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日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

エレベータ、バリアフリー工事

2013年02月07日 | Weblog
学舎(まなびや)でみんなが優しく過ごせたら
          「幸せな時間」に出会える場所(とこ)に
   




       
       
現在、勤務する中学校では、エレベータ工事および、バリアフリーの工事が行われています。3月15日完成をめざしています。



エレベータ工事は、中盤から終盤に向かっての工事となっています。夜も遅くまで行われています。工事に携わっている人は、寒さ、雨・・・など、過酷な環境の中で、頑張っています。




学校にエレベータを設置している学校、バリアフリーになっている学校は、まだまだそう多くはありません。
 「人に優しい学校づくり」
をめざしています。



障がいを持っている人、けがで階段が上がりにくい人、来校された方で、エレベータが必要な方などにとって、エレベータは不可欠なものです。



人は、いつどのような状態になるか分かりません。これからの時代は、ソフト面はもちろんのこと、ハード面でも「人に優しい学校づくり」を作っていく必要があると思います。




連れ合いそして亡くなった父も障がいを抱えていました。母も年を重ねてから、家庭の中で、風呂に行く段差が鬼門でした。次第に自力で階段の上り下りをすることができなくなりました。




父が風呂に入りたいときには、自分や子どもたちが父をおんぶして、風呂場まで連れて行きました。そして、
「あがったよ。」
と言う声がすると、風呂場まで迎えに行っていました。




「父」をずっと強い人だと思っていました。幼い頃から、「父」を見てきて、「父」というイメージは、「永遠に頼りになる自分自身が超えることができない人」だと感じていました。


ある日、初めて父を風呂場まで連れて行こうとおんぶしたときのことです。背中に父をかつぐとお尻の肉がほとんどなく、お尻の薄い皮と骨の感覚だけが手に残りました。




「父」の老いに凄い衝撃を受けました。と同時にきっと、もう大好きな風呂があるところまでは、歩いて行けないだろうと悲しい事実を突きつけられました。





健康な人は、健康であることをあたりまえに感じています。社会の早い流れの中で、自分自身の慌ただしさの中で、健康について悩んでいる人のことを、思いやる心の余裕も薄らいでいるのかなと思います。



「体」にもいろんなドラマが待ち構えています。学校の中でにおいて、思うように体が動かせない人も大人数の中で、存在することがあるでしょう。




それが生徒であり、教職員であり、来校者であるかも知れません。学校がだれもが気軽に過ごせる場所であって欲しいと願います。



あと一ヶ月で、また新しい学校のスタイルができあがります。

小学生との出会い

2013年02月06日 | Weblog
おはようと言葉を残す通学路
           会話弾ませ仲良く登校





       
毎朝、学校の下の道路にあいさつ運動で立っていると、かわいい小学生が通っていきます。
「おはよう。」
と声をかけると、元気よくそして気持ちよく返事が返ってくる子どもと、なんだか気恥ずかしそうに通っていく子どもがいます。




毎朝のことなので、だんだんと小学生とも顔見知りになります。




おもしろいものです。人生の縮図みたいなものです。自分の殻に閉じこもっていれば、人とも繋がりにくいのですが、一歩外に出れば、たくさんの人と巡り会うことができます。





中学生はもちろんですが、小学生との朝の出会いが楽しみです。義務的に考えればきっと、あいさつ運動も途中で挫折しているでしょう。
あいさつをしていて、うれしかったのは、小学生の男子から、
「おみやげ。」
と旅行に行った先で買ったキーホールダをもらいました。大切に持っています。





 先日は、6年生の男子が、走ってきてポンとお尻を触っていきました。
「せんせいのお尻、やっぱり割れている。」




あたりまえだろう。




先日、中学校入学説明会がありました。今度、中学校に入学してくる6年生が学校にやってきました。




授業見学・体験授業などを受けた後、説明会に臨みました。会に先立ち、学校を代表してあいさつをしました。その中で、中学校の生活・学習について「中学校に入学するまで努力すること」の話をしました。その一つに、




「あいさつができる人になって、中学校に入学してきて下さい。」




と言いました。



 すると、「お尻が割れている・・・。」と言っていた生徒も、今日、しっかり、「おはようございます。」と恥ずかしそうに言いながら、通過していきました。ほのぼのとした時間です。




まもなくこの6年生たちも、学生服に身を包み、ちょっと大人びて中学校の校門をくぐってくるのです。去年出会った小学生たちも、今は、中学校でいろんなところで頑張っています。

