katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ミヤコウミウシから今度はインターネットウミウシ

2017-06-09 07:20:31 | モザイク作家
今日はお教室が無く、1日丸々作家活動。そんな中、蛍光灯が切れたんで買いに行こうとすると、大家さんと若い衆さんの2人が何か作ってて・・それが溶接とかしているので、完全に仕事とは関係の無い事だったのね・・・何をしているのかな?と見ていると、若い衆さんのプライベートのものらしいのね。

それが、こんなのが欲しいんですよね・・・と言うと、そんなの作れば良いじゃん。作ってやるよっ・・・と始まったらしいのね。相変わらず何でもかんでも作れちゃうのね。本当にビックリするわっ。ただ見慣れるって恐ろしいもので、何か普通に思っちゃう自分もいるのね。

ただそれよりも2人の会話が興味深かったのね。親方ぁ、これってこんな感じだと思うんですよね・・・でもこっちのがカッコイイだろっ。あっそれもっとカッコイイですね・・・だろっ、こっちのがカッコイイだろっ、しかもここに引っ掛けられるんだよ、便利だろっ・・・って感じなのね。

使うのは若い衆さんで普通はこんな感じ・・・って普通を伝えると、その普通を作るんじゃなくて、カッコイイって見栄えに、更に便利なんてもんを追加して来る。これが見栄えと機能性って関係なのね。しかも見栄えは常にカッコイイ・・・って。何とも男の人達の会話である。

そもそも俺は常に女の人との会話だから、見栄えをカッコイイを中心に話す事ってのが、ほぼ無いのね。必ずって位に可愛いぃぃをベースに話す事が多いから、カッコイイってものも見栄えにはあったっけな・・・と、とても新鮮だったのね。一応引き出しに入れとこう・・・ラッキーってな話なのね。

言われなきゃ忘れてた・・・これがね、好みなんて話ならね、カッコイイ芸能人なんて聞かれれば、誰々なんて答えたりする事はあっても、カッコイイものを・・・ってオーダーってあったっけな?・・・・って位だから、何とも新しい話だったのね。

そんな中、大家さんの奥さんが通って・・・どうもぉ・・・・ってご挨拶してすれ違ったんだけれど、さて蛍光灯だよ・・・と買い物へ行くと、電気屋さんで奥さんにバッタリ・・・あれ?かっちゃん・・・・あらどうも・・・って。中々こんな偶然も無いんで、これもまた新鮮。

そもそもこんな事1つに何とも思わなくなったら、もう作家活動はおしまいなのね。どうでも良い事と流すのは簡単だけれど、2階のアトリエに普段こもってやっているのだから、人と会うって言うのは、お教室でも無い限りそうそう無い事なのだから、こんにちはとか、じゃ・・・とか、中々使わない。

しかも偶然なんて言う確率を考えると、お約束のお教室とは話は違って来るし、ビックリって事とはちょいと違うでしょ?まぁ、これも刺激と言えば刺激だからね・・・・そんなたわいも無い話も俺に取っては拾い上げる話の1つになる。何せ人に取って当たり前の事が俺に取っては当たり前じゃないのだから・・・・ね。何せ普通の男の人なら、この時間帯に蛍光灯を買いには行って無いしね・・・。そもそもが普通の男の人と生息地が全く違うしね。

って枕を振って・・・こんなウミウシ生息地が全く違うんだから出会うはずが無いのね・・・そう出会うはずが・・・まっそんな意味も入っているのね。
この作品は・・・。

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みどり教室とミヤコウミウシ

2017-06-08 08:15:05 | モザイク教室
今日はみどり教室。そうね、ここの所の棟梁の作品を見ていれば、相席をするみどりにはプレッシャーにもなるだろうし、相席となると、どうしてもみどりよりも棟梁の時間が多くなるし、久しぶりに本気で見て見ようかな・・・と思うと、当然あっちこっち言いたくなったりする・・・。

関係性と言うのなら、お母さんとそこそこ年頃の娘みたいなものに似ていると思うのね・・・きっと。これがもしまだまだの子供なら、目線も上で始められるが、そこそこ・・・この表現は1手、間違えたりすれば、そこを突いて来そうな感じがするでしょ?まっ手強いって感じね。

そりゃ弟子とは言え、まだまだ俺も目指しているものがあるのだから、その上での指導なのだから、そりゃ少しずつは進歩もあるだろうが、追い掛けて来る成長速度って言うのは、とても早く感じるものでね・・・きっと子供と自分なんて場合だと、方や成長と方や老いなんて事になれば、

