初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

ポラロイド・インスタント・カメラ

2010年10月21日 22時23分59秒 | Weblog


いま写した写真を見せてちょうだい…と

せがむ娘の言葉にヒントを得て

父親のランド博士は

ポラロイドインスタントカメラを発明します.







私は、SXー70を持っていました

デザインのなかなか良いカメラでした.

カメラを被写体に向けてシャッターを切ると

カメラの下の隙間から

いま写した写真がプリントとなって

出てきました.




このポラロイドフィルムは医学の検査にも使われていました

CTスキャンの画像を記録するのに使われていました.

私が病院で検査を受けたときに検査機械のポケットに

16枚撮りのポラロイドフィルムを装填していました

こんなところにもポラロイドが使われているのかと

驚きました.




いまは、医学にコンピューターが導入されて

CTスキャンの画像もメモリーに記録されて

病院内のローカルLANで必要な部署で

検査終了後、すくに画像を閲覧できます

電子的なインスタントポラロイドです.





いま,デジタルカメラの花盛りです

カメラのシャッターを切った瞬間から

カメラ背面の液晶モニターにいま写した映像が

見られます.

これも電子的なインスタントポラロイドです.

この映像を直ちにプリンターでプリントができます.






デジタルカメラの広がりによって、

電子的なインスタントの映像が

あふれて,ポラロイドインスタントカメラは

静かに引退していきます…















銀塩カメラのフィルムチェンジ

2010年10月20日 23時43分50秒 | Weblog



銀塩カメラ時代の思い出を…

銀塩カメラで撮影するにはフィルムを装填します

36枚撮りフィルムを装填したとします。

1枚目から撮影をスタートして最後が36枚です

私は36枚のフィルムを撮影していくうちに

何枚か撮ったあたりから調子が出てきます.

自分になんとなく暗示がかかっていました.

写真仲間に聞いてみると

最初の1枚目から15枚までで調子の出る人

15枚目から調子の出る人などいました。




この銀塩カメラの写真が全盛の頃

結婚式と披露宴の記念写真を

撮るのが好きでした.

使用フィルムは,フジカラー400

36枚撮り×5本の180カットを

私は標準にしていました.

                    … … …

カメラはニコンF4と801の2台の一眼レフでした

結婚式に36枚撮り×1本

披露宴に36枚撮り×4本

大まかに配分していました





銀塩カメラは時々、フィルムチェンジがあります。

結婚式、披露宴で絶えず,カメラのフィルムカウンター

を覗いて、いま,36枚中、10枚目とか20枚目と

注意します.

                    … … …

披露宴の真ん中あたりで

花嫁のお色直しがあります

お色直しをした花嫁と花婿が

来賓の各テーブルをまわって

キャンドルサービスをします.


                   

宴会場入り口で花婿,花嫁の挨拶のカットを

フィルムの1枚目から

撮り始めるようにします。

各テーブルの写真を撮りながら,

カメラフィルムカウンター

の撮影枚数を注意していきます

キャンドルサービスの途中で

フィルムチェンジになるような

失敗をしないように…





デジタル一眼レフを使うように

なって、このフィルムチェンジが

なくなりました…












電子的記録

2010年10月19日 23時18分29秒 | Weblog




昨日,小学校で孫のソフトホールの試合を

デジタル一眼レフて撮っていて

銀塩カメラのフィルムで始まった映像の記録が

いつの間にかデジタルカメラの電子的な映像の記録の

全盛になってしまいました

電子的映像の記録は何時からでしょう…





映画全盛の時代に,

テレビジョンが生放送の形式で

この世に現れました.

学生時代だった私は

新しい映像が現れたなあ

程度でした

最初は街角に置かれたテレビモニターに

大勢の観客が押し寄せました

やがて,家庭の茶の間に浸透していきました.

             … … …

映画人だった父親は、

えらいものが現れたなあ

といってあまり深刻に考えては

いませんでした






私の父親は音声のない活動写真と言われていた

サイレント映画からやがて音声の付いたトーキー映画になり

総天然色映画、カラー映画と進歩していく中で

第一線で働いて来た人でした

             … … …

あるとき、わが家の茶の間に置かれた

テレビを見ながら、父親は

「映画は我が一代で終わりなのかなあ…」

つぷやきました

             … … …

当時のアメリカで

新しく現れたテレビジョンに対抗するため

ワイドスクリーンの映画が作られました

20世紀フォックスのシネマスコープ映画「聖衣」を

きっかけに

映画スクリーンのワイド化が進みますが、

映画は斜陽化していきます.






テレビ番組を記録するのにフィルムを使った

キネレコーディング方式で精密なテレビモニターを16ミリカメラで

撮影する方式でした

テレビは間もなく,電子的に記録できるVTRが完成します.

これでテレビは完全にフィルム記録から別れることになるのです







ソフトボール

2010年10月18日 23時43分19秒 | Weblog


孫のソフトボールの写真を撮りました.