四国・・・金刀比羅宮へ・・・最終回

2013年02月05日 | Weblog
神秘的金比羅参りの石段を
          朝霧漂い吐く息白く





       
最終日、金刀比羅宮に参拝をしました。金刀比羅宮は讃岐のこんぴらさんと呼ばれ、海の守護神として親しまれており1368段(御本宮まで785段)の石段からなり、御祭神は大物主の神で崇徳天皇を合祀しているといいます。




金刀比羅宮に行くと、讃岐富士や瀬戸大橋までが見える絶景です。しっかりとお参りをしました。朝早かったので、参拝客はほとんどいなかったので、ゆっくりとお参りをしたり、写真を撮ったりすることができました。





♪金毘羅舟々 追い手に帆掛けて しゅらしゅしゅしゅ
回れば四国 讃州那珂の郷 象頭山金毘羅 大権現・・・♪






 歌は、父や母が昔よく歌っていて、金比羅・・・という名前は知っていましたが、実際に行く機会を持つことができるとは思っていませんでした。周りの風景と何となく神秘的な金刀比羅宮に感動をしました。雲の間からも光の筋が延びています。




 ♪金毘羅舟々・・・♪の歌は、 幕末から明治初年にかけて、全国で大流行したそうです。金刀比羅宮(ことひらぐう)がある琴平町を中心に唄われた拳遊びのお座敷唄ということです。





金刀比羅宮は、古くから海運従事者から信仰を集め「金毘羅さん」と呼ばれて親しまれた。金毘羅参りの人々によって、道中唄われていたといいます。




こんぴらさんにお参りできた感激の気持ちを胸に高松へ戻っていました。そして帰る途中、最後のうどん食を。





雑誌やテレビで有名な「るみばあちゃん」がいる池上製麵店に行きました。開店前でたくさんの人で行列を作っていました。窓越しから中をのぞくと、「るみばあちゃん」がいます。





開店して、順番を待ちながら、釜玉うどんを頼みました。おばあちゃんは、しっかりと店の中で、接待をしながら、ほのぼのとした店の雰囲気をつくっています。「きゅうしゅうにもお店があってね。」といろいろ話を聞かせてくれました。




写真を一緒に撮らせてもらいました。さすが写真慣れをしています。いい笑顔でぱちりと記念ショット。でもあとでよく考えると姉のカメラでした。またいつか送ってもらいます。





今回、しっかり四国、香川を堪能させてもらいました。日本一小さな県ですが、見所は満載です。



うどん県、あお鬼県・・・女木島は鬼ヶ島であるとも言われています。今まで知らなかったこともたくさん見聞させてもらいました。





兄姉夫婦にはお世話になりました。
 ぼちぼちと写真の整理をしながら、四国旅行の復習もしていきたいと思っています。

高松へ~四国二日目~

2013年02月04日 | Weblog
潮風にサクとアキとが体を揺らせ
               世界に愛を叫んだロケ地





       
高松に行くならと、インターネットで下調べ。高知・愛媛もいいけれど、近場での観光をチョイスしました。
2日目。屋島・庵治方面へ。
屋島は、源平合戦で有名な史跡です。壇ノ浦には、行く機会はあるのですが、屋島は初めてです。





 
『一ノ谷で敗れた平家は四国の屋島に逃げました。義経は単独で150騎の兵を率いて暴風雨の中、普通3日はかかる行程を6時間で阿波の勝浦に渡りました。義経はわざと5~6騎ずつの群で出現させたので、平家方は大軍勢と錯覚しました。




慌てて船に乗り込み沖めがけて逃げ出しました。義経が法皇の院宣を受けて平家討伐に来たと名乗りを上げると海と陸との戦闘が始まりました。この戦いで佐藤三郎兵衛嗣信は、義経の矢面に立ちその盾となって倒れました。




死の間際、嗣信は「奥州の佐藤三郎兵衛嗣信という者が、屋島の磯で主君の身代わりになって討たれたと末代まで語られてこそ武士の名誉」と義経に語り、死にました。義経ははらはらと落涙し、手厚く弔わせると自分の愛馬を布施に出しました。これを見た他の家来たちは、義経のためなら命など惜しくないと感激して泣きました。



夕方、平家方から日の丸の扇を掲げた一艘の船が渚によってきました。弓で射よということだろう。乗っている女官が手招きをしました。義経は弓矢の名手・那須与一に扇を射るように命じました。「南無八幡大菩薩、願わくばあの扇を射させよ」。与一は見事大役を果たしました。




