

ドラマも終わる季節の移ろい


今年も大河ドラマが終わりました。大河ドラマの最終回を見終わったときに「一年が終わった。」と思うのです。今年は、「あまちゃん」にしても東北のドラマが多く、大河ドラマも会津に生まれた八重を主人公にした「八重の桜」が放映されました。

新島(旧姓山本)八重は江戸から昭和にかけて4つの時代を駆け抜けた女性です。幕末から昭和・・・この激動の時代を生きていくだけでもすごい人生です。
まして、八重は、会津を守るために、「山本三郎」と名乗り、城に立てこもり銃や刀で戦った女性です。
会津は敗北しました。明治時代になってから、新島襄と出会い、同志社英学校、同志社女学校を設立していきました。学ぶことの素晴らしさを広げていきました。

日清・日露戦争では日本赤十字社の社員となり、看護師として、戦場で傷ついた人たちを敵味方なく治療・看病していきました。このドラマが始まるまで「八重」の存在は知りませんでしたが、「八重」は数少ないその時その時を大切に、すべての人を大切にしながら生きてきたと思います。
強い意志と行動力は、魅了されるものがあります。
「ならぬものはならぬ」この会津魂の言葉こそ、今の時代に必要なのかも知れません。
30年来、大河ドラマを見続けてきています。はまってしまいます。はまったついでにドラマの舞台となるところについつい行ってしまいます。今年は、京都守護職会津藩の本陣の金戒光明寺に行きました。

京都の「新島襄旧宅」へも足を向けました。予約して、家の中を見せてもらいました。改装していたので、なんとなくきれいすぎるところもありましたが、当時の面影を残している部屋などは当時の人の息づかいが聞こえてきそうです。

ここで新島襄と八重は生活しながら、同志社英学校を設立したり、兄の山本覚馬らと接していたんだと思うと、旧宅にたっていることに感激をしました。
夏に萩に訪れたときに、資料館で「八重」が使っていたのと同じ「スペンサー銃」を見ることができました。幕末から明治維新まで長州藩とは敵です。「八重」はスナイパーとして、薩長からの攻撃をしのいでいったのでしょう。

「八重」は常に前向きに新しいものを求めて歩いていきます。鉄砲の利用もそうです。戦いを予期して早くから鉄砲の腕を磨いていました。戦いが終わり、私学の学校設立に向けた運動を展開しました。
仏教文化の中心と言える都にキリスト教主義の学校を創ろうと新島襄の力も大きいのですが、八重の支えたからこそできたものだと思います。。
来年の大河ドラマは、「軍師官兵衛」です。
そのドラマの舞台の一つの中津に住んでいるので、すでに、官兵衛の足取りをたどったことになるのでしょうか。来年1年間も楽しみです。