かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

「日々を綴って~エッセイ集から~」

2020年05月16日 | 大分県
素晴らしき舞台で演じる時は今       
     溌剌とした君は主人公



今日は、ぐずついた天気でした。昨日の夜は、激しい雨で少し川の水も増えていました。
これからこんな感じで、梅雨を迎えていくのでしょうね。 


今、コロナウィルスで自粛を求められている中で、インターネット上で、
「【7日間ブックカバーチャレンジ】第1日読書文化の普及に貢献するためのチャレンジです。参加方法は、好きな本を1日1冊、7日間投稿するというもの・・・」
というような内容がバトンリレーされています。



バトンは受けたものの、今日が明日、明日がまた明日・・・となってずっていました。
なんやかんやで、そう多く本を読んでいる訳ではないので、人に本を紹介するほどでもありません。



よく子どもたちから、
「先生たちに本の紹介文を書いてもらいます。」
と来ることがありますが、悩んでしまいます。
 



いろいろ解除されていることが多くなってきていますが、遅くはなりましたが、7回ブログの1部に載せてみようかなあ。
でも人に押し付けても悪いので、人に回さず、自分だけでということでの掲載です。
 


1日目の表紙の本は、自分のエッセイ集です。


教員になってから、管理職になるまでの26年間を綴ったものです。
今になってみると、教頭になって、日田市に単身赴任をして、校舎建設があってとバタバタしていた時に作ったので、誤字が多いことに気づきます。



学校が終わって、アパートに戻って、200ページにまとめていきました。



子どもたちとの思い出を中心に集めました。表紙の絵はイラストレータをしている豊田小学校の時に担任したようこちゃん、本の名前は、こがのきさんがかいてくれました。
 



教員になってほぼ毎日続けていることが、2つあります。



1つは、学級通信を毎日出していきました。
もう一つは、A41枚に1日にあったことや思ったことをポジティブな視点からまとめています。


その1部をブログなどにあげたりもしています。



エッセイ集を作った時は、それから取っていきました。
 


通信もエッセイも、ものを肯定的に見ることができます。
通信を書くときは、子どもの良さをよく見ておく必要があります。
それがあって、新聞を書くことができます。

自然に子どもをポジティブに見る目ができると思っています。
エッセイも同じです。
 


またそれが自分の置かれた立場を記したものであったり、その日の思いや出来事をあとから知ることもできます。
書き留めておくと、その日が消えません。
 


レベルは天と地の違いがありますが、作家の五木寛之さんも同じようなことを言っています。
 


エッセイ集を出してからまた10数年が経ちました。

またいつかもう一度、まとめることができたらと思うのが夢です。

「来週から分散登校です」

2020年05月15日 | 大分県
顔覆う本当の顔がわからない
   マスク外して話もしたい・・・


 
今日は、臨時休業中のための授業の動画作成がありました。
懐かしいケーブルテレビのスタッフの方々がやってきました。


場面を変えるときに、授業を止めながら進めていきました。
デジタル的なものではなく、黒板を使っての授業でしたが、なんとか短時間で収録が終わりました。



6年生担当のしゅうちゃんもスムーズに授業が流れていきました。



どこかで子どもたちが活用してもらえたらと思います。
めったにない経験をすることができました。




夕方、学校の近くのある事業所に行きました。
3人のお客様がいました。
みんなマスクをしているので、よく顔がわかりません。



マスクで顔が半分隠れているので、子どもたちも含めて、マスクを含めての顔しかわかりません。
職員室にやってくるお家の方も同様です。




授業にせよ、コミュニケーションにせよ、いろんなところで生活が変わっています。
 


しかし、よくよく見ると、まさふみくんのお父さん、本耶馬渓の中学校勤務時代、野球部の保護者であったお父さん、そして、いろいろお世話になっている耶馬溪の方でした。
「みんな知っている方ですね。」
とそこの方。
 


20代、30代を本耶馬渓で勤務しながら過ごしました。
その当時のお家の方ですが、
あれから年数も経って、まして、マスクをしているので、すぐにわかりません。



「まさふみも、今度の休みは帰ってこれんやった。」
とまさふみくんのお父さん。
今でもいろんなことでお世話になっています。
 


懐かしい話がたくさんできました。
 



帰りに、お酒のアルコールでできた消毒液とスプレーをいただきました。
「車とかにちょっと乗せておくといいですよ。」
感謝です。
 


来週からは、分散登校が始まります。だんだんと先が見えてきています。
3月からのいろんな生活の変化の中で、元に戻っていくのはいいのですが、規制が緩んでいく中での感染拡大は避けていきたいものです。

「しゅうちゃんと授業の挑戦☆」

2020年05月14日 | 大分県
教室で前を向いて語るとき
   答えを運ぶ 夏を呼ぶ風


 

