ブログ

 

被爆体験の継承

2015-12-19 | 戦争反対

http://www.yomiuri.co.jp/local/hiroshima/news/20151215-OYTNT50160.html

先日の体験記、読売新聞にも掲載されたとのことで、リンク付けさせてもらいました。

広島の経験をみんなで共有することで、広く、長く継承されたらいいなあと思いました。

私事で恐縮ですが、学生時代の下宿先の奥様も被爆者のようでした。詳しいことは聞きませんでしたが、腕に傷跡があり、夏でも包帯で巻いていたこと、弟さんが建物疎開に出て犠牲になり、今年は法事をしたと塩餡のおはぎだったか、お餅を貰った記憶があります。

その時はそうなんだあと思うだけで、こちらに聞くだけの知識も知恵もなかったようです。

広島にはたくさんの被爆体験が残されていますが、一人一人の体験はその中の一つという軽いものではなく、それぞれの人が、やっと声に出した心の底からの叫びではないでしょうか。

けど、普通に生活している被爆者の人たちは立ち止まって文章にまとめたり、写真集めたりということもなかなかできなかったのではないでしょうか。残されたご家族がきちんと体験記を作るのは、案外されてないように思います。とても意義のあることだと思いました。

今はあまり聞かれなくなりましたが、以前は八月になると、体験話がどこからともなく聞こえてくるのです。電車の中や病院の待合室で、誰言うともなく、囁くように、独り言のように原爆の話がさざ波のように聞こえてくる。そんな経験を何度かしました。まるで、街全体が鎮魂の祈りの言葉で充たされているように思ったものです。

これからますます個人の詳しい被爆体験を聞くことは難しくなっていくでしょう。とても意義のある体験記だと思いました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵を描いて映画見て孫が来た

2015-12-18 | 日記

昨日、午前中二時間かけて絵を描く。これ以上、もう描かない。柿が大きすぎてボールみたい。

午後から映画「杉原千畝」を見に行く。

帰ってしばらくしたら、孫たちがお母さんとやってきた。お正月の相談して、ご飯食べて、遊んで解散。

三男は帰省予定の日を長男に知らせてるのに、こちらには音沙汰なし。アイツらしいなあと笑った次第。

何でも長男宅へ遊びに行く約束だったとか。(今回はお嫁ちゃんが帰らないので次に延期)

しかしまあ三男ですが、結婚するまでは約束の日時に帰省することは稀。途中で友達と遊んで、必死で走ったけど、最終の新幹線に乗り遅れたとか、雪で高速が通行止め、地道を大きく迂回して未明帰宅とか、そんなんばっかり。

今回も顔見るまでは安心できない。このあと何回、息子に会えるだろうかと、そんな年寄りくさいことも考えた。

昨日は孫が双六持参。弟はまだサイコロが上手に振れないけど、頑張って参加。

昨日はたいそう目まぐるしい一日でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

贈与と投信の覚書を作って送った

2015-12-16 | 日記

・・・なんてこと、世間に公開することでもないけれど、最近とみに記憶力の減退する私。このブログのある限りは、遡って思い出せるから。

まとめるのに昨日朝から始めて、本日午後、手紙や返信用封筒も入れて送った。やれやれ、とても疲れた。一覧表をエクセルで作るのに手間取った。

贈与は三男の仕送りが終わったころから少しずつ。でもチリも積もれば何とやらで、最近、あまりお金増えないなあと思っていたら、三人分足したら、その都度はささやかだけど、それなりの金額に。それでびっくりしてもう贈与なんてやめることにした。この足し算、もっと早くすべきでしたね。迂闊な私。

止めるので、渡したものはきちんと計算して知らせておく。これもまあ終活。

投信は上二人が就職してまだ家にいるころ、食費と家賃と称して毎月、万単位で有無を言わさず集金、それを使わずに(親なのでそんなものに手を付けない)、投信をテキトーに買ってやっていた。当時は親が証券会社に注文しても買ってくれていたので、簡単だった。今は本人が発注しないと売り買いできない。

