katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

くじらとノンプロ教室

2018-09-05 23:36:31 | モザイク教室

 

 

まぁ昨日はパソコンの調子が悪く、つまんない報告だけのブログになっちゃったんで、ザックリと昨日のブログの補足的な話。そうね、リピーターさんがバックに入るんだけれど、また水色かな・・って色決めて来な話をするんで、そろそろその考え方を止めましょうってアドバイス。

そもそも何で水色かな・・・って決まってしまうんだろうか?って疑問ね。要するに疑う事無く自分の中で決まってしまっているって事なのね。例えば、それを体験教室のルールみたいな話を思い出せば、本体部に使った色は使わなければ何色でもOK。って言うのに当てはめれば、別に

水色だけとは限らないのね。つまり意識せずにバックは景色・・・と考えてしまっているだけなのね。だからほぼ考えずにそう思ってしまうのね。これが無意識にやってしまう事なら、意識的にそうしない気持ちにならないと、結局お花を作るとバックは景色としての水色・・・空ね。

って事になってしまうのね。そこを意識して、もし色を取るのなら、そのまま水色で良いけれど模様にすれば、単純に水色で空って事にはならないし、方法はいくらでもあるけれど、無意識に自分の中で決まっていたのなら、何を提案しても却下になるだろうが、逆にこの方の場合は、

受け入れ態勢が万全なんで、ありとあらゆる方法があって、いずれにせよ常に新しい事にチャレンジ・・・ってスタイルが良いだろうし、それを、また・・・と繰り返しても新鮮さに掛けてしまうし・・・いずれにせよ、そんな理由から模様になったのね。

これが逆に棟梁だと、やりたい事は常にたっぷりあって、ただその時の気分で二転三転する事があったりするが、そんな場合に、小物なら大きく気持ちが変わる前に完成してしまうが、大作となると時間が掛かるに当たって、当然、環境や状況は変わって来るのね。

例えば棟梁の大作、もしタイトルを考えたとしたら?と聞くと、当然のごとく、私の人生と答えたのね。その時点である程度の骨格になる部分が決まって来るのね。つまり登場人物。天使が私、恐竜が2人の子供だったり、2匹の犬だったりに見える。飛んで来た1匹は死んでしまった犬・・・しかし、あくまで比喩的なものだから、飛んで来た犬は嫁いでしまった娘の1人とも言えるのね。

こんな設定の元、もし棟梁の好きにさせていたとしたら、バックの花がハスになっていたのね。それではハスのイメージとなると、当然、神様なんてもんを想像したりする。そう見えてしまうと、極楽往生みたいな感じの場所に見えたりしてしまうのね。

そうなると、その時点で私達も来たよ・・・待たせたね・・・の絵になるのね。けれど、ここに鮮やかにお花畑を作れば、あの世がこの世に見えたりする。そうなると、お盆に帰って来た・・・お帰りぃぃの絵になる。お花1つの選択がこんなに意味の違う事になるのね。

それがそんな事はもうとっくに変わってて、どうやら時が経つのは早く、2人目の娘も嫁ぐ事になったのね。そうなると、この絵の意味は成立しなくなる・・・さぁその状態で今までと同じテンションのまま作れるのか?って話なのね・・・。所が趣旨さえぶれなければいくらでも、

方法はあるものでね。そこで追加アイテムが欲しくなるのね。つまり2人の娘の連れ添い・・・この男の人2人を比喩として男っぽい花として、2匹の恐竜に寄りそう形に描けると、守っている・・・ってそんな感じに見えないだろうか?

そう見えたとしたら?以前は天使がみんなを守っている絵だったのに、今は2人を守ってくれる人は各自にいて、もう棟梁が守らなくても幸せであり、そうなるとテーマとしての私の人生って言うのは、モザイク部分で作る場所は、これから起こり得る色づいた人生となり、明るく、

賑やかにみんなに囲まれた人生である・・・に接待が変わったと思うのね。でも根本的にはブレは生じなくなる。ただ問題はそこじゃないのね・・・何せ私の人生・・・山あり谷ありじゃ無いのかなぁ・・・?だとしたら、娘家族がいる人生・・・とても悪い話では無いのね。

つまりモザイクで未来を描くのなら、棟梁の習い事の1つ・・・それが彫刻。そこで過去を振り返った部分として、彫刻は光と影って描く事が出来ると思うのね。対比としての喜びと悲しみみたいなね。何せ人生だものね・・・軽いはずが無いものね。

