katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

リピーターさん教室と下地作り・・・

2015-09-20 07:34:29 | モザイク教室
今日は午後からリピーターさん教室。と言う訳で午前中はシルバーウィークにいらっしゃる知り合いの下絵・・・・。
以前何度か来た事のあるご家族なんだけれど、5人で1つの作品を作るのね・・・・本来なら下絵を送って貰って・・・とやりたい所なんだけれど、

みんなで作りたい・・・その日しか集まれない・・・・そうね、大きくこだわりがあるって言うよりみんなで・・・ってだけなんで、特にこだわりがある訳じゃない・・・って事と、更に大きな理由の1つ・・・・それはアトレのイベントと同じ日に重なった事で、今日までずらして貰った事・・・。

つまり借りがあるのね。だもんだから、下絵はこっちでやる事になって・・・・ただ出来れば小学生の娘さんがいるので、手掛かりじゃないけれど、何か描いて貰ってそれを変化します・・・って話になったんだけれど、つい最近その絵の画像が送られて来て、すぐに直して送り返すと・・・。

割と大人なせがれさんが可愛く無いぃぃ・・・って始まったらしく・・・下絵を直す時間は今日の午前中だけで、もう下地を作らないと間に合わないって事を伝えて・・・・そんなこんなのこっち任せにして貰ったのね。ってな訳での午後からのお教室。

一応いつものように聞こうとすると、先生出来ませんでした・・・って。それは強制じゃないし、単なる確認なんで別に何にも問題無いのね。
ただ1つ気になった事があって、それはほかの習い事をやっているんだけれど、そっちの分野で知り合いにウチの何々を作って・・と言われて・・って。

どうやら始めたらしいのね。ほら、何処かで聞いた話じゃない?・・・・ここでは俺が、あぁこの人は上手くなったなぁ・・・って思った人には、必ず忠告として、簡単に人にプレゼント作品を作らない事・・・・って話をするのね。

何故なら良い思いだけが残るとは限らないから。そもそもまずは相手の気持ちを考えると、見知らぬ人からいきなり頼まれないから、最低でも知り合いの友達とか・・・そんな人からでしょ?そんな人が一番遠い人からの依頼って話で・・・・。

じゃ何でその人から頼まれる事になったか?って言うのは、その知り合いが作っているものを持っていたり、画像として持っていて、何らかの形で見せたりしたはずだよね?それが良いなぁ・・・欲しいなぁ・・・って思って聞いてよ・・・・ってな具合で、あっ友達だから頼んであげるよ・・・。

何て安請け合いされちゃった・・・・こんな場合、頼んだ人も、頼まれた人も、その分野どころか、モノ作りをしない人か、相当作り手と親しいか?のいずれかであって、作るのは大変だ・・・と知っている人は簡単には頼まないものなのね。しかもタダではね・・・。

それでも欲しいと思う人はタダとは言わない・・・と言いつつ、材料代は払うから・・・と、まるで親切でしょ?と言わんばかりの事を言ったりする。
実はそれは親切なフリであり、材料は掛かっているのは当たり前の事なのね。つまり逆の言い方に考えれば、手間は払えないけど・・・。

その本心は手間を払うようなものでは無い・・・って言われているようなもので、本当に欲しい人はいくらくらい・・・と聞いてくれるだろう。
しかし、ここにワナのようなものがある。もし頼まれたものが死んでしまったのでその代わりに・・・とか言われたとして、もし仮に何年も習っていずに

、作り手も未熟だとして、謙虚な気持ちで引き受けちゃったとする・・・・しかも謙虚にタダで・・・と。そこが地獄の始まり。
こんな人は絶対に手なんか抜かないだろうし、全力で向き合うよね?しかも、そんな気持ちで頼まれたものだからプレッシャーも大きい。

更に習っているけれど、それに関して先生に教えて下さい・・・って言えるかな?通常のお教室はサンプル教室だから、自宅でやっているものに関して教えて貰えるかな?・・・仮に教えて貰えたとして、その時間、自分の作品の質問が出来なくなるって事になるよね・・・?

そんなこんな思いで完成したとする・・・・タダであげられる?更にまだ続く・・・もし作品がへっぽこならこの先頼まれる事は無くなるだろうが、
もし思わぬ出来の良さなんて事になれば、またタダで作って貰った・・・って話が広がって行くのね・・・だって作品の出来が良いから眼に付くから

・・・しかも、タダなんだもん・・・色んな角度から自慢出来ちゃうね?・・・・そしてプレゼント作品地獄へ・・・となる。
更に、一体いつ無理だって言うのかな?5個目?10個目?・・・・11個の時に言われた人ってダメージ大きいね・・・みんな貰ったのに・・・。

しかも、それだけ作れば手慣れて来るから、どんどん上手くなっているしね・・・・もはや地獄の連鎖。自分の時間も無くなるだろうしね。
では逆も真なり。今度は良い事ね。つまり最低材料費を貰うと、材料って言うのはピッタリって言う買い方は出来ないから、少しずつ余る。

これが腕の無い人では単なるゴミだけれど、腕が達者になればなるほど、それはお宝材料に変わるのね。しかも自分の作品では味わえなかったプレッシャーが掛かって、刺激的ではある。確かに手間にはならないが、人の作品を作る事で手元には残らない。

ここよ、ここ。ある意味さっきの話なら、11個目に自分の作品を作ったとすれば、10個を自宅に残す事無く、練習の上に素敵な1つを作り上げた事になる。しかも余り材料費を掛けずにね・・・・いずれにせよ、上手くなるって言うのは、続けているとこんな事に巻き込まれる可能性はある。

早かれ遅かれ言う話なんで、この方にもお伝えはした。もっと広げるなら、この方の作品は、その他の分野よりもモザイクは見劣りしているんだろうね・・・。あはははは。そこで、早く作ってって頼まれるくらいになってね・・・そして俺に作っちゃダメって言わせてね・・・ってな話。

そんな中、今日は1cmタイルの4分の1で丸を3つ。単純に考えれば、まず半分にする。その半分をまた半分にする。これで4分の1の出来上がり。
ただ物事はそんなに甘くない。つまり半分にする・・・が半分にならない。そのならなかった分が、今どんな失敗をしているか?

7割、3割に切れちゃったとか、斜めに切れちゃったとか・・・・その失敗をいかにカバー出来るか?なのね。そもそも大きく切ったのなら、救えるのは2枚。斜めに切ってしまったら1つはダメになるから、3枚救える・・・・ただ、全てが可能性があるってだけで、切り直して修正しないとならず、

そこで失敗すれば木っ端微塵ってな話。何しろ1cmの4分の1って言うのは5mmなんだからね・・・。あはははは。その5mmのタイルを持ち続けるって言うのは、ギターの弦を押さえるのにも似ていて、最初はイタタタタって感じにもなる。

別に慣れれば大した事は無いが、慣れるまでは全てのモノ作りはぶきっちょ・・・ってな感じになる。勿論、最初から器用なんて人もいるけれどね。
それとまだ日が浅かったりして、1ヶ月に1回だと慣れるのに時間が掛かってしまって・・・・えっとどうやったっけ?・・・みたいに思い出さないと、

ならない事もあったりして・・・・ただ思い出した頃には、結構疲れていて・・・・要するに慣れるって言うのは、道具もそうだし、素材もそうだし、環境もそうだし、時間もそう・・・こう言う事全ての話で、後は俺にも・・・って話。

先生が合わないと続かないだろうしね。本当はここであははははって所だけれど、怖くて笑えない・・・・。

そんな中、えっ?・・・・・あれ?・・・・・外に車が止まったのね。俺は老眼なんだけれど、近眼なんで、普通と違うのね。近くは近眼のメガネを外して、メガネの無い生活をして、車に乗る時はメガネを掛ける。それで一番怪しいのは、そのどちらでも無い距離・・・・いずれにせよぼんやり。

カルビ?・・・すると、やっぱりみどり親子で、何かお出掛けの帰りらしく差し入れを頂いたのね。そんなこんなで先日の時計の件を話して、下絵を是正となったから、次も下絵かも・・・・って言ったら、ゲッ・・・・って顔してた。まぁ、きついからね・・・・考えるのってね。

そんな中、実は2件の新規のご予約が入ったんだけれど、どれもシルバーウィーク・・・・って事になると、流石に下地作りがヤバイ・・・。


一応彫ったさ・・・何とかしたさ・・・・12時過ぎてたさ・・・・けどまだペーパーもペンキも残っている・・・・。
でもやるさ・・・。

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いつ振りかな?習志野のユザワヤ・・・

2015-09-18 23:51:37 | モザイク教室
朝から凄い雨が降ってて、いつもの口癖・・・折角雨なんだから・・・って事で、先日、傘が壊れちゃって新しいの買ったからデビュー出来るし・・・・
何か言う事が、そこらの女子以上に女子力あるでしょ?・・・・あはははは、そんな所だけなんだけれどね。