今日も日中は暑いくらいのものがありました。
台風がやってきていることもあってか、週末にかけては、天気も崩れるようです。
コロナウィルス対策と同時に、これから災害から身を守るための対策も必要となります。
 



明日は、授業を動画で撮ります。
6年生担当のしゅうちゃん先生と一緒に授業をします。
 


しゅうちゃん先生は、社会「日本国憲法」、かったかは、国語「国語辞典を使おう」の2時間扱いの1時間目を行います。
下毛地域なので、ケーブルテレビも入ります。
 


臨時休業中に動画を作成しても、6月再開になったら、休業中に子どもたちが活用できるかどうかは微妙です。
それでも使える時にね、ということと、自分たちの経験を積むということで
「がんばりましょう。」
としゅうちゃんと準備をしました。
 

チャレンジです。
 


そう、研究授業は何度も経験はあっても子どもたちが目の前にいない授業は初めてです。
経験です。


打ち合わせをしていないので、テレビがどのように撮影するのかも、明日になってみないとわかりません。
授業も準備したことと、変化することもありますが、できる限りのことでチャレンジできたらと思います。
 



それにしても、休み時間もないくらい、「しゅうちゃん先生」はがんばります。
昼ごはんも食べたと同時に教室に上がって、授業の準備をしています。
6年生の教室から声も聞こえてきます。
 



教室をのぞきに行くと、こちらが行ったのも気づかないくらいに集中をしています。背中がいいです・・・。
 


ちょっと焦ります。
 


ウェブ上でいろんな人の授業動画を見ていると、パソコンなどを駆使しての授業で、見栄えもします。
「自分たちは、昭和のアナログでいこう。」
と最初は言っていたのですが、いつしか、しゅうちゃん先生は、電子黒板などを使うようにしています。
こちらは、取り残されました。
 



「ここで一度カメラを止めてもらって。」
とか考えながらやっていると、面白いのですが、一方向での授業なので難しいです。
まして、国語辞典の使い方の学習となると、なおさらです。
 



子どもたちがいないときに、子どもたちのためにできることを意識しながら、「しゅうちゃん先生」と明日を楽しみましょう。

「西京橋に行ったことありますか?」

2020年05月13日 | 大分県
汗流れ 足も震える崖のぼり
誘いの言葉に すぐに答えず・・・

           

 



今日は、青空が広がった一日でした。
とてもさわやかな空気が流れる日となりました。



背景が青の校舎もとてもきれいでした。
 


今年になってから、にしたにのゆうちゃんから、
「先生、ゴールデンウィークにベトナムからちいちゃんが帰ってくるから、その時に久住山に登ろう。」
という話がありました。
 


久住山ならまだ登れるかと思いながら、時間を過ごしていると、
「コロナウィルスの関係でちいちゃんも帰れんようになったし、流行しているので、やめよう。」
と連絡がきました。
 


ゆうちゃんは、なうての山登りの名人です。
しかし、ゆうちゃんが小学生の時、2回久住山に登る機会がありましたが、2回ともにキャンプ場付近で体調が悪い友だちと待機組として君臨していました。
遊びも外で遊ぶより粘土好きでしたが、それがどこでどう変わったのか、今は、アルプスを縦断したり、ありとあらゆる山にチャレンジしたりしています。
 



よくお誘いはあるのですが、10回に1回くらい。野球で言えば、1割も達していない低打率です。
 


それは、それなりの理由があります。
「先生、アルプスに行こう。」
「祖母山に登ろう。」
 
まあそういうわけです。写真を見てくれたら、もっとわかります。


でしょう?




「先生が行く気がないときは、すぐに言い方でわかる。」
いつもいい声で「う、うん。」と答えているのに。
 



先週、連絡がありました。
「先生、自粛が明けたら、西京橋に行きましょう。」
ここなら、まあ、なんとかいいでしょう。


それでも難儀なところです。
 


西京橋には、おととし、連れて行ってもらいました。
最初、西京橋というので、長崎の西海橋みたいな感じに思っていました。


しかし、あの爽風が流れるイメージとはかけ離れていました。




西京橋は、山国町の棚田方面にあるのです。
ある意味、軽装で行きましたが、ロープでがけを登り、ロープでがけを下り、沢を歩き、山を登り、さらに山を登り、もっと山を登り・・・悪戦苦闘しながら、西京橋に。
 



山の頂上の岩と岩の間に自然の石が横たわっている、それが西京橋でした。
「石をわたってみますか。」
とんでもございません。


死にます。
しかし、誘いから逃げられないように、退職したときに、ひろきくんと一緒にリュック、登山用スティック、方位磁石などをプレゼントしてくれました。


あの少年時代は何だったのかと思いますが、いろんな山を征服しています。
 



ぜひ、自粛がとけ、時間があるときに、西京橋にも行ってみて下さい。


「懐かしい時間をもらいました」

2020年05月12日 | 大分県
君たちの そこから見える未来へと
       夢と希望を描いて歩いて


 

