和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

赤毛のアンの作者 モンゴメリーが育ったところ

2016-09-15 08:00:01 | 日記

モンゴメリーが祖父母と暮らした住居跡が写真の左側にあり(見えない)今はマクニール家がショップを

祖父母と一緒に暮らした家もみどりの切り妻屋根の家だった

グリンゲーブルズ郵便局

当時の郵便局内部

モンゴメリーが日曜学校で教えた教会

モンゴメリーは一歳九か月の時に母が結核でなくなったため、キャベンディシュに住む母方の実家に引き取られて育ちました。祖父はそこで郵便局長をしていました。キャベンディシュで中等教育を終えたモンゴメリーはシャーロットタウンでカレッジに入学して教員資格をとりました。さらに、ハリファックスのダルハウジー大学の聴講生として文学を学びました。祖父が亡くなった後は祖母を助けるためにキャベンディシュに戻り郵便局の仕事を手伝いました。祖母を最後まで世話することを祖父と約束していたからでした。その間かねてからの温めていた長編小説「赤毛のアン」の執筆活動を行いました。ここでの自己体験を盛り込んだこの物語はその後世界的ベストセラーになりました。現在はグリンゲーブルズ郵便局は当時の建物を再現して内部はミュージーアムを兼ねここではがきを投函するとグリンゲーブルズの消印が押されます。

モンゴメリーが通った学校もアンと同じ一教室だけの小さな学校でした。先生もアンに出てくるステイシイ先生そっくりで、ギルバートのモデルになったような仲の良い男の子もいました。ダイアナそっくりのアマンダという宿命の友もいましたし大学入試に備えて勉強したのもまた幾何が不得意だったこともアンと同じでした。自分の住んでいた村や家、自分を取り巻く人々、自分の周りで起こったことを元に想像力を広げて美しいプリンスエドワード島を紹介したのが赤毛のアンの本と思いました。

潔き祖父母見守る帰省かな

グリーンゲイブルズハウス  緑の切妻屋根のこと(アンの家)

2016-09-12 08:18:38 | 日記

物語ではアンが貰われてきた家

アンの部屋

裁縫の得意なマリラに洋服を作ってもらった

料理上手なマリラのキッチン
ルピナスの向こうには牧草地そして海へ

赤毛のアンの物語の中でアンが少女時代を過ごしたと書かれているグリーンゲイブルズハウスはもともとは作者モンゴメリーの祖父のいとこであるマクニール夫妻の家でした。物語は孤児院で育ったそばかすだらけの11才の女の子アン・シャーリーが独身の中年の兄妹(兄のマシューと妹のマリラ)が暮らすカスバート家にひきとられたところから始まります。いつも空想の世界に浸っているアンの作り話にマシュウは耳を傾け、マリラは彼女の空想癖をたしなめながらもだんだんアンへの理解を深めていきました。アンの部屋には孤児院から持ってきたカバンやマシューの送ったパフスリーブのワンピースが飾られていて、思わず物語に引き込まれてしまいました。ここキャベンディッシュは物語ではアボンリー村として登場します。

  
夏空にアンの面影浮かべつつ


早朝のキャベンディッシュ村を歩く (アンを訪ねて)

2016-09-09 10:35:02 | 日記

モンゴメリーのお墓 (生前からここで永眠することを願っていました)

グリンゲーブルズハウス(アンが少女時代を過ごした家)

アンが「恋人の小径」と名付けた道 (物語ではアンは親友ダイアナと毎日この道を通って学校へ行きました)

切り株の上にリス二匹発見

アンがお化けの森と名付けたところ (暗くなってからはこの道を通るのを避けていました)

ワンルームスクール(当時は年齢の違う子供たちが一緒に学んでいました)

早朝5時に目が覚めました。雲一つない快晴です。朝食前に貰っていた小さな地図を頼りに小さな村を探検しました。ツアーでは今日の午前中歩くことになっているのですが、その前にツアー仲間より先に歩いてみたいと思ったのです。
小鳥のさえずりだけが聞こえるシーンとしたキャベンディッシュ村の中で最初に訪ねたのはアンの家のモデルになったグリンゲーブルズハウスでした。自分の赤毛に劣等感を持っていたアンは孤児になってからの不幸な日々を空想にふける事で耐えてきました。詩が好きなアンは自分の周りにある風景に名前をつけるのが得意だったようです。アンの物語を思い出しつつ、ぐるっと一回りして清々しい時を過ごしました。歩いた順に写真を載せてみましたがここは物語のモデルとなった場所と作者モンゴメリーに関わる場所と混在しています。


夏暁の切妻の家眩しけり

ハリファックス港界隈 フェリーでアンの島へ

2016-09-06 08:15:18 | 日記

昼食はロブスターロール

シーフードが美味しそう


シーフードレストラン

19世紀の倉庫街を保存再開発しショップやレストランに

夏には大型船も係留される 海からの風がここち良い

フェリー船上

ハリファックスでの昼食はウオーターフロント沿いのシーフードレストランでとりました。食後はヒストリックプロパティーズという倉庫街を散歩。港からそのままプリンスエドワード島行きのフェリ-に乗るのかなと思ったら違いました。さすがは広い国カナダです。そこから延々と2時間半かけて移動しました。やっとフェリーターミナルに着いたものの夕刻18時にでる予定のフェリーはまだ見えません。結局バスの中で待つこと2時間以上。プリンスエドワード島から1時間遅れでやってきたフェリーが乗客や車を降ろした後、やっと乗ることが出来ました。アンの物語と同じく私達も船旅です。アンも空想の世界に浸り期待に胸をふくらませていたに違いありません。フェリーは観光客で満杯でしたが、日本人は我々のみ。20時過ぎにプリンスエドワード島、シャーロットタウンの港に到着、そこから1時間半かけてアンの故郷キャベンディッシュに向かいました。ホテルに着いた頃にはもう暗かったです。


夏旺ん夢見るアンの別世界

赤毛のアンの故郷 プリンスエドワード島を訪ねる旅 

2016-09-03 08:00:02 | 日記

1836年にオープンしたビクトリア様式のパブリックガーデン

日本の桂の木も植えられていました

街を四方見渡す小高い丘の上に立てられて星形をした要塞シタデル 毎日正午に衛兵の交代

丘の上から見た景色のパネル

ダルハウジー大学 モンゴメリーが学んだ大学

六月末に赤毛のアンの舞台であるプリンスエドワード島を訪ねる7日間のツアー旅行に出掛けました。エアーカナダで夕方羽田を発ちトロントで乗り換えて18時間かけてハリファックスに着きました。ホテル着現地時間夜の23時。長い一日でした。翌日の午前中は「赤毛のアン」の作者ルーシー・モード・モンゴメリー(1874-1942)ゆかりの地等を巡りました。ハリファックスはノバスコシアの州都で海運業で栄え、1912年に沈没したタイタニック号の事故現場にも近く生存者や犠牲者の収容港になり市内には共同墓地もありました。アンの物語ではここはキングスポートの町として登場しています。



涼風の外つ国で会ふ桂の樹