katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

フェルメールのリピーターさん教室とアオリイカのモザイク

2021-08-13 08:02:40 | モザイク教室

今日は午後からフェルメールのリピーターさん教室。午前中はちょっと野暮用だったのね。そんな中、今日誕生日でね、モザイクを始めて20年経ったのね。中々、こうした感覚を感じる事が出来ないのね・・・家族が無いからね。

例えば子供が二十歳って事になると、感慨深い感じもするし、結婚して20年って言うと、随分経ったって言う事を共有出来たりして、その時間の振り返りって事で、一瞬、一時、時間が止まったように、フラッシュバックなんかしたりする。

あんな事あったな・・・こんな事あったな・・・って。その時は常に必死に過ごしていたから、振り返る事なんて余り無かっただろうし、記念日的なものや、振り返りの区切りみたいなもので言うと、10年みたいな単位の、下一桁が0だったりすると、

重みがどんどんと増したり、学校のように、3年区切りで、小、中、高のように進級する事で、格が上がったような・・・それが、幼稚園や保育園のような場合、その最初の1回目なんで、はじめてのおつかいじゃ無いけれど、これまた感慨深いだろうし。

何しろランドセルがヤドカリみたいに見えて、よちよち歩けば、ここまで育った、育てたってお母さん冥利に尽きるだろうから、振り返りとしては最高だと思うのね。こうして家族がいると、自分で感じられない時間を体験する事になる。

所が俺の場合、それが無いから、自分の誕生日や年末のように、誰もが持っている事でしか振り返る事は中々無いのね。更に言えば、それすら、モザイクを始めて・・・って仕事に結び付ける事ばかりなのね。

ただ、今回ちょっといつもとニュアンスが違って、自分の事で振り返っちゃったのね・・・例えば50になる時、ちょっと開き直って、信用を得られるとか、舐められない歳になる・・・そんな感覚で、嫌だなって気持ちより、それも良いじゃんって思えた。

しかし今回は60がちょっとだけ見える58になって、振り返りが後ろ向きっぽくなり、もう60になっちゃうのかぁ・・・とちょっと焦りにも似た感覚を覚えたのね。こんな事を20年も続けて来たのかぁ・・・って言う気持ちと、後2年やると、

60かぁ・・・とっくに後戻りなんて気持ちは無くなったけれど、結果が欲しいって焦りにも似た感じになったのね。まぁとは言え、そうは思った所で、こっちもある程度の経験値があるんで、はいはいそれまで、切り替えて行こうぜって、

自分に言い聞かせて、辞める選択は無いんだから、やれることを拾い集めるしか無かろう・・・って。そんな感じ。さてそんなこんなのお教室はと言うと、そろそろやりますか?って話になったのね・・・口。

正直、目や口って言うのは主張する場所であって、顔の中のパーツでも大事なのね。こう言うと、じゃ何で早々と目はやったのか?になるんだけれど、それは簡単で痛みを知らない時に、勢いで乗り切ったって感じなのね。

例えば、これを作りたい・・・って気持ちの最初は、作りたい気持ちが大きく、やる気満々って感じだと思うのね。しかもある程度モザイクを知った上での大作だから、不安もあるけれど、いつか終わるから・・・と覚悟も出来た。

そんな中、始まると、体験のように一回完結って時間では終わらないから、果てしなさが襲って来る。これだけかぁ・・・またこれだけ・・・このまたこれだけを何回か続けると、またこれだけか・・・の繰り返しに慣れて来るのね。

冒頭の枕の話に似てない?そこで進級とかになるのね。勿論、これだけかぁ・・・に慣れたから、慣れた封じって言う言い方もあるけれど、その慣れた実績で、そろそろ・・・って事で、新展開の目に入る訳ね。進級そこで緊張するのね。

またこれだけ・・・って言うのは慣れたのなら、目なんてそうは進まない。何しろこだわりだらけのパーツになるのだから。いつもよりも進まなくなる。だから、またこれだけ・・・に慣れて貰っていたのね。もっと進まなくなるから。

幼稚園から小学校も同じで、お母さんと一緒から、お母さんから離れる練習、そして離れられたら学習に専念みたいな段階を経てだと思うのね。つまり、またこれだけ・・・に慣れて、それがいつか、進む事よりも美しさの方に移行出来ると、

帰り際に進んだだけの表現の、これだけか・・・では無く、総合的な美しさを維持出来たか?どうか?の見方になると思うのね。話を戻すと、これだけか・・・を繰り返した事で、ある程度モザイクとは?大作とは?って感覚として、体験の1回で完結とは違う事を、

より感じたと思うのね。それによって、これだけか・・・に慣れた事は、忍耐的に時間に耐える事に慣れたと思うのね。しかし繰り返しって言うのは、日常の繰り返しみたいなもので、慣れると退屈なんて事にもなってしまうのね。

だから非日常が必要になる。つまり刺激。これだけか・・・になってしまった気分を、目だよ・・になる事で、緊張感を生む。やった事の無い場所・・・未熟ながら大事な場所って事は感じる事は出来たりする・・・これだけか・・・を忘れる。

実は反復練習と言うのは、体に覚えこませる事で、脳でいちいち考える前に、手が足が、勝手に動く癖を付けているようなもので、だから反復の時に基礎を叩き込むって言うのが一般的なんだと思うのね。