今日は、懐かしいことがありました。


1つは、かつて中学校勤務時代、一緒に勤務していたあかの教頭先生と久しぶりに電話で話すことができました。
いつもいろいろと気を配りながら、仕事をしています。
今日もそのことを感じました。
なにかとお世話になりました。


時があの頃に戻ったような気がしました。
 


もう1つは、かつて、樋田小学校で6年生の時に、担任をしただいちゃんからメールが入りました。
 
「今、実家に帰っているけれど、学校にいますか。」
という内容でした。
 


実家は、職員室からでも1分もあれば、だいちゃんの実家の玄関までは行くことができます。
電話をしてみました。
 
でません・・・。
なしか・・・メールが来て、すぐに電話をしたのに・・・。
 


教室からグランドを見てみました。
 


なんとだいちゃんとだいちゃんの息子がグランドでサッカーをしています。
いい声が響いています。


おっ、ここにいるではないか。
しかし親子のいい光景です。
過疎地は、グランドが公園的な役割もしています。



仕事をとじて、大ちゃんがいるグランドに行ってみました。



家族の話とか、仕事の話など、いろいろ近況を聴かせてもらいました。
とても優しい大ちゃんです。
ブランコの方ではおくさまがむすめさんと遊んでいます。
 


あれは、30年前にグランドで放課後、一緒によく野球をして遊んでいました。
「せんせいたちの打ったボールがフェンスを越えていったり、公民館の屋根にあたったりしていたね。」
懐かしい話です。



その後は、中学校・高校と野球部で活躍をしています。


インスタ映えする?目が閉じてしまいそうになるほどの満面な笑顔はあのときのままです。
息子さんもだいちゃん、そっくりです。



なんとなく、心が重い時期に、さわやかな姿を見ることができ、心が癒されました。
肖像権はいただいております☆
また近いうちにこの学年の思い出の話も書きます。

 


仕事の中にも、ほのぼのとした時間を持つことができました。

「臨時休業継続の月曜日」

2020年05月11日 | 大分県
授業日に子どもの姿が消えた部屋
   窓辺のカーテン 色褪せ揺れる



 
学校は、コロナウィルス感染症拡大防止のためなどで、臨時休業となっています。
いろんなところで支えになってもらっていた方が、よく
「勝手に・・・しているけどね。」
などと言うことがありました。


「勝手」が優しさであったり、エネルギーをもらったりしていました。
 


自分以外の人のために、「勝手」に?できる心の広さと「どうしたらいいかわからない」という弱い部分を表現そして依存できる心を持つことが、ちょっと息苦しい時代に必要となると思います。
 


今週は、今までのように、子どもたちは、家庭での学習が中心となります。
今日はあるお家の方が来て、
「子どもも、時間を持て余して、これもストレスですよねえ。」
と話をしていましたが、来週からは、分散登校が始まります。


すでに、他県や他市町では、学校再開、分散登校の実施をしているところもあります。
それぞれの地域での実態があるので、それに合わせていけばいいと思いますが、今日は、来週分の課題を作成したりしました。
 



学年が1学級なので、作成も全教科にまたがり、大変ですが、今日はそれに集中しました。
なんとか出来上がりました。
 


あとは、教室の換気をしたり、授業動画を作成するというので、指導の流れを考えたりしました。
 


昨日とはうって変わってさわやかな天気のいい日中となりました。
 


静かな山あいの校舎に昼からグランドに子どもがきて、サッカーボールを蹴る音が響いていました。



この時期、子どもたちも、体を動かすことが心身のバランスをとるためには、大切なことですよね。

「学校が始まった時のイメージづくり」

2020年05月10日 | 大分県
ひんやりと朝の静かな校舎には
    廊下に浮かぶ優しい空気


 


金曜日の日に、家に帰って夕方、空を見ると、ひこうき雲がきれいにできていました。


通っている飛行機の後ろの青空に線を描いていました。
姉が
「長崎から飛行機に乗ると、時々、家の上を通るよ。」
ダム湖などもしっかりと見えるそうです。
 

これは、長崎から大阪や東京に向かう飛行機でしょうか。
これから世相もだんだんと青空が広がってくることを期待しています。
 

 

今日、ネットで、
「学校が再開してから」
という記事を、いろんなところで社会的な貢献をしている、尊敬するAさんがシェアをしていました。
納得しながら読んでいきました。
 