天候は,薄曇りで暑くない日和でした。

以前,息子のソフトボールを撮りました.

当時は,銀塩一眼レフで、フィルムの枚数を

気にしながら撮りました.




今回は デジタル一眼レフD40Xで

レンズは18ミリ~55ミリ

    55ミリ~200ミリ

ISO感度 800

合焦は AFーC(コンティニアス)

連写モードです.

デジタルカメラですから

孫がバッターボックスでバットをかまえると

パチッ…パチッ…パチッ…パチッ

連続シャッターです.

結局、トータル191カット撮りました。

銀塩フィルム時代では考えられない

カット数です.























孫のパパはほかのチームの試合の

球審を勤めるなどおまけがありました。




























プレスカメラマン

2010年10月17日 23時07分54秒 | Weblog


新聞のプレスカメラマンは長い間

機動性乏しい4×5シートフィルムを使う

1枚撮りの,大きなスピードグラフィクと

一度発光させると,次のショットでは

新しいフラッシュ球を用意しなくてはならない

フラッシュ・ガン付きのカメラを取材に使っていました.

            … … …

フラッシュ球を沢山使う取材では

フラッシュ球をむき出しで、カメラバッグ

(ギャジット・バッグ)に、はち切れるほど詰めていました。




ある取材でプレスカメラマンが肩にしていた

ギャジット・バッグが一瞬、閃光が走ったことがありました。

裸で詰めていたフラッシュ球が,何かのショックで

フラッシュ球が全部、発光してしまうという

事故を聞いたことがあります.

             … … …

朝日新聞社から

年に1度、朝日新聞報道写真年鑑(朝日新聞報道写真集)が

発行されていました.

写真集を見ると,機動性の乏しいスピグラで

どうして決定的な瞬間をキャッチできるのでしょう

大判フィルムの流麗な色調に、的確なシャッター

チャンスの写真が満載されていました.

この写真集に常連として

吉岡専造(よしおかせんぞう)氏、

大束元(おおつかげん)氏、

船山克(ふなやまかつ)氏が 大活躍でした

アサヒカメラにも作品を発表していました.




スピードグラフィクから

徐々にプレスカメラマンは35ミリフィルムを使う

ニコンF、やキヤノンの35ミリカメラに代わっていきます.

             … … …

新聞社のプレスカメラが35ミリカメラになってからも

新聞報道写真集が発行されています.

神業に近い,決定的瞬間の素晴らしい

ショットや、4×5の大きなシートフィルムからの

流麗なトーンが懐かしく感じられました.










ギャジットバッグ

2010年10月16日 22時25分28秒 | Weblog



新聞社のプレスカメラマンは,長い間

いまから考えると不便なカメラの

スピードグラフィック(通称スピグラ)で

取材をしていました.

            … … …

スピグラには大きなフラッシュ・ガンが

ついています.

新聞写真は網版印刷です

目的の人物を紙面でハッキリ描写するために

フラッシュ球を用いて夜間はもちろん

日中シンクロをよく使います.





当時の,フラッシュ球は、一度発光させると

球のアルミ箔が燃焼して使用は一度きりです。

プレスカメラマンは肩に提げた、

ギャジットバックは

未発光のフラッシュ球が一杯詰め込まれていました.

当時のプレスカメラマンが

提げているギャジットバッグは

フラッシュ球の入れ物だったのです.





現在,アマチュアカメラマンも

肩からギャジットバッグを提げています

写真界は一度しか使えないフラッシュから

何度も発光できるストロボになりました。

フラッシュ球の入れ物だった

ギャジットバッグががいらなくなってしまいました.

代わりに交換レンズ、ストロボや,

アクセサリーで満タンになっています。












ヒーロー・インタビュー

2010年10月15日 22時12分11秒 | Weblog



プロ野球ナイターが済むと、

勝利チームのヒーローインタビューが

あります

当番のアナウンサーが代表となって

インタビューをしています

ヒーローの声が球場の

スピーカーからエコーをともなって

聞こえています..

                  … … …

そのヒーローを遠巻きにして,

スポーツ新聞のプレスカメラマンが

良い表情を狙っています.

毎度,おなじみのこのシーンで

私は,ヒーローより遠巻きにカメラを

構えているプレスカメラマンの機材に

興味がわきます.

                    … … …

その時代,時代で微妙に機材が

微妙に変わっていきます.





以前は大きなストロボ

を35ミリカメラの横に取り付けていました

最近は35ミリカメラに

クリップオンの小さなストロボを

アクセサリーシューに

取り付けて、

ストロボが

「パッ… パッ… パッ…」

と連続発光しています.

きっとモータードライブで

連写しているのでしょう

ずいぶん、機材が

小型になって便利になりました。

                  … … …

一昔前の新聞社のプレスカメラマンは

4×5のシートフィルムのスピードグラフィク

で1枚撮るたびに、フィルムリーダーを

引いてフィルムチェンジと

一度発光させると取り換えなくてはならない

フラッシュ球で不便な取材をしていました.