息子たちは投資をあれこれ考える時間も能力もないらしく、先日聞いたらずっと放置しているとのこと。で、モーニングスターのポートフォリォに昔入れたの見たらけっこう利益が出ているので、これまたびっくり。投信なんて、放置するのがいちばんと思われます。

私なんか家にいるので、証券会社の人が熱心に言ってきて、根負けして売り買いするので、殆ど儲かってない。特に、息子と同年齢の若い男性に弱い。下がったのはずっと持ってる。つくづく悔しい。

いえいえ、愚痴は止めましょう。健康で働けることを喜ばないと罰が当たるというものです。


 

やっと封筒に入れました。今から出しに行きます。

先日、夜、残った薬でインフルエンザの予防接種してもらったらとても痛くて、文句言ったらシールくれました。

それを封筒に貼ります。四人家族、独り者、新婚、シールの数は家族数に応じて。受けるかどうかは不明。私一人で盛り上がっています。

疲れたのでミカン食べます。いただきもののとてもおいしいミカンですが、お正月まで取っておいた方がいいかな。普段はスーパーで買ったミカン食べて。お正月には家族が増えるので、すぐなくなりそう。


 

まだまだ写真館。

はい、17歳ですね。このころ、髪長かったし、パーマ当ててます。パーマ禁止の校則ではなかったような。。。。

だから何してもいいんだけど、全然お洒落ではなかった私、なんでそんなことしたのか今となっては謎。母が、修学旅行前だからきれいにしたらと言ったのかもしれません。

元の写真はこれです。修学旅行で、山口市の瑠璃光寺?

立ってる男の子が私の友達に「一緒に写真撮ろう」と誘っていた気がする。彼女は**さんと一緒ならと私を誘い、かくして三人で写真撮ることに。

はい、私はお邪魔虫。身のほどもわきまえず、ニコニコしています。

美男美女のとてもお似合いの二人、私はどう見ても妹分ですね。あの時のお二人さん、ごめんなさい。


またまた旧藩校の話。

「わしら、校則で喫茶店行くのが禁止じゃった」と言う夫。

「エッ、何で?私の高校、行ってもよかったよ」

喫茶店行ったら不良になる、と先生に言われてた

「なんでぇ?なんでコーヒー飲んだら不良になるん?」

「喫茶店行くんは不良。わしらの学校はそうじゃった」とのこと。

いゃあ、50年前とは言え、びっくりです。コーヒー飲んで不良になるなら、コーヒー牛乳もダメ?コーヒーゼリーならどうよ。と首をひねる私でありました。

学校の近くに、ステディになるとよく行くお店がありました。今は別なところに移転しているけれど、メニューは今も変わりないようで、昔はうどんもありました。昔の喫茶店って、ちょっとして軽食もありましたよね。

おやおや、またまた昔話になってしまって。長話深謝。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母の秘めた「被爆」継承を 中国新聞より

2015-12-15 | 戦争反対

友人から先日いただいた本、お母様と一族の方々の被爆体験誌「母からのおくりもの」が13日の中国新聞31面に紹介されました。

http://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=206900&comment_sub_id=0&category_id=112

お母様が新聞広告の裏に書きためた手記が、死後、発見され、それをもとに一族の方々の被爆体験も合わせて一冊の本に仕上げています。

ずしりと読み応えのある内容で、改めて、広島の人たちが原爆でどんなにひどい目に遇ったかを実感しました。

古い写真を集め、話を聞き、一冊にまとめるのは大変なご苦労があったと思います。読ませていただいて、戦後の広島を必死で生きてきたお母様に思いをはせ、体験を話したり、書き残す機会もなく亡くなった多くの被爆者のことを想像してみました。

今、世界が新しい戦争の段階に入ったと言われています。しわ寄せはいつも、力を持たないものに向かいます。平和で戦争のない世界へ。その道筋はとても難しいけど、それ以外に何がある。そう思わされた一冊でした。