昨日に続いての学校の話ですが、来週からの分散登校があります。
また6月に学校が再開したときにどのように学校の生活が今までと変化をしているのでしょうか。
 


思いつくままに・・・。
・3密にならない   ・マスクをする  ・体温チェック
・常に手洗いをする  ・換気
・授業は前を向いて
・子どもたちは向かい合って話をしない(横並びや一斉の授業型)
・6月からの教育課程の編成のもとで、年度末の終わり方を考えての授業を展開しながら、授業の遅れを取り戻す
・音楽の授業の歌やリコーダーの取り入れ方  
・体育で密がない授業
・授業で3密をなくしても、休み時間はどのように過ごさせるのか
  (子どもたちと生活についての話し合いと実践)
・給食はどのように配膳をしていくのか
 (おかずをつぐ人、パン・ごはんの配膳の仕方など)
・教室を密にならないようにするけれど、職員室はどうするのか
・集会の持ち方、そうじ・委員会活動の取り組み方の工夫
・さわるところの消毒
・トイレのふたを閉めての流水(CMなどで言っていますが)




心的には、
・3月からの臨時休業によって、子どもたちの中には、集団生活になじめない、ルールが鈍っていることがあり得る。
・コロナウィルスの恐怖に不安を抱えている子どもや家族などがいる。
・差別事象
・カウンセラーなどとの日常的連携(感染者が確認された場合)


 
ほかに何があるのだろう・・・。
 
 

再開すれば、ほとんどの子どもたちが登校をしてきます。



いろんな生活のトラブルなどにも対応しながら、感染症に対して「すべての完璧にできる」ことは人的な保障があったとしても、どう考えてもできないでしょう。



しかし、最大限に取り組みを行なっていかなければなりません。
できることとできないことも明確にしておき、説明できる必要があるでしょう。
 
 


分散登校や学校再開をする前に、ジャンルに分けて、現場は考えていかなければならないと思います。
文科省からの方針も合わせて、また行政も現場任せてではなく、指針やアドバイスを送ったり、情報を共有していったりするとが大切であると思います。
学校力や指導力になるでしょう。
 



始まってから、「感染症に対して」の子どもたちとの生活における話し合いも大切な授業となるでしょう。
 


学校の信頼度にもつながっていきます。
 


分散登校や再開した場合のイメージをみんなで作っておくこと、環境整備しておくことが、指導にも幅や余裕ができるし、何より、子どもたちを守っていくことにつながります。




来週から学校の分散登校が市内では始まっていきます。

「反省そして、こどもたちのために・・・」

2020年05月09日 | 大分県
子どもらに未来を託すそのために
     心育てる みんなで関わり



 
週末は天気が崩れています。
しかし、コロナウイルスの中でもゴールデンウィークの天気がよかったことが、せめて、気持ちの持ちようも違っているのかも知れませんね。
 


ゴールデンウィークが終わって、学校ではポストインの家庭訪問が終わりました。
学習の課題や学校から配布物などなどの受け渡しを行いました。
まずは、ほっとです。


来週は、子どもたちはその課題をもって生活をしていきますが、次の週からは時差登校が始まります。
子どもたちの顔を教室で見ることができます。
 


特に学習課題作成が難しいものがあります。
予習プリントが中心となっています。
復習プリントは、問題演習が中心となります。
一方、予習となると、子どもたち自身でプリントを通して学んでいくので、作成も悩まされます。
はい。
 


例えば、市全体で
「どこどこの学校の〇年生は、この単元の予習プリントを作って下さい。」
と分担すれば、もっと、先生たちの負担が少なくなり、全部の教科にわたって、子どもたちにもよりよいものが提供できると思うのですが、どうでしょう。
作成したものは、市の共有のフォルダに入れるようにすれば、市全体の子どもたちにも同じ教育サービスを提供できるのかなと思ったりもします。


今は、学校独自での取り組みとなっています。
学校独自で作成したものは、市の共有のフォルダにもあることはあるのですが、バラバラではなく、市全体で、学ぶ力もつけていけたらと感じます。
 


つまり、3月の臨時休業で私たちが学んだことが4月にどのように生かされているのかがはっきりしません。
3月での反省に基づいて、4月・5月のデザインになればと思います。
また4・5月は、0からのスタートでは3月の学びがないのかもしれません。
 


今回は、コロナウィルスの感染者が落ち着いてきても、また冬の時期に流行する可能性があると言われています。
だから、学校が再開したときに、しっかり反省して、次おきたときに、どのように対応していくかプランも、学校独自だけではなく、市・県・国もしっかりと作成しておく必要があると思うのです。


また0からのスタートだけは避けなければなりません。
 


学びを次に生かすことは、危機管理の中でも重要なことではないでしょうか。
 


もっと広く言えば、あの東日本大震災の時に、授業の遅れはどうしたのか、年度をまた越した学校の休みをどのように回復させていったのか、情報を共有したらよいのではないでしょうか。