さて昨日は流石に何だ?ここ・・・モザイク教えてんじゃないの?ってな話になって、すっかり気持ち悪い感じになっちゃったとは思うけれどね、ある意味それもあってもおかしく無いと思うのね・・・何故なら俺は一体何のどんな先生なんだろうか・・・?そりゃモザイクの先生でしょ?って聞こえそうだが

でも実は作家katsuでもあり、その作家って言うのもきちんと認められる芸術家って言うのになりたい・・・と、うたっているのね。
そうね、良くある捕まった時にテレビで自称芸術家って言われないようにね・・・。

じゃ仮に今は自称芸術家程度扱いだとしてね、物事って言うのは意外と単純で認められるって言うのには、1つ目のパフォーマンスをネットでドーンって言うのもあれば、コツコツ苦節10年なんて言うスタイルもある。って事は、俺があるとしたら後者って事になる。

では苦節って何だ?・・・となると、ある時、誰かに過去を振り返って貰ったりする訳で・・・。何これ?ってね。すると、その1つから興味を持たれた事がどんどんとお芋掘りのようにズルズルとあれもこれも・・・ってな形で知られたら、本当に凄いものならば次々と見たくなる。

それがもし同じようなものなら、1.2個見れば同じなんだから目新しいものは出て来ないのだから、興味は途切れる。
いずれにせよ、今は自称な感じのものが、もし認められる事になったとして・・・・すると、その日から自称では無くなる事になる。

ただそれは知られた事により、欲しいと思う人が増えれば、どんな仕事でも適正価格以上に付加価値が付く。それが芸術と言うのなら、単なるチケットでも何倍にもなるのだから、資産価値なんて付いたりもする。別に驚く必要も無い話なんだけれど・・・。

ただそれは単に実力を認められただけで、知る人が増えた事で上手い事、凄い事が広がっただけ。つまりそう言う事ありきで認められたって事になる。
がしかし、実際は売れたら認められた事になるのだから、テレビで知られているとか、浮世離れに稼いでいるとかになってから、凄いって話になる。

つまり感覚としては、普通は売れたから凄い・・・・って思われる事が多いが、実際は凄い事がオープンになっただけで、凄いから売れたなのね。
本来、良くあるパターンだと、インディーズで何年・・・みたいにいつデビューしてもそこそこ売れる人を、しっかりしたファンを固めた上で、

デビューさせる方法はかなり支流で、昔のように宣伝広告料を掛けて一挙に露出なんて時代では無く、そう言う一挙って言うのはネットでやって見た・・・って方法もある。まっ、いずれにせよ、出来る事はコツコツやってはいるんだけれどね・・・・あはははは。

話は戻して、仮にその日が来れば、芸術家が教える教室って看板になるだけで、今は、この程度です・・・いかがですか?って看板を出しているだけ。
つまり売れようが、売れまいが、凄いと表現されようがされまいが、俺の問題では無く人の評価であったりする訳で。

それでね、要するにこう言う事を踏まえて、モザイク先生ならテクニックを教えるだけで良いと思うのね・・・それが普通だから。
でも、もしそうで無い事も教える事が出来たら?・・・・ではその人と違うって何?って言われれば、芸術ってなんぞや?って話になる。

これは売れようが売れまいが持論なんで、変化はするかも知れないが、ベースは読んで字のごとく、まずは芸。これを伝統ってスタイルなら、誰かに習いその伝統を受け継ぐ・・・そう言うスタイルと、その人独自のやり方で、その人ならではの・・・ってスタイルが簡単に対比としてある。

伝統とは、己の意見などどうでも良く、受け継ぐになる。全てが同じになるように・・・それが後者は独自のやり方で固定はしない。
では次は術。ほら魔法でも掛けられたようでしょ?・・・・。何々のような・・・これを前者では本物があっての本物のような・・・になる。

つまり真似。そっくりって話。これが後者では、独自・・・それこそがオリジナルで、何かに似せるでは無くて、デザインやら何やらの新しいと思われるものを良しと認めて貰う・・・そんなやり方があったりすると思うのね。

前者を取るのなら、写真でも観て、似ているか?似ていないか?になる。芸を身に付け術を使うとでも言うのかな?そっくりになるようにね。
それが後者はゴシック様式の中、たった1人で化け物屋敷のような家にリフォームしたガウディのような、恐ろしいくらいの個性・・・・。

こう言えば判りやすいかな?・・・・こう言う対比があると思うのね・・・ひとことで芸術って言っても種類がね。それでね、俺は誰にも習っていないから、これが正しいとか言うつもりも無いし、何処でどうやろうと勝手だとは思うのね。

ただ俺はそこに情緒なんてもんが必要なんで、作家katsuとしてはそう言う事を大事にしてやっているのだけれど、そもそも一体、生徒さんはどの程度の作品を望んでいるのか?になるでしょ?・・・・その時にきちんと道具が使えるようになれば、その技術を持ってして情緒なんてのも良いが、

タイルを切った事が無い人に情緒なんて出せる?いらないよね・・・だけど風味くらいなら・・・・なんて教え方もあるでしょ?きっと。
でも限られた時間の中なんて事になると、やりたい事とやれる事は違って来る。

そうかと思えば、別に情緒なんてどうでも良い人だっていると思うのね。それならある程度経験すれば、誰でもそこそこ出来ると思うのね。
だってネットで探せばいっぱい先生は出て来るからね。先生と名乗るに値するかどうかは別にしてね・・・・。

要するにその程度のモザイクなら、もう俺の教える事はほぼ無いし、そこで留まったとしても、ここで何年も続いた人なら人にあげても恥ずかしい作品にはならないだろう。だからそれも良し。ただ、今のカルビのように、新作は今までとは違う作品になるな・・・きっと大変だろうな・・って時、

先生としてやれる事は、これを完成させたいな・・・・って思える最高の準備をしたいのね。こう言う一皮剥けるかも知れない作品って言う時は、
いくらか情緒って話も必要な人もいる・・・・これが相席のぼーなら、まだ子供って事で、頑張れ・・・でも良いが、カルビは年上。

そんな事もこんな事を踏まえて、大人な分、教える事を少し変えよう・・・・って話なのね。それがもし正しければ、ものの考え方としてオリジナルとは、そう言う考え方があって・・・・それでどうする?貴方は・・・・ってやり取りをし続ける事になる。

それが自分を語る練習だとしたら・・・・オリジナルとは自分自身・・・・人と違うと言う事は・・・個性と言うのは・・・?
そう言う事に繋がって行くと思われるのだけれど・・・・。後は来る人が決める事。

ただあくまでも続いた人の話しで、最初の頃は楽しくのみ。時間の中でそこそこ結果を残す・・・これだけ。あはははは。
そんな長い枕になったが、カルビの作品が時計って事で最初は100円ショップの時計を分解して付けようとしたが、こんなに下絵に時間を掛けている。

きちんと今までとは変わって来た事も踏まえて、それじゃ俺も・・・・ってかぐやに調べて貰って確認の上、しばらく振りに習志野のユザワヤに時計や針を買いに行く事にしたのね。折角雨だし・・・・。

まぁ変わったのね・・・・品揃えが。ご年配の方が多い事もあって、布や刺繍のコーナーばかり。それと何だっけ?首からぶら下げたり、腕とかに付けたりって・・・正式名が判らないので総称してアクセサリーの材料とするが、そんなコーナーも幅を利かせていた。

かぐやにその品揃えを話すと、当然、物作りの好きなかぐやは敏感で流行を知っていたりしたが、時々、私だって行かないと判らない・・・と言っていたが、そもそも俺は男だし、かなりのハンデをしょっているのだから、正直ビックリしたのね・・・・。こんなに片寄っているとはね・・・って。

ここだけ見ても、物作りの年齢が見えた気もするし、保守、革新って話みたいにも見えたし、いずれにせよ、刺激にはなってアトリエに戻る・・・。


そんなこんな事もあって、下絵の是正をする事になり、次のお教室も下絵の続きになるかも知れない・・・・。

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さくら教室

2015-09-18 06:47:35 | モザイク教室
今日は午後からさくら教室って事で、それまではカルビの下絵直しから。これだけしっかり下絵に取り組んでいると、それ相応の完成度にしてあげたいし、そうなると下地を作るこっちとしては、どうすればより完成度が上がるか?って事になる。

何しろきっと生まれて初めて、こんなに真剣にダメ出しされながら向き合って描いただろうし、それなのにその時にそれ以上、もっともっとって言ったら、くじけるだろうから、この日はここまでかな・・・・この日はここまでかな・・・って何度か繰り返してここまで来た。



それが今回はこれが置時計にしたい・・・・そんな下地を作るのだけれど、置時計なんか作った事無いし・・・・どうやったらここまでやった人に応えられる下地になるか?・・・・と考えると、ここは彫るの無理かっ・・・とか、ここは強度が無いよな・・・とか、色々とこっちの都合もあって・・・。