本は原爆資料館に寄贈されたので、そこで読めるようです。

機会を作って是非読んでみてください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりに絵を描く

2015-12-14 | 水彩画

風邪引いたりいろいろあって、約三週間ぶりのサークルです。

本日はこれを描きます。

カキ、オカメナンテン、自然のマツ、もう一つの針葉樹は何でしょうか。

花でないのでまあ描きやすいかなと、頑張りました。

未完成です。

本日、先生の講評の日。見ていただいたのは以前描いたこれです。

花と葉はいいけれど、カスミソウがうるさいとのご指導でした。確かに。

もう一人の方は省略していました。私もカスミソウを描かなきゃよかった。。。。

光の当たる所は白く塗らないようにしています。色を薄くするだけ。それで光を感じさせるのが難しいです。


 

夕方から出かけるので、ご飯作ってから。

愛媛の郷土料理、芋たき風に。これは最近知った料理だけど、じっくり煮込むとだしがよく出ておいしいです。

愛媛県では涼しくなると川原に出て、小芋、昆布、シイタケ、鶏肉、などでお鍋を作り、みんなで楽しむとか。

秋のお花見みたいですね。広島もやらないかなあ。川原はあちこちにあるので。

あとは刺身とこれ、

大根の葉っぱの煮びたしです。

近所の店で「葉っぱ、いらんの?」と聞かれたので、「あら、貰います」と答える私。

葉っぱ置いて帰る人がいるのに、まずびっくり。私はよく大根の葉っぱ貰います。

大根一本で葉は三本分くらい貰うことも。

節約一筋、どこまでも。

人様のことあれこれ言うようで申し訳ないんだけど、建具屋さんで障子の張り替え頼むより、つい自分でやってしまう。

昔は今の時期、祖母が障子の張り替え、よくやってましたね。遊びながら、そのやり方見ていたものです。

我が家は夫に頼むと、「使われているみたいで嫌だ」と中学生みたいなこと言うので、出来ることは自分でやります。

ふすまの張り替え、枕屏風の張り替え、ドアノブの取り替え、などなど。

ドアノブは、殆どを回転式からレバー式に替えました。両手がふさがっていても開け閉め簡単。

すみません、今日も自慢モードになりました。

自慢と言えば、昨日、音戸で高校時代の話していたら、「またあんたの自慢話が始まった」と言われてしまう。

あら、そうですか?そうひがまなくても。

男子校と共学校、そもそも学校文化が違う。質実剛健、六尺ふんどしきりりと締めて遠泳する旧藩校。男ばかりの修学旅行も、話によるとなかなか凄まじいものがあります。

うちら軟弱ですもん。よく遊びました。もう少しまじめに勉強していれば、もう少し東の方の学校へ行ったかもしれませんが、まあこの地も楽しいことがたくさんあったので、良しとしましょう。

今夜はこのあと絵を仕上げたいけど、もう眠くなりました。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

倉橋島までお別れドライブ

2015-12-13 | 旅行

我が家から広島呉道路に乗れば約40分、でも遠出気分なので旅行カテゴリーにしました。

別れるのは車。名残惜しいです。

10万キロになったらエアバッグが開いて、景品出ないかしら。お菓子でいいんだけど。

呉市街を抜けて、いざ倉橋島へ。二年くらい前にできた第二音戸大橋渡ります。昔は隠戸と表記していたようで、鄙の地だったのでしょう。

渡ります。

入り江の前の小さなGSでガソリン補給。もうすぐ手放すので満タンにはしません。

さっきの橋をくぐります。島の集落が続きます。

島のスーパーに行きます。食品、衣料品、百均があります。一度に用事がすんで便利。

音戸大橋を渡ります。狭い島でアプローチの場所がないので、ループ状の道路で橋まで上がります。

上がりきると向こうに新しい橋が。

手前は公園に。伝説では、音戸の瀬戸を開削したという平清盛の銅像などがあります。沈む夕日を招きよせたという・・・そんな無茶な。

紅葉やら

ベンチやらを見て海岸までおります。

渡し船です。

車に乗らない人はこちらを利用。

対岸はすぐ向こう。


 

何度か通ったことはあるけれど、音戸大橋でゆっくり見物するのは三度目。

最初に来たのは修学旅行。大昔。

後ろが音戸大橋

だれだあ?