あの命を守った「釜石の奇跡」だけではなく、「日本の教育の奇跡」として、災害が多い日本だけに、学べるのではないかと思います。
 


即座に対応しなければならないこともあるでしょう。
しかし、また短い周期で波が押し寄せる可能性もあるので、より短い期間の中で、即座に反省して、学び、対策をとることも重要かなとも思ったりします。
その上に立って、オンライン学習、1学期の開始時期などが論議できるといいのかなと思うのは、自分だけでしょうか。


また、行政と学校現場、保護者代表などがzoomなどを使って、情報交換や施策の検討を図っていくことも、この臨時休業だからこそ、即座にできると思います。
このことが、子どもたちにすぐにはねかえっていくであろうし、行政と現場の感覚のピントがずれないことにつながると思います。

その情報機器の利活用が、一部だけではなく、現場への広がりを迅速にさせていくのではないでしょか。
創造性を働かせば、この休業でもよりよい教育サービスが提供できるのだろうと思います。


「危機に乗じて」取り組めば、あとからのいろんな問題がはらんでくるでしょう。
 



子どもたちの視点にたって、この危機的な状況を乗り越えながら、創造的に教育を展開していきたいものですね。
さあ、また頑張りましょう。

「一輪車盛り上がりの時代」

2020年05月08日 | 大分県
大切にかけがえのないつながりを
    生きてく道に 勇気100倍


 
ちょっと西谷の方に行く機会がありました。
懐かしい風景です。


ネット上では、S介くんが休み中に帰省して、仏壇の前で勉強させたというようなことを書いていました。
何かにつけて、横やりを入れてくるS介くんに今日はちょっかいを~。
西谷は、S介くんたちを含めて多くの思い出が詰まっています。
 


S介くんたちは、4年生と6年生の2年間担任をしました。
この学年は、スポーツ大好きな子どもたちがそろっていました。


信じられないだろうけど、小学校2年生の時に5年生や6年生と真剣勝負のソフトボールの試合をしても勝つという学年でした。


上級学校でも、今でもスポーツの世界で活躍をしている子どもが多くいます。



4年生の時の思い出です。
S介くんは、今ではあまり面影・・・は・・・当時は、マラソンをさせれば、大分県チャンピオンでした。
6年生の時は、東京でのS&B杯全国大会にも参加しています。



4年生の時に、クラスで、
「一輪車で運動場の端から端まで全員で手をつないでいこう」
という目標を立てて、休み時間等に練習を積み重ねていきました。
 


一輪車や百人一首などは積み重ねれば、
「粘り強く頑張った。できるようになった。」
というような達成感があります。
そのことがまたほかの生活にも影響を及ぼします。


3か月後、最後Aちゃんがなんとか端まで行けるようになり、みんなで手をつないで行くことができました。
だれかができたのではなく、励まし合いながらみんながというところに意義がありました。
 


それから、この部隊の活動です。


秋には、「大分県一輪車大会」に参加をしました。
一輪車をもって、大分市へ。スラローム、一輪車マラソンなどいろんな種目がありました。
S介くんは持久力を生かして、1キロマラソンで断トツ1位で優勝。
大洲の河川敷を走りました。
 


ほかにも「かったかくん」の家まで一輪車で行きたいというので、サイクリングロードを一輪車に乗って、6キロの道を休み休みながらもみんなで来ました。


片道6キロ、往復で12キロです。
今は、無謀なことですが、タフです。


ちなみにかったかは、運動場の端から端まで位しか行けません・・・。
 


ここでおきたことは、やっぱり話題にことかかない、Kくんです。
ほかの人は、やりきれた思いがありましたが、Kくんは、すりきれた思いがありました。
往復12キロ。Kくんは、股のところがすりきれていたのが今でも語り草となっています。
 


一輪車部隊は、NHKの取材を受けたり、当時はちょっとだけ話題となりました。
 



S介くんたちが、風を切るように走っていた、泳ぐように蝶が舞うように一輪車に乗っていた姿が懐かしいです。
ですねっ☆彡

「懐かしいビデオが流れていた家庭訪問でした~」

2020年05月07日 | 大分県
窓辺へとゆらりと風が舞い込んで
  レースがめくれて 優しい笑顔が 


 

今週末は天気が崩れるということですが、ゴールデンウィークもほぼほぼ後天に恵まれました。
しかし、特にどこにいくというこもなく、時間を過ごしました。
 



今日も素晴らしい天気でした。校舎からは子どもたちの声も聞こえてきませんが、ポストインの家庭訪問に行きました。
また学校に戻ってから、子どもたちの取り組んだ課題などにコメントを書いたりしました。
 