その速度の感じ方は非常に大きくなるだろうし・・・そんな感じに似ているかも知れないが、上手くなったと言われるようになった弟子なんて相手にすれば、そこまで教えて来たのも自分だし、当然小難しい事を考えているだろうし・・・当然、こちらにプレッシャーを感じさせる圧みたいなものもある。

何しろ上手くなったのだから・・・そこを更に・・・となれば、更にとは何だ?となるでしょ・・・・。ただね、人はその日の気分なんてもんもあって、聞く耳があるか無いか?・・・みたいな事もあったりする。これもまた幼い頃は簡単に、ハーイで済んだが、中々一筋縄では行かなくなる。

あんな感じね・・・きっと。その確認みたいな事と、前回のみどりと今日までのみどりとの時間の中での変化があったか?無いか?の気分調べみたいな時間が、本題に入る前の枕な時間が送迎の車内なんかで始まったりするのね。んで、どうなの?・・・弟子には割と雑にこの6文字だったりする。

特に何も無いです・・・って言えば、じゃ・・・って事で、色々と言って見るが、えっと・・・と何かがあったのなら、それがどの程度なのかで、今日は辞めとくかっ・・・とか、ひとまず元に戻すか・・・とか、向き合い方を変えたりする。つまり自己申告制。

ただ大抵、顔を見れば今の状況が良いか、悪いか?くらいは、お母さんが子供に出来る事なのだから、しっかりと見ていれば、変化があったか?無いか?は感じられたリもする・・・まっここも感じる。そもそも五感なんてもんは誰にでもあって、それを本気で使ったり、磨いたりしなかったとしても、

後に人の気配・・・みたいに、敏感なんてもんも感だし、それを呑気に安全って思えば、車が避けるとでも思っているから、感なんて何処にも存在しなくなる。まっ、いずれにせよ、こんなもんいらない・・・って人には全く用事の無いもんだからね。ただ、弟子だからきっとみどりはいる人なんだろうね。

さて、そんな車内での数分をみどりの様子を聞くのか?はたまた、俺の様子から話すのか?でいささか状況は変わって来る。それはパスをするのか?シュートをするのか?とか、右か左か?みたいにどちらか一方をスタートさせる訳だから、犯人が誰か?って推理小説と、犯人はこいつだけど、どうしてこんな

犯行に及んだか・・・みたいな手法のように、変わると思うのね。そこで今日は俺の様子って方から初めて見たのね。まっ、普通はどうなの?って相手からなんでね・・・勿論、ある程度ブログで読み取る事は出来るだろうけれど、自分の口から話すのだから、細かなニュアンスも変わって来る。

ってな具合で・・・俺はどうかな?・・・つまりみどりから見て平常心に見えるのなら、そこそこ本気出しても、間違えの無い指導を出来るかな?
俺・・・みたいな話で、そうね、本気出す時は、間違えの無い方が良いし、当然本気なら声も張るかも知れないし、突っ込んだ話もするだろうし・・

ただ、本人が平気だ普通だなんて、一番信用ならないから、どうかな?であって、教わる側が普通に見えるのなら、まずまずだろうって判断したんだし・・・ただね、こんな事を聞く時点で、俺の評価では、今の俺は左程よろしくは無いと思うが、どちらかと言うと、自分に甘い点を付けないから、

もし自分の点を厳しく付けて、今日は弱っているから、いつもよりも声を張って・・・なんて事になると、相手は普通だと思っていたら、言い過ぎになってしまうし、本気を出す時は幾分考えたりもする。こちらにもプレッシャーが掛かるような作品の指導なのだから・・・。

まっ、そんな確認のやり取りの後の指導って言うのは、先日の棟梁の肘の件と同じような事で、スカートの縦ラインばかりを暫定的に入れているのを、横ラインを入れて、終わりを決める事。そしてその終わり方は、俺のウミウシを良く見て・・・。

それと気分でインチキな影を入れない事。資料に基づいて、この影をこの色にしたのだから、こことここは同じ色って感じに、資料を移動させるような感じにする。だから資料とにらめっこになる。最初は何でも真似から・・・って先人の優れた人達が言うでしょ?だから俺達も・・なのね。

己であって、己であらず・・・まっ、どうでも良い話だが、棟梁とみどりの作品は上っ面で見れば、単に女の人が真ん中にいて似ているように見えるが、全く違うもので、半魚人と人魚くらい違うのね。半魚人は男で人。人魚は女で魚。って感じにね。

つまり棟梁の女の人は自分であり、みどりは娘であり、第三者を作っている事になる。更に言えば弟子って言うのなら、上手いに越した事が無いのだから、上手いのなら・・・時事ネタも入れれば、将棋なら飛車角抜きでも良いんじゃないの?・・・って事になったりする。