スピード・グラフィック

2010年10月14日 22時10分50秒 | Weblog


世の中が進むにつれて、

ガラス乾板の感光材料は消えていきます.

写真界はフィルム一色になります。

                … … …

街の営業写真館や卒業写真撮影の写真師は

ガラス乾板から,シートフィルムへと

感光材料を変えていくと思いましたが

ロールフィルムを使用するようになってしまいました.

修正ニスで乾板に修整を施せましたが

シートフィルムでは修整ニスが使えません

修整のできない機動性に欠くシートフィルムより

便利なロールフィルムを使用することにしたのでしょう




日本の新聞写真でシートフィルムが

長い間使われていました.

新聞写真のプレスカメラとして

アメリカ・グラフレックス社製の

スピグラ(スピード・グラフィック)があります。





このカメラは4×5(シノゴ)判で12枚撮りの

フィルムホルダーになっています。

1枚写真を撮るたびに、シートフィルムにつながった

リーダーの黒紙を引き出してフィルムホルダーに未感光の

シートフィルムに変えなくてはなりません.

                … … …

35ミリカメラのように連続の連写はできません.

どうしてこのような1枚のシートフィルムで撮る

カメラがプレスカメラとして使われたのでしょう

                … … …,

1枚ずつのシートフィルムだと

1枚ずつ撮影条件によって

現像時間を変えて,調子を整えたり

増感や減感現像ができるからなのでしょう

                … … …

35ミリやブロニーフィルムだと

36枚や12枚の映像がれんぞくしています

ロールフィルムを増感・減感現像する場合

中心となる1枚の写真以外は

捨てなくてはなりません










組立暗箱②

2010年10月13日 21時51分47秒 | Weblog



学年末や卒業記念の写真を写真師は

色々と段取りのある組立暗箱カメラで

写真を写します.

                     … … …

写真師が暗箱の後の黒い布から顔を出して

緊張した面持ちで、シャッターのゴム球を握ります.

撮られている先生,生徒も真剣な顔で撮ってもらいました.





この大げさな記念写真撮影が、

学年末や卒業時の行事として

ありました.

クラス全員の集合写真は、

乾板(ガラス板)の組立暗箱でなくては

ダメなのだと長い間思っていました.

営業写真師の側から見れば,

キャビネ判の乾板で

撮影すれば,クラス全員に写真を渡すのに

原板を引き伸ばさなくて,

密着プリントで済みますから

効率よく暗室作業ができたのかも知れません。




やがて,乾板が使われなくなったのか、

フィルム会社で製造されなくなりました.

                    … … …

感光材料はすべてフィルムになりました。

ガラス乾板に代わるものとして

シートフィルムがありました。

8×10(エイトバイテン)とか

4×5(しのご)の大きなサイズの

1枚のフィルムになりました。

                     … … …

街の写真館や卒業写真撮影の写真師は

乾板に代わるものとしてシートフィルムを

使いませんでした.

ブロニー判のロールフィルムカメラを

使うようになりました。















組立暗箱①

2010年10月12日 18時16分02秒 | Weblog



昔,組立暗箱(くみたてあんばこ)の名称で

乾板(かんぱん)を使用するカメラがありました。

乾板はベースがガラス板です.

ガラス板に感光材料を塗布した原板です.

            … … …

カメラは蛇腹の木製のカメラで

操作する写真師が、撮影に際して

木製の三脚の上に,カメラを取り付けて

カメラにレンズを付ける木製の前板を起こし、

乾板撮り枠側(ピントグラス)の後板を起こして

カメラを組み立てていきます.

カメラを使って撮影するのに順番に組み立てていくので

組立暗箱と言われたのかも知れません.





この組立暗箱はどこで使われたかといいますと

小学校の始業式か学年終わりの

終業式か学校卒業時の卒業記念写真では

必ずこの組立暗箱で撮られていました

             … … …

生徒はキレイに並んで写真師は

適当な場所に組立暗箱カメラを組み立てます.

写真師はカメラに黒い幕を被せます。

写真師はこの幕を被って組立暗箱カメラの

後のピントグラスを覗いてピントと構図を

確かめます.





カメラのレンズにはソルントンシャッターが

ついています.

このシャッターはゴムの幕で出来ています

写真師はシャッターを巻き上げます.

シャッターからゴムの細い管がついています。

ゴムの先にゴムの球がついています.

ゴムの球を手で握るとシャッターが切れます.

             … … …

写真師は並んでいる生徒に

「動かないで…」

といいながら

ゴムの球を握ります.

シャッターはバルブ撮影です

写真師はゴムの球を握ります.

「一つ、二つ,三つ…」

数えてゴムの球を握っている手を

緩めてシャッターを閉じます.