仲良しだった人たちと

だれだあ~

お正月に息子たちが来たら「こお~~んなに細かったんだからね」と自慢しよう。

「よく成長したなあ、あんた。横に」とか言われそう。

右後ろは広島銀行音戸支店

旧字体のロゴで。

今も同じ場所に銀行があります。


 

こちらの学校へ来て、「修学旅行で呉も行った」と水畜産学部(今は生物生産学部に改名)の男の子に白状したら「珍しい学校じゃのう」と笑われた。

そう、私達は生徒の急増期で、何かの都合で東京方面から山口、広島方面へ替わったんではなかったかしら。

呉の先からフェリーで四国へ帰るので、ここは休憩に立ち寄ったんだと思う。

最終日で、みんな打ち解けて、楽しそうにしています。

この写真を写した人は、私の友達をたくさん撮りたかったらしい。写真には、もれなく腰ぎんちゃくの私が写っているので迷惑だったかも。ごめん。

「うちの高校の生徒は進学で東京へ行く機会もあるけど、広島はこの先行くこともないから。原爆の歴史を知るのも大切」とか、先生がおっしゃっていた記憶がある。

そうですか?この私、広島にもう50年近く住んでますけど。温暖で、物価は安いし、人は飾り気がないし、暮らしやすいいいところですけどね。

鷹野橋の喫茶店にいたら、よく知らない人に話しかけられる。電車待ってても同じ。広島の歳とった女性ははたいそうフレンドリーです。私も少しずつそうなれたらいいなあ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「安部公房とわたし」 山口果林

2015-12-12 | 読書

この本、以前紀伊国屋でざっと立ち読みした。

これです。

感想はこちら。

http://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/00aee40d943eb1e0c59e7432496fb918

近所の公民館できのう借りてきて、本日読了。

感想は2年前と大して変りないけど、この本を出す前に安部公房の娘さんが父のことを本にしたその対抗として出したらしい。

娘さんの本には当然著者のことは殆ど触れられてないらしい。それは妻と娘にしてはあってはならないことだから。「ちょっと男の子をしていた」という表現だけ。

この本の中で、安部公房は娘ほど歳の離れた著者と逢瀬を重ね、旅をし、買い物や食事に行き、後半では家族と別居して箱根の別荘で生活し、楽しそうである。

著者もまた女優としての仕事があり、収入もあり、単なる愛人ではないという自負もあっただろう。そして作家を何よりも理解し、小説が産まれる現場に立ち会ったのもこの私であると、言いたげでもある。

私には人様のことを断罪する趣味も資格もないけど、やっぱりなあ、男がずるいよと思った。家庭と愛人のいいとこどり、どんなに遊んできても最後は妻子は自分を迎えてくれると高をくくっていたのではあるまいか。

前にも書いたけど、ノーベル文学賞を貰うのに愛人の存在は都合が悪いと編集者が言っただけではなく、ご本人もそう思っていたのではないかと思う。

本妻さんとはほとんど接触がなかったけど、初めのころ、本妻さんに「私達は週に二度夫婦関係がある。私とは別れないと言っている」と宣戦布告され、臨終直前、「病院には来ないでほしい」と言われたと書いてるけど、誰でもそのくらいのことは言うと思う。本妻さんが特にいじわるではないと思う。

辛い思いもいろいろしただろうけど、それに余るいいこともあったはず。後悔はしていないようなので、まあよかったと思いますが。

ちょっと引っかかったのは、登場人物、死んだ人も生きている人も全部呼び捨て。これはちょっとないんではないだろうかと。特に安部公房の娘は本の中で呼び捨てされて感じ悪かったのでは。奥さんも生きている間は奥さんでいいのでは。あえて名前で呼び捨てすることもなかろう。

それはまあ女優さんですから。一般人とは感性が違うのかも。安部公房が取ったと思われるヘアヌード写真もあります。ファンの方は必読です。

やれやれ、何かイラッとした。お茶でも飲もうっと。

ノーベル賞にいちばん近いと言われた作家もやっぱり男だったわけで。ガックリ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマスの飾りいろいろ