ただだからと言って、彫りやすくすれば良いやとか、強くなれば良いか・・・では無く、美が大事でね・・・何をどう作ろうと、必ずここまでの下絵でやれば時間は掛かる。それならそれだけ時間を掛けるのなら、作る人は報われないと・・・だからこそ下地も簡単では無くなる。

これが何と無く丸とか大体こんな・・・ってザックリな話だと、こっちは楽で良いが、逆に全て作る人の実力にゆだねるようになる。
例えば先日のロンのギターで言うのなら、キターの形の木に作るのと、四角い額にギターそのものをモザイクで作るのでは全く意味が違う事になる。

何しろ今回は1cmタイルで作ろうとしているから、四角い額の中には作らせたくないのね。それではバックが多くなるから。だからバックを無くすには、この形をくり抜くようにしないとならないだろうから、そうなると余り輪郭が細かったり細かかったりすると、彫れなくなる・・・だから修正。

そんなこんなやっていると、さくらがやって来てお教室なんだけれど、俺の見る限り相当体調は悪いのね・・・・そもそもこんな時期は去年なら、お教室前に梨園に行きたい・・・なんてスタートだと思うが、何も言わないし、人はそうそう変わらないと言うのなら、同じ事を同じようにするもの・・・。

これが子供なら飽きちゃった・・・とか、あったりするだろうけれど、何しろ普通の人とこの時期のさくらの梨の必要性では、意味が違うのね・・・。体調不良だから、梨でも食べないと・・・って主食みたいに口にしているからね・・・・。

しかもそんな調子だから、見るからに痩せた・・・って判るし、それが単なるダイエットならまだしも、確実に悪い方に痩せたんだな・・・って思える。そんなこんなでも弟子なんで、遠慮なく気になった事、人は見た目で判断するのだから、こう見える・・・って事を言い続けて・・・

人から見える今の印象を確認させた。その時に実際はどうか?・・・と比較して、もし是正を出来るのなら是正するも良し、意地を張れる元気が残っているのならそれも良し、しかし、もし八方ふさがりなら・・・きちんと振り返り、曖昧にしない事。それ無しでは何も変わらないし、変えられない。

そもそも1人で何かを考えて答えが出るのなら、ここに来なくても何とかなるはず。そう言う事を話を聞きながら、これを作った・・・。
俺に聞いたのは羽の位置のみ。これを見て気が付く事は、まず4面作る最後がふくろう・・・・一番好きなモチーフならここまで作れる事。

バックは同じ色、同じ形の繰り返しだと安定感がある。そこに迷い無し。質も良い。そもそも俺の横で作って満足に手が動かないようでは、信頼度が低過ぎるし、ここで全力が出せないようでは弟子とは思えない。そう言う点では、きちんと見る眼のある人がいれば、まだ気力はあるように見える。

がしかし、今のさくらにあれこれって色々は無理であり、ずっと同じ事の繰り返しが良いと思われるが・・・・。
いずれにせよ、意地だけで体調が悪い事は伝わった・・・・そんな中、キウイがやって来たんだけれど、さくらさん痩せた?・・・・って一言。

こうして2人に言われたのだから、ダイエットをしていない限り、何か大きく変わる何か?がある事になるよね・・・?自分が一番判るよね?
いずれにせよ、さくら教室なんて言うのは、俺は完全にお坊さんみたいなもの。モザイクはふろくみたいなもの。

さくらが何も言わずに、何も聞かずに、黙々とやればやるほど、悟られまい・・・ってやっているようにしか見えない。そもそもお坊さんが見知らぬ人の心を読んで乱れていたら肩を叩くのなら、俺程度の人間であっても、弟子の心も読めないのなら、師匠なんて辞めてしまいたくなる。

くだらない話だが、最近みんなエスパーだよ・・・って深夜にドラマがある。一見くだらない内容だが、そこに相手の心の中の声を聞く事が出来る主役が出て来る・・・さくらとのやり取りは言葉数はぐっと減る。ある意味、やり取りの仕方はそんな感じである・・・・初めて会った日からずっと。

さて、こんな訳の判らん話を続けた所で、変な宗教みたいに聞こえると遺憾ではあるが、興味本位な人もいるかも知れないから、続けるとして、
良く、脳の先生が手先を動かすと脳に良いとか、脳は普通余り使われずにいる・・・とか、色々と立派な先生の話があるよね?・・・

更に頭を強くぶつけてしまった後に、カレンダー計算って言ったかな?何しろ人に出来ない事が出来る様になった人がいる・・・とか、そう言う事があるらしいのね・・・・いずれにせよ、俺の日常で言うのなら、ほぼ頭と手しか動かさない毎日・・・・。

体力も偉いお坊さんよりも動かないから使わない。だから全面的に頭と手に特化している。そんな異常な毎日は普通の生き方とはちょいと違うのね。
当然、何かが昔の生き方とは変わっても不思議じゃない。勿論、真摯に努力もしていれば当然進歩なんてもんもする。

こんなザックリなたわいもない話からでは、この先の話は判ろうとして貰えないと、ほぼ気がふれているような話になるが、もしさくらも俺も人の心の中・・・ん・・・本音とでも言うのかな?それを覗ける人だとしたら・・・・当然、俺の心の中もさくらの心の中もお互いに見放題って話になる。

それがきちんと向き合っているのだから、他人の中ではかなり上の関係性になる。しかも親子の関係でも判らない事がある・・・とも言うのであれば、場合に寄っては師弟関係って言うのは、それ以上である場合もありうる。

もしそこまでと言う事になれば、その上に更に心の中は見放題って話になるのだから、相当な率の本心が判る事になる。勿論お互いにね。
それが勉強だとして、同じ能力を持っていたとしても全く同じ点になるかな?・・・・つまりいつもピッタリ同じでは無いし、大体同じって位だよね?

これがもしお互いに切磋琢磨したとする・・・そしたら当然磨く事になるよね?その能力もね・・・見えるものもより繊細にね。
つまりさくらが見た景色や環境が、今のさくらを見た時に何があったらこうなるのか?・・・・って言うのを、俺がさくらになってさくらの日常に、

入り込むと、こんな事あったな・・・きっとあんな事あったろ・・・・って見えた事を言うと、顔色に出なければ確認出来ないだろうが、大抵はとても素直に顔に出る。だから、さくらは何も話さなくて良い。ただ顔さえ見えれば・・・・確認出来るのだから。

しかもそれによって確認出来たら、そう言う状態や状況なら、きっとこんな事になるよな・・・って次の展開を読むなんて事になる。
勿論、その時の体調も考慮に入れて・・・・何せ俺では無くさくらになって・・・・が基本だから。

ただ当然、人の中に入るって言うのは、その人の痛みや悲しさみたいなものを体験するのだから、向き合っているこっちもかなり疲れる。
そうね、感覚としてはお葬式の参列。何もしていないのに疲れる・・・・みたいな。

って感じ・・・伝わるかな?ここまでは、まだ初歩で、これをさくらもやっていたとするのなら、そう思っているのね・・・師匠は・・・ってまた読める訳で。そうね・・・読み返されるとでも言うのかな?それがさくらの経験の中に、俺の経験した事の無い事があって、それはとても大きな事で、

人の人生を大きく変えるような出来事で・・・なんて事があって、その記憶は余り良く無い記憶だったようで・・・どうやらそれは俺にも起こりそうな気配を感じているようだ・・・。本来、研ぎ澄まされる神経と言うのは、良い事でもアドレナリンが出て・・・なんて人もいるが、

逆に悪い状況の中で生き延びる術として、追い詰められた時に何とかせねば・・・って感じの時に発揮したりするものだったりするのなら、今の俺はそれ程悪い状況では無いとして、それなら余裕も会ったりしたとして、本来読み取る力は薄い気がするのだけれど、さくらの中に入れば、

非常に悪い状況があり、入った俺には余裕があるのだから、ある意味展開の先読みするには好都合な気もする・・・。ただこれは俺目線。
では次はさくら目線。明らかに考えられるのは2つあって、1つは具合いが悪く俺を読む余裕すら無く、本気で調子が悪いだけ。

ではもう1つ。調子が悪い状況だから、追い詰められて見えるさくらは研ぎ澄まされている。そのさくらが覗いたのが俺の中・・・・。
もしかして、いつもの具合の悪さに上乗せして悪くなった最後の1滴は、その研ぎ澄まされた状況のさくらが覗いたこれからの俺だったとしたら・・?

