katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

今日もリピータ―さん教室

2021-04-06 01:37:14 | モザイク教室

今日は、にわとりのリピータ―さん教室。そろそろ終わりが見えて来た感じなのね。そうね、まだ切るって行為に慣れていない感じがあって、時よりニッパーを短く持っちゃったりするのね。勿論、今はぺきぺきだから切れるけど、続けるなら、

必ず今から矯正して置いた方が良いのね。それは固いタイルになると、全く切れなくなるから。それと同時に見る目を肥やすのも大事になるのね。それはどんな話か?って言うと、見た目美しいって、100点と85点では15点の差があって、

100点がその差分、良い点って言うのが判りやすいものとは違って、感覚的なモノなのね。ただとは言っても、評価に個人差はあるものの、黄金比みたいなものがあって、例えばパーツ1つ取っても、大き過ぎるとか小さ過ぎるとかあったりする。

ん・・・そうね、単純にふぐ刺し。薄く切る方が良いみたいだから・・・って言うのが基本で、皿の模様が見えたりしているって言うのが基本なら、皿の模様が見えなきゃアウトだけど、薄っすら見えたら?みたいだと、全体的に厚めだろうし、

こっちは丸見え、こっちは霞掛かって・・・では、均等じゃ無さそうだし・・・ただ教える側で言うのなら、いきなり1作目で、お客さんに提供出来る腕は無理だから、目指すのは何処か?となると、全体的に厚めになった人には、均等さを褒め、

でももっと攻めて、次回からは薄くチャレンジ・・・って事になると、こんな場合は慎重派な感じの人なんだろうなと思うし、逆に、見えたり見えなかったした人には、見える位までチャレンジした勇気は買う。ただ恐らくチャレンジによって

皿の絵が見える所があったとしても、途中できっと切れていたりしていると思うのね。それは加減を知らないから。それは薄く、薄くを意識した分、もっと・・・と攻めてちぎれちゃったなんて事になった。だから是正として、今度はそこまでは・・・

とやったら、思いの他、厚め・・・こんな繰り返しになったりする。こんな事が腕では無くて、意識の持ちようで起こったりするのね。前者は慎重にちぎれない程度に刃を入れる事を意識しただろうし、逆に後者は薄く、より薄くを意識した。

こんな違いがあったりして、でも本人達は恐らく意識無く、一生懸命やっただけなのね。でもそれはただ無意識で気付かず、実は脳は思い切り意識している・・・そこに気付くと、指導って言うのは技術やテクニックだけの問題じゃ無いって

話なのね。あぁ自分てこうなんだ・・・って事になると、是正する気になる。目に見えない話の気って話。要するにさっきの点数が出る比較の出来る話では無く、眼に見えない判断があるのね。それが厄介な話で、似合う似合わないとか、

美味しい、まずいとか、0点、100点の極端話じゃ無くて、合格点は何点?みたいな・・・今の自分の腕の良い感じラインは何処?ってね。その時に今日の自分の気持ち・・・気なんてもんが、コロコロ変わると、体験のように3時間で終わるなら

気持ちの変わる前に終わってしまうから大した話じゃ無いが、こうして何回も掛かる作品になると、そうは行かないのね。もう既にやっている場所があるのだから。でもそこにヒントがあるのね。パーツの大きさや色。今までどうして来たか?

それを見て思い出して、ここまではこうして来た・・・って安定なら、音楽ならタンタンタンタンと来た感じだから、この辺でタンタタッ・・・って不安定を入れようか?とか、思い切ってドンなんてのも良いのかな?とか、オリジナルはサンプルが無いから、いちいち考えないとならない。そこが難しいのね。

しかも正解が無いのね。何が正しいって?でもね、タチが悪いのは不正解はあるのね・・・だってこれ変?みたいなのってみんなにある。でもその変?って思ったのが何処か?って事になり、何処までが良くて、何処から悪いと感じたか?

そんな事の繰返しなのね。そうすると自分の許容範囲がどれ位か?判ったりもする。範囲が広過ぎれば、何でもOKになるから、雑にもなるし、絞り過ぎだと果てしなく終わらない。だから今の自分の良い塩梅探しになる。

いずれにせよ、もうすぐ終わってこの作品がこれからの目安になる。そう言う点でも面白い1作目だったりするのね。そんなこんな後にもう1つ教室があったんだけれど撮り忘れ。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする