『目を閉じた優しい顔のさとちゃんの
思い出辿って 棺に手を置く』
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初めて三光中学校に赴任した時、3年生だったさとちゃん。
テニス部に所属して活躍をしていました。
明るく、みんなから慕われていました。
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それから形を変えながらもずっとつながりがありました。
さとちゃんは、大学を出てから、本耶馬渓の保育園の保育士さんとして、子どもたちと関わってきました。
かつてこちらが受け持った生徒たちのお子さんたちも数多く受け持ちました。
教えた生徒のお子さんたちを教えた生徒が受け持つということで、何かとさとちゃんと話題を共有できました。
さとちゃんがすごかったのは、職場が変わっても、本耶馬渓の保育園のおゆうぎ会や運動会に欠かさず、観戦に来ていました。
そして、かつての教えた園児たちを応援していました。
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昨年、わたしは、3年生を担任しましたが、この学年の子どもたちで本耶馬渓の保育園出身者はさとちゃんが担任していました。
偶然にも、保育園で受け持ったさとちゃんの子どもたちを、小学校で私が受け持つというリレーがありました。
「〇〇ちゃんは、どうしてる?」
など会話の中で、こちらが担任をしている子どもたちのことで会話が弾むことがありました。
今、コロナ禍の中で、中止をしていますが、育児を中心としたサークル「つながりの会」があります。
私の家で行っています。
さとちゃんは、「つながりの会」に参加をしてくれました。
いろいろとサポートをしてくれるように頼むと快く引き受けてくれました。
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そんなさとちゃんでしたが、突然、病魔に襲われました。
そして闘病生活。
FACEBOOKでつながりを持ちました。
コメントをくれたり、「いいね」を押してくれました。
こちらも病気と闘っているさとちゃんのタイムラインを見て、時折メッセージを送りました。
ふだんは、愚痴を言わないさとちゃんも、時々、文面の中に苦しい様子をやわらかく載せてきます。
苦しいことも多かったでしょう。
昨日、さとちゃんと同級生のさよちゃんが、さとちゃんのタイムラインに亡くなったことを掲載してきました。
ショックでした。
突然の訃報に驚きとともに、悲しみが押し寄せてきました。
それとともに、いろんなさとちゃんとの思い出が押し寄せてきました。
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今日、さとちゃんと久しぶりの対面をしました。
「棺の中」でという形で会おうとは思いもしませんでした。
多くの同級生がお通夜が終わっても玄関のところに残っていました。
さとちゃんの人柄を感じます。
「保育園時代のお子さんがお参りに来てくれたんですよ。」
とさとちゃんのお母さん。
気丈にも笑顔で話をしてくれましたが、娘の旅立ちにどれほどの辛さがあるでしょう。
明日は、さとちゃんをみんなで見送りたいと思います。
これまでたくさんの優しさをありがとう。
さとちゃんの温かい笑顔を一生忘れることはありません。
そしてこの晩秋の日も。
思い出辿って 棺に手を置く』
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初めて三光中学校に赴任した時、3年生だったさとちゃん。
テニス部に所属して活躍をしていました。
明るく、みんなから慕われていました。
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それから形を変えながらもずっとつながりがありました。
さとちゃんは、大学を出てから、本耶馬渓の保育園の保育士さんとして、子どもたちと関わってきました。
かつてこちらが受け持った生徒たちのお子さんたちも数多く受け持ちました。
教えた生徒のお子さんたちを教えた生徒が受け持つということで、何かとさとちゃんと話題を共有できました。
さとちゃんがすごかったのは、職場が変わっても、本耶馬渓の保育園のおゆうぎ会や運動会に欠かさず、観戦に来ていました。
そして、かつての教えた園児たちを応援していました。
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昨年、わたしは、3年生を担任しましたが、この学年の子どもたちで本耶馬渓の保育園出身者はさとちゃんが担任していました。
偶然にも、保育園で受け持ったさとちゃんの子どもたちを、小学校で私が受け持つというリレーがありました。
「〇〇ちゃんは、どうしてる?」
など会話の中で、こちらが担任をしている子どもたちのことで会話が弾むことがありました。
今、コロナ禍の中で、中止をしていますが、育児を中心としたサークル「つながりの会」があります。
私の家で行っています。
さとちゃんは、「つながりの会」に参加をしてくれました。
いろいろとサポートをしてくれるように頼むと快く引き受けてくれました。
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そんなさとちゃんでしたが、突然、病魔に襲われました。
そして闘病生活。
FACEBOOKでつながりを持ちました。
コメントをくれたり、「いいね」を押してくれました。
こちらも病気と闘っているさとちゃんのタイムラインを見て、時折メッセージを送りました。
ふだんは、愚痴を言わないさとちゃんも、時々、文面の中に苦しい様子をやわらかく載せてきます。
苦しいことも多かったでしょう。
昨日、さとちゃんと同級生のさよちゃんが、さとちゃんのタイムラインに亡くなったことを掲載してきました。
ショックでした。
突然の訃報に驚きとともに、悲しみが押し寄せてきました。
それとともに、いろんなさとちゃんとの思い出が押し寄せてきました。
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今日、さとちゃんと久しぶりの対面をしました。
「棺の中」でという形で会おうとは思いもしませんでした。
多くの同級生がお通夜が終わっても玄関のところに残っていました。
さとちゃんの人柄を感じます。
「保育園時代のお子さんがお参りに来てくれたんですよ。」
とさとちゃんのお母さん。
気丈にも笑顔で話をしてくれましたが、娘の旅立ちにどれほどの辛さがあるでしょう。
明日は、さとちゃんをみんなで見送りたいと思います。
これまでたくさんの優しさをありがとう。
さとちゃんの温かい笑顔を一生忘れることはありません。
そしてこの晩秋の日も。