つまりモザイクで言ったら色抜きでも・・・なんてどうだろうか?追い掛けて来る棟梁は、自分自身を色鮮やかに描き、弟子のみどりは娘をモノトーンで描く・・・ここまでなら、比較的単純な説明なんだけれど、ここまでだと単純過ぎるから、もっと高度に見せたくは無いか?・・・って、

悪魔なんだか、天使なんだかのささやきは、いにしえの手法から学ぶに、そもそも書いてある文字の裏側にある真意なんてもんのやり取りがあるのなら、何も娘です・・・あぁそうですか、じゃ若く綺麗に作りなさいな・・・はいおしまい。なんだけれど、これを更に上にするには・・・。

娘なんてもんは、血が繋がってて、見掛けが似ていようがいまいが、何らかの形で内面なんてもんが似ていたりもする。しかもだ、誰がその子に思想を植え付けた?大抵、母親なんじゃないのかな?・・・じゃ、どの位パーセントかは判らないけれど、自分なんじゃん。

大体、自分が怪我したら誰でも痛いもので、けれど親なんてもんは子供が怪我すると自分の痛さに感じるんだろっ?って話。情けないが、この歳で親では無いんで、ここはあくまで聞いた話・・・。ならば、やはり自分がいくらか入っているように・・・ここなのね・・・ように。

つまり比喩。じゃ何をどう自分を入れるか?になるが、ついつい良い所を入れようとするものだろうね。だって自分の悪い所を入れるなんて・・・ってね。そこを弟子なら遠慮はいらないから、あえて言うなら自分の悪さの露呈の方が良く無いか?ってな話なのね。

こんなにダメだった・・・ってね。だからそうなるな・・・なんじゃないのかな?これがね、幸せでたまらんって人生なら、もっと幸せに・・・でも良いから好きにすればだけれど、もしこんな所がダメだった・・・って言うのなら、そこから脱出なんじゃないのかな?それもまた幸せとね。

それでね、こちら側に自分の思う悪い事を徹底的に描く事・・・それからの脱出する娘の絵なのか?それとも、自分の教えを抱いて出て行く娘が開ける扉は、もしかすると、自分が開けられなかった扉を開けてくれる絵だったりする絵にも見えたりして・・・・。

だから向こうが何だか判らない・・・けれど誰でも向こうに光が差していて欲しい・・・親だから・・・なんじゃないのかな?だからこそ、辛抱してバックは辛い事を描くべきなんじゃないのかな?・・・ってね。これはまだ言って無いけれど、以前みどりに作品を作らせて貰ったのね・・・。

それはタロットカードのような上下が同じような絵の女の子だったのね。まっある意味、これを左右に同じものを白で作ると、俺の作品よりお洒落版になるんじゃないのかな?ただそのカードはかなりえぐみのあるカードだったりするかも知れないけれど・・・・。

いずれにせよ、俺はこう思うのね・・・エリートならデザインなんかを学校で習っているだろうね・・・じゃデッサン力があってのモザイクをする訳だって事。しかしね、そんな肩書が無いのなら、そうじゃ無い事を伸ばさないと、何処に勝ち目があるんだろうか?・・・って思わない?

大体、長く続けて、まさかと思うけれど、今更デッサン力を挽回しようなんて思って無いよね?・・・それは今より上手くなれば良いね・・・くらいで十分。むしろ、エリートじゃないモザイクの仕方があると思うんだよね・・・俺は。それが情緒だと思うのね・・・。

人とは違う何か?って言うのは、そもそも技術も大事だけれど、そのモノの考え方だったりすると思うのね。そのモノの考え方が構想になり、それを道具や素材を使って表現をする。しかも、それにラッカンを押すなんて野暮な事をするんじゃなくて、あれ・・これってあの人のかい?・・・・

って具合に、見ただけでそう思われる。それこそが個性であって、これ誰が作ったの?・・・・では、大量生産なものになってしまうのね。ただ、それには、知られないとそもそもそうにはならないんだけれどね・・・・まっいずれにせよ、弟子なんで、こんな指導を本気でやったら、途中疲れちゃったのね・・・・最初から飛ばしちゃったから。それで早い段階で、今日はもう良いだろっ・・・なんて言って見た・・・あはははは。

そんなこんな中、ちょっぴりウミウシ。



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棟梁とリピーターさんの相席教室とミヤコウミウシ

2017-06-07 01:56:03 | モザイク教室
今日は棟梁とリピーターさんの相席教室。そんな朝、枕代わりに海外のモザイク本を2人に見せて見たのね・・・意地悪にならないように、ウチでは猫マタギの本でね・・・って前置きをして・・・更にオフサイドトラップ・・・引っ掛けにならないように・・・リピーターさんから見せたのね。

