていて、もしかすると、今は5%所では無くもっと多くなっているかも知れないのね。6かも7かもってね。ただそれならそれで良いのね。それが出来るのも、ずっと悲しみや寂しさと向き合っていたから。そこがきちんとキープ出来ていたら、趣旨は

ぶれないから、ラーメンにコショウを食べる前に1回振るって決めていたのが、食べて2回にして見た・・・って話とほぼ一緒であって、食べてすぐに入れるのか?半分無くして入れるのか?後半に入れるか?で、同じ1回追加でも大きく味は変わって来る。

サッカーの控えも同じで、どの時点で投入するか?・・・早目なのか?遅目なのか?ってね。その時に3回繰り返している模様は安定感がある。つまりここは得意な場所になる。そこの1つを最後まで持っている事は、気持ちが整わなかった時の保険。そう考えると、考える事は1つで、もうそろそろ、

やり尽した時のバックはどうする?・・・そしてそれはこの作品が終わるって事でもある。今の気持ちはどう変わったか?どう見送りたいか?そしてどうなって欲しいか?・・・最後の葛藤の部分でもある。まぁ後3回の親子教室・・・かるびの親子教室とは違った重みがある。

そんな後は、ニクオンのチャーム用の下地の2度目のペンキ塗りと、デイ・サービス用の下地。こっちはまだ連絡が無いんだけれど、1か月前のサンプルだったから、思い出す為の練習の1枚。

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