かったかくんのホームページ

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請戸小学校物語~大平山をこえて~

2016年01月05日 | 大分県
今日の午後、ちかすな夫妻が来校して下さいました。ご夫妻には、きょうだいそろって、何かとお世話になっています。


ご主人のちかすなさんは、郷土史家でもあり、中津の歴史に卓越しています。ブログなどを見ると、興味深く勉強になります。すごい。
 

最近のブログでは、夏目漱石のことが書かれていました。


漱石が、正月に熊本に行くときに、宇佐神宮から羅漢寺、耶馬溪、耶馬溪の口の林に泊まり、山国、日田・・・と行く行程が詳しく書かれています

身近に夏目漱石が来て泊まったことに驚きを感じました。


「・・・羅漢寺で「釣鐘に雲氷るべく山高し」(つりがねに、くもこおるべく、やまたかし)など7句。段々と寒波が襲いかかってきます。口の林の宿にて「短かくて毛布つぎ足す蒲団かな」(みじかくて、もうふつぎたす、ふとんかな)三句よんでいます。
 


 耶馬溪町から山国町へ 「帽頭や思ひがけなき岩の雪」(ぼうとうや、おもひがけなき、いわのゆき)「凩の峰は剣の如くなり」(こがらしの、みねはつるぎの、ごとくなり)「目ともいはず口ともいはず吹雪哉」(めともいはず、くちともいはず、ふぶきかな)など17句・・・」(近砂敦 ブログ「大分県中津の地方史」から」





 
先日は、この間亡くなられた原節子さんの話、戦時中、耶馬溪町で疎開をしたということを書いていました。


女優さんは、戦地に慰問することがあたりまえの時代でしたが、原さんは、それを拒み、よしたけさんという親戚が耶馬溪にいるので、疎開をしていたというのです。
 


前段が長くなりましたが、今日は、その話ではなく、福島県の浪江町の「請戸小学校物語   大平山をこえて」という絵本を持って来て下さいました。



「よかったら、中津の中学校の図書館において下さい。」


ということでした。浪江町の請戸小学校は大震災の時に、大きな被害を受けたにも関わらず、100人を越える学校の子どもたちが一人も犠牲者を出さなかった学校です。




そのことをNPO法人の方々が絵本にまとめたものです。



学校・地域そして子どもたち一人ひとりの防災への意識の高さが命を守ったのです。浪江町の現地の方と近砂さんは親交があるのです。



「福島県浪江町請戸は東日本大震災、町が津波で壊滅、その後の原発事故で現在も避難生活を余儀なくされている請戸芸能保存会会長の渡部さんと支援を通じて親交をかさねています。



この度、地震と津波で一人の犠牲者を出さずに避難した「請戸小学校物語」が絵本になり出版されました。」
 


多くの中津の子どもたちが、この絵本に接して災害への意識を高めていって欲しいと願っています。命を大切にあたたかな道を歩いてもらいたいです。


中津の歴史に悲惨な歴史を残さないためにもしっかりと活用させてもらいます。


ありがとうございました。

他にも、いろいろと話を聞きたかったのですが、また次回にということに。