まずウチでは猫マタギ・・・これは誰も興味を示さないって意味で、リピーターさんから見せたのは、棟梁の方が上手い前提で、もし棟梁から見せて、その意見に左右されては自分の思った意見を言えないと困るのでね・・・。この環境ならきちんとした自分の意見が聞けるって事。

すると、本を見るなりすぐに食いついてくれたんだけれど・・・・そうお気付きの方なら、だけれど・・・。そうね、肯定な感じからの否定。食い付きは良かったが、内容は・・・って。良くある行動なんだけれど、ここもオノマトペみたいな話で、擬音なんか1つで判りやすくなるのだけれど、

パラパラとめくって行く速度に興味感が伝わらないのね・・・・パラパラって言うのは、色んな画像があるにも関わらず、一定の速度で興味を示すピタッってものが無いって感じで、この速度ではあっと言う間に終わった・・・って事になる。

そこで間髪入れずに、どうでした?と質問すると・・・好みじゃ無かった・・・みたいな表現をしたのね。じゃ棟梁は?・・・ほぼ全く同じ答えだった。これがとても大事な話で、同じ人に習ってはいるが、習っている時間の差もあって、学年が違う・・・そんな感じだったとするのが2人の差として、

ただ同じものを見た感想が一緒だった・・・と言う事実。では一旦離れて、今日の朝ドラで、主人公がお金を財布からバラバラって落としてしまった時、見ていた人に、探し方を注意される・・・そんなシーンがあったんだけれど、あっちかな?こっちかな?とウロウロしていただけで、探すって行為から、

ほど遠かった・・しかも、道路の真ん中で財布を開けては物騒だし、ぶつかられたら落とす可能性は高くなる・・・そんな事を言われるのね。まさにその通りで、これが本当なら、1つ1つこれは無いな・・・ときちんと消す事であり、ウロウロしない事が大事って教訓にするのなら・・・・。

まずその海外のモザイクの本は、お金を取った時点でプロの作品なのだから、思い切り遠慮なく切り捨てて良いものであり、遠慮はいらない。逆にプロでは無い場合、参加する事に意義があるのだから・・・って言うのだから、オリンピックが最高峰みたいな感覚だから、拾うって感じになるのかな?

つまり評価の仕方は優勝だけのプロとは違って、入賞って6位以内だっけ?そこまであって、メダルも3つあったりする。素人は割と手厚い評価の仕方があって、もっとえぐれば、プロはそれが即収入に反映したりもする。まっ、甘くは無いって話なのね。

ではそれを前提にすれば、プロが1冊分の作品でモザイク好きの習っている人に、1つも目を引く事が出来なかった・・・そう言う事になる。それを表現として好みじゃなかった・・・となるのだけれど、それは違うのね。実はもっと残酷なものなのね。

では仮にテレビチャンピオン的発想で、1次予選と決勝ラウンドみたいに2回に分けて戦う事にしたとする。もしその時に、自分が審査員だとする。落とす基準が好み・・・って。それでは素人。つまりここでの素人はモザイクの経験値が無い人の事であって、それなら好みでしか選べないと思うのね。

でも2人は習っている人・・・それをいつまで続ける気なのかな?・・・それでは意識が変わらないから、上手さと言うのが止まってしまうのね。つまり実は好みでそう言う意見になったのでは無く、興味が沸かなかった・・・何故なら切り方も粗雑であって、プロ感が伝わらなかったんだろうね。

では何で?つまり2人はアトリエで見る人達の切る技術を見慣れてしまったから。それを普通としているから。ただ人として、言葉1つで思い上がっているとか、感じ悪いとかを普通は気にするから、まさか本まで出している人に向かって生徒の身分で切り捨て御免的発言は出来ないし・・・。

それを曖昧にする言葉として、好みじゃない・・・を使えば、お互い傷付かずに済む・・・って事が含まれているのね。けれど、この行為に違和感を感じないかな?・・・・何故プロに気を使うの?アマチュアが・・・遠慮無く切り捨てて良いんじゃないのかな?勿論、アトリエ内でね。

外でやれば嫌われるからね。けれど、上手くなるって言うのは、良いか、悪いかのいずれか?になる。得たいか?得たく無いか?みたいなね。そもそも得たい事があれば、真似したくなるでしょ?・・・・それをまた遠慮が美徳なんてすると、そんな事出来る訳無いし・・・となったりもする。