それを見たさくらが老婆心として俺の知らないこれから起こる事を見て、抱え切れなくなっていたとするのなら・・・いずれにせよ、いつものようにいつもの事が同じように出来ないのは、何かしら変った事があったから・・・。普通はこんなに振り返る事は無いだろうから確認はしたし、

ありとあらゆる想定はしたし、後はさくらがその中の選択をするか?それともその中をベースにアレンジをするか?はたまた余力で意地で維持をするか?
ただ、1つ言えるのは余力を持ってしての撤退は立て直しであり、恥ずかしい事では無いし、意地を押し通すだけではただ意固地であって、

応援している人の気持ちを一切受け入れていない事になる。まっ、気持ちは判らんでも無いが、いずれにせよ、さくらに声が届く数少ない者の一人としての意見は言ったし、後は何をどうした所でさくらを受け入れれば良いだけ・・・・って言う話。

気持ち悪い話に聞こえたかな?それとも・・・・。

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高洲公民館のサークル活動とカメレオンのモザイク完成

2015-09-17 06:49:24 | モザイク教室
今日は月に一度の高洲のサークル活動。それでは枕無しで一人目。今日は間違いなく話題が多いこの方から・・・。まずは、この夏に旅行に行ったって事で、おみやげを頂いて・・・・そんな話を枕に、先日の地震でなのかな?ゴトンって音がしたら、作品が無くなって・・・・えっ?って感じだったらしく、

どうやらタンスの隙間に落ちたらしく、ご家族の協力あってタンスをどかすも、破損・・・・ってな事で、補修からスタート。
そんなこんな話の中、実家が茨城なんで様子を聞くと、大丈夫だったらしく・・・・ただいつも通っている道もあったらしい。

まぁ何も無く何より。そんな中、カメレオンの作品を見て、細かいぃぃ・・・って話になり、真面目に教えたりしちゃったのね・・・・。


まっ、この人なら左手の持つタイルの頑張りと右の握り方の加減、そして大事なのは喰い切りに左の親指をいかに入れられるか?
・・・そんな話をしつつ・・・・お次はタピオカ。


もうコロの白のクラッシュをひたすら入れるだけだから時間の問題。いよいよ完成って話。お次はのりちゃん。


タピオカとのりちゃんは遅れて来たんで、あまり進んではいないのと、何しろのりちゃんは久しぶりなんで、来るなり忘れられちゃったんじゃないか・・・・って心配でしたぁぁって登場。大丈夫なのね、心配無いのね・・・・ただ久しぶりだと、こんな事はとても難しいのね。

何しろ左右対称みたいなパーツだし、若干えぐる場所はあるし・・・・難しかっただろうね。ではお母さん。


ここは心配なしなのね。何しろアトリエに来ている分、最低1回分サークルだけの人より多いのだから、教えた事もしばらく振りで忘れちゃった・・・・って事は無いのね。だから、ほぼ見なくても間違いが無いのね。ここはお見事。では最後にキウイ。



いよいよバックに入ったのね。そしてバックのアイテムの桜を入れたんで、次回川を入れれば、後はクラッシュのみだろう・・・。
ここは、先日のくじらさんと同じで、ただクラッシュを入れる・・・では無かった場合、こうしてきちんと何かそこに入れて、その後にクラッシュ。

くじらさんはそこが文字になったって言う話で、キウイはそこが桜と川になったって言う話で、全く同じ事なのね。それがキウイの上手さが1つ頭を抜けているのは、切る事の上手さもさる事ながら、情緒の出し方なのね。きちんと自分がやった事を理解した上で、バックを考えているのね。

例えば、お内裏様とお雛様がきちんと正面を向いていない事で、これは人形では無く人な感じになる。これが正面なら、ぼんぼりとか台とかになるが、2人が向き合っていて、そこに川があって桜なんて、また春が来て歴史が積み重なった・・・みたいな観る人によっては、そんな風にも見えるのね

・・・・。しかもこんな小さい中で、それを表現しようとしている・・・・流石にキウイなのね。こんな事を踏まえてこれを見て貰いたいのね。


目地を入れて完成させたのね・・・・アトリエに戻ってから。実は観て欲しいのはこっちの方。


これはね、それはそれは初期の頃の俺の作品なんだけれど、裏のサインを見ると平成13年って書いてあったのね・・・。どう?比較して。
同じ人の作品には見えないでしょ?・・・・消してあの時、楽もしていないし、むしろ今のカメレオンよりも必死に作ったのね・・・・・。

きっと時間だってあの時の方が長い。もしあの時と違う事があるとしたら・・・・上手くなっていると思われるモザイクのキャリアと下絵に掛けるきちんとした時間・・・明らかにそこは違う。ただそんな事は観る人には関係の無い事なんで、何年前だろうがなんだろうが、結果が全て。

その時にモザイクをした事が無い人はただ好みのみとなる。けれどモザイクを知っている人は、古いほうの作品のデコボコに気が付いたりする。
これ何ですか?・・・・みたいにね。そう素材の違いに気が付くのね。自分の見た事の無い素材だったりしてね・・・。

これが肉なら、食べた事が無くても、細かく白と赤が入っているから・・・・もしかしてこれが霜降りぃ?って言っているようなもんで、これガラスですか?・・・・って切った事が無くても、判ったりする。ちなみにこのガラスタイルはズマルトって言って、キャラメルのような厚みがあって、

歴史的なモザイクの壁画に良く使われているもので、1キロ7000円で2キロ単位だったのね・・・・当時は。つまり1色14000円。高級ブランド肉と大して変わらないのね。それに比べれば新作は、貰った銘木を彫ったのと、1cmタイルのみ。だから高級な肉では無い。

つまりもし良く見えたらシェフの腕になる。ただそんな比較を出来る人は相当モザイクを知っている人になる。じゃ知らない人は何処の何を見て評価するのだろうか?・・・・それを人の好みって単純に表現してしまうと、何かもはや偶然狙いのバッターって感じになる。

きちんと根拠立てて考えないと、その内に数打ちゃ当たる・・・って言っているように聞こえるのね。それでは良い先生とは言えないでしょ?
何故?って話が言えないと・・・そこで思うに、簡単なのはカメレオンが嫌いみたいな人はどっちも嫌いって言うかも知れないが、

そうなると話は終わっちゃうので、どちらか?って言うと、リアルよりも可愛い方って事で、昔の方を選んだりするのかもね・・・。
ただどっちが高そうに見える?・・・・って言うと、きっと新作の方を選ぶと思うのね・・・その理由の1つは銘木・・・。

それとね、誰もが第一声が細かいぃ・・・って言うのね、新作は・・・つまり細かい事は凄い事に繋がるらしい。
ただ良く判って来たのは、作る大きさ分の1パーツは一体どの程度が適切か?って話で、細かきゃ良いって話では無いと思うのね・・・。

だからキウイの場合だと、そもそも下地が小さいからパーツは自ずと小さくなり、それが切れるか?どうか?って話になるのに、凄いのはそれを単なるクラッシュでやっていない事なのね。つまり未だにクラッシュを温存している事なのね。この小さい中でね。

そう考えると、新作カメレオンは単純ないびつな丸みたいな繰り返し・・・・実はここに秘密がある。昔なら必死に丸を切っただろうね。けれど今の俺はそうはしない。いかにどんな形の皮膚なのか?・・・であり、丸さの追求では無いのね。むしろ丸の方が適当に切り置き出来るから簡単。

ただそれはきちんと今は切れるようになったからであって、初期の頃なら必死で丸を切ったんだろうね。それをわざと丸く切らない。
つまりわざとボールを投げる・・・ストライクばかり取りに行かない。ここに緩急・・・つまり大小なんて事を切り分けたりして、更に変化球・・・

そこに色も巧みに・・・って使えると、よりリアル感が求められる。ただそんだけ。こんな簡単な事が判るまで10年以上も掛かったのはまぬけな話だが、やっとまたきちんと教えられるネタを得られたのだから、それはそれだが、だからと言って教えられるか?となると、そんなに簡単じゃないのね。

そこに先生として説得力とか説明とか、話術なんてのが必要になる。誰もが同じように同じスタイルで習いに来ている訳じゃないのだから、どの程度の質をどの程度の時間で作るつもりなのか?・・・・って話で、見極めを失敗すると、相手の思う仕上がりや掛かった時間の長さにへこたれちゃうし、

いずれにせよ、そこにサンプルも無ければ、しっかりした下絵すらも無い見切り発車・・・それを踏まえれば、いかにみんなが上手く見える作品を作っているか?が更にアップして見えるはずなのね。だってこの腕を持ってして、もしもう少し本気な下絵の時間を掛けたとしたら・・・・?

