何着ようかと思案しつつ箪笥明けたら出てきたのは大島。20歳のころ親が作った。
細かな織柄なのでデジカメとの相性が悪い。
こんな感じですね。
着物の来歴
詳しくは知らないが、農協に預金した裏利息で(正規の利息以外の景品みたいなもの?)、鹿児島県へ旅行に行き、買って来たとかいう話だった。
当時は奄美大島まで行かなくても、鹿児島市内外に大島紬の織り元がそこそこあったのかもしれない。
高かった~と親がしみじみ言っていたけど、そりゃ鹿児島往復の旅行を上乗せしてるんだから安いはずがない。ついでに買わない人の旅行代金も買う人が負担する仕組みかも。いえいえ、顔見知り同士で買い物旅行、お互い集団心理で競争して買ったのかも。それでも旅行会社は損してないはず。全部想像ですが。
高いと文句言う前に、着物となると平常心を失う親が悪い。
で、この色、もろ親の好みですね。私は今も昔もこの鮮やかなピンクというのが大の苦手で。どのくらい苦手かというと、近所のショッピングセンターの入り口に以前は雑貨屋があって、ピンクのプラスティックのごみ箱を売っていた。それ見ると、吐き気がしてしまうほど。今は店がなくなったのでやれやれです。
うーーーん、全部で10回くらいしか着てないと思う。
着るたびに人にいろいろな反応を引き起こしたのも今は昔、身幅がものすごく細くなって、もとい、私の胴回りが年相応以上に成長して外へは着て行かなくなった。
きょうも初めは着るつもりなかったんだけど、持ってるきもの全部着ると決めたので着てみました。
着てみるとあらあ不思議、生地と生地がぴたりと吸い付いて全然着くずれしない。襟元やおはしょりの線もピタリと決まる。適度な張りでエッジの立った着姿。うーーーむ、さすがとうなってしまった。・・・ものすごく自慢話になってるかも。すみません。私が偉いんじゃなくて生地の話ですのでごめんなさい。
今の時代は娘の普段着なんて作らないと思うので、赤い大島などというのは着物がめちゃくちゃに売れたという昭和40年代だけのアイテムかもしれない。
以前よく似た赤い大島を着ている年配の女性を見かけた。白髪に赤い着物がよく似合っていて、何事も堂々としていればいいのだと教えられた。
きょうはこの着物で車運転して、月初めの書類提出二カ所、そのあと歩いて遠くのSCへ買い物。いつもは行かない全国チェーンの呉服屋さんへ行くと、普段履きの草履が2万円前後。ひょえ~あまりのあまりさに絶句して引き下がりました。超節約着物生活していると、世間のものの値段と激しくずれていくようで。
いいものは満足感という付加価値があるので否定するものではありませんが、安いものでも充分幸せな私は幸せなのでありましょう。
赤い大島は娘時代、親に大事にされていた記憶が宿っているのかも。いえいえ、戦争中の物資不足の仇をそこで一気にとるという親のリベンジであったかもしれん。
今は織りを習っているので、ただの平織ですが、細い糸で柄を合わせるのがどれだけ大変か分かるつもりです。いや、機械織りかもしれないけど。
切り裂くには忍びない。孫娘が大きくなって着ると言えば仕立て直してやってもいいけれど、それまで生きているかどうかは不明。一枚の着物の前には人生はそこそこ短い。