けれど、お母さんの中には、今日お店で食べた料理を真似して作る人いない?・・・ほらいるでしょ?完全コピーじゃないにしろ、風味だったり、もどきだったり、っぽい・・・くらいにはするでしょ?あの感覚があるのなら、出来ない・・・では無く出来るかも・・・なのね。

まっ、今風なら、YouTube的な感覚で、やって見た・・・踊って見た、歌ってみた、弾いて見た・・・あれね。その繰り返しで上手くなったりもする。最初は真似から始まったりするのだから。けれど、その真似すらしたいと思わなかった・・・いや思わせる事が出来なかったプロ・・・。

そう言う言い方もある。ではこんな意識があったとして、アトリエ内での指導は、聞かれたら良い、悪いに関わらずに自分の意見は遠慮なく言う。ただその意見は時に相手を傷付ける事になる事もある・・・けれど、上手くなりたいのなら、傷付く事の回避では無く、打たれ強くなる事。

長く続けば批評も受ける。批評は人の意見であり、必ず褒められる訳では無い。そもそも自分の都合の良い事ばかりって言うのは、大巨匠みたいな人なら別だが、発展途上の人に良い事ばかりの方が違和感があるんじゃないのかな?・・・・これが楽しむだけなら全く必要は無い事だけれどね。

ただね、これが個人レッスンなら、何をどうしようとその人だけのスタイルを押し通す事も出来る。ただ相席と言うのは、相手の指導も聞こえてしまう・・・つまり言葉を選ばなければ、楽しくのんびりしたい人と、上手くなりたい人では空気感が違うし、逆に上手くなりたい人同士では、

ライバルのように同じ力なら、ピリピリするし、逆に発展途上の相席では、先生の取り合いにもなったりもする。そんな事があったりするとして、ではこの2人は?・・・ほら同じ本を見た感想が一緒・・・つまり見ている場所の違いだけで、同じものを見ている感覚では無いのかな?・・・

そうね、舞台を見ているとでもしよう・・・棟梁はいつかその舞台に立って見たい・・・と客席の最前列にいる感じで、リピーターさんが2階席にいるって感じだとする。けれど、2人の見ている舞台が一緒で、同じ事を見る位置が違っているだけだから、同じ事を共有出来る。

つまり指導は同じ事を言っても、棟梁に言った事はいつかリピーターさんも使う事になるだろうし、リピーターさんへの指導は、以前の棟梁って感じで、初心忘れるべからず・・・みたいな話。それで、ここまで判って貰ったら、本当に大事な事は何か?になるのだけれどね、また脳の話ね。

子供の頃は何でも、それ何?・・・これどうすんの?と何でもかんでも引っ掛かったのね。どんなルアーにも喰い付く腹っぺらしな魚みたいにね。
それがいつしか大人になると、自分の興味のある事にしか反応しない凝り固まった脳になって行くのね・・・。

そうなると、もはや進歩を止めた人になって行く・・・しかも年齢と共に体力も衰えるのだから、衰退するのみ。そこで登場させるのが、子供の頃に習った反面教師・・・つまり相反する考え方は自分の選ばない最も遠くにある事になる・・・つまり経験する事無く嫌い・・・つまり喰わず嫌い。

それが俺のように、くれた子供の前でプチトマトを涙を流して食べる場合は、食べて嫌いだから本当に嫌い。だけど・・・加工したケチャップは大好き・・・ほら抹殺じゃない事ってあるのね。つまりさっきの本を好みじゃない・・・ってパラパラするんじゃなくて、嫌いな部分が何処だか探す。

何の何処が嫌いなのか?ってね。勿論時間があったらね。そうした時にももし事実が、切って無いから・・・とか、切り方が粗いからとか理由が見つかったとして、だとしたらもし、その粗さが自分の作品の何処かに入れるとどうなるか?・・・と想像するのね。そうやらずにやった感・・・。

これが泉谷しげるさんの名曲、春夏秋冬の一節で、となりを横目でのぞき、自分の道をたしかめる、またひとつずるくなった、当分てれ笑いがつづく・・・みたいな感覚であって、いかに人の経験値を吸収するか?はいらないものかどうか?は、いる前提じゃないとね・・・。

一旦受け入れないと、単なる好みから抜け出せない。それでは、ただ切る張るの技術の向上か、オリジナルとしてのデザインの向上みたいな話でしか無くて、何年もやり続ければいつか膨らまなくなる。だからそれを防ぐには思い込みをしないようにする・・・。

それを踏まえてもう一度、この本を見ると、その中には盗むべき事が必ずある。好みじゃないなら尚更ね。そもそも好みなら言おうが言うまいが、やりたい・・・って言うだろうね。きっと。つまり気が付かない事に気付いて貰う事なのね・・・指導ってものはね。