そりゃまだまだ上手くなるのだから、実に楽しみな話でしょ?ねっ。ただね、誰もが下絵って話じゃなくて、きちんと切れるようになったら・・・って話で、そろそろ大作やりたいな・・・・って感じの人になったら・・・・って話。

最初は楽しくどうぞ・・・なのね。あはははは。もっとおかわりしたくなったら・・・・ってな話。
いずれにせよ、最終的にはプロはじゃいくら?って事になり、じゃ一体どっちのカメレオンが高価なんだか?・・・・って話。

同じ料金ならどっち?とか、いくら必死でやろうが、材料が高かろうが、楽々仕上がろうが、そんな事は関係無い。その価値と金額が折り合い付くか?付かないか?だけであって、ただ良いね・・・ただ上手いね・・・凄いね・・・は、プロなら当たり前の話で売れてなんぼ。

まぁやって見ると厳しい話である。ただあの頃よりは腕も心も成長しているとは思えるのね・・・・自分でも。




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カメレオンのモザイク張り終わり

2015-09-16 00:29:09 | モザイク作家
まずはかぐやが趣味なびってとこでサンプリングって事で、以前のアース渦巻きに続く第二弾・・・・


と言う事で、お教室の皆さんに・・・・。ケロッグ・玄米フレーク。ブレゼントとなりました。ってお知らせをして・・・・。でもこれに続くお話は何にも無く作家katsuでは、
結果報告のみ・・・そんな訳でやっと張り終わった・・・って話。

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くじら教室

2015-09-15 06:40:02 | モザイク教室
今日はくじら教室。それが宿題として自宅でやって来たのがこれなんだけれど、まぁしっかり作ってあってね、お見事なのね。
所がこんなに良い感じなのに、本人が恐る恐るやらかした感じなんですよね・・・・私って言うのね・・・。何が?・・・・

それで一体何があったのかな?と思うと、これからバック・・・・って話になり、下絵も描いて来たって言うのね。ほぉ、準備もしてあって・・・じゃ何が?やらかしているのかな・・・・って思うと、それはそれは消しちゃったの?って位、自信のない薄さの鉛筆で花が描いてあったのね・・・。

あっ・・・これかぁ・・・・それじゃお教室始めようかね・・・・。まず、これを作る事になった理由の確認から。確かこれは金魚のテーブルが思いの他気に入っていて、汚すのは嫌だって事で、ご夫婦で相談の結果、トレイを作るって事になり、偶然にも俺がトレイを持っていた事からすぐ決定・・・

となったけれど、実は良く良く聞くと、トレイでは無くトレイ使える銘木みたいなのに金魚のみを彫って、それをトレイがわりに作りたいだった・・・。
ってなヘンテコな話で始まったのね。で、要するに急きょバックを考えなきゃならなくなった・・・・ここね。

それで考えて来たモチーフが花・・・・そこで質問。本当は花なんて好きじゃないでしょ?・・・・えっ・・・・は、はい。だよねぇ・・・。じゃ何で花なんて描こうとした?何かバックにクラッシュだけじゃ寂しいから・・・それで花が良いかな?って・・・・。

それと、また何か付け足してモノが置けなくなっちゃったら、また同じ事になっちゃうから・・・・。ほぉ、そこは覚えていたんだね・・・。
そう、頑張って作ったらモノが置けなくなっちゃったからって理由もあったよね・・・・そこは間違いが無い。

まずね、金魚の時の下絵を思い出してね・・・・確かに下絵はいつも苦手で、前回の金魚のラフ画の時に、友達に宇宙人?って言われたくらいだったが、この金魚の下絵はきちんと俺には金魚に見えた。確実に前回よりも上手くなってた。しかも状況は一緒で、自分の飼っている金魚・・・。

確実にちゃんと作ろう・・・って姿勢はある。それがきちんと前回超えをしていたんだから言う事は無く、その下絵で以前よりも実績のある状況でタイルを張るのだから、この結果になった・・・ここまではほぼ完璧。なのに好きでも無い花を描くとどうなるか?・・・。

間違いなく描き慣れていないモチーフだと思わない?金魚は好きで最低でも2回描いて上手くなったのに・・・つまり好きでも無いものを何と無くバックが寂しいから、何も見ないで描いたよね?・・・・だってそれが証拠に、この花どんな花?って聞くと、種類は何でも良くて花に見えれば・・・・って。

ほぼ適当な感じでしょ?それなのに金魚はただの金魚じゃなくて、自分の飼っている金魚で名前もあって、丹頂って種類で・・・思い切りこだわっている。それなのに、花は別に花に見えれば何でも良い・・・・だって所詮バックだし、寂しいのが嫌だっただけ・・・だから力も入っていない。

って理由は合っているように思えるでしょ?ここが落とし穴な訳ね。モノの考え方にね。何故なら、作りたい本体には思い入れがきちんとあって、そのグレードが上手く行った・・・だからクラッシュだけでは寂しいと感じた・・・でもモノが置けなくなるのが嫌だから、思い入れの少ない花・・・。

ってね。じゃ考え方を確認するとね、仮にくじらさんの好きなものを比較して見ようか?もし仮に野球の券をタダであげるとするじゃない?行く?って聞くと、勿論って言うから、でもベイスターズ以外のカードなんだけれど・・・って意地悪言うと、えぇぇぇって言うのね。

つまりベイスターズファンであり、野球ファンじゃないって事になるよね?じゃ話を変えて、日本観賞魚フェアのタダ券あげるって言ったら?迷わず行くって言うのね・・・・けれど、どんな金魚がいるか判らないんだよ?・・・・でも行くって言うのね・・・・1人でもって。

さっきとこだわり方が変わったと思わない?金魚は種類も関係無く一人でも行く・・ハードルが低い・・・何でも受け入れるって感じでしょ?
ほら人って好きってくくりでも、こんなにこだわり方が変わったりするものなのね。なのに、好きでも無いモチーフは無いよりマシなら良い・・・。

一見こだわりが少なくハードルを低くしているように思えるが、実はそこに落とし穴があって、好きなものをより良くしようとして、水草だのエアだのをそのこだわった金魚を引き立てるやり方は前作。そしたらモノが置けなくなった。余りに気に入って。今回は寂しいから何か・・・・って感じ。

さっきの観賞魚フェアなら、観るだけで楽しい・・・けれど野球なら勝たないとね。単純に見るだけと、勝たないとって言う欲も入ると、ただ観るとは若干変わって来たりする・・・・これが気持ちの変動ってものかな?つまりただ置ければ良いトレイでは無くなって、欲を少しだけ出すつもりって、

事になるんだろうけれど・・・少しってどの位?前作はやりたい事を全て作ったからやり尽くしって事になると、今回はどの位なの?そのサジ加減って判ってやらないと、もしそれが自分の思っている以上に上手く行かなかったり、へたっぴに見えたりしたとしたら?

何か大好きなものを全力でやった前作は物が置けない位、大成功した。今回は金魚だけなら今の所前回超えしている。なのにここから好きでも無いもので何と無くで本当に良いのかな?・・・・この金魚の質を落とす事にならないかな?・・・・。

ここで考えるのは、それを選んだ理由・・・きっと凄く考えて何と無く花なのか?何も考える事なく、花良いんじゃない?何と無く・・・なのか?
いずれにせよ、何と無くってものは、提案1つでガラッと変わる事になる。何故ならこだわりが少ないから。

ねぇ、もしここに俳句の文字入れたとしたら?・・・・すると、良いですって言うのね。そりゃそうだよね、だって好きで習っているんだから。
大事なのは、そこに物が置ける?・・・・すると置けますって言うのね。じゃそっちじゃない?

そもそも好きでも無いモチーフで失敗したらどうする?けれど、金魚に俳句・・・どっちも好きでしょ?つまり気持ちとして折れないと思うのね。
しかも何と無くって作らないしね。じゃ俳句と花の違いは?って花はこれから花をきちんと描き直すのと、俳句を考えるのと、どっちが得意?

つまり好きこそものの上手なれって言うなら、絶対経験値のある俳句はくじらさんの力になる。しかもすでに文字も3回目となるのだから、初めての花をやるよりも有利になる。もしこれが正しいのなら、金魚の成功にふさわしく、得意の俳句で3度目の文字・・・失敗する理由が見当たらない。

しかもちゃんと置けるって言うのだから。そこでそこまで決まれば、提案はその文字の字体。今までは割りときちんとした文字だったが、今回は相田みつをさんのような、あんな絵手紙のような文字・・・・あぁ言う文字で、余白に合わせて大小問わずの文字にする。

バックいっぱいにね。そうすればバックは少なくなる。その後にクラッシュって言うのも良いし、波紋のような中心部から丸いラインでクラッシュでも、そんな展開にして行けば、よりお洒落になるんじやないのかな?・・・・って言うと、花を考えるよりもそっちの方が良いって話になる。

そこでこれから続けるに当たって、基本は俳句に挿絵ってスタイルを続けたら?・・・・それでもし他のモチーフにしたいのなら、それのみを15cm程度の小物でチャレンジして行く・・・・そうすれば、文字で徹底的に切る練習が出来るし、きちんと切れれば見栄えも良いしね。

そんなこんなでこっちの話は終わるんだけれど、要するに簡単に・・・何と無く・・・バックだし・・・って言うのは、上手く行かなかったら大きなダメージになる。好きな野球も見られれば良いや・・・タダだし・・・でも勝たないと・・・ほら欲って変化した。

それが金魚なら観られて良かった・・・おしまい。こだわり方1つで同じ人が変化した。こんな事を踏まえて、もしその花が上手く行かなかったら?もしその花がとても時間が掛かって、金魚よりも苦労したら?・・・・何と無くって、金魚よりも質が落ちても良いはずだよね?だってバックなんでしょ?