とても懐かしいことがありました。
ちょっとした動きでもいろんなドラマができます。
 


家庭訪問に行きました。K一郎様?邸です。
初夏の風にレースのカーテンが気持ちよく揺れていました。
 



窓からあいさつをすると、K一郎ご夫妻がいました。
休日がそろっていて、子どもたちもうれしそうです。 
 

K一郎様が言いました。
「先生、今、ちょうど小学校の時の卒業式のビデオを見ていたんよ。」
 


偶然にも当時、ダビングをしてあげたビデオが流れています。
感動。懐かしい。
この休みにビデオの整理をしているということです。
それも休みならではのことです。
 


K一郎様は、6年生の時に担任をしました。 
 



樋田っ子文化祭で、見に来てくれている方が涙が出る熱演をしました。
百人一首の大会で、あっちこっちの大会に参加したりといろんな思い出があります。
 


卒業証書を授与しているときの映像が流れていました。
「DVDにしたいんよお。」
確かに。家にもたくさんのビデオがありますが、DVDにしたいと思いながら、VHSの機器はあっても、小さいテープになってからの機器はありません。
ビデオの機器もテープにカビなどがついていると、すぐに映像が悪くなります。
 


いつかDVDにしたいと思いつつ、いつかがずっといつかになっています。
 

「あの例のK太郎様の下ネタどんどんの解説テープもDVDにしたいんやけどな。」
と会話をしながら、去りました。
 


K太郎様もK一郎さまも今は、保護者で、なおかつ、全体の役員をしてくれています。


人は、
「3人そろって大丈夫か。」
と言いますが、「かったか」がしっかりしているので、大丈夫です。
ゆえに、2人も全体のために、がんばって活動をしています。

ゴールデンウィーク明けの1日が終わりました。


「ゴールデンウィークの最終日でした・・・」

2020年05月06日 | 大分県
夕やみが迫って歩くあぜ道を
   田植えの準備 梅雨の匂い


 

いよいよ今日でゴールデンウィークが終わります。
あっという間に時間が過ぎていきました。
自粛の中で、めったにしない畑の作業などをすることができました。
 


今年のこの春は、薬なくして過ごすことができない花粉症の季節も全く薬必要なしで過ぎました。
毎朝、いただいた花粉が付着しないスプレーを顔にかけたことと、特に今年はマスクが必須なので、症状もほとんどなくてすみました。 


自粛の中で、世界中の人々がコロナと闘って、今の時期を過ごしています。
 


自粛の延長も今月中に延びていきます。
学校も自治体によって、対応が違いますが、とりあえずは、今月の終わりまでが臨時休業になっています。



まだまだ子どもたちのいない学校となります。
明日は、ポストインの家庭訪問となります。
その準備も休み前に終わっています。
 



純粋に子どもたちと直球にもう一度関わりたくて、昨年度からリスタートをしました。
思いも関わりの一つなのでしょう。


しかし、3月から今までにかけて、思いもよらない子どもたちの姿も声もない教室になっています。
 


命あれば、年度末から年度初め、それぞれの「日」の地点に置いてきている感情は、ぐっと心に留められることだけでも良かったのでしょうか。
 


明日から休みがあけて、勤務となります。
どこかで、学校で再開することもあります。

学校も行事の持ち方、授業の組み換えなど大きな変化があるでしょう。
また今回の事態から、「オンライン学習」もある程度、進められていくでしょう。
経済、教育などさまざまなものが日常に戻っていくのには、きっと数年はかかるでしょう。
 



まずは、一日も早い学校が再開する日、子どもたちが安心して登校できる日を願いながら、そこまでの学習の保障、再開してから授業の流れをしっかり作っていけたらと思います。

「不要不急の外出?での出会い」

2020年05月05日 | 大分県
子どもらがゴールデンウィーク田に向かい
           悪戦苦闘 どろんこ姿


 

庭にいると、堤防から川を見ているご近所のYさんの姿が見えました。
Yさんは鮎とりなどの名人です。
よく、朝、打ち上げ花火をしています。
それで、鮎の稚魚などを食べる鵜などを追い払うのです。

 

先日も、仕事に行こうとすると、川に向けて、発射をしていました。
逃げたところにまた追いかけていました。
 

追いかける方も大変ですが、鵜も?大変です。おちおち川でゆっくりできません???
 

