katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

新モンゴル日馬富士学園の額の追加分納品とDucatiの下絵写し

2020-05-16 02:58:53 | モザイク作家
今日は午後から美術会社の方が、新モンゴル日馬富士学園の額の追加分を引き取りに来てくれる事になってて、それまでの間は昨日の続きで、Ducatiの下絵の写し。何しろかなり細かいのでそう簡単には終わらない。


そんな中、いよいよ納品。2人でいらして、3人で庭に出して、まずは写真を撮って・・・その後、2人が梱包している間に、繋ぎ目のタイルや目地の準備。そんなこんなで、頂いた差し入れを飲みながらのアトリエは、とてつもなく大きい下地・・・それを見るなり、凄いぃぃ・・・って。どうやらバイク好きのようなのね。反応が良いも

の。楽しみです、一体先生が作るとどんなモノになるのか?って言ってくれたんだけれど、こうしてお金を支払ってでも、額の依頼をしてくれているのだから、評価をされての事であり、その評価は単なる額では無く、美術の会社としての・・・なんで、そこの評価でもあり、更に個人的にもバイクが好きって事であると、単なる

額も、単なるバイクであっても、美術としての評価をしてくれてもいるのね。まっ確かに、バイクのモザイクって言うのも、そうそう見るもんじゃないけど、更に言えばDucatiって言う車種を限定する所か、カスタムされたものなんて言うモザイクは、恐らくこの世に果たしてあるのだろうか?となったら・・・価値って意味でも評

価してくれている。そもそも依頼された額に興味を持ってくれるのは、会社の人として仕事だから、って事もあるかも知れないが、これをブログで見られますか?とまで、言ってくれた事は、制作前に士気が上がる・・・そんな気持ちにさせて貰ったのね。そもそもが、バイク屋さんと良い、大家さんと言い、この美術の人と言

い、このバイクは有名なのね。言い方を変えれば、作れない人達が詳しくて、作れる人は知らない・・・そんな話な訳で。だからより詳細が知りたくなるのだけれど、画像では限界もある。更に言えば、絵では無いから、モザイクはタイルを切って作るもの。だからここまで拡大しても、タンクのDucatiの文字以外の小さい文

字は、描けない可能性が高い。けれど、モザイクをやっている人なら誰でも判る事が、バイクの詳しい人達には判らない。つまり簡単に言うと、出来た作品を似ているか?似ていないか?だけの評価の場合には、評価は低く、モザイクである・・・と評価してくれようと見た人は、最低でも絵や写真とは比べてはいないのね。

まぁ、依頼された方がどう取ろうが、作り方は変わらないし、常に金額の限界の中での制作であり、もう無理だな・・・と言う所まで。そこまでやれば、評価はどうであろうが、見た人の評価であり、良いって言う人もいれば、そうで無い人がいても良いと思う。ただ、今日もつくづく思うのは、落語のかっぱダヌキの話。はたのの

りゆき・・・かっぱだかタヌキだか判らないものを作った時は評価は無く馬鹿にされ、仏像って言う規定演技を作った時に、仏師として認められる話。これは全て比喩だから、かっぱタヌキって言うのは、オリジナルの自由演技の事。つまりその評価は判って貰えなかったが、誰でも知っているものを作って評価を得た。そん

な話。けど、本当に下手だったら、規定演技なんて見るに堪えない事になるはず。つまり単なる元々の評価が低かった事になる。そうね、俺の場合なら、力士の額がかっぱタヌキであれば評価が低いはずなのに、既にお金が発生しているし、一般の方の依頼でも無いから、かっぱタヌキの評価では無いのね。だから判りづ

らいのね。そして今回のバイク。この場合、似ていなければ、Ducatiに似ているか?の前に、バイクとしてもへっぽこになるだろうし・・・。けれど、問題なのは彫刻としては、誰でも知っている前提の落語と、モザイクって誰もが必ず知っている分野では無い話とでは、ハンデは背負っている感じはある。ただね、本当に良いモノは

別に音楽だろうが、美術だろうが、車だろうが、何でも一緒で、人の感性に触れると、何か判らないけれど良いね・・・って所にはたどり着くものだったりする。五感なんてのは、そう言うもの。ただ五感なんてものは、良い事と悪い事は背中合わせで、糖度みたいな話で曖昧なのね。数値として測れば一緒でも、メロンやリ

ンゴ、ブドウやイチゴの甘さと、トマトのような野菜では、数値は一緒でも果物の方が甘く感じたりして・・・つまり感と言うものは、それぞれだったりする。だから、ここに評価があっても、あそこに評価が無くても、いちいち気にしているとキリが無いのね。けれどエゴサーチでは無いが、作り手はついつい評価を気にしてし

まうし、それによって救われたり、それによって、へこたれたれもする。まっ、いずれにしても、結局常に出来る所は、いつも通りであって、特別な事なんて別に無い。また淡々とやっていれば、いつか終わりが見えて来るだろうし。そしてまた人から批評され、またがあるのか?無いのか?ってだけの事。なるべく一喜一憂しな

いように・・・ただそれだけ。そんな後は、来週のデイ・サービスに持って行く来月分のサンプル・・・どうしようか?になる。一応、ザックリと時計・・・とは決めていたんだけれど、モチーフが決まったんで、木が欲しくなり、またコーナンに。その後はまた下絵の写しだったけれど、8割位終わったのかな?先は長いし、まだまだ根

を詰め過ぎてもね・・・だから目安としては11時までには帰ろう・・・そんな感じ。




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