更に言えば、この反復に意識を持ってやるのと、無意識な感覚でやるのとでは、全く違う事になったりするのね。例えば、これをやる意味・・・なんて説明をして、理解した上で、やろうとした時、取扱説明書が苦手な人は、このブログを

見るのと同じように飽きてしまうと思うのね。そんな人には無意識で進みたい所を進んで貰えば良いと思うのね。だって自分の好きに進みたいだろうから。逆にどうしたら良いか?自分の好きに進むなんて、自分勝手になってしまうから、

結果が上手く行かないんじゃないか?と思うような人は、さっきとは逆に安心する為の説明が欲しくなる。この2つのパターンだけでも、もし同じものを作る体験だったとすると、方や目を丸く切りたい・・・なんて積極的な人もいれば、

目は難しそうだから・・・と後に残したとする。あくまで体験の話ね。ではどうなるか?簡単な話で、何と無く丸く切れたとすると、後はクラッシュ・・・って言えば、丸以外はランダムな形なんで、何と無くの丸は、かなり丸く見える。

逆に丸を外してクラッシュから進んだは良いけれど、周りを張り込んだ後に残したスペースに丸を後から入れる・・・こんな事は相当上手くなった人がやる事なのね。つまり入らないから無理やり入れる事になる・・・もはや丸くない。

こんな事が起こったりもする。ただどちらにしても、器用な人って場合は例外で、どちらでもこなしてしまうから、うっかり器用な人の隣に座ると、ペースは速いわ、余計な事をするわ、その上、完成度が高いなんて事になる。

その横に、もし不器用な人が座ったとしたら?あぁする方が良いのかな?とか、あんなに進んでいる・・・随分と私は遅れていると焦ったり、迷わせられる事ばかりになる。でももし我関せずの姿勢で、順番に進めば、結果は後から付いて来るんだけれど、

何しろ器用な人って言うのは、あれこれとやりたくなるのね・・・だから不器用な人を迷わせる。この話も一緒で、これだけかぁ・・・ってそそのかす自分がいる。つまり今の話は器用と不器用の2人がいる話だけれど、実は大作って言うのは

自分の中にそいつらが潜んでいる・・・と考える事なのね。だって、最初はやったぁ・・って思えたのに、いつしか繰り返すと、これだけかぁ・・・に変わる。それは慣れたから・・・慣れてどうなった?自信が付いたから、もっと進みたかった、そんな自分がいる。既に変わってしまった同じ自分の中に。

そんな感じなんだろうね。でも自信は過信になり、おごりにもなる。つまり油断は禁物なんだけれど、ついつい慣れるって言うのは、緊張感が無くなるのね。最初の出来た・・・って言う気持ちは、大作をやるんだ・・・の気持ちのままで、

素直に謙虚に出来たと喜べたのね。ただ作り手って言うのは、強欲なものなのね。何しろ上手くなりたいのね。そこで間違えちゃうのは、上手くなると早くなると思っちゃうのね。違う違う、上手くなるって言うのは、綺麗に出来るって事。

仮に時間が掛かっても美しい見栄えであって、多少変でも良いかっ・・・って進む事重視じゃ無いのね。こんな繰り返しをすると、顔がどんどんと終わって来た。あの未熟だった時の目の時よりも、今は上手くなっているはずなのね。

そして結果として、ここまでは成功している気分でいるし、誰もがフェルメールに見えている。ほら条件が揃った・・・あの頃よりも上手くなっている、フェルメールに見えている、じゃ口やっちゃえば良いじゃん。

って実は、これが目に見えない事で、プレッシャーなのね。そもそも、未熟な時の目なら、上手くなった腕で作る口なんだから、あの頃よりも上手い口が出来て、よりフェルメールに見えるはずでしょ?そう理屈ではね。

でもそうとは限らないのね。痛みの知らなかった未熟な自分が勢いで乗り切った目は、思わぬ良い結果を生んだ。当然今はもっと上手くなっているとは思うけれど・・・けれどね、結果を出したいのね。良い結果を。ほらプレッシャー。

だから経験値が増えて、色んな事を知ってしまって、未熟な頃の私のような勢いだけでは進めない自分がいる。そんな気分になるって言うのは、上手くなった証拠なのね。これはビビリでは無く武者震い。やる気はあるからこうして出来た。

きっと最初の頃のように夢中でやっただろうね・・・必死に。きっと口を作っている意識なんか無く、ここは赤、ここはエンジ・・・みたいに、色や形を気にして、こんなパーツかな?って組み合わせたんだろうね。

終わった後、ヘトヘトって言ってたのね。こんな言葉を言う人に油断なんてある訳が無いのね。しかも今までやって来た実績がある。それなら条件は揃っているのだから、結果はきちんと付いて来る・・・そう見えない?

もう慌てないで、その内に終わる・・・って思えれば、もう心配するような事は起きないと思うのね。そんな後は、ちょっとだけアオリイカのモザイク。

いつも思う事だけれど、先生として教えている事が自分にも当てはまったりもする。しかも今日は振り返りをするにはしやすい日だったので、良い意味でも悪い意味でも、勉強になったのね。


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