「かったかちゃん、柳の木を切った方がいいなあ。」
たしかに。あの九州北部豪雨で河川工事をしたときは、川辺に土も竹もなくなっていたのですが、あれから時が経ち、いつものように土がたまり、だんだんと竹も木も生えてきています。



そのままにしていると、木が大きくなって川も見えなくなってしまいます。
大水が出たときは、ビニールなどが引っかかって風景も台無しになります。
 


川の番人もしてくれます。感謝です。
「切るときは言って下さいね。」
とは、一応言いました~。
 
 

そして、しばらくして、橋を子どもたちがにぎやかにわたってきています。
過疎地に子どもたちの声もいいものです。
「あれ?かったか先生ではないんかい?」
という声。
「おーい、先生。」
だれかなあ。
 
 


よおく、見ると、今、樋田小学校で担任しているAくんと、昨年、豊田小学校で担任をしたBくんたちでした。
学校が違うけど、去年の受け持ちの子どもと今年の受け持ちの子がいることの組み合わせも不思議です。
 



AくんとBくんはいとこで、田んぼの手伝いに近くの親戚に来ているということでした。
みんな長靴をはいて、泥もついている姿に悪戦苦闘したことを物語っています。

 

ひと昔前までは、田植えシーズンには家族総出での仕事でしたが、今の時代、子どもたちがそういうことをしていることも素晴らしいです。


ちょっと感動です。
Bくんは、相変わらずぽんぽんと腹をさわっていきます。
「せんせい、みんな寂しいと言っていないよ~。」
「おいおい、そんなこと言わんでよ。」
 
 

お菓子を渡しながら、少し話ができました。
懐かしく感じた時間でした。
 




閉鎖的になっているこのゴールデンウイークにも奇遇なドラマがあります。

「初夏の自然を感じながら」

2020年05月04日 | 大分県
さわやかに咲くネモフィラの美しさ
        最期の時に 輝き放つ


 
ステイホームのゴールデンウイークとなっています。
昨日の午後からすごい雨が降ってきました。


今は、つつじや芝ざくらなどいろんな花がきれいに彩っています。
ひと雨濡れて咲く花もとても美しいです。
 


一方では、
「これから咲くぞ。」



「これから実をつけるぞ。」
といったような勢いを感じるぐみや梅、紫陽花などの姿からエネルギーをもらうことができます。



昨日の午前中、畑の草を刈りました。
前刈ってからあまり間がないので、草は伸び切ってはいませんでしたが、いろんな自然の様子をみることができました。
 


かつては畑にキャラの柿の木がありました。
子どもの頃に食べたゴマがある甘い柿のおいしさは格別でした。この柿の木に登って遊んだりしていました。


好奇心旺盛な少年としては、高いから登ると面白いものがありました。

しかし、親から、
「柿の木に登って落ちたら、死んでしまうんだからね。」
とよく叱られていました。


インターネットを見ると、
「柿の木は、枝がもろいので登るとバキッと折れやすいから危ない。だから、子どもたちが柿の木に登らないように、
"柿の木から落ちると3年以内に死んじゃうよ"
って言うようになったみたい。

 むかしは、柿を取ろうとして
ケガをする子どもが多かったのかな。

コワイ言い伝えは、じつは、
大人が子ども守るためのものだったんだね。」

ということを大人が知っていたからです。



しかし、あまりにも木が大きくなりすぎていて、台風などがあったら、隣りの家に迷惑をかけるので、切り倒しました。
 


ちょっとその懐かしさをおもいだすために、先日、キャラの柿の木を買っていました。
雨が降る前に植えました。


今回はあまり大きくなりすぎないように、育てたいですね。
 


植えた後は、中学校の時の先生で、かつて三光中学校に勤務していた時は、校長先生で、今は、民泊などをしたりしながら、地域の中で活躍をされている、先生のところにちょっと用事で行きました。


いつまでも若々しい先生のエネルギーを見習いたいです。
「もって帰りない。」
と先生のところのにわとりが産んだ卵などをいただきました。


卵には産んだ日付が書かれていて新鮮です。
早速かえって食べました。
先生のところの田んぼには、もう水が入っていました。
いつ田植えをしてもおかしくない状態となっていました。
 



季節はどんどんと移り変わっていきます。
今日は、自然の緑の写真から息吹を感じて下さいね。
STAY HOME☆

「さかちゃん、ルーティンをマネする~~の巻」

2020年05月03日 | 大分県
芝ざくら大地に描く色模様
   花びら撫でて心がなごむ


 
気持ちも整理できにくいことが多い中で、ほっとする時間もあります。
おとといの金曜日、家に帰ってゆっくりしていると、ピンポンと玄関から音がしたので、出てみると「さかちゃん」でした。
 


「さかちゃん」は、一昨年まで一緒に勤務していました。
学校の環境をしっかりと整備してくれています。
「いつもおらんのに、今日は車が止まっていた。」
と学校の帰りに寄ってくれました。
 


当時、それは、朝の7時きっかり。
さかちゃんやきょうとう先生との朝のルーティンがありました。
最初は、こちらがお茶を入れて3人で飲んでいましたが、
「いやいや、わたしがします。」
と役を取られました。