ほらね、ここよここ。質の良い金魚を作ってしまったらそのバックだって欲が出るのね・・・実は。もし手馴れていない花に手を出して、やらなきゃ良かった・・・なんて事だと台無しになるでしょ?チャレンジするなら花のみを15cmくらいで練習すれば良いんじゃないのかな?

いきなりこんな素敵な作品で練習しないでさ・・・。って話。そんな人の本来の作品は・・・


1cmタイルを久しぶりに切ると、あぁ固いぃぃって。そりゃね、普通は1cmタイルで大作を作った後に、ぺきぺきで遊んで・・・あぁ柔らかいぃぃとか、もろいぃぃぃって話なのに、途中でぺきぺきでこんな金魚作品作った後に、1cmタイルに戻れば、そりゃぺきぺき時間の長さがそんな気分に、

させられるよね・・・けれど、ほらモチーフがまた自分の飼っている鯉・・・・頑張れるでしょ?そこが何と無く・・・って決めたものだと、もし思った以上に大変だったり、上手く行かなかったりすると、へこんだり、何でこんなの作ろうとしちゃったんだろう・・・ってな事になりがち。

いずれにせよ、俳句に金魚ってスタイルをしばらくやっていると、それが個性になるだろうし、もし挿絵として何か他のモチーフと言うのなら、小物でそれのみを練習ってスタイルでやれば、構想って部分に苦労せずにモザイクに専念出来るはず。

しかも、全てオリジナルだし、俳句の人達にも見せる事が出来るし、幅は広がるだろうしね。良いと思うのね。迷う事が少ないから。
文字は繰り返し出来て、挿絵は15cm位で何でも出来る様にすれば、かなり素敵なスタイルだと思うのね。

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班長教室

2015-09-14 06:29:23 | モザイク教室
今日は班長教室。まぁ彼は正直でね・・・おはようございますぅ・・・って入って来るなり、カメレオンを見て、おぉぉ良いすねぇ・・・って。


有難う・・・それ俺の・・・ってやり取りをした後に、これ見たっけ?・・・・ってかぐやの作品を見るなり、ヤバッっっ・・・何だこれっ・・・って。
まぁきちんと驚き方を変えて来た・・・・そもそもヤバイって若い人の最上級の褒め言葉なんでしょ?・・・あはははは。

こう言うのって大事なのは、この程度の作品ではいくらきちんとやったとしても、かぐやの大作にはかなわないって事って自覚。ここを師匠だからなんてプライドで、意地を張って見ても、何か言い訳みたいなセリフを吐くだけになる。

それよりは素直にここは参りました・・・って方が潔いし、そう言う機会が来るまで辛抱なのね・・・ってのが正しいと思うのね。それと師匠katsuと言うのなら、弟子が褒められて嬉しくないはずが無い。こんな時、あぁ子供が褒められるってこんな気分なのかな?・・・・とも思ったりする。

もっと言うのなら、その褒めた班長とてこの作品を作る人なんだから、その上手くなった眼での評価なんだから、単なる好みでの判断では無い。


自分でも最近の自分が以前と変わったと思えるらしいのね。そうね、きちんとした目標なんて持つと人って変わるものなのね。それにはまず意識。
その意味も判って貰えたようで、そうすると見えるものが違って来るのね・・・・。

勿論、意識だけを変えても行動が伴わないとそこ止まりになるが、もっと言えば結果を考えて、どうせ無理とか諦めてしまうと、結局何もしない事を選びがちになる。ある意味ほぼ大体はそっちになる。ただそれが誰かにプレゼントしたいから・・・なんて意識を持つだけで、子供でも頑張れたりもする。

所が一番簡単そうで難しいのは、自分のものを作る事なのね・・・それが何と無く作りたい・・・って最初はそんな感じで軽く始められるんだけれど、
上手くなっても段々と何をどうしたいか?・・・そう言うものが見えなくなってしまったりする・・・・。

簡単な話で、最初は作れるのかな?・・・あっ出来たぁ・・・で楽しかったのに、続けると上手くなりたいと思ったりする。だからいっぱい時間を作ろうとする。そうすると、今までの生活からその時間を捻出する。しかも欲張ると無理をしていっぱい・・・・。

最初はそれも良いだろうけれど、ずっとは続かない。何故なら無理をしているから。それが段々と落ち付いて来て、自分なりのペースになる。
ここなのね。ここが基本のその人のペースなのね。これなら無理なく出来る・・・って自分の持ち時間。

所がここを見ていると、以前の自分みたいなペースで次々に凄い作品を作る人達が出て来る・・・・すると以前の自分のような人達の凄さに、今の自分の作品と比べてしまい、何かもどかしくなったり、別にそんなに本気でやっている訳じゃないし・・・とか、何らかのダメージを受けたりする。

でもそこを昔はあんなにやってたっけな・・・・って思えたりすると、それは目線が上であり、実はその冷静な判断こそが上手くなった自分。
しかし、それを意固地になると、むきになったりすると、また無理をしてどつぼにはまる事になる。

そんな事の繰り返しなのね・・・何でも。結局先人の作品がそう言うのを作って見たい・・・って次の人達に思わせる事で、次の人も次の人もって、
次の人が前の人よりもちょっとでも・・・って気分や気持ちを持って、コツコツと慌てずに繰り返す・・・ただそれだけで良いのね。

そうするとその人にも歴史が残る。本来班長だって、最初は仕事に生かそうと思って・・・・って来て、結局仕事は辞めてしまった訳で、もう仕事には生かせないのだから、単なる趣味なのに、何故こうして上手くなったか?・・・・簡単な話で、気負いが無いから。

それとある意味、俺に会いに来ただけでもお金を払います・・・みたいな信頼関係。そこには相談相手として何らかの意味を感じてくれている訳で。
そう言う関係性は、技術の前に心なのね・・・・要するに自分のペースを維持して、ここに何を求めるのか?って意味さえ見つけられれば、

その繰り返しのみできちんと上手くなる。班長は本来ここに来る意味を失ったはずなのにね。だって仕事には生かせないのだから・・・。
つまり一体何を持ってして月に1回の付き合いをキープ出来るか?・・・・って言う時に、趣味になったんだよ・・・だから無理はしない事。

ここだけで良いのね・・・・趣味なんだから。ただ必ず1回をキープ。そうすれば、必ず1回分上手くなるから。って続けたから、班長にも歴史が積み重なっただけ。たったそれだけなのに何故上手くなるのか?・・・・簡単な話で仕事に生かすって思った時は、実はそんなに乗り気じゃなかった。

でも、今は完全なる趣味なんだ・・・って意識を持つ事で、宿題も無くここだけ。ブログもほとんど見て無いし、ただ予約して毎月1回来るだけ。
この繰り返しなんだけれど、上手くなる・・・・それは何故か?きっとモザイクじゃない場所でも、何か役立つ事が見つかったんだろうね・・・。

ここでのやり取りが・・・・。そもそもここでのモザイクが技術の習得の人もいるが、もし万が一、自分磨きの為に己を知る・・・なんて事に手を出した瞬間、単なるモザイク教室じゃなくなるのかもね・・・・。別に普通のお教室をやるだけで、何も変えているつもりは無いけれどね。

まっ、自己啓発セミナーって一体何だろうか?・・・ってな話。そもそもオリジナル作品なんて、己ときちんと向き合いましょう・・・ってな話。
じゃどうやって向き合いますか?・・・・って事になった時に、誤魔化さない、きちんと自分の気持ちに正直に・・・って話で、

シンプルに結局、おごり高ぶらず、卑下せず、自分らしく・・・になる。所が頭では判っているような気分になるが、そんな簡単な事では無いのね。
何しろおごり高ぶるには、上手くないと出来ないけれど、ここを見れば果てしなくみんな上手そうだし・・・それをやりもしないで、こんなの出来る

・・・って言えば、あらまっ・・・ってな話だし、逆にみんな上手過ぎて・・・・と思ってしまえば、卑下してしまいそうになる。
それを別にそんなに本気じゃないし・・・ってやらなかったり、、逆にみんな上手くて・・・・って必死で時間を割いたりすると、結局続かない。

その時に自分のスタイル・・・自分の時間・・・そう言うものをきちんと繰り返す・・・・無理せずにね。そうすると習慣付くから、コツコツと続くのね・・・慌てる事も無く、サボる事でも無く、katsuのとこに来た・・・みたいなね。俺は千利休かっ・・・ってな話。

ただ俺は利休じゃないので、役目は1つ。先月のその人で待てば良いのね・・・・そうすればその人は先月の自分と話す事が出来る。
そうね、アトリエのお教室って言うのはそんなとこかな・・・・続けるとね。

これが数ヶ月も経ってしまうと、もう俺の中にもその人が薄くなっちゃうので、記憶に残らず、また1から・・・みたいになるから、一体どうしたインでしたっけ?・・・みたいな事になる。そんな繰り返しでも、例えば1回で終わるような小物を何個も作っている場合と、班長のような大作を作るでは

