katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

リピーターさん教室と金魚の壁画

2022-11-24 01:20:39 | モザイクタイル教室

今日は朝からリピーターさん教室だったんだけど、結構強めに雨が降ってたのね・・・そんなスタート。まぁここまで似てれば問題無いでしょ?中々の力作なのね。ただこんな場合、何処を作っているか?複雑化するし、もっと大変なのは、モザイクは色は混ぜられないわ、タイルを切らないとならないし、

そして色数が少ないから、これはあるけど、これは無い・・・なんて事は多々あるのね。そう考えると不都合ばかりに感じるのね。でもそれを、どうやって混ざったように見せるか?どんな形に切るとそう見えるか?みたいに考えられると、絵画とは違うって事を不便では無くて、腕の見せ所なんて事

に思えるようになるが、不便さの方が勝ってしまい続けると、色合いの時に、これはあるけど、これは無いみたいな時に、どんなに切る事が上手くなっても、色の時に無いって言う事を諦めるって方向になって行くのね。ただ、そんな悩みの前に、色から入る人は、無いのかぁ・・・になるから、

最初は切れるのかな?って不安も、切れたぁ・・・って気持ちが楽になると、色は無いからこんなもんか・・・になる事が多いのね。それを折角、色は無いのだから・・・って前提で、せめて切る事は反復練習で上手くなって、それをカバーなんてやると、ある程度、思った形に切れるようになるのね。

そうなった時、いよいよ本格的にモザイクが始まるのね。それはドレミファソラシドって音がきちんと鳴るようになったとか、鉛筆で点々をなぞって、何とか文字に見えるようになったとか、相手のコートに入るようになったとか、包丁が怖いものって程では無くなったとか・・・。

それが慣れなのね。その慣れって何?ってなった時、それは道具に慣れた事であって、でもさっき、始まったばかり・・・って言ったのね。だから、そこからなのね・・・本当は。そう言う点では、今の方達はみんな段々と切る事には慣れて来たのね。だからここをこう切って・・・と言えば、ほぼ

みんな切れるのね。勿論個人差があるから、ぺきぺきなら・・・って人もいるし、1cmタイルでも・・・って具合にね。それをウチの犬の杏さんの場合は、同じパーツの繰り返しで、1cmタイルに慣れたし、切るって事には困る事はほぼ無くなった。そうなると、どの方も悩み事はほぼ一緒で、

ここはどんな形?ここはどんな色?みたいに考えなければならないのね。ただ杏さんだけは、そこは悩まずに済むけれど。けれど、こんなに複雑だと、今何処の何をやっているか?判らなくなって来るのね。そうね、例えば洋画の字幕を最前列で見る・・・みたいな感じになるのかな?

そもそも最前列は全体を見づらいのね。つまり切るって行為は上手くなっても、味付けが上手くなった訳じゃ無いのね。例え上手く切れても、きちんと張れないと台無しなのね。その時に、目はここ・・・とか鼻はここって具合に、特徴のある場所は探す必要は無いから、見つけるって感覚では無いのね。

けれど、段々と埋まって行くと、何処?感じになって行くのね。その感覚になってしまうのは何故か?と言うと、そうね残酷だけど、映画の最後のテロップみたいなものを浮かべて見て。主役やベテランは単独で流れるから、あの人だわって判ったりする。これは目だったり鼻だったりする訳なのね。

インパクトがあるからね。でもそれが裏方さんになると、何十人も一緒に出て来ると、知り合いであっても見つける事は難儀になる。それが毛並み。どれも一緒じゃんって思えば、大した話じゃ無いから、主役が見つからない・・・なんて事とは意味が違って来るのね。

それをまっ良いか・・・って簡単に言えるような人は、そこまでだから、そこまでの上手さで出来栄えは今後も変わって行かないんだけど、そこの意識を変えて行けると、エキストラの隅々まで気にするようになるものなのね。そうなると、ここはこうかな・・・って。意識の問題なのね。

その意識を持つようになるには、色を選んでタイルを切って張る・・・では駄目なのね。それは音が合ってれば良いとか、相手のコートに入っただけとか、しょっぱければ水を入れるって感じになるのね。これって上手くなると思う?つまりそこから意識改革になるのね。

その意識とは?ってなると、目を作る・・・目の何処?瞳のここには何かここにある・・・みたいに、目を作りに行く・・・それを細かく見るってなると、思い込みでは作らなくなるのね。ただこれは初歩で、目だの鼻は主役級のインパクトがあるから、集中力が切れないが、毛並みなんて、エキストラの皆さんになるのね。

しかも似たりよったりだから、貴方は誰?ってな事になるでしょ。ここを徹底的に意識して行くと、ここはこう、ここはこうって言えるようになるのね。そうなったらかなり前進なんだけれど、絵なら下手ながらも線は引けるが、果たしてその細さ切れる?となると、ほぼ無理なのね。

だからなるべく大きい下地に・・・って言うんだけど、家に飾るとなると、限界の大きさがあるから、その時点で旬な比喩なら、出場枠が決まっているサッカーみたいになったのね。つまり、その大きさでは、全員ベンチ入りは無理だから、出場出来るパーツが限られて来るのね。

でも目や鼻は吉田麻也選手とか、冨安選手とか、絶対出場みたいな感じになると、削られる事は無いが、大迫選手が外れるって事になると、知名度や実力があるから目立つでしょ?でも落ちても俺程度の知識では判らない選手もいる。それが毛並みパーツって事になるのね。

つまり作り手は監督なのね。そのメンバーを選ぶ・・・その時に何となく作る人は、何となくのメンバー構成だから、何となく上手いものになる。って考えれば、今の現状の最高メンバーを選んだ・・・って事になると、それを見極める目が必要になるのね。それを単なる好みで作れるのは、体験の頃だけなのね。

それを意識が変わると視覚過敏のような意識になって行くもので・・・そうなった時に大事なのは、全て選出は出来ないから、その見極める目を持って、誰を落とす・・・になるのね。それを落とし続ければ、それこそがデフォルメになるのね。こんな考え方になれば、各々の味付けになるのね。

それが、その人その人の選び方で、雰囲気は変わって来るんだけど、ここが難しくて、成功ってものは決まっていない癖に、失敗だけはあるのね。それがいつも言う、やった事が無い人に何か変な事が判ってしまう・・・それが似ているか?似ていないか?みたいなこう言うウチの犬の場合ね。

写真通りに・・・最近の方の画像に写真を一緒に撮っているのは、これだけ似ているって比較して貰う方向なのね。ただね、昨日もそうだけど、まぁ小難しい話ばかりで詰まんないと思うんだけど、今いらしている方のレベルは上がっているからなのね。そんな後は、金魚の壁画。

 


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