川本ちょっとメモ

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戦後に戦死させられた支那派遣軍兵士と生き延びた岡村支那派遣軍総司令官

2006-08-31 07:48:42 | Weblog


2006年8月28日付朝日新聞(大阪本社)夕刊記事「戦争 未完の裁き⑮」大庭翻訳係証言のノートです。

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大庭忠男さん(90)は東京裁判の翻訳係をしていた。内大臣・木戸幸一(天皇の重臣、A級戦犯)の日記も翻訳した。翻訳係を1948年12月まで務め、その後は映画の字幕や推理小説を翻訳して過ごした。

彼は、逓信省の役人だった兄・俊雄のことが忘れられない。敗戦間近の1945年春、兄は37歳で召集され、中国戦線に送られた。敗戦は1945年8月15日である。

翌1946年の春、死亡通知と白木の箱が返ってきた。中にお骨はなく、黒ずんだ石だけが詰まっていた。戦友に聞くと、兄は1946年1月、山東省でアメーバ赤痢で死んでいた。

「降伏した日本の支那派遣軍総司令官・岡村寧次が、蒋介石の国民党と相談して、共産党軍に武器を引き渡すなとなったのです。日本軍は共産党軍と戦いながら退却した。そこで多数の戦死者や戦病死を出しているんですよ」

山西省の残留日本兵と同じ「戦後の戦死」。その責任者ともいうべき岡村陸軍大将は、蒋介石への協力のゆえか、中国の戦犯法廷では無罪になる。1949年、共産党が中国を支配する直前に帰国。すでに東京裁判は終わっていた。裁かれず、生き延びた軍幹部は大勢いる。
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