2015-12-12 | 日記

ようこそ。

いらっしゃいませ。マツカサは去年、フランス、カルカッソンヌの駅前で拾ってきたの。

運河沿いに松並木があって、たくさん落ちてました。

ロウソク一本でかろうじてクリスマス

いとこにもらった手芸品。

皿屋敷。只今増殖中。

これもいただきもの。だいぶ色あせた。

早く来い来い、クリスマス。

クリスマスが来たからと言って、年寄り二人の家、何か特別なことがあるわけでもなく、サンタさんも来ないし。

ただ待っているときのワクワク感。それも過ぎた日々のあれこれを追体験しているだけなんだけど。

待つときにすでに楽しさが始まっている・・・って子供の帰省と同じ。

で、帰ってきたら、もう別れる日がすぐにやってくる。

祖母がよく「一回、一回が別れ」と言っていた。今よりも交通の不便な時代、京阪神から叔父叔母たちが帰ってくるのをとても楽しみにしていた祖母。

あの時の祖母より、私、ひょっとしたら年上だったりして。

月日は過ぎに過ぎる。それは清少納言の昔から、いえ、そのもっと以前から誰も思っていたことらしい。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「耄碌寸前」 森於菟

2015-12-11 | 読書

母89歳。昨年の今頃、我が家で。耄碌寸前までは未だ行ってないけど、年寄りの写真がないので拝借。

笑顔に撮れたので、この後、引き延ばして額に入れて渡した。

葬式の写真、慌てて探さなくてもいいように、そこら辺に置いておきなさい。と指図する娘。


森鴎外の長男、於菟のエッセィなどを集めた本。書いたのは戦前から昭和30年代まで。

古風で端正な達意の文体が読んでたいそう心地よく、また解剖学者として、正確な言い回しも分かりやすかった。

この中では鴎外の自宅、千駄木の観潮楼に集まる、キラ星のごとき作家、歌人、などなどがとても興味深かった。そこでどんな話が交わされたのだろう。聞きたかったなあ。

ちなみに出てくる名前は、佐々木信綱、与謝野寛と晶子、伊藤左千夫、啄木、白秋、吉井勇、木下杢太郎、永井荷風、芥川龍之介、上田敏、斉藤茂吉・・・といずれもビッグネーム。これだけで文学全集が編めそう。

まだ海の見えていたその家は、鴎外没後人に貸し、次第に荒れて行き、最後は反社会的勢力が居座って立ち退きの裁判までするようになり、やがて失火で全焼。

過ぎた日々を家の来歴を通して哀切に追慕している。

広く知られているように、鴎外は最初の妻を長男が生まれたのちすぐに離縁し、ドイツから追ってきたエリゼは会わせぬままに親戚が追い返し、ずいぶんのちに母親の意にかなう年若い後妻を貰った人。

長男からすればいろいろ思うこともあっただろうが、そこは科学者らしく淡々と流している。子供のころから、本当に甘えるということを知らない人だったのかもしれない。父の名声を汚さないようにと、頑張った人生だったと思う。その人柄が端正な文章によく出ていて、心を打たれた。

解剖学者が、生きている人間より、水槽の中の解剖実習を待つ死体の方に親しみを感じ、心の中で対話すると言うのは「死者の驕り」を彷彿とさせる。これがネタ本かも。

もう出会うこともない古風な文章に、明治生まれの人の遠い声を聞いた気がした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まだまだ宮島

2015-12-10 | 日記

来月、またまた宮島へ行くことになり、どこへ行こうかと思案中。

http://matome.naver.jp/odai/2144734241744124901

うんうん、何か最近、おしゃれな店が増えましたね。若いオーナーのこだわりのある店づくり。

宮島と言えば、巨大な鳥居に、饅頭に、鹿に、しゃもじに大勢の人。旗に連れられて歩くツアーバッジつけた人達。

ちょっと飽きていたけど、まだまだ楽しいことがありそう。

http://hiroshima.keizai.biz/headline/2222/

こちら最近できたお店だそうで。東北の方の有名イタリアンが中四国初出店だそうで。

宮島だと心はすでに牡蠣か穴子に決めて行くけれど、コテコテの和風観光地でイタリアンもありかなと。

こちら昨年12月初め。紅葉谷で。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そろそろクリスマスの準備を