それによって、それを知ってそれをいつ何処で使うか?になり、それを脳の片隅に入れられれば、困ったような時にあんなのあった・・・なんて引き出しが1つ増えた事になるのね。今日はそんな話を重点的にしたのね・・・・何しろ2人共、難しい事をやるようになっているからね・・・。


こう言うと何が難しいか?となるのだけれど、例えばこの天使・・・どんな感じに作りたいの?って質問に、清楚な感じって言うのだけれど、清楚ってどんな感じ?となると、安全なのは白衣の天使ってな表現があったように、まさに白なんて言うのは王道だと思うのね。

ただその制服だって淡ければ、水色やらピンクやらって選択だってあったと思うのね・・・今風ならね。しかも棟梁は濃いはっきりした色が好きなのね。つまりそう簡単に抑えたままでいられるはずも無いのね・・・だって濃い色が好きなんだから・・・。

所が女の人であるから、白って色で我慢しようと思うと、キラッってしたくなるものなんでしょ?・・・そこでパールや白金なんかを使っていたのね。そこで使ったパールの分をマットの白でスカートを押さえたら、今度はイヤリングに宝石を入れる事になった・・・・。

何かこのやり取り、お母さんと娘さんのやり取りみたいな感じで、これがダメならこれ・・・これがダメならこれ・・・みたいになっている。ただどうして抑えた事を言わないとならないか?って言うのは、あくまで清楚を守る為であって、それは棟梁が決めた事なのね。

それをコラえられないな感じで、新しいものを発見すると何とか押し込んで来るから、ギリギリなら仕方なしって感じになるけれど、やり過ぎになると清楚から離れるような事は却下にしているだけなのね。ただ却下する原因は自分の発案の清楚なんだけれどね・・・・あはははは。

所がこのやり取りの最低な事は、通らないと諦めてしまったり、勝手に進めちゃったりすると、もはや先生いらずで、ほぼもう教える事は無くなる。例えば子供の頃の遠足で、カルピスはジュースかどうか?フルーツならお菓子では無いから、お菓子とは別に持って行って良いか?とか・・・・。

あんな事ってどうしても・・・って感じで頑張って説得したのね。つまり使いたければ、これを使ってもこんな清楚がある・・・って、説得してくれれば良いが、思い付きやら、ごり押しではもはや清楚を諦めれば・・・と言いたくなるのね。あはははは。

それが逆に、言われたら、じゃ諦める・・・とすぐに引いてしまう人もいる。けれど、そうなると、100から0になってしまった事になる。そもそも自分のやりたい事を100にイメージしたのなら、それは無理なら97・・・ダメなら83・・・みたいな下げても何とか提案するべきだと思うのね。

なのに諦めるのでは、何を根拠に提案したか?となると、明らかに思い付きになる。つまり通ったら使いたい、ダメって言われたら諦めるじゃなくて、何とか残したい・・・って提案じゃないから、簡単に諦められるって話で、そのやり方は提案を100個用意するような数打ちゃ当たる的発想なのね。

ある意味そっちの方が難しいと思うけれどね。そう考えると、清楚に見えるを前提に提案をしないと、お門違いなら提案前に却下になる可能性を秘めていた訳で・・・ただ、俺も先生だからむやみに却下にするつもりが無いから、相席の人の目が大事になるのね・・・くっっっ。

腕の達者かどうか?は経験値が大事だけれど、これを使うと清楚かどうか?はその人の感覚であり、それは経験値では無く、五感のようなもので、感じられたかどうか?なのね。ただ感じるって言うのも、鍛えないと曖昧な感では成長しないのね・・・どう感じたか?を言葉にして伝えないと・・・。

それを相手に感じて貰って共有出来た時に、そうする為にはどうしたら良いか?・・・となる。その目を磨き、その感を磨くと、それらを持ってして取り組むモノ作りは根拠あっての事であって、これがいつしか基本になると、自分の中に確立する何かが出来るようになる。

しかもこんな事をやり取り出来る相手がいる・・・これこそが相談相手になり得る人であって、ただ何と無く体裁で、良いですね・・・って言うのを何百回聞いても何の役にも立たないのね。このやり取りは批評をしたり、批評をされたりの練習にもなるしね。

何もタイルを切る張るだけがモザイクじゃないし、オリジナルって言うのを作るって言うのは、目に見える技術だけじゃなくて、目に見えない技術って言うものもある・・・そんな話でもあったりする。むしろ目に見えない部分の方が難しい気もするけれどね・・・・。