全く違う話で、簡単な小物ばかりでは、半年休んでもまた同じレベルのものを作るのは簡単。ただ何も変わらないだけ。けれど、大作を1作持った人は、その腕を半年休ませた・・・って感じになる。これがかぐやが半年休んでも、大した問題では無いが、大作途中で休んでしまうと、良くも悪くも

慣れとは恐ろしいもので、ずっと続けていたって最初のパーツとでは腕の差があるのに、しばらく振りだと、1からって程では無いにしろ、気持ちがおっくうになったりして、腕とは違う気持ちってものが錆びたりするものなのね・・・・。

それを例え月に1回しかやらなかったとしても、きちんと定期的に繰り返す事で、そのコツコツ分だけ進歩するって話。しかも同じ分だけの成長なんで無理も無ければ、ムラも無いから、常に一定で安定する。だから質の変化も判らない。上手い所も下手な所も大きく変化が無いから。

ある意味それが上手く見えたりするのね。常に来た分進めるだけなんだからね。ただ本来なら外用のボンドでやりづらいのは、外に取り付けようとしての事で、それもこれも仕事に生かす為に・・・・だったのに、目的意識が薄くなっているはずなんだけれど・・・・。

その事で、外用ボンドで進まない・・・・やりづらいのも、今回が最後の外用なんで・・・・それはそれで・・・と割り切っているし、そもそもこれを取り付ける壁が出来てないじゃん・・・・ってな話。そもそも転職しちゃったので、自分でブロックを積む時間が無くなっちゃったのね。

こんな調子じゃ本当なら何もかも目的意識からは遠いのに、月に一度の高貴な趣味なんで・・・・って言うスタイルに切り替えた途端、この上手さ。
ここに来た頃とは別人になっているのね・・・・心も。中々ぶれなくなって来た。

いずれにせよ、この作品が終わって、もしみんなと同じ室内用のボンドに変えて作品を作った時に、オリジナルを捨てて、何かこうした人のモチーフで作ったとしたら?・・・・スピードもアップするだろうし、かなり上手くなったと思うのね。

班長はもしかしたら、高貴な贋作作りみたいな作品が向いているのかもね・・・・オリジナルを無理にやるよりもね。何せ趣味なのだから・・・。
あはははは。以前ニノがやってた進学校の野球部の話みたいなのね・・・・名門野球部と同じスタイルでは、追い付かないでしょ?・・・・

何か特化させる・・・。満遍なく70点を取るのでは無く、国語のみが90点みたいな・・・・ね。それは古くの漫画の009みたいなね・・・・。
空を飛ぶ奴がいる。海を泳ぐ奴がいる。大地を走る奴がいる。炎を噴く奴がいる。人の心を読む奴がいる。ロケットをぶっぱなつ奴がいる・・・・

みんなが同じじゃなくても良いのね。それこそが個性。ただね、ついつい人と比べて自分の良さを見失う・・・・己を見失った時、海外旅行で自分の国の良さを知るように、比べて判る事なんて事がある。

己自身をしっかりしている誰かが見ていてくれると、そこに確かめれば良いし、己の事は己が一番判るって人は、それでも良いが、少なくとも班長はそう言う使い方をするようになった・・・・俺を・・・って話。まっあの頃よりも信頼されている。

ただその分、この関係が何処まで続くか?って言うのは、親離れ子離れみたいなもんで、必要とされているうち・・・・ってな話。
弟子って言うのは、その大袈裟版って感じなんだろうが・・・・。いずれにせよ、こう言う関係は終わる日まで全力を尽くせば良いだけ。

覚悟していれば良い・・・・ただそれを上回る関係なんて言うのもあるだろうがね・・・・。ってな事で、その後は作品作り。
けれど、昨日のご新規さん画像発見。


昔やってくれた人なら判るでしょ?・・・・・リニューアルしてあるの・・・。色々やって見たのね。ある意味、これが最初の楽しむだとしたら?
上手くなった人の楽しむってどんな事?・・・・いずれにせよ、答えはきっとその内に判るとは思うけれど・・・・。

無くしたものがあるのなら、得るものもある・・・・とでも言って置こうかな・・・。勿論、逆も真なり。得る事があるのなら、無くす事ある。
これもまたバランス・・・・。


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亀有カルチャーとオードリー教室

2015-09-13 01:48:37 | モザイク教室
朝、一番に親父から電話があって、どうやら無事だったらしい。ひとまず何よりだったが、どうやら後数日あれば稲が全部刈り取る事が出来たらしい。
結構大きく田んぼをやっていたので、だいぶ刈ってはいたらしいのだけれど・・・・。

正直、命が助かると人は欲張りなもんで、あれもこれもと思ったりする。けれど現実としては命があったら、喰う為には稼ぎが必要になる。
しかも俺より一回りも上の歳だと、1年育てて来た稲が後少しって時に・・・って思うと、片付けだけをしてまたやり直しなんて、心が折れそうである。

ただ夫婦共に生きている状態だから、また2人で頑張ろう・・・とでも思っていてくれれば良いのだけれど・・・。いずれにせよ、生きていてくれれば、もしかしたらまた会う事もあるだろう。何よりである。

そんなこんなで今日は亀有カルチャー。棟梁がお休みで1人体験があって4人。では最初は勿論この方から・・・。前回、俺がタイルを間違えてしまい、本来完成だったはずが・・・・ってものだったが、本日完成。本人の記憶で言うと2年位掛かった・・・・との事。お見事なのね。


本来カルチャーのように月に1回の2時間ってものでは、楽しむモザイクで良いはずだが、こんな長く丁寧に作る事を1度でも経験すれば、この経験をもってして、楽しむってスタイルのお気軽な作品をやると・・・・・。


本来、もっと進むはずだけれど、1つ1つのパーツを丁寧に切ろうとしているのが判る。しいて言えば、後はえぐるようなパーツなんてチャレンジして出来るようになれば、もう一人楽しむ事が出来るようにはなると思うけれどね。ではお次。


この方は一番新しく入った方なんだけれど、オードリーがとても上手くなった・・・と言うくらいだから、中々である。

そこでもしかしたら・・・と思い、自宅でもやりましたか?って聞くと、はい・・・って。やっぱりね・・・自宅でやると、月に1回よりもやった事を忘れないでしょ?・・・えっとどうやったっけ・・・みたいな事がね。その分、慣れて来るのが早くなるって事なのね。

いずれにせよ、本体のパーツさえ逃げ切れれば、バックはクラッシュだし色も決まっているし、ここまで切れるようになればほぼ問題なし。
何か質の良い作品を早くも完成なんて感じでもある。それではおかみさん。今日はお楽しみ作品で・・・って事で、


もはや本日やる前から終わる気無しって感じ・・・・あはははは。何でも切れるって感じだから、この狭さの中に満載って感じだが、細かい事を言うよりも、楽しんで・・・って話で、ここはスルーでお見事って言うのが良いかなって感じなのね。そして本来、後は体験の方って言いたいのだけれど、

何か最後がバタバタとしていて・・・・画像の撮り忘れ。ただ11月から正式入会と言う事で、またの機会にアップ出来るはずなんで、ここに展示しようとした昨日急きょ作った俺の作品を・・・・



昔の下地のリメイクなのね。やった人もいると思うけれど・・・良く見ると色々変えて見たんだけれど・・・・。そんなこんなでアトリエに戻り、久しぶりのオードリー教室だったんだけれど・・・・何か急きょ用事が入って、新作の下地を手直ししている間に自宅用のタイルを準備したり・・・


自分の作品を進めたりして・・・・何か慌しく帰ったのね。まっ、プレゼント作品なら、一人で何とかしちゃうだろうから心配は無いだろう。

そんな中、かぐやの作品とご対面。絶句・・・・って。もう別格だって・・・ほらローマはここにもあるだろう?って言うと、はい・・・って。
良い眼をして観ていたのね。これを生で観ただけでも、ここに来た価値はあっただろうから、何よりなのね。

そんなこんなで朝の続きで、実家に顔を出す事にしたのね。すると一通り話を聞いた後に、新聞の記事に90歳過ぎてモザイクをしているって人が載っていた・・・って見せて貰ったのね。残念だけれど画像無しで記事のみだったんだけれど。

どうやら別の職人だったが、俺のように始めたような話だったが、プロかどうか?は書いてはいなかったので、えぐる話はそうそう書けないが、1万点作品を作ったと言うのね・・・・では俺とは流派が違うので余り興味なし。

そもそも俺に習った人が小学生であって、そこから毎日作ったとしても、きっと1万点は作れない。つまりそう言う作品なんだろう。
俺の教えた人達は、自分の作品はこれ・・・・って作品を1つ持てるように教えているので、量産作品では無い。

これが俺の中の2人のkatsuがコメントすると、先生katsuなら、良く90過ぎなのにモザイクなんて手の掛かる事をおやりになっているね・・・と感心する。だが作家katsuなら先人は全て上に上がる為の倒すべき敵。こちらはあくまでチャレンジャー。そう考えると、本物であるか?無いか?のみ。