2015-12-10 | 日記

と思いながら、まずは部屋の掃除。それができてないので、今だ手付かず。

せめて古きクリスマスの写真を取り出して、クリスマス気分を味わってみる。

大したことのない毎日だけど、認知症予防のため、古いことや新しいことなど、思い出すままにアップしてみる。

怪しうこそもの狂ほしけれ。

ドイツ、ネルトリンゲンで。2012年11月。

ニュールンベルク、職人広場で。城門の中の衛兵の詰め所が今はショップになっている。

2012年11月

ローテンブルクの雑貨店。2012年11月。

ドイツの街には及ぶべくもないけれど、我が家も頑張ってクリスマスバージョンにしよう。そしてその前にコタツと石油ストーブ。昭和的インテリア。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暖かい一日

2015-12-09 | 日記

鷹野橋、某喫茶店の中庭。先日、コーヒー飲んでボーーッとしてきました。


きょうは暖かくていいお天気。お正月に帰省する息子たちの布団を干す。来月までに何回も干し、掃除機もかけたいが、晴天で、出かける予定がなくて、と考えると少しの晴れ間も無駄にできない気がして、急かされる。

最近とみに記憶力が減退。久しぶりに預金通帳出して眺めていたら、忘れている入出金があり。何だろうと各月ごとにまとめてあるいろいろな通知など見ているうちに、冬の遅い夜明けのように、薄らぼんやりと記憶がよみがえってくる。

本当はもうお金の計算やいろいろなことやりたくない。年を追うごとに億劫になる。新しいことも頭に入らない。

おやおや、年寄りらしく、きょうもまた愚痴になりました。

楽しいことを思い浮かべよう。冬の赤い実、ナンテンなど。

田舎の商店街の歳末売り出し。夏は団扇をよく貰ったけど、冬は何かな、カレンダーとか。

待ち合わせて歩く歳末の街。喫茶店をはしごして、最後は学校の辺りへ行ってみる。寒空の下で閉まった校門、それからそれからたくさんのこと。


朝10時半、お姑様を誘って近所の店に買い物に行く。歩くのが大変なので、ゆっくり歩調を合わせて店まで。店内ではカートを押しているのでまあいいのだけど、帰りは荷物を自分で持つと言うので、カートをそのまま家まで押して帰り、あとで届けた。

あーーー手押し車が欲しいなあ。何度言っても夫が買わないし、介護保険で借りる手続きしないので、危ないなあと思いながら、歩いてついていく。

知り合いの亡くなった姑様も、手押し車買ってきたら、こんな年寄りくさいものと腹立てたそうなので、プライドを傷つけないように話持って行くのはなかなか難しそう。

結局歩けば5分くらいの店だけど、行って帰って一時間くらいかかり、ものすごく疲れて、午後から二時間も寝てしまった。

秋ごろ、母が布団一組送って来てくれたのは、なんでも私が下宿していた時の布団の綿を打ち直し、新しく化繊綿足して作ったそうで、暖かい。いくらでも眠れる。ありがたや。


最近とみに記憶力が減退しているので、備忘として。本日は証券会社に電話して、用件いろいろ。長男からお歳暮に牛肉が届いたので、夜、夫は忘年会だったので、一人好き焼きして食べた。

ブックカバーし上げて、次の準備しないといけないのだけど、まだまだ手付かず。優先順位から言うと、まずは仕事と家族のこと。無理しない程度に頑張ろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「美しき身辺整理」 竹田真砂子

2015-12-08 | 読書

うーーーむ、私たちの歳はそろそろ身辺整理を始めた方がいいと言われているらしい。

要らないものを捨てる。これは本当に思い切りがいる。一つ一つに思い出と物語が宿っている。捨ててすっきりと行きたいところだけど、ものがなくなると自分が自分でなくなるような寄る辺なさを感じたりはしないのだろうか。