このお茶も、いかに美味しいお茶を出すか3人で論議をしながらのお茶です。
お茶を飲みながらの朝の会話です。
ちょっとぜいたくな時間でした。
 



そして、それから朝のあいさつに歩道橋まで出ます。


最初は、こちらが立っていましたが、
「せんせい、いいですよ。わたしが立ちましょう。」
とこれもまた役を取られそうになりましたが、一緒に立ちました。
 



生徒たちに声をかけていきました。
また通勤するわが子にもさかちゃんと一緒にあいさつもしました。
たけちゃんやYにちゃんたちも立ち、みんなで朝の声掛けができました。



毎日のことだったので、最後立つ日は、感慨深いものがありました。
「かったかちゃん、涙が出よるやろ。」
あなたも言うね。


鼻水です・・・。こらえきれないものが流れました。
この日は、しんちゃんも立ってくれました。
 



毎日のあいさつのあとは、80メートル競走が日課でした。
歩道橋を降りてから、玄関前までのダッシュです。7・3で勝利をしていましたが、
さかちゃんが負けたときは、
「うん、今日は、ちょっと調子が悪い~。」
はいはいです。
 



仕事をしていると、迷ったり、気分がすっきりしないこともありました。
その時の解消法は、グランドを車で整備することです。
「無」の状態でグランドを車でかくと、グランドもきれいに、心も落ち着きます。


が・・・。
「わたしがしますよ。かったかちゃん。」
なんやかんや言って、この役も取られました。
 


しかたなく「無」になろうと?昼休み目を閉じていると、たけちゃんがカメラを持ってやってくるので、「無」になれませんでした。



「無」になれないまま、3月を迎えました。
 



朝にもたくさんの思い出があります。

「花もきれいに、思い出もたどって」

2020年05月02日 | 大分県
夕暮れの畑の作業影も伸び
     石垣座り井戸端会議




 
この休みはステイホームです。


今日は、午後、芝ざくらをいただきました。
数が多かったので、親戚に「苗です~。」と苗の宅配?をしようかと言いましたが、取りにきたりしてくれました。


また違う人は、
「白がいるからな。」
でした。上から目線です・・。
今は、芝ざくらがとてもきれいです。
広がっていきます。
 



話は変わって、昨日のことです。


Tちゃんが中学校3年生の時に担任をしました。
まじめに誠実に努力をしていくタイプで、進路決定の時にも悩むことはありませんでした。
 


今でも覚えていますが、二者面談の時に、
「高校はどこを考えている?」
と聞くと、答えてくるであろうとする学校とは違っていました。



「わたしは、この学校で頑張ります。」
しっかり自分の考えをもって、進路を決定して、その後、高校では、「かったか」自身も研究指定校になった時にお世話になりましたが、すばらしい先生との出会いもあって、書道の道を究めていきました。
 



今は保育士として活躍をしています。


「つながりの会」などにも来てくれたりもしました。


退職するときは、市のPTAの最後の役員会で、花束をTちゃんからいただきました。感動しました。



「市のPTAの役員会の中で、教えた生徒から花束をもらうとは思いませんでした。」
とあいさつを求められたときにこたえました。


これだけでもつながりの深さを感じますが、さらに今年度、Tちゃんのお子さんの担任になりました。
こちらもびっくりです。
縁が縁を呼びます。
 

昨日、Tちゃんから、休み中の課題についての電話がありました。
「今、お姉ちゃんのところにいるんよ。」



お姉ちゃんのMちゃんは、担任はしていませんが、勤務する小学校そして、中学校にいました。


小学校では、地区の遠足で一緒に下関に行ったことも懐かしい思い出です。
中学校では、授業を教えていました。
お姉ちゃんに電話を代わってもらいました。
「Mちゃん、もう腰はばっちりだよ。」
と言いました。
 


なんと3年前、今まで秘密でしたが、大晦日の日、腰を痛めました。


夜あまりの痛さで、うずくので、子どもの車で病院へ。


大みそか・・・夜中に入院。
その時、担当してくれたのが、看護師になっているMちゃんでした。
Mちゃんたちのおかげで、2日くらいで痛みが取れました。

これも縁です。
「せんせい、どうしたんで。」
とにぎやかに病室に入ってきました。
 


結局は、大晦日に見てくれた先生が正月明けに出てきて、診断してよかったら退院ということだったので、その年のお正月は、なんと、病院で過ごしました。



大晦日の夜から、お正月3日までの入院で、4日から勤務したので、だれにも知れずに入院・退院でした。
 



子どもたちもどこでどうつながっていくかわかりません。
つながりの面白さも感じます。




そして、子どもたちはいつか、私たち大人を心身ともに越えていくときがやってきます。