プロはプロとして質の良いものを見せる義務があるはず。お金を取ってアマチュアと何が違うか判らないようでは、確立している分野として扱われない日本のモザイクの責任を負え・・・と言いたくもなる。先人達がその程度だから、このザマなんだとね・・・。

せめてモザイクやってんだ・・・って言うのなら、絵画だ彫刻だ、写真だ・・・って中に、モザイクここにあり・・・って分野の確立ぐらいやってけよっ・・・プロならよっ・・・って感じになる。まっ、人に期待をするような依存をするつもりは毛頭無いから、俺がなれば良いのだが。

そう考えると、その程度の先人達のようにはなりたくないので、頑張らないと・・・と思えたから、これもまた良い刺激になったと言えよう。
まだまだ俺程度では若造なんだから、尖がらないとね・・・丸くなる歳では無い。芸術と言うのならね。

何で俺は生き方がヘタなんだろう・・・とつくづく思うわっ。こんな子じゃなかったのに・・・と、かぐやにお袋が言ってたのを考えると、本当に別人だわっ・・・・もう1人の俺は・・・・モザイクkatsuと、人としてのかつとではね・・・・。

まっいずれにせよ、確立させる事が出来たとしても、親を見てるし、職人達もいっぱい見て来た。だから肩で風を切るような生き方はしないとは思うんだけれどね・・・何しろ俺の身の回りの生徒さんは、そう簡単には風なんて切って歩かせてはくれないだろうし・・・あはははは。

心に大きく傷を負わなくて済んだ事は、マイナスな気分にならない分、何かを前に進ませないと・・・・生きているだけで丸儲けなんだから・・・。
今の俺は・・・・その程度のこんなザマなんだから。土俵に上がらないと戦わせても貰えないからね・・・・。その前に準備・・・。


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まさか常総市って・・・

2015-09-11 23:58:32 | Weblog
朝、いつものように支度をしていたが、昨日とは違う地名がテレビから聞こえた・・・・えっ?それって親父の実家・・・。何か聞き間違いかな?とも思ったんだけれど、ネットで調べると、常総市って合併した名前で、間違いなく田舎の駅周辺・・・・。

そこで実家に電話をすると、本家の田舎の家は大丈夫らしいが、俺のいとこの家と連絡が取れていないらしい・・・。
心配で気になったんで本家が車で向かうと、通行止めになってしまっていて・・・・しかも電話も通じないらしい。

また聞きなんでその程度・・・・そっか・・・・としか返す言葉も無く・・・・心配する事や無事で・・・と祈るしか出来ず結局やる事はモザイク。
そんな中、以前から約束していたんで午後からキウイがやって来て梨園に。アトリエから離れたが特に何も変わりない景色で、市川の避難警告は、

一体何処ってくらい何も変わりなかった・・・・・。それを持って夕方、実家に行こうと思い連絡すると、朝と状況は変わりなしって事で、行くのを辞めたんだけれど、どうやら決壊の場所は、あのタケノコ掘りの時に連れて行って貰った製材所付近らしい・・・・。

そうなると田舎から1時間程度の場所になる・・・・。いずれにせよ、行かないのなら明日の亀有カルチャーの支度をして、そんな中、体験が1人ありと言うので、下地を用意しないとならないんだけれど、すでに用意はしてあったんだけれど、気分転換に以前作ったハロウィン下地をリメイクした。

ただ画像は撮り忘れ・・・。そんなこんなで俺も1つ作ったんだけれど・・・・。

そうね、正直身勝手なのは判ってはいるが、人として気の毒だ・・・なんて思っているのは誰でも出来る。しかし、それがひとたび身内がその中に・・・って事になったら、気が気じゃない・・・って。どちらにしても、結局何も出来ず、無事を祈るだけ・・・。

不明者25人・・・出来る事ならその中には・・・と思う自分がいるが、と言う事は、他の誰かになって・・・と祈っているようなもので・・・。
何がどう正しいか?・・・判らないが、それでも何とかならないのか・・・・そんな1日。

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カメレオンのモザイク

2015-09-11 06:20:51 | モザイク作家
朝から凄い雨・・・その前に明け方かな?・・・・何か地震の時とは違う音が携帯からして・・・・そんな朝だった。
何か良く判らずに、何と無く少し遅めの出発となった。その時はいくらか小雨の中・・・・。

幸い教室も無く、こんな雨の中で入ってなくて良かったなぁ・・・・みんなと思いつつ、やる事はカメレオン。
まぁ、思ったより掛かるのね・・・・ただこんな事は予想はしていたのね。何故なら作品作りが久しぶりだから。

そもそももの作りってじっとしていないとならないでしょ?・・・これはずっとお教室の先生って時間ばかりでも、座っているからそっちは問題無いとしても、作っている訳じゃないでしょ?・・・作って座っているのと、見ているだけの座っているのはどっちが大変?・・・・

更にその後、最近なら下地作りやイベントの仕込み・・・・当然遅くなる。では今は?と言うと、作品作りになる。どっちが大変?
つまりいつもの何倍も大変さが続いているって事になる。それを判ってやるのと、そうで無いのでは、進み具合を舐めているとダメージを受ける。

そもそもじっくり取り組む作品って言うのは、そう簡単には終わらないし、普段習慣付いて無いとおっくうだし、面倒だったりする。
何せ大変だからね・・・今の俺は教えるって先生の時間に向き合うのは習慣付いているけれど、自分と向き合う作品作りとは全くしていない・・・。

要するに仕込みは縁取りなどのタイルを張るだけ。ここにはダメージは少ない。何故ならただ切る、張るでは成功ありきでやるのだから、ここのダメージがあるとしたら、これってやるだけの価値あるの?とか、余んないの?みたいな自問自答みたいな部分のみ。

じゃ下地は?となると、木工だからモザイクをするよりも落ちる事をする事になる。自信がある訳じゃない事を何とか出来ないかな?と、考える事などが多い・・・・つまり何とか成功に向かえないかな・・・・より成功の方に・・・って感じで、常に謙虚に取り組んでいる。

全く意味が違うのね・・・仕込みと下地ってね。こうして文字を並べてしまうと一緒のようだけれどね。じゃ作品作りは?となると、確かにこの程度の作品なら成功ありき・・・で進んではいる。下絵を描いて様子を見たから大体完成のグレードさえもそこそこ判る。

ただ時間までは中々読めない・・・それは作品作りから遠のいているから。一体どの位、今の作家katsuが錆びているか?が判らない・・・。
けれど出来ない事でも無いし、グレードも判る・・・判らないのは、どれ位掛かる?って時間部分のみ。

正直、今の俺ではこの程度・・・・良いリハビリである。この程度の作品で、はぁぁ・・・って言うようなザマ。ただこれには理由もあって、依頼品じゃないから、へこたれても、時間が掛かっても、特にグレードさえ落ちなければ・・・・、良いリハビリになる。

何しろ良い事は、お客さんの依頼じゃないから、いつ終わる?とか、いくらで受けたっけ?とか、制約が少ない事。つまりグレードのみを考える事であり、
それだけで済むが、依頼品ならそう言う事のプレッシャーがのしかかって来る訳で・・・・。

一旦、こうした作品を入れてからの、依頼品作りの方が安心と言えば安心なのね。こっちも割かし謙虚にやってんのね・・・・これでも。
ただ作るって言うのと、お金を頂く依頼品ではプレッシャーが違い過ぎるのね。まずは気持ちを作らないとね・・・。

そう言う姿勢で臨まないと、単なる仕事になる。仕事とはお金を稼ぐ為に儲けとかを気にしたりして、その為に妥協なんて事の繰り返し。
最初にお金ありき・・・そう言うものだったりする。それが自分のやった事を買って頂く・・・そう言うスタイルの場合、値段はあって無いような、

そう言ったもの。お金は後から付いて来る・・・・そう言うものである。ただ判っているものの、いきなり先生から作家へ・・・って切り替えは難しいのね・・・・何せ生き方が全く違うものだから。方や頑張れぇ・・・って励まして、方や、大人げなく、絶対頂点立ってやる・・・って野心。

それが、教えた人達のグレードがこんなに上手くなると、そう簡単にそう言う人達に見せるのだから、例え小物だろうが作家katsuの作品。
口ほどでも無いなっ・・・・なんて言われないような、それでいて何時間も掛かってグレードを上げるのでは無くて、ある程度の時間内に・・・・。

そんなハードルの中で終わらせたいのね。ってそんなこんな中、かぐやにテレビは大変な事になっているよ・・・・って事で観て見ると・・・。
何か震災の時のような映像が流れていて・・・・しかもここ市川の名前も避難勧告が出ていた事もあって、もしかしてご心配掛けると・・・と思って

・・・アトリエは特に何も無く大丈夫です。ってお知らせを入れて・・・・皆さんは大丈夫ですか?・・・・

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