katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

リピータ―さん教室とヤモリ2

2021-04-26 01:48:46 | モザイク教室

今日は午後からリピータ―さん教室。ただまたまた緊急事態宣言になっちゃったんで、報告だけ。そんなこんなのヤモリ2。3日間のご無沙汰なんだけど、さてどうしようかな?バック・・・色々考えて、不気味な窯変だけを集めて四つ葉に。

ヤモリ1では窯変でヤモリをやって、バックに単色のカラフルな花にして不気味感を軽減させたのね。そんな中、2は色々考えて、可愛さを軽減してこのまま後は黒いバックになれば、そこは1と同じ仕上がりになるのね。

つまり1は、窯変の不気味さで輪郭のみのヤモリであって、実際のヤモリの色とは違うのね。そこに単色のカラフルな花で可愛くし黒バック。2のバックも黒なら、花とクローバーの違いと言うのなら、5枚の花びらと四つ葉の1枚違いなだけ。

しかも形は同じであるから、完全に大きな違いは色。って事は、1ではシルエット的なヤモリ、2はリアル、花では1はカラフルな単色で5枚の花びらで、2は窯変の変わった色で四つ葉。そしてバックは同じ黒・・・。

そう比較すると、結果的には、1は花が目立ってヤモリの影が薄くなり、一瞬判らない人もいたりする。つまり実際の生き物のスタイルであって、擬態的に獲物を捕らえるような感覚で馴染ませているように作っているのね。

所が2ではバックを黒にすると、ヤモリがはっきりと見えて来るはずなのね。そこに良く見ればクローバーがある・・・みたいな感覚。こんな違いがあって、モチーフは同じであっても、作り方や色合いで大きく違って来るって事なのね。

まぁ簡単に言えば、着るモノ1つで同じ人でも雰囲気が変わるって話。その時に子供に見えるか?大人に見えるか?みたいに同じ人でも雰囲気が大きく変わる。つまり、作り手はこうした事を常に、どう見せようか?って考えているのね。

これが料理であっても、甘くしようとか、辛くしようとかって、各々の味付けがあって、作り慣れていなければ、クックパットさんの通りに量って作ると大きな失敗はしない。つまりレシピ通り。これが基本になる。

だから例えば肉じゃがの作り方って調べれば、色んな作り方がいっぱい出て来るから選び放題なのね。ではこれがモザイクの場合だと、料理の人口よりもはるかに少ないから、それほどは出て来ないのね。ただそれでも花って調べれば、そこそこあるのね。

勿論、今回のヤモリにしても、恐らくだけど、モチーフとして結構あると思うのね。まぁこれも恐らくだけど、意識しているか?どうかは別にして、テストみたいに点数がはっきりしているものなら判りやすいんだけれど、美の評価って曖昧な基準なモノなのね。

その時に仮にモチーフとして、人気のあるモノを選んだとする。花、犬、猫・・・これらは一般的に好かれるから割と一般的に受け入れやすいものだったりする。つまり普通ってくくりになると思うのね。これらの対局にあるってものを考えると、盆栽、爬虫類・・・みたいなマニアック・・・

つまり同じ事を比較した時に、どっちも家にはいない・・・って人にはどっちでも構わない話だけれど、普通側から見れば、変わっているね・・・になるし、逆に対局側から見れば、普通じゃん・・・になる。

これは実際のものを比較した場合ね。それをモチーフにして作るとなると、全てが似ているか?似ていないか?のリアルの追及か?雰囲気や輪郭でそのモチーフを使って、その作者のオリジナル感を出す・・・みたいな違いになる。

これが古典と新作落語の違いだったり、オリジナルとカバーの違いみたいな話に繋がって来るのね。ただ常に2つに1つみたいになる。まぁ鬼滅なら、鬼か鬼殺隊か?みたいな全く違うモノの比較になる。どっち?ってね。

ただ俺は思うに、そうじゃ無い気がすんのね・・・曖昧な奴いるじゃん・・・って。それが主人公の妹のねずこ。人間なのか?鬼なのか?ってね。そうね、こう言う設定は今までもあって、それがデビルマン。人間なのか?悪魔なのか?って。

そうね、昔からテーマとして、こうした事は作家として作る側としては、考えられて来たと思うのね。その葛藤を描くって言うのは、ある意味生きるって感じの壮大なテーマだったりすると思うのね。生きる為には何かを食べる、つまり殺す。

それは18歳でタイル屋に入った頃、一緒に働いていた中に大正生まれの人がいたのね。その人は犬を食べたって衝撃的な事を言ってたのね。しかも赤犬が美味くてブチはまずかった・・・と。俺も牛も豚も鳥も食べる。が、犬かぁ・・って。

何も知らないから残酷だ・・・って思ったが、戦争の中と言われれば、生きるとは?そう言う事なんだな・・・と教わった。恐らくヤモリだってそう。見た目がグロいだけで、人に何も危害は与えて来ない。ただ気持ち悪いだけ。

でも奴らにして見れば、生きる為に蛾や虫を捕食し食べる。いたずらに殺してはいない・・・この話の終わりは要するに人は知らず知らずに線引きをしているものなのね。蚊やゴキブリ、ハチ、ねずみ、ハクビシン・・・これらは駆除。

だってそれらのワードを入れれば、殺虫剤が出て来るのだから、一般的には受け入れられない者達となる。俺も当然駆除側なのね。その時にそこに名前が入らなくなる者達がいる。そこがボーダーラインだと思うのね。

そこまでが一般的、ここからは変わっている・・・の境目。その時に一般的なものって側の、花、犬、猫・・・と言ったものは、モチーフ自体に基礎点として、可愛いって点数が入っていると思うのね。つまり作る前から見えない点数がある。

所が変わった側には、嫌われる事はあっても基礎点どころか、マイナス点がある。つまりそこをひっくり返すって言うのは、作り手の腕みたいな感覚があるだろうな・・・。だから意外とそう言うモチーフがあるって言う事だと思うのね。

ただ何事にも例外があって、例えば昔なら、ネズミってハツカネズミとすると、ドブネズミとは違う扱いになるし、ハリネズミなら大人気。ハチでも、スズメバチとミツバチでは違って来るし、受け入れる人も出て来るはずなのね。

でも蚊ではいつの世も嫌われるし、とは言え、ゴキブリは近頃飼っている人もいるから、世の中好みは変わって来てはいるんだろうけど・・・。いずれにせよ、モチーフ選びって言うのはこんな事だったりもする。

恐らくだけど、この世にウミウシやあわび、蝶尾・・・こんなモザイクはそうそう無いと思うのね。ちはやふるってアニメで、あらた君ってカルタの名人になる子が、世界にやる人がいないのなら、日本一は世界一だ・・・ってセリフがあるのね。俺もそう思う。

何でもそうだけれど、盆栽だって、日本のごくごく一部の人気だったものが海外で認められる事がある。まぁ帰国子女的な人気って言うのは良くある話だけれど・・・俺も見つかりたいものだ・・・と思うのね。

そうそうそんな中、インスタでたった1人、トコブシを扱っている方が良いねを押して下さったのね。大野荘と言い、こうした普段手にしている人に褒められるのは、似ているって得点なんで素直に嬉しい。

モザイクの点数は、モザイクをしている人にしか判りづらいが、そこの得点は技術点。でも扱っている人達の点数はあわび似ている点だから、そっくり点だからね。評価の基準が大きく違って来るから、喜びも変わって来る。

後は知られる事・・・一番努力が足りない部分だな・・・。


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