katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

陸前高田の仕込みも追い込み・・・

2022-04-27 02:37:49 | モザイク作家

今日も引き続き陸前高田の仕込み。これでまだ縁取りのみのタイルは3枚となったのね。ただバックの青の不足分だったり、つなぎ目付近を最初多めに残した所もあって・・・そんな中、タイルが到着したんで、そこも戻りつつの制作なのね。

まぁこれが最後に来ていつもきついのは、最初は頑張る・・・なんて話で、ノルマ的な物は無く、漠然と進む事になるのね。それが段々と日にちや時間が限られているから、後どの位やれば良いんだろうか?になって来る。

例えば昔、タイル屋だった頃、まぁ一般的には2時間やって休むって暗黙のルールがあって、それを4セット繰り返すと1日って事になるから、一体2時間でどの位終わったか?とか、進む場所、進まない場所との差はどの位か?とか、傾向と対策で、

大体こんな感じ・・・なんて事を割り出したりしたのね。その前提として、例えば外壁だったりすると、この壁を何人で何日なんだから・・・みたいな計算出来るのは、やった所が見えているって事なのね。ここまでやった・・・って。

所がこの額縁の仕事って、アトリエ内で制作は出来ても、様子を見るには外に出さないとならないし、そもそも外って大家さんの駐車場だから、いなければ問題無いんだけれど、いれば出来ない事になるし、そこに持って行って片付ける時間を

考えると、何しろ先に進みたい・・・・となると、その労力を惜しむ事になる。それが額縁のタイルを張る・・・なんて事になると、全体を見てやりたいから、ここは惜しまず・・・となったが、ここへ来て最後の全体像を見たい・・・

って事が起こるのね。要するに歌で言う転調みたいな部分なのね。縦2つは同じデザインで最後の角がホタテとカキの違いはあれど、A、A`みたいな違いで、ダッシュが付いたか?付かないか?程度の変更。上部に関してもほぼ左右対称。

じゃ下部だって・・・と言われそうだけれど、魚やマークは1cmタイルの塊みたいなゾーンだから、同じ1cmタイルで花火の中心部をやって、被ったとしても邪魔にならないと思うのね。そう言う点では花も大き目なんで問題は無いのね。

ただ吹き流しみたいな部分は、まとまっていないし、パンチが無い分、花火の大きさに寄っては、花火に負けちゃう箇所が出て来るんじゃないのか?って思う気持ちと、別に消えても良いんじゃない?って、先日の居酒屋看板の考え方みたいな

気持ちもあって、検討して見たい気もして・・・ただそれをするには、残り時間との相談なのね。そうね、これは漫才とか、ドラマやアニメの主題歌なんかの比喩が良いかな?要するに持ち時間の話なのね。同じネタでテレビサイズの時間で見せるのと、実際の長さはもっと長いのね。

それを短く見せるのと、長めに見せるのと・・・の違いがあって、例えば、完全に終わるなぁ・・・って余裕が出来るのなら、外に出して見て様子を確認してから・・・なんて事も出来るが、時間に追われている内は、そんな余裕は無い。

つまり漫才なら要点だけになるし、歌ならワンハーフ的にはしょる事になる。逆に持ち時間いっぱいなら、余裕が出来る分、漫才なら前の人のネタを受けて広げたり、時事ネタを入れてライブ感を出してみたり、歌のライブなら、何度も

繰り返す部分が出来たり、イントロや間奏部分に時間を取ったり、コール&レスポンスなんて事もあったりする。全てが持ち時間に影響するのね。当然、俺にもあったりするのね。今までは水に関係するモチーフだったが、下部は陸のもの。

一貫しているなら、花火は欲しいし、ただ今までのように見えるかな?・・・って不安も無くは無いのね。ただこうして振り返りをしている段階で、気が付く事も多々あって・・・ブログを入れるって言うのは、自分の振り返りみたいな話なんで、こうして入れている内に、あっ・・・って気が付いたりするのね。

その時に、この思い付きやひらめきが上手く行く場合もあるし、全然ダメじゃんって事もあったりするのね。サンプルが無いオリジナルって言うのは、こんな事をひたすら繰り返す事なのね。それと以前、古関裕而さんと古賀政男さんって、

昭和の作曲家の比較があったりしたけれど、これも参考になったりするのね。古賀さんの歌は、各自聴いた人が、あるあるネタのように、自分の歌のような感情移入をする事で、ヒットに繋がったのね。逆に古関さんの歌は、軍歌やら応援歌

だったりするから、必要な人には必要だけれど、要らない人には全く要らないのね。例えば阪神タイガースの六甲おろしや、読売の闘魂こめての応援歌がそうなんだけれど、ロッテや楽天ファンには必要無いでしょ?もっと言えば、サッカー

ファンだったりしたら、全く必要無いのね。でもファンだったら・・・もう神の歌。もはや国歌斉唱のようになる。これが作品作りに反映されるのね。つまり個人を相手の場合、その人、その人の思い入れに該当すると、必要性が各自の解釈

であったりするが、今回のようなみんなに・・・って場合、スケールに壮大な事を乗せないとならなくなる。まぁ簡単な話、歌でも若い時は、恋愛の歌詞でみんなが引き込まれた。所が58ともなると、中々、若い頃のように感情移入はしずらい。

勿論、作っている人達もね。そうなると、人生とか、海だ空だ大地だ・・・と、表現も大きくなりがち。つまり今回のような古関さんの作り方みたいなものは、割とスタイルが合っていて、終わりさえすれば整う感じがするのね。

逆にノリ的な、こんなの良いじゃん、可愛い、素敵・・・って、思い付きとかノリ、フィーリングみたいな感覚での作り方は俺は苦手で、それを古関さん的な作り方をすれば、重々しくなるし、軽いノリでは出来なくなる。

まぁそう言う点では、毎月のデイ・サービスのサンプル作りは勉強になるのね。考える・・・って力を養うには丁度良いのね。壮大なスケールじゃ無くて・・・それがレキシさんの歌チックなのね。流して聴くだけなら、お洒落な音楽。

なのに、歌詞を良く聴くと、お笑い要素たっぷりなのね。しかしながら、その笑わせる為の仕込みがガッチリされていて、本当に素晴らしいのね。キチンとふざけている・・・若干、憧れるスタイルだったりする。

話は戻って、いずれにせよ、ここからは追い込みの余裕作りの時間になる。余裕が作れるか?作れないか?がカギ。

 


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