その後は、やはりミヤコウミウシ。終わりは近いと思うんだけれど・・・何か長い気がするのね・・・まっ、そんな気持ちの中でだから、まずまずなんだろうけれど・・・。

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ミヤコウミウシと・・・

2017-06-06 00:44:53 | モザイク作家
今日は午前中は近いうちに見せられるが、頼まれものの下地作り。その後、夏のサンプルを送るのに郵便局に・・・。午後からはミヤコウミウシ。
まぁここまで来て、終わりが近づいているものの、何だか思うように進まない気がして・・・。

ただやればやった分、進む気もするし、とは言え無理に進んで今までを台無しにするのも嫌だし・・・完全に騙し騙しって感じなのね。ただ何とかここを逃げ切れば、最後のウミウシは機械的な模様・・・これは能率効率で乗り越えられそうだし・・・何とかここを凌げば・・・って感じ。

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お次はミヤコウミウシ

2017-06-05 01:10:07 | モザイク作家
今日はお教室も無く、そんな訳でモンジャウミウシをやって・・・ただちょい残しで次のウミウシに入る事にしたのね。それがミヤコウミウシ。
だからって言っても、興味沸く話でも無いだろうから画像のみ・・・・膨らませる話無しって事で・・・。

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リピーターさん教室とモンジャウミウシ

2017-06-04 03:06:43 | モザイク教室
今日はリピーターさん教室。朝覚えていたのに、モリスの本を忘れちゃって・・・ただ先日の話の中に好みの服のブランドなんてものがあって、そんな服の模様からモリスなんて事に膨らんだんだけれど、今日の話では、メキシコタイルなんて事が出て来て・・・・。

確かにモリスは壁紙のような模様の繰り返しなんて感じで、お洒落ではあるけれど同じ事の繰り返しって言うのは、技術が必要になるけれど、メキシコタイル柄って言うのは、フリーハンドの絵付け模様って感じだから、花びらが緩い仕上がりに見えたりもする。

そう言う点では、始めたばかりのリピーターさんにも無理なく出来そうだし、実に良いものを見つけたかも知れないのね。ただ、次回足を終わるとして、もう1回分時間があるから、その時に心変わりが無ければ、決定でも良いと思うのね。ひとまずメキシコタイル風味のバック・・・って感じでね。

そこから発展させる考え方で・・・・って事になったのね。何しろここまでの完成度でクラッシュだけでは勿体無いんでね。でも、最初から疲れちゃうのではやり過ぎだし・・・・。適度に・・・って言うのが理想なんだけれど、適度って難しいのね。

いずれにせよ、もうフラミンゴに心配はいらないだろうし、でもその場でバックを考えていると、じゃこれで・・・ってな具合になるとね・・・これだけのグレードになったんだし・・・とも思うし。実に丁寧にやっているからね。この先も楽しみなのね。

そんな後は、やはりモンジャウミウシ。
正直、長いわぁ・・・って気になっているのね。メインキャラのつもりが無かったのに・・・ってね。

ただ、って事は、上手く行けば脇役なのに豪華になった・・・って事になるんだろうけれど・・・。



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すーさんの友人の奥さんのお教室とモンジャウミウシ

2017-06-03 02:09:17 | モザイク教室
今日はすーさんの友人の奥さんの2度目のお教室。まっここは固い事抜きで楽しんで貰うのが一番なんで、そこに徹して・・・。何しろ赤ちゃんと旦那さんが一緒にいるんだけれど、時より旦那さんがいなくなったりして・・・そうすると、赤ちゃんが・・・・。

何か昔、公民館の保育付きのお教室を思い出したのね・・・あれからあの頃の子達はみんな大きくなっちゃったし・・・だから赤ちゃんなんていつ見たかな?・・・って位、機会が無いんで、新鮮と言えば新鮮なのね・・・ただ、授乳タイムは経験が無いから、ちょっと戸惑ったけれど・・・ただ2回目。

しばらく下で待機・・・って感じで、終わってから合流だったけれど、また1つ勉強しちゃったのね・・・授乳の時には水着の着替えみたいなのを被ったりするんだね・・・本当なら、みんなのように子供がいれば、当たり前のように知っているんだろうけれどね・・・。

こんなに長い時間赤ちゃんを見た事が無いんで、とても新鮮だけれど、何か大人の責任みたいな気持ちになると、ちょっとダメだなぁ・・・俺。とも思えるし、逆に本当にいなくて良かった・・・俺には無理だわ・・・とも思えるようにもなった。時間を掛けてだけれど少しずつね・・・・。

そうねぇ、たまに弟子やら常連の子供に会うと、みんな高校以上で、もう発言も大人っぽいし、中には大学なんて事になると、俺は行って無いから、もはや凄いな・・・としか思わないし、更に結婚なんて事になると、そっか・・・とただただ、親の気持ちになると、切ないなぁ・・・とか、

