今日はキウイ教室。牛の絵馬が完成したのね。正直、この絵馬の大きさでこのグレード・・・凄く上手いと思うのね。しかしながら、大作の凄さは簡単に伝わっても、精々可愛いぃ・・・って程度の評価になってしまうのね。
同じ人が作ったモノでもね・・・確実に実力は一緒であるのだけれど。その評価がきちんと出来る人なら、恐らく見た瞬間、えっ・・・って感じで、大作を見た時と同じようなリアクションになると思うのね。それは技術が判るから。
勿論、技術が判らなくても、何か細かいね・・・って事で凄いと感じる事も出来たりする。でもこんなグレードの小物はそう見られるものじゃ無いのね。数日前に入れようとしたのは、その事で、例えば俺の鬼滅の刃もこのキウイの作品も同じぺきぺき。
素材は一緒であり、人の絵と言う点でも一緒。つまりどう切ったか?の技術のみが作り手のアピールとなる。その時に何が大事か?となると、同じ人の絵でも、鬼滅は誰もが知っているものとなると、似てるか?似て無いか?が評価になる。
逆に誰が描いたか?が判らないものは、例え似ていても判らないから、判断基準は素敵とか可愛いとか、非常に単純なものになってしまうのね。それが大きな評価の分かれ道みたいなものになるのね。
例えば、演奏だとする。恐ろしく難しいクラッシックなものを弾いたとする。でも詳しい人ならミスタッチが判ったとしても、普通は判らないから、それが通して弾けただけでも、上手く感じたりする。でももし、童謡でミスタッチをしたら?
誰でも間違えが判るし、こんな簡単な歌で間違えちゃうんだ・・・って事が、上手くないの判断基準になったりする。それがスポーツでも、イージーな落球はすぐさまブーイングだし、ファインプレーは判りやすい。
けれど、当たり前のように普通・・・いつもと一緒で、飛びつきもしない、どんな時も一緒に見えるって言うのは、人よりも一歩目の踏み出しが違うし、もっと言えば、その一歩目を作り出すその前の準備の姿勢が違うのね。
例えばスポーツなら、守る側を見ると、下手な人はボールが来てから反応する。つまりボールが来るか来ないか?判らないから、まだ何もする必要が無い感じね。所が上手いだろうな・・・って人は、腰を下げるのね。つまり対応する気満々。
もっと言えば、ここに来たら・・・って感だったり、相手の癖、視線や角度なんかも逃さず見ていると思うのね。つまり、ありとあらゆる事の次の準備がなされているから、偶然じゃ無くて必然なのね。
こんな事を踏まえて見て見ると、ただ似せるだけなら、何しろ困ったらクラッシュってランダムに切ったパーツを入れると良いのね。その方法は単なる塗り絵な感じね。塗りつぶすって言うのなら、入れたおす・・・みたいなね。
となると、クラッシュだらけって言うのは、中々上手く見えないものなのね。単純なパーツの繰返しになるから。所が、じゃクラッシュは簡単か?と言うとある程度の大きさ・・・大きくも小さくも無い位の場合は、確かに簡単なのね。
でも小さかったり、大きかったりすると難易度は大きく変わって来るのね。仮に鬼滅のように60cm程度だと、ほっぺやおでこに6.7cmのパーツが入っていて、そんな場合、ちょっと欠けただけで失敗で切り直しになる。逆に小さいとキウイの馬の顔。
眼なんかが邪魔になると、入らないなんて事があったりもする。しかも花のバックにしても、クラッシュとは名ばかりで、もはやきちんと狙ったパーツになっちゃっているのね。ただランダムのように見えるだけ。
それと大まかにぺきぺきって言うタイルの特徴は大きいパーツが切れる事だったり、柔らかいからえぐるなんて行為が出来る・・・とか、月並みだけど、素材の特徴を生かす・・・なんて事から言えば、色んな形に切れると言う事になる。
そう思って見ると、色んな形の集合体になっていて、まるでこう言う形のタイルが売っているみたいに精度が良く切られているのね。まるで機械で切ったみたいに・・・。こう言うのが技術論。これが心技体なんて言うのなら、技ね。
じゃ心。例えば、これいくら?って値段だったとする。いくらの値段を付ける?良くこんな質問をすると、相場が判らないし・・・なんて言う人がいるんだけれど、確かにそうね、相場は無いしね。だって1点モノなんだから。
じゃ子供が作っても1点モノ・・・一緒なの?表現が・・・違うと思うのね。簡単に言えば、相手に気を使ったり・・・なんて気持ちも含めた表現であり、仮にもし逃げる表現をするのなら、100万ぇぇぇん、だって一点モノだから・・・。って、
言えば、誰も傷付かない。ただこれでは子供と一緒。何でも高いと思う基準が100万円・・・でも目利きの練習と思うのなら、何処が違うか?何が違うか?って言う事を判らないながら、判断をする癖が必要なのね。おっと話を戻して・・・
例えば、大作ならそれでも良いと思うのね。でも小物が一緒なはずは無い。となると、それよか低い値段になると思うのね。つまりどんなに巨匠になったとしても、小さいと桁外れな値段は付きづらいって事になると思うのね。
まっ肉じゃがに1万円って感じにね。つまり肉じゃがを選んだ時点で、相場価格だったり、掛かる時間であったり、あらかた決まっているのね・・・各々知ろうが知るまいがね。その時にこの絵馬って何時間掛けて良いと思う?って感じ。
大袈裟に言うと判るんだけれど、一生掛かっても・・・って言ったら大作な感じでしょ?でも絵馬にそうは言わないでしょ?つまり絵馬には適正な時間がある・・・って事になるのね。じゃちなみに何時間掛かったか?となると、確か4.5回はやっているから、
恐らく15~20時間って感じになると思うのね。じゃそれでいくら?・・・じゃ時給1000円って大人での計算したら?そこに材料費・・・きっといらない・・・って事になるだろうね。全然可愛くない料金になるからね。ほら一瞬で報われなくなる。
評価とは常に残酷なものなのね。そう考えると、普通はその下地に対して・・・と考えると、これが1回で終わるのなら、楽しい、可愛いで済むし、報われると思うんだけれど、心って部分は、作り手として、そんな評価でも作る覚悟ってもの。
その準備があれば、いちいち曲がらない。それが普通、1作目の大作を作り終わる頃に、じっくり作るって言うのが慣れて、例え小物でも慌てないで作れるようになるのね。所が逆にそれによって、お手軽な作り方が出来なくなっちゃったりするのね。
常に良いモノが作りたくなるから・・・出来ただけじゃ嫌なのね。そう言う点で言えば、もしこれを夏頃に手を出していたら?どうなるか?って事を、ちょっと早めに・・・と11月頃始めた事を考えると、掛かり過ぎも無く、期日があるって作品を
丁度良い時間内に終わったかな・・・とも思うのね。ただこれでも掛かり過ぎって思いも無い事は無いんだけれど、娘の干支って言われると、まぁ思い入れってのもあるし・・・じゃそれで・・・となるのね。
そんな後は、コープみらいの埼玉のサンプルの構想・・・表札には決まった。文字の難しさも、これなら・・・ちょっとのアシストで・・・って所まで来た。ただ出来るだろう・・・って話で、素敵か?とか可愛いか?となると、果たして参加して
下さった人が思うか?となると、奮闘はしても、技術がある訳じゃ無いから、結果が中々付いて来ない。それを何らかのアシストで、報われる結果に見えるようにする・・・ん・・・そこが難しい。ただ一応出来そうだ・・・って所までは来た。