katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

村人の母の友人親子教室とイベント用下地

2018-09-24 01:41:15 | モザイク教室
今日は村人の母のご友人の親子教室。見ての通りに村人と同じ位のお子さん達で、女の子はハロウィン、男の子はザリガニ、そしてお母さんはウエルカムボードとなったのね。ただ、村人の母のお宅を見て・・・の事だから、モザイクを家に少しだけでも・・・って野望をお持ちのようで・・・。



そんな訳でお母さんだけ、いきなり硬いタイルのスタートとなったのね。それが村人の母のように室内なら、ぺきぺきでも良かったけれど、外となると、そうはいかないのね。当然の事ながら外では頑丈ってワードが必要になって来るのね。それが床なんて事になると、踏む事もあるしね・・・・。

そんなこんなで始まったんだけれど、子供達がいきなりタイルを切る・・・・って事が、確かに村人が作ったってモノは見て来たと言えど、自分の子供達が、実際となるとご両親もビックリ・・・こんなに簡単に切れるんだぁ・・・って。けれど、親だから気にはなっても、自分も進めないとならず・・・

そうなると、大丈夫なら私も・・・と始めるのだけれど、縁取りから1cmタイルで・・・と色選びになるのだけれど、いきなり沢山の見た事無い数を見ると目移りしてしまったりするものでね・・・そこが大人と子供の違いなのね。子供はお金も出さないし、やりたいぃぃ、切りたいぃぃになる。けれど、

大人はいきなり良いモノが作りたい・・・になる。だからついつい色んな事を考えてしまうのね。あそこに飾ろうか?とか、どの色がお洒落かな?とか、どれが似合うかな?とかね。それがハロウィンなら、オレンジは外せないでしょ?つまり決まりがあれば悩まずに済むが自由は無くなるのね。

けれど、逆に自由は自由過ぎて決まりを自分で作らないと、漠然とやると好き放題になればなるほど、和洋折衷なんて良い表現もあるが、昔ながらの表現なら、差別用語ではあるが、ちんどんや・・・なんて表現がある。恐らくだろうが、人に見られるような過剰な演出の為の化粧や衣装が非日常になり、

それが当時の親世代の人と極端に変わらないように・・・普通を意識した人の表現に繋がったと思うのね。何しろその当時は、長い髪が不良の代名詞だったり、ウーマンパワーとか、フォークソング狂いの馬鹿息子なんて言葉があったり・・・いずれにせよ、個性的には風当たりの強い時代。

って話を戻して、要するにある程度、何かしら単純で良いからテーマとかを決めると、そっちー走り出せば良いだけなのね。所が途中気が変わったりした時に、いきなり・・・・みたいな、段落替えとか、転調とかみたいな事をすると、かなり個性的になりがちになる・・・・ってだけの話なのね。

その時に、先生どうしたら良いですか?・・・といきなり趣味趣向を聞かれても、奥さんでも彼女でも無いから、初対面の方の好みなんて判らないのね。しいて言えば、いつもそうだけれど、洋服や靴、そしてバックなんて言うものからしか、伺う事は出来ないのね。

だから、割とシックなものが好きですか?・・・になり、その中で縁取りをこう選べば、これから表札なんて可能性も考えられるから、余り色は使わないように・・・仮に今後そんな展開になったら、ワンポイントで花とか、動物みたいなのを入れたり、あるいは模様何て事も考えられるけれど・・・

けれど今日はあくまで体験。まずは文字が切れなきゃ話にならないのね。だから、この作品の出来栄えよりも、あくまでこれは練習、ここでの失敗なら、いくらでも取り戻せるのね。その位の気持ちで・・・って、気持ちを楽に・・・ってアドバイス。その横で子供達は止まる事無くすんなり完成。

そんなこんなのこんな出来栄え。体験としては完璧なんじゃないのぉ?これだけの結果なら。って事で、次回のご予約を頂いてお開き。

その後は、イベント用の下地とオルテガ柄風味のトレイの大を2つ追加で彫ったのね・・・・まだ完成までは行かなかったけれど・・・。

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