大変だっただろうなぁ・・・とありきたりな事しか浮かばないし、子供の気持ちになると、この先の夢じゃないけれど、眩しい未来が待っているような気持ちになるし、老いて行く自分ってものとは全く違うものだなぁ・・・と思ったりもする。昔は羨ましかったり、何でこんな当たり前の事が出来ないのかな?・・・なんて思ったりもしたけれど、今はそう言うものが無いから、こんな人生を選んだんじゃん・・・と思えたりもする。

そうねぇ、良く先人の売れた人達は、こんな時期を楽しめ・・・みたいな話をするが、流石に楽しむほどの余裕も人間も出来ていないから、そこまでには至らないが、その意味は分かるようにはなったし、何しろこう言う当たり前の事を流してしまわないで、これもまた感じられることの1つとして・・・

そう思ったりもする。きっとこれからもある事なんだろうし・・・経験とは、慣れの繰り返しとも思うしね。ただ親にはなれなかったからだったり、作家なんて事を選んだ事で、気が付く事もあったり、いないからこそ、当たり前とは思わない・・・そんな事を思ったりもする。

ただ事実は、いないって事の残りの人生をどう生きるのか?であって、折角いないのだから、いない人だからこその人生を歩まないと、ただ単にいないだけのマイナスな感じもするしね。いずれにせよ、そんな後はやらなきゃ・・・となるのだけれど・・・・。

こんなもんかな?・・・とも思うし、若干ダメージがあるのか?それとも単に単調なパーツが続くからなのか?・・・いずれにせよ、ここの所、10時目安で帰宅が続いている・・・。


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棟梁とおかみさんの相席教室とモンジャウミウシ

2017-06-02 01:39:47 | モザイク教室
今日は棟梁とおかみさんの相席教室。2人がお昼頃到着したんだけれど、車から荷物を降ろし終わった途端の土砂降り。朝は天気だったのに・・・。まっ、それでもほとんど濡れていないからラッキーだったのね。ってそんな訳でおかみさんから。前回画像が撮れていなくて・・・って事で。

結果から言うと、何とか顔を逃げ切ったのね。この小さい顔をこれだけのグレードで逃げ切れれば、もう言う事は無いのね。何しろ人形は顔が命なんてコマーシャルがあった位だから、顔はいかに大事なもんかって事なのね。だもの、これだけ出来れば十分なのね。

まっ、ちょっとしたコツって事なら、例えば顔を何個かのパーツとして考えて、オデコ、ほっぺ、あご、鼻、目・・・ってこんな感じだとして、オデコが一番大きいゾーンって感じがしない?・・・そう考えると、ほっぺの方があごより大きい・・・とか、そう言う意識を持てれば、そんなパーツの大きさで

切ったりすると、少なくとも大きさに変化が生まれたりする。そこに色を乗せる・・・みたいな感覚なんだけれどね。いずれにせよ、顔さえ逃げ切れれば、妖精に悩み事は少ないと思われる。って事でそろそろ、バックの下絵なんかも見たくなるのね・・・・。

そんなこんなで棟梁。


手袋をした手をやったんだけれど、割と滑り出しは良かったのに、いつもなら離れて見て最後に良いかもぉぉぉって自画自賛で終わるのに、何かしっくり来ない様子なのね。そこで若干気が付いた事があって・・・それが肘だったのね。肘が無かった時に、腕を伸ばしたように見えていたのだけれど、それを

肘を作る事で、抱き抱えつつの手を伸ばしている・・・みたいに見えるようになったと思うんだけれどね。それで本人はかなりご満悦って感じになったのね。だからこっちも逃げ切りなのね。まぁどちらにせよ、2人共にかなり厳しい所を逃げ切ったのね。何よりなのね・・・俺も。

そんな後は、モンジャウミウシ。

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キウイ教室とモンジャウミウシ

2017-06-01 08:02:06 | モザイク教室
今日は色々あって、携帯のショップに行かないとならなくなって・・・まずはそこから。そんな後にキウイ教室。って事よりも、かぐやと繋いでこれからの事の相談やらなんやらの方が中心だったんだけれど・・・・とは言え、当然進めながらね。

ただそろそろ女の子に入らないと、湖が女の子にぶつかって来ちゃったのね。女の子のスカートと湖の色が被らないように・・・って事になると、様子も見たくなるし・・・まっ、でも結構大事な話だったから、安心な湖をやっていたのも判るんで・・・ここは仕方無しなのね。

そんな中、キウイならこっちもやりながら・・・って事で、モンジャウミウシ。

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