まっ、軽くならこんな話が昨日の教室。そして今日は前半はくじら教室。まぁ今日はいつもよりも進んでいないんだけれど、正直、予約が入った頃のくじらは安定感が見られず、文面からも良い言葉では無いが、荒れていたように思ったのね。そうなると様子伺いの時間帯が増える

事になる。ちょっと前にみどりとの相席の後半も余り良い状態では無いなと思ったし、アクアリウムバスでは体調自体が悪そうだったし、本来くじら教室の趣旨は、あくまでモザイク教室なんで、ちょっとは進めてね・・・であって、別にやってあれば問題は無いけれどね。

ただどうしてそんなに進まないんだろう・・・って思われるだろうから、軽く説明するとね、作家katsuの想像力みたいな部分に興味があって、その考え方がくじらには必要だって事なのね。つまりさっきの棟梁の話なんて言うのは、メチャメチャ興味があるはずなのね。

だって話の組み立てみたいな部分だから。これは説明すると長文になり、文才なら小説にするだろうし、要するにそれを17文字にまとめると、俳句になる・・・って話で、今のやり方はマイナス方向に向かう話で、一旦広げて必要最低限までそぎ落とすやり方。

これを必要な文字1つから広げて行くプラス方向に向かうやり方なんて言うのもあるだろうし、何かを考えて作る・・・って構想って話は、結構面倒な事であって、普通の人は向き合い疲れしちゃうだろうね。そう言う意味では、賞を取ったなんてくじらのような人と向き合うには、

同じ俳句の人ならそれ相応の人じゃないと無理だろうし、逆に異分野のそんな事を目指す人と、話す事で新鮮な切り口の話を得たかったりもする・・・そこに白羽の矢が立ったのが俺って話・・・。まっ、立派になれば千利休の役みたいなね・・・あはははは。

ただ向き合って正直過ぎると、刺されるかも知れないけれどね・・・・こわっ。あはははは。いずれにせよ、話していて安定感もあるし、思っていたより良かったし、もっと言えば予約から時間が経っている事もあるな・・・って気もして、老婆心になってしまったのね。

そんな後はノンプロ教室。今日は完成の日。目地をしてペンキ塗りをしてフックを付けて完成なんだけれど、当然3時間で終わるはずも無く、オーバー・・・良く頑張ったのね。

ただね、終わったって事はお別れなのね・・・折角仲良くなってもね・・・・終わってホッともするけれどね。こんな付き合いが1週間位でこんなんだから、棟梁やみどりの作品の内容からすると、産んで育てた娘の話・・・こんな重みじゃないでしょ?

なら重みぃぃなのね。軽いならハッピーって作れば良いけれど、テーマが重いのだから、その重みって何?お嫁に行って欲しいけど・・・でも・・・みたいな気分なんだから、そこをどう表現するか?なんでしょ?って話。それを覚悟が決まると、平気です・・・に変わって、作品の

雰囲気をいきなり変えようとしたり、でも切なさなんかと向き合うのは嫌だし・・・みたいになると、軽くなるしね。みどりの場合は、最初に黒い鉄扉と向き合ったから、これからはいかに光の部分と向き合うか?になるけれど、そこから抜けた後に調子に乗ると、光り過ぎになるし

常に趣旨から外れずに・・・なのね。いずれにせよ、ノンプロ完成で1抜け。お疲れさまでした。ってその後、先日ハビにどっちが良い?って、ハロウィンの下地を見せると、こっち・・・っていびつな形の方・・・。と言う訳で、深夜の糸鋸。

って事で直して・・・これを日曜日のイベントで使うから急ピッチで仕上げています。しかもこれが無料・・・是非いらして下さいませ。


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棟梁とリピーターさんと、ハビ教室

2018-09-05 00:24:51 | モザイク教室

今日は朝から棟梁とリピーターさん教室。ってその前に、パソコンの調子が悪く、朝からブログを入れられず、若干イラッとスタート。

そんな訳でリピーターさんから。それがいよいよバックに入るのだけど、また水色かなぁ~って言うのね。そこでそろそろ必要なのかな?と思っての話。

 あら、またパソコンの調子が悪い・・・ひとまず結果のみ。

 本当は面白い事があったのに・・・ちなみに棟梁、ネール復活。

その後、夕方からハビ。

1時間半のオーバーで何とか張り終わり。


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