昨日の地震は凄かったですね・・・ウチは停電して・・・ただ特に倒れたものは無かったし、アトリエも何でも無ければ良いな・・・って出勤すると、セーフだったのね。そんなこんなで午後からリピーターさん教室。それまでは陸前高田の下絵の続き。
イワナとヤマメを追加したのね。ただイカみたいなのがいるから、海なのに川魚?って思う人もいるだろうけど、中には海に行くつわものもいるのね。そしてこのモチーフはイカはただのイカでは無くて、そそのかし的な役なのね。
イカは都会とか誘惑の表現に使っているのね。この土地に留まる人もいるし、戻らない人もいる。それを海に行くヤマメやイワナで比喩的表現に使っているのね。
名物、名産をモチーフに使って、この土地に帰って来る人や、観光として訪れる人がまた戻って来るようにも見えたら良いし・・・。今までのモチーフの中でイカだけは、ここの特産品では無いのね。だからよそ者の担当。
だからこのイカモドキを華やかにして、都会みたいな誘惑に見せたいのね。手を伸ばして捕まえるみたいな。それをすり抜けて地元に帰る・・・大きくなって戻るみたいに。ではリピーターさん教室。3回目で完成したのね。更に追加で、
お楽しみで切らずに完成のコースターも。まぁ良くある光景なんだけれど、切って張っての繰り返しは、何しろ地味で、左程進まないものなのね。それがその人の心持ち1つでいくらでも変わるのね。だから作品は自分自身なのね。
例えばキッチリ、ピッタリなんて言葉が好きな人が、初めてモザイクをしたとする。更に言えば、絵が上手いとか、手先が器用なんて言われた事があれば、当然今日の結果もそうなる・・・と思い込んだりするのね。しかもモチーフや構図も
決まっていたりすると、初めてやる事なのに、時間まで決めたりしていると、本当に?出来るの?って思う方が普通であって、こちらとしては、へこませないように何とか説明したいんだけれど、何しろやりたいと思うから来ている訳で・・・
すると更に大きさまで決まっていたりすると、大抵は小さめなのね。そこでなるべく大きく・・・とアドバイスをするも、家のあそこに置きたいから・・・みたいに設置場所ファーストだったりして、それなら一部をアップにして、その
モチーフを使いましょう・・・って提案すると、オダギリジョーじゃ無いけど、じゃ良いですぅーみたいになったりもするのね。仮にそうで無くても、既に思い描くものと違っている・・・って気分、そうここでも気。まぁ乗らないだろうね。
でも、乗ったから、乗らないからでは無くて、初心者だから、下手で良いし、それが当たり前だから習いに来ているんだけど、今までどの分野もそつなく終えて来たって自信がある人には、プライドが傷つくものなのね。
そこでへこたれるって場合は、何と無く、仕方無く進む事になる。そうね、言い方を変えれば、これで最後位の気持ちでね。ただある意味、ようやく落ち着いた感じなのね・・・こっちとしては。それこそが謙虚って位のスタイルになるから。
こうこうこれじゃ無きゃ嫌って事から、じゃこんなもんで・・・明らかにレベルを下げた。その気持ちであれば、自分がこれから初めて切ったパーツが大事に思えるものなのね。しかしながら、こんなのじゃ・・これじゃ・・・と理想が高いと、
あれもこれも嫌になるから、ただひたすら失敗し、納得が行くパーツが出来るまで、ただ粉々にするだけになるのね。所が、心持ちがこんなもんか・・・って事になると、今までの分野の結果と比較しなくなった分、進める事が出来るのね。
こんな事が過信側に身を置く人の例だとすると、全く逆の場合は、何をしてもぶきっちょで・・・でもやって見たくて。こんな場合は、謙虚を通り越して卑屈的になるし、自虐な感じなのね。でも大丈夫、下手だから習いに来ているんだし、
先生なら来ないでしょ?って言うと、苦笑いなんかしてくれれば、安心してくれたりする。この時点で簡単にリラックス出来るのね。既に気負いが無いから。そこで安心を増す為に、今までの美術と比較した時に、絵の上手い人は絵を超えられない。
でも折角下手だったのね・・・って日本語は変だけど、折角を付けると前向きになるから、その下手の絵を超えられれば、今日はいつもよりも結果が良くなるから。って言うと、更に笑えたりする。それは受け入れているからなのね。
もうこれを手に出来れば、結果は簡単に付いて来るもので。こんな人は、ニッパーの握り方、刃の入れ方、脇を締める事、バイクに乗らない、いびつ角形、小学生の避難練習、戦の勝敗のカギ・・・こんな暗号めいたワードが頭に残る。
だから次回から、そのワードに反応するようになる。つまり成功を目指すんじゃ無くて、失敗要素を取り除くだけなのね。こうすると失敗する、こうすると失敗しそう・・・みたいな事を排除して行くと、自ずと結果が付いて来るのね。
でも成功ありきでスタートすると、本当に初めてやるのに、その方法論で成功するのかな?って先生が思った瞬間、経験値で無理だろうな・・・と思えたりしたら、その時点で無理なのね。これが常連となると、相手もかなりのつわもの。
相手の技量と作品の難易度を測った時に、時間を掛ける事を苦にしない・・・ってスタイルを身に付けているから、一応老婆心として、大変だよ・・・と言う位で、何とかなっちゃうのは、技術と場数を踏んでいるからなのね。
こんな事を経て、何とか張り終わるのね。どんな形であれ、張り終われば目地になる。どんな気持ちであっても、目地入れって行為は一緒なのね。それが最後は、あっ割と良いかも・・・になったり、凄いぃぃってなったり、いずれにせよ、
こんな時が報われた瞬間なのね。その結果を得れば、その結果のお陰で話を聞いて貰える事もあったりする。例えば、3回掛かったトカゲの方は、真の1点ものなのね。これは今後一切何処にも売っていないし、中々真似も出来ない。
何しろ民芸品を買って、更に彫って、モザイクをする・・・手間の掛け方が違うのね。所がコースターの場合、これはこれを見てタイルさえ手に入れば、誰でも見様見真似で作れてしまう。デザインとはそんなもの。見せたら安易に盗まれる。
そんな簡単に盗まれるものは、1点ものとは中々言いずらいのね。でも楽しむって言うのは、簡単なもので、そして残酷なのね。簡単に言えば、卵を割ってかき回して、ご飯に掛けて、はい料理・・・って出したら相手は喜ぶか?とか、そんな
料理教室に通いたいか?って話なのね。まぁ最低でもだし巻き卵位にはしないと・・・先生として、料理人としては、お金は頂けないだろうなぁ・・・って話。つまりこの手のコースターなら、もう俺は目地入れ位しか用事は無いだろうし、
もっと何かバージョンアップするようだと、まだまだ教える事はあるだろうし・・・いずれにせよ、モザイクってこんな感じ・・・ってさわりは、教えられたのね。今日は手も痛く無かったようだし、予定していたコースターまで行けたから何よりだったのね。
まぁしかし、出来て見ればこうなると、こんなのにも張れるのかな?なんて思う人がいるのかな?それはそれで面白いんだろうが、出来る事と出来ない事があるからなぁ・・・。