いやいや、自分らしさは自分の思い出の中にだけある。ものがないと思い出せないことなんて、初めから大したことないんだ、と言うこともできる。

ものひとつの所有の流れを考えると、買う手間と買うお金、家にあるときは使って便利なはずだけど、管理する手間もかかるし、捨てるときは捨てる手間。その前の葛藤、時には捨てるのにお金がかかることもある。

それ考えたら、どうでもいいものは買わないに限る。収納や断捨離の本が年末になると特に増えるのも、みんなものを持て余しているからだろう。

この本は老後の様々な整理と死の準備を書いた本だけど、ハウツー本ではなく、歴史上の人物の死に際なども取り込んだエッセィと思った。時には独断と偏見もあり。

例えば、最近の医師はいいところのお坊ちゃん、お嬢ちゃんなのできつい仕事をしたがらないとか、統計でも引いて言うなら納得するけど、あくまでも著者の印象から出た言葉。こういうのが随所にあり、ちょっと読みにくかった。

珍しく私にしては正価で紀伊国屋で買った本なのに。わざわざお金払ってまで買う本でもないのではと残念でした。

お口直しに、私の手持ちの、整理に関する写真各種。説明省略。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽しい絵付けの教室

2015-12-08 | 絵付け

きょう作ったもの

モミジのつもりですが、ヤツデみたい。

我が家のモミジ、やっと色づきました。晩秋を感じさせるアイテム、これに優るはなし。

世界中のどこにいても(いる予定ないけど)、モミジの一鉢さえあれば生きていける(ような気がする)。

先月作ったもの

ドングリ柄のちりれんげ。ちり鍋食べる予定なし。せいぜい湯豆腐?


少しずつクリスマス

10年以上前に作ったキャンドル立て。中にろうそく入れて灯します。

確か先生のクリスマスプレゼントで、各自で同じもの作った記憶が。

大型鍋敷き。作って楽しく使って便利。クリスマス大好き。

クリスマスのお皿、一つだけ出しました。もう少ししたらいろいろ並べる予定。

これは6年くらい前かな。

コアラちゃんのお皿、人に上げたんだった。今にすれば残念。

いいものは他人に上げたくないし、自分のいらないものを人に上げるのも失礼だし。第一、その人の好みでなかったら、器なんて迷惑以外の何物でもない。

家の中の使わない品物、こう断捨離ばかりが言われるご時勢にはまるで目の敵。でも死ぬまでは好きなもの手近に置いておきたいけど、自分が死んだ途端、ゴミになる悲しい運命。

水彩画はゴミに出しやすいし、燃やせばいいと言う人あり。なるほど、お稽古事はすべからく作品が溜まらないをもって良しとす。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忘年会に行く

2015-12-07 | 日記

広島ドリミネーション、サンタの馬車。一人1,500円で乗れます。これは去年の写真。


 

今夜は近くのお店で。某集まりの忘年会でした。

三千円で食べ放題の飲み放題、これは激安でしょ。会から補助が出て個人負担は二千円、嬉しい値段です。

各自が勝手に食べたいもの注文する。

出たもの、 餃子鍋、豚のしゃぶしゃぶ、サラダ各種、握り寿司、出し巻き、チンジャオロース、鶏の空揚げ、天ぷら各種、揚げ餃子、馬肉の握り寿司、枝豆、シャーベット、ソフトクリーム・・・それに生ビール。

最近こんな居酒屋料理食べることがないので、おいしく頂きました。店は忘年会でいっぱい、とても賑やかでゆっくり話できなかったけど、それもまたよし。

明日は粗食でしっかり運動したいけど、絵付け教室でまたお喋りとお茶とお茶菓子、お昼も食べるし。。。。ダイエットの道険し。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

手織り

にほんブログ村 ハンドメイドブログ 手織り・機織りへ
にほんブログ村

日本ブログ村・ランキング

PVアクセスランキング にほんブログ村