義経は戦闘中うっかり弓を落とし、それを必死で拾おうと味方をハラハラさせました。理由は、源氏の大将の弓矢がこの程度の弓矢かと笑われたくなかったからです。チビで力の弱いことを隠そうと必死だったようです。ともあれ義経あってこそのこの合戦、梶原景時が主力の大船団とともに屋島に着いたときには、平家は逃げ去った後でした。』






そんな場所が屋島です。屋島の山頂から、「船隠し」「安徳天皇社」などの方角を見ると、何かわくわくするような感じがしました。兵どもが夢の跡です。





そして、それから、庵治へ。時代は現代へ。「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケ地で、また庵治は、庵治石で有名と掲載されていました。




庵治の中で車を走らせると、映画の中で、「○○した場所」「××した場所」など看板が目につきました。2004年の映画なので、時が過ぎています。観光客はほとんどいなかったのですが、きっと映画公開中はすごい人がここを訪れたのだろうと思います。



サクとアキが乗ったバイクが観光交流館に展示されていました。
ロケセット、「雨平写真館」も復元されています。中は、喫茶店となっています。アキとサクが夕日を眺めながら語り合うシーンなどで登場した王の下沖防波堤にも足を運びました。

サクとアキの気分で防波堤に立つ?兄、姉夫婦です。






かつてブームをよんだ映画でしたが、ストーリーをみんなで思い出しながら、楽しく会話をしながら、風景を見ていました。
月日がたち、残部が少なくなっている「世界の中心で、愛をさけぶ」の絵はがきセットを記念に購入しました。





兄・姉のおかげで、四国・高松が満喫できた時間でした。もちろん朝・昼・晩とうどんの美味も堪能できました。

高松へ~四国へ初上陸~

2013年02月03日 | Weblog
栗林(りつりん)の名とは違った松林
                格調高き大名庭園
       



先日、用事あって香川県の高松市まで行きました。今は、インターネットですぐに行き方を調べることができます。WEBで時刻表を検索して、四国へは初めて訪れました訪問です。



高松の駅のホームでは、兄や姉が待っていてくれました。



栗林公園へも夕方、足を向けました。インターネットによると、




「日本を代表する大名庭園。室町時代のころ、南部の小普陀付近に普陀落寺(ふだらくじ)とその庭園があり、桃山時代には生駒親正(いこまちかまさ)の臣佐藤道益(みちます)の邸となった。


本格的な大名庭園として整備されるのは江戸初期の1642年(寛永19)、徳川光圀(みつくに)の実兄頼房(よりふさ)の長男松平頼重(よりしげ)が移封されてからである。



頼重は1673年(延宝1)に隠退するや本園改造に着手した模様で、以後代々改修が続けられ、5代頼恭(よりちか)の1745年(延享2)に本園の古絵図ができているから、全庭の完成はそのころと考えられる。




明治維新後、一時私有化されて荒廃したが、1875年(明治8)県有地となり、85年には県立公園として一般公開されるに至った。1953年(昭和28)特別名勝に指定。回遊の風景の変化を楽しむ庭であるが、多数の松林のみごとさは特筆すべきものがあり、石組(いわぐみ)では、南湖の中島の一つ天女島のものと、仙磯とよばれる岩島、掬月亭(きくげつてい)左方の七福神と称される石組などに優れた手法がみられる。」




と書かれています。一日いても十分なほどの広さと松や池の配置や邸宅など内容の充実さがあります。公園の奥の掬月亭(きくげつてい)では、広間で抹茶を頼むことができます。





庭園の梅には、ぽつりぽつりと蕾がほどけているところもありました。春が少しずつやってきていることを感じました。




栗林公園は、趣とともに、恋つつじなども植えてあり、老若男女楽しむことができると思います。
 


案内してもらいながら、日本庭園の素晴らしさを堪能することができました。

庵治町へ

2013年02月02日 | Weblog
用事で香川県庵治町に行きました☆
庵治町???

庵治町は庵治石と映画のロケ地で有名です。
世界の中心で愛を、叫ぶはもっとも有名です☆☆☆




初めて知りました☆

小船

2013年02月01日 | Weblog
池の端 松の鳥居を眺むれば
        絶景彩る 揺れる小船 



姉夫婦のところに行く機会がありました。近くの公園に行